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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

すうさい堂は閉店しました。17年間ありがとうございました。

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二年ぶり雑記

わ。ブログを書かなくなって二年近く経過してしまった。
すうさい堂を閉店する際にも「店主が店を畳むときのブログはポエムになる」と聞いたことがあるので、同じ轍は踏むまいと思い何も書かなかったのであった。
で、まさか世界中がここまでヘルタースケルター(しっちゃかめっちゃか)になるとは思わなかった。
大変な思いをしている人々がたくさんいることは重々承知だし、SNS等でちゃんとした発言や活動をしてる人もたくさんいる。今のところは大人しくなったコロナだが、マイメンとつるんで毎晩飲み歩くのが趣味のリア充の方々もお辛かったであろうと思う(これはもちろん皮肉である)。
で、自分はどうかと言えば一応罹患することもなく、へっぽこ店舗を無理矢理続ける呪縛から逃れたことにより、経済的・時間的にかなり余裕ができた。いま思えば前店舗のジャルダンから離れた時点で閉店するのが一番正解だった。

最近よく耳にするのが「おうち時間」という言葉なのだが、この「おうち時間」がめっちゃ楽しいのである。
ぼっちがまったく辛くないというか(猫いるけど)DVDやブルーレイ、CDや本のコレクションにものすごく助けられている。
コレクションと一口には言うけれどアンティーク雑貨などは眺めて愛でるのが中心なのだろうが、DVDやブルーレイは鑑賞できるし、CDは聴けるし本は読める。これは実はすごいことだ。
逆に「断捨離」という考え方も根強くあり、聞いたところによると「捨てられなくて困っているぬいぐるみなどは、目玉をくり抜いてしまえばよいのであります。捨てやすいから」というマニュアルがあるらしい。
ゾッとする。例えば「目玉をくり抜くという特殊メイク」を作ることはクリエイティブな行為だが、不要なぬいぐるみの目玉をくり抜くというのは単なる残虐行為でしかない。
コレクションは「あれどこいったっけ?」と探すくらいでちょうどいい。なぜならそのブツが出てきたときが超うれしいからである。
コレクションは「アーカイヴ」と呼んでどんどんお小遣いを投入すればよろしい。
昔「物より経験」というコピーがあったような気がするけど、モノを買ってそれに時間を割くのが経験であり、それが「教養」ってやつじゃないの?

あとこれはバカっぽく聞こえそうだけど、いまYouTubeが面白い。
いわゆるユーチューバーってのはどうでもいいし、以前は無許可のライブ映像やテレビ番組などを見るのが中心だったけど、今現在、タレントたちが新しい表現の場としてネットに続々参入している。コロナで仕事が激減している中でこれは当然の流れだと思う。
特にDHCに嚙みついてすべての地上波を追われたという水道橋博士は多数のコンテンツを作り、メジャーのスキルと人脈をネットに持ち込み、ものすごく生き生き活動している。やはりこういう時代になってしまった以上、引き出しの多い人間の勝ちである。
意外なダークホースが「ラッセンが好き」の永野氏で、好きな音楽や映画について素直に語る着眼点が面白い。そんなにマニアックな趣味でもないと思うけど地上波からすれば十分マニアックであり、落としどころとしてYouTubeはちょうどハマったということなのだろう。

やはり街に出て経済を回すことも忘れてはならない。
自分はハートランドを毎晩一本空ける酒豪ではあるのだが、家で映画でも見ながら飲むのが好きなもんでなかなか居酒屋で一杯、という感じにはならない。そこはのんべえ諸氏にお任せしたい。
「コロナが明ける」という考え方について個人的には「ライブのモッシュピットが復活する」ことだと思っているので、それを考えるとまだまだ先は遠い。
そうなると映画である。いろいろ困難を乗り越え劇場はがんばっていると思う。
映画館でチケットを買えば劇場の収入になり、製作者への評価にもつながる。
文化を潰さないためにもここは頑張りどころである。なにしろこの国は「どうであろうとスポーツが最優先」なのだ。今年はそれを堂々とぶち上げたのだ。連中なんかに負けられるか。
今年は特に「ザ・スーサイド・スクワッド」「ハロウィンKILLS」「マリグナント 凶暴な悪夢」「ビバリウム」「ガンズ・アキンボ」などの豪快な血みどろ大会が充実していたような気がするなあ。
某学者が言っているように「原始的な感情である恐怖を楽しむホラー映画というコンテンツは脳をリラックスさせる」というのは正解だと思う。
あと、ホラーを楽しめるというのはある程度感性が若いってことだと思っているので、「いやー最近はそういうのがキツくなっちゃって・・・」と良心的な大人の発言を気取っているらしい人には「あーそうですかー」とこっちも大人の対応をしているけど心の中では「このジジイめが。勝手にかっこつけて朽ち果てろ」と思っている。

