アナログな考えというのは重々承知だけれど、やはり作品というものはパッケージ化されてなんぼだと思う。ダウンロードでは体の隅々にまでその「怨念」が行き渡らない。ちなみにアーティストに対し「ファンです。いつもユーチューブで見てます!」っていうのはそれ全っ然ファンじゃないですから!
たとえば昔の角川文庫版・夢野久作や春陽堂文庫版・江戸川乱歩なんかはそのカバーを見ただけで「全部欲しい!」と思ったものだよ。ものすごく禍々しいフェロモンを放っていたのだ。
個人的に同じにおいを感じるのは平山夢明大先生の著作で、怪談じゃなくて小説のほう。「彼岸系」というか、どれもこれもヤバい装丁ですよね。あとはやはり楳図かずお大先生で、オリジナル版はもちろんだが祖父江慎大先生がデザインした一連の単行本(小学館)が超超超カッコいい。
CDやDVDのパッケージも同じこと。紙一枚というなかれ。そこが「命懸け」であれば買ってしまうのが人情というものだ。
『フォーリング・ダウン』(93)のアートワークをご覧になって頂きたい。白シャツの会社員姿のマイケル・ダグラスが両手にそれぞれスーツケースとマシンガンを持っている。
「これはどういう映画なんですか?」と聞かれたら、「こういう映画です」と即効で返せる素晴らしいデザインである。
真夏。離婚した妻が引き取ったわが娘の誕生日。一刻も早く会いたいが、渋滞。そこで男(マイケル・ダグラス。後半でコードネーム「ディフェンス」と呼ばれる)は早速ブチ切れ、車を乗り捨てる。
公衆電話で電話をかけたいのでコンビニでコーラを買い、細かい釣銭をもらおうとするが、韓国人店主の言い値で買ってしまうと電話がかけられない。どうにかしてくれと頼む彼に店主は応じてくれない。
そこでディフェンスはブチ切れ、手元にあったバットで店内を滅茶苦茶に破壊する。
店を出たらカツアゲ目的のチンピラを返り討ちでボコボコにし、彼らのマシンガンを手に入れる。
お次はハンバーガーショップへ。朝食メニューを頼むが時間帯を数分過ぎているため「お出しできません」と断られ、ついマシンガンのトリガーを引いてしまう。
恐怖で固まる客たちの前で改めてメニューをオーダーすると、出てきたものが写真とまったく違うぺちゃんこなハンバーガーで、それに一言、「おかしかないか?」。
そしてハンバーガーショップを出た後、今度はミリタリーショップに入り、ネオナチでレイシストの店主とすったもんだのあげくバズーカ砲を手に入れ・・・という話。
荒唐無稽ではあるんだけど、彼を追う「その日が退職予定だった刑事」の好感度もあり、実に楽しく観られる。あまり評価されてはいないようだが、サスペンスというよりはブラックコメディの大傑作である。
しかもディフェンスはお店にはちゃんとお金を払っているので「そういう意味で事件性は無い」ってのが笑える。
ディフェンスの怒りは我々庶民が日常感じる不満なのだ。ちょっとしたものが高い、メニューの見本と出てきたものが全然違う、横柄な店主は最悪だ、etc。
さらに彼は予算消化のための無意味な工事現場を豪快にぶっ壊し、自分たちが楽しむだけのために広大な土地と緑を独占しているゴルフ会員のジジイたちに制裁を下す。これはもう「世直しヒーロー映画」である。
ラストは刑事との一騎打ちになるのだが、ここがものすごくいいんだな。名場面なので書きませんが。
「溜飲を下げる」というのは大事で、表現に触れてそれができるのならばベストなのだ。
それは人それぞれで、自分はこのような作品に触れるのが楽しいし、『男はつらいよ』全作がバイブルという人もいるだろう(たまにはそういう手合いも観てみればいいのにと言われそうだが、「下町に住む人に悪人はいない」みたいな性善説を延々押し付けられたら発狂しそうになるのであり、渥美清という人を特に嫌いになりたくもないので、スルーさせて頂く)。
もしもこの世に、恋愛小説と、友情マンガと、「魂が震える渾身の大作」映画と、「いつでもあなたを応援しているよ」系の歌しかなかったら、生きている心地がしない。むしろ死んだほうがいい。
淀川先生の名解説があったので貼っておきます。