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人はなぜ刺青をするか、というのは深遠な問題だが、人はなぜ刺青をしないかというと、痛いし、手間と金がかかるし、消せないし、おとーさんに怒られるし、会社の慰安旅行に行けないし、普通の彼女は作れないし等々の諸問題ゆえ、要するにつらそうだしアフターがめんどくさくてやだ、といったところであろうと。
以前バイトで首筋や腕から指にかけて墨を入れたバンドマンと一緒になったことがあって、さぞや全身はすごいのであろうと思っていたんだが着替えの時に見たら、二の腕から先はびっしりなんだがあとはきれいな体で、これって結局人に見せるための刺青じゃんと、少々引いた覚えがある。
それとは逆に全身黒一色の総身彫りなんだけど、二の腕から先には入れていないので、半袖のシャツを着ている分にはまったくわからないという人もいて、こっちの方が全然カッコいいんじゃないかと思う。
タトゥー雑誌なんかでみなさん自慢の彫り物を披露しているが、少なくとも日本人なら知っているようなキャラを入れる際には、腕の立つ彫師を選ぶべきではないかと。
時々、台湾の海賊版みたいな「ルパン三世」とか「キューティーハニー」とかのタトゥーを得意げに見せている若者がいるが、あれは自分を「バッタモンです」と名乗っているようなもんなので、先々のことも考えるとっちょっとどうなんですかね?大きなお世話だが。
なんでこんなことを書いてるかというと、谷崎潤一郎原作・増村保造監督・若尾文子主演の『刺青』を観たからなのだが、この映画はパンクである。
駆け落ちしたおきゃんな若尾さんが芸者に売られ、背中に女郎蜘蛛の刺青を彫られ、男を食い物というか、殺人教唆までするような肝っ玉姐さんに成り上がり、そして破滅する。
女郎蜘蛛の刺青ってのがまた微妙にチープで、ここにも「D・I・Y」のパンク精神が生きている。
駆け落ち相手の彼氏(チョンマゲですが)のヘタレ、腰の据わらなさ加減もいい感じ。
「おれの愛人になれ」と迫る武士の佐藤慶はやはりカッコいい。
「増村保造」と「町田町蔵」はついうっかり間違えてしまいがちなのだが(ですよね?)、どちらもパンキッシュな精神の持ち主であることに間違いはない。
ついでに伊太利亜スプラッターの大御所、ルチオ・フルチの『ビヨンド』ってのも観てみたのだが、さっぱりわけのわからないストーリーについていけず、昏睡状態になりました(スコアは素晴らしいんだけどねッ)。
60年代にもこの手の映画を量産したハーシェル・ゴードン・ルイスなる監督もおりまして、彼らに共通するのは「グロければグロいほど好き物の客が来るんだから、そこだけサービスすればよい」というヤマっ気であって、要するに商売人。
硫酸で顔を溶かされたり、目玉をえぐられたり、犬に喉笛を食いつかれたり等の残虐場面は満載で(だったような気がする)、こちらの方をハードコアな人々は支持しそうだが、作り手側はきっと「牛乳を飲んでいるときに変な顔してブッ!と吹かせる小学生」みたいな人たちである。それがプロになっただけ。
物事の本質ってのはそういうもんであります。
白塗りで血糊を吐き火を吹くKISSはパンクか?違うだろ。
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