しかし「不要不急」という無粋で残酷で慇懃無礼な言葉を広めた人って誰だったっけ?
忘れようとしても思い出せないのだった。

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26世紀のアメリカは2020年の日本だった



数年前に観たときは笑えた。アメリカはやっぱアホの国だなあと。
観かえしたらやはり笑えるのだが、認識としては「これ今の日本じゃ・・・」などとゾッとするような感想を抱いてしまったのが『26世紀青年』(2006)である。

2005年、アメリカ陸軍は極秘裏に人間の冬眠実験を開始する。実験体に選ばれたのは平均的な能力を持った軍人ジョー・バウアーズと売春婦のリタ。1年間の計画だったが、極秘実験の責任者がリタの彼氏の売春組織との癒着が発覚して麻薬不法所持と売春あっせん容疑で逮捕されたため忘れ去られ、二人は500年後の未来に目覚めることになった。500年の間、賢い者が極端なK戦略をとって子作りを控える一方で知能の低い人間が極端なr戦略をとって野放図に子供を作り続けた結果、平均IQが低下し堕落した社会となっていた。ゴミがひたすら積み上げられ、砂嵐が吹き荒れ、農作物は育たず、水の代わりにスポーツドリンクが供給されていた。元の時代に戻るためにタイムマシンを探すジョーは、周囲から馬鹿にされたり刑務所に収監されたりしながらも、この世界の生きている人間の中で一番のインテリであったため、内務長官に任命され、農業の復活と砂嵐を止めさせられる羽目になる。(らくちんウィキペディアコピー)

バカのねずみ算のおかげでバカしかいないバカトピア社会。バカ市民たちのぼんやり演技が見ものだが、後にジョーと行動を共にすることになる常に口半開きのバカ弁護士のボンクラぶりは特にお見事。
裁判シーンもメチャクチャで最高なのだが、果たして今の日本の司法が機能しているのかと考えるとあれやこれやで相当お粗末なもので、司法・立法・行政の分立もえげつなくぐちゃぐちゃになりつつある。
この社会では腕に強制的にタトゥーを彫られてコンピューターで個人を認識されるのだが、その際ジョーはマシンに名前を聞かれたときに不貞腐れて「そんなの知るか(ノット・シュア)」と答えてしまったのでそのまま彫られてしまい、彼はずっと「そんなの知るか」と呼ばれる羽目になる。これがまともな人の名前かどうかの判別もできない素敵なバカの世界。
スターバックスは風俗店となり(怒られるぞ・・・)劇場では「しり」なる映画が大ヒット、お尻が延々と映されおならをブーブーしているだけの内容で観客が爆笑している。国民がアンディ・ウォーホル的な前衛を理解している、というわけではなさそうだ。
究極の平凡人だったジョーがバカ社会では「天才」であり、なんだかんだで大統領に任命されて内務長官をやらされるハメになる。この大統領ってのがマッチョの黒人で元プロレスラーにして元ポルノスター、激情するとマシンガンをぶっぱなす。
官僚たちもずらっとバカ・アホ・お色気担当のボイン姉さん・ガキんちょ。しかし日本自民の「お友達人事」も同じようなもんで、元スピードを選んだ奴はそのときスピードを食っていたのであろうし、セクシー環境大臣のコント答弁はいつも期待を裏切らない。
そして全員バカ丸出しのデカい「議員ペンダント」をぶら下げている。とにかくバカは誇示したいのだ。

ジョーは「作物がゲータレードで育てられている!」と、その超平凡かつ超天才的な頭脳で気付く。
「これじゃ枯れるのが当たり前だよ!水をあげないと!」
(ちなみに彼のまともな喋り方はこのバカ社会で「カマっぽい」と常に嘲笑される)
するとバカも長い年月をかけて完成しているので「水ってトイレに流すやつだろう?」と返されるのである。
実はスポーツドリンクの会社が国を買収してすべての水の代わりにゲータレードを使用させているのだが、ジョーはこれをやめさせて水で作物を育てることを決定させる。
すると多数の国民が従事する「国策」であるところのスポーツドリンクの収益が傾き、経済破綻を引き起こしてしまうのである。ちなみに必要ないと言われているにも関わらず、おいしい利権のために止められないものってがありますな。「原発」とかね。ぶっちゃけ東京五輪も本作のゲータレードと同じようなもんじゃないか?とは怖くて言えない
そして彼に待っていたのは「リハビリ」と称される公開処刑(この辺のセンスがブラックでいい)。
ここで終わると真っ暗なディストピア物語なのだが処刑人も漏れなくバカであり、漂流教室的に言えば「僕らは未来に蒔かれた種なんだっ!!」という感じで、一応のハッピーエンドで蹴りがつく。「ノット・シュア」の名義はそのままではあるが。

