岡崎京子『ヘルタースケルター』、久々に読む。
昼間、営業中に読んでおりましたのだが、ページをめくるたびに小さな悪寒が走る。
「りりこ」はあらゆる方面で大人気のトップモデルだが、実は全身整形の改造人間。
定期的にメンテナンスをしないとその「美」を保つことができない(ハカイダーやシュワちゃんの「ミスター・フリーズ」みたいです)。
最近は過度のスケジュールに体が耐え切れず、あちこちで壊疽が始まっている。
この辺の描写、楳図かずおならば「ゲエッ!!」「ま、まさか!?」「私のからだがくさっているのだ!!」「ひいいいいいいい(毛の生えた文字で)」って感じになるだろう。
それからはじまるりりこのヘルタースケルター(狼狽・混乱・しっちゃかめっちゃか)。生き地獄を生きる悪の華。
あたしは絶対しあわせになってやる
じゃなかったらみんな一蓮托生で地獄行きよ
ちくしょう さもなくば犬のようにくたばってやる
(りりこ)
最近映画化されたが、主役を自ら沢尻エリカ様が買って出たという話で、この主人公に肩入れしちゃってる時点で、エリカ様ヤバいんじゃないか?あるいは、ボロボロになりながらも必死で抗おうとする「悪としての強さ」に惹かれたのか?
これが女性からの支持を得ているというのもなんとなくこわい話で、一番ほじくられたくない、スルーしたい部分をこれでもかと見せつけてくる、かなり残酷な作品だと思うのだけれども。
でも自分はヤローなので、女性読者が見つめている視点はきっとわかっちゃいないんだろな、とも思います。
そして無邪