権力は常にバカにしなければならない。そのためには山のようにブラックコメディを観たり読んだりする必要がある。バカ映画は思考停止ではない。常にアンテナを張っておく必要がある。一番ろくでもないのは「犠牲は素晴らしい。泣けます感動です」ってやつで、あの手の作品は究極の思考停止である。
政治的というのは実は「生理的」に湧き上がる感情であり、イラッ!としなければ誰も政治の話なんてしたくないのだ。

サブカルノットデッド



映画秘宝が休刊してしまったのである。さてこれからしばらく、面白そうな狂った映画は自分でサーチしなければいけなくなった。でもまあ惑星が爆発して怪光線が地球日本の出版社に命中すれば復活するから大丈夫だ、きっと。
思えば第一号は『エド・ウッドとサイテー映画の世界』というムック本で、どのページを開いても「どうやって観るんだ、これ?」という作品で埋め尽くされていたのが衝撃であった。
それから続々発売された『悪趣味邦画劇場』だの『底抜け超大作』だの『日常洋画劇場』といったイカれたカタログのファンであったので(しかし常に「これどうやって観るんだよ?」がつきまとっていたのだが)月刊化されると聞いたときは「内容が薄くなるから嫌だ」と思ったものだが、さにあらず。
完全に秘宝的な価値観を作り上げてしまった。どういうことかと言うとキネマ旬報などのジャーナリステックな視点の批評に対し、「破壊と血とおっぱい」という中学生感覚で対抗したのである。
モンスターや宇宙人、ヒーロー対ダークヒーロー、傭兵やテロリストによる破壊描写、マフィアの抗争劇や殺人鬼、ゾンビ、頭のおかしい人による血みどろの残酷描写、そこに美人のおっぱいがあれば完璧だ!ということ。
さらにバカしか出てこないバカしか喜ばないバカ映画もちゃんと評価する。そして古典へのリスペクトも忘れない。ボンクラにとっては毎月クリスマスプレゼントを貰っているようなもので「金ないしモテないし友達もいないけど寂しくなかったよ!」という人びとも多数存在した。
紙媒体がどんどん方向転換したり消えていく中で、我が道を貫いていた(実際、日本一売れている映画雑誌だった)秘宝の突然の休刊について「やはりサブカルは死に体」という声もちらほら。

実はサブカルな人がそう言ってるのもわかる話で、なぜならサブカルは「斜に構える文化」だから。
つまりアイドルや特撮、ジェンダーやシリアルキラーなどに対して「斜に構えた目線」があれば、それはサブカルなんである。昔ほどみんながびっくりしなくなった、ということだ。
リリー・フランキーやみうらじゅんはメジャーだからもうサブカルじゃないみたいな意見もあるけど、リリーさんの隠しきれない負のオーラ、みうら師範のどうにもこうにもな異物感はやはりサブカルである。
というか、サブカルがいまやメジャーとがっつり組んで生き延びているとも考えられるのだ。
具体的に言えばライムスター宇多丸が民法ラジオの重要な帯番組のパーソナリティーになり、典型的な秘宝読者のような監督が撮ったインディーズ映画が大ヒットし、大森靖子がアイドルに楽曲を提供し、ジャニーズのタレントがマニアックな作品に出演し、ザ・ドラァグクイーンのマツコ・デラックスは日本で最も忙しいタレントになり、吉田豪は第一級のプロインタビュアーであり、少し前なら完全にカルト扱いの『パラサイト』や『ヘレディタリー』が大ヒットし、テクノがルーツの地下アイドルだったperfumeがドームを埋め、かつて町田町蔵というパンクロッカーだった町田康は文学界の重鎮になり、田口トモロヲは安定のバイプレイヤーであり、泉昌之として『ガロ』でデビューした久住昌之が国民的な漫画原作者になり、アーバンギャルドは絶妙な位置で活動を続け、サブカルのディーヴァ・しょこたんは健在であり、蒼井優と山里亮太は結婚する。
まだまだありそうだが、むしろサブカルは完全に勝利してるんじゃないか。線引きが見えづらくなったために「死んだ」とささやかれ続けただけなのだ。
クイックジャパンにしても内容はアイドルとお笑い芸人が中心になったけど、あの異常な文字量と熱量は同じであり、かつてがあまりにも「頭のおかしい素人」を載せ過ぎたのである。
今の『宝島』がどうなってるかなんてまるで興味がないし、ネトウヨ出版社となった青林堂なんぞどうでもいい。ただ「根本敬の失速」というものがあるのだが、かつてあれだけギラギラした影響力を誇ったものはまあ致し方ないのかな、と思う。とにかく90年代サブカルにとって『因果鉄道の旅』と『人生解毒波止場』はマスターピースだった。今頃彼の活動を「ヘイトの根源」としている連中がいるらしいのだが、どれだけ根本敬が「斜に構え」つつも韓国を愛し、玄界灘を渡っていたかということを理解できないのだろう。

俺も昔はこんなのが好きで~、とかぬかす輩には言わせておけばいいのであって、こっちはサブカルに命を救われたんである。そのような下地を作ってもらったものに対して感謝こそすれ、バカにする気は微塵もない。ムダな知識はかっこいいんじゃないかと井戸を掘り続けていたらまともな人生はどっかに落としてしまった感がなきにしもあらずだが、DIGするのがサブカルなんだからそれはしょうがない。いくら観ても読んでも聴いてもまだまだ足りない!ってーのがサブカルなんだから。実際マイナーレーベルからまだまだ怪しい音源は発掘されているし、秘宝を読んでいてもまだこんな頭のおかしい映画が存在していたのか&作られているのかと呆れつつも刺激になるわけだから、最高の脳内麻薬である。ドラッグなんぞいらんのだ(むしろあれはリア充が使用するものではないかという気がしてきた。シラフでいるほうがずっと面白いのにね!)。
はっきり言えば自分が自殺しなかったのはサブカルがあったから&マイノリティという自覚があったからであり、時流とともに消えていくマジョリティが無自覚に好きだったら危なかったと思う。そもそもマジョリティとマジョリティが楽しくマジョリティの話をしているところに自分なんぞが入っていける隙間なんて一ミリもないのだ。
「そこ?」「そこ!」という感覚は大事なんだよな、ドルーグ!ってことである。ゆえにカウンターカルチャーでもなくサブカルチャーでもなく、サブカルはノットデッドなのだ。

BiSHに至る病



「こんなひどい話がありますぜ、げっしっし」というのが基本的なスタンスなので、しばらくブログが書けなくなった。現実のほうがずっとひどいからである。フィクションが負けている。ホラー映画ですら半分くらいは因果応報の法則があるというのに(残り半分は何も悪くない人が大変な迷惑を蒙る)、現実にはタイーホすらされん輩がおる。などと言っても詮無いのでぼちぼち頭の中の整理をしようかと思うのだがもちろん本の話ではなく、とりあえずは「欅がしんどい」ということだ。

二年くらい大好きで追っていた欅坂46がもうかなりしんどい。本当にカッコいいと思っていたのは全員黒スーツの『風に吹かれても』までで、欅史上最もロックと言われた『ガラスを割れ!』がどうにも好きじゃない。そもそもアイドルが「今回はロックに挑戦しました!」と言われる作品のほとんどがしんどい結果に終わるのである。次の『アンビバレント』もなぜかビミョーーーにピンと来ない(カップリングのPVが「時計じかけのオレンジ」チックでカッコいいのがあったが)。『黒い羊』に至ってはとうとう「鬱陶しい・・・」という感想が出てきて我ながらびっくりした。
センター平手友梨奈の不在問題。これも最初は「今日は平手ちゃんはいるのだろうか?」とざわざわしていたものだが、いない状態が当たり前になると「ああ。いないんですね。はいはい。わかりました」。二期生が入って選抜制になったときの黒い雰囲気。ぼろぼろメンバーが抜けているのに、当時の音源でパフォーマンスしている微妙な不条理。そしてたまに登場する平手友梨奈の冷え冷えとした目つき。あんなに醒め切った顔のアイドルは見た事がない。しんどい。

といった心情のところにさくっと入り込んできたのがBiSHなのでありました。
ユーチューブでも見ていたし、テレビ出演時も「大人にBiSの流れをやらされているかわいそうな子たち」という印象しかなかったのだけど、CDを聴いて認識が変わったのでありました。
(そもそも「ユーチューブで見ているからファンでーす」という人びとは、ザッピングが出来る「ユーチューブが好きなだけ」なのである)
とりあえずファーストから聴いてみっか、とディスクをプレイした途端、瞬殺。アイドルのキラキラしたカラオケではなくガチにラウドなバンド演奏なので、おっさんにはするりと馴染む。
BiSHの音楽的評価はもう確定しているから自分がごちゃごちゃ言うことはないのだが、どのアルバムが一番好きかと言われると、彼女らの楽曲は本当に捨て曲がないので困ります。
現メンバーが三人しかいないファースト『Brand-new idol SHiT』、というのも後ろ向きな気がするので、メンバーが全員揃った99秒のハードコアパンクで始まるメジャーデビュー作『KiLLER BiSH』ということにしておきましょう。ここには洗練(ほんのちょっと、だが)に向かう直前の勢いがある。
鳴かず飛ばずのダンサー志望だったアイナ・ジ・エンドをボーカルとして発掘した功績は本当に大きい。いわゆるアイドル枠としてはピンクレディーのケイちゃん以来のハスキーボイスかと思うのだが、エグさでは比較にならない。瞬殺である。
王道アイドルボイスのセントチヒロ・チッチ。息継ぎを隠さないところがすごく好き。作詞を最も多く手がけるモモコグミカンパニーはグループの知の象徴。ちょっと緑魔子や戸川純のような(昭和ですまん)雰囲気を持つ「無口担当」のリンリン、本当は狂気担当。メガネ担当ながら視力は1・5、なおかつメガネを外したらクビと言われているハシヤスメ・アツコはアラサーらしい。おそらくメガネを外したら箸休めにならんと思う。ごはんが何杯でもいけてしまう。

最後に加入したアユニ・Dの声はなんつーか、強烈な「ひらがな」が襲ってくる感じ。この洗練されない、されようがないニュアンス、個人的には80年代の北九州パンク・スワンキーズを連想した。
彼女がベースボーカルをつとめる3ピースのバンド「PEDRO」が実は最高にカッコいいのである。ライブでも確認済み。元ナンバーガールの田渕ひさ子がギターなのでもう、ギャリッギャリです。ギャング・オブ・フォーの再来か。
海外でリリースしても受けるのではないか。なにせ日本人が聴いても半分くらい何を歌ってるのかわからんのであるからして。
この発音もあやしいアユニをボーカルとして立てた事務所代表・じゅんじゅんこと渡辺淳之介(ファン=清掃員は彼をこう呼ぶ)の慧眼。強烈なコックニーなまりのジョニー・ロットンをボーカルに抜擢したマルコム・マクラレンのセンスに近い。
人間的にはかなり問題ありそうだが、マネージャーとしてはマルコム並に敏腕。追っていくとフェイクの仕掛けが抜群なので、作詞作業はメンバーに任せてそっち方面でひっかき回してほしい。かな。

BiSHの公式デビューPVはメンバーにウンコをぶっかけてグチャグチャにするいうもので(馬糞とのこと)、じゅんじゅんの「ここから這い上がって来い」というメッセージとして取れなくもないが、BiSを非常階段と共演させてグチャグチャにしていた過去もあるので、単に彼の趣味嗜好かな?とも思う。
しかしソークーを投げつけられながらもカメラに目線を合わせしっかりリップシンクする、アイナの根性はすごい。
BiSは詳しくないのだが、彼女たちを怪奇やアングラ趣味が濃厚でありつつ礎を築いた初代仮面ライダーとしたら、BiSHは初代をポップにビルドアップさせ人気や売り上げで乗り超えた、仮面ライダーV3ではないかと思う。ってまた昭和。
と、このようにおっさんは薀蓄があり、名盤やゴミ盤を何百枚も聴いてきているので、おっさんが「このアイドルは良い」というのはある程度説得力がある。はずである。と思う。

現在のBiSHのキャッチフレーズは「楽器を持たないパンクバンド」。これが「楽器を持たないメタルバンド」だったら意味が通じない。ヘビーメタルはテクニックやスキルを伝えるものだから。
パンク最大の発明はレコードや音楽ではなく、「パンクというニュアンスを伝えること」だと思う。


無題

本日からの三連休はまだ頭のネジが緩んでいるので全品半額セールを続行。よろしくお願い致

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HN:
すうさい堂主人
性別:
男性
職業:
古本すうさい堂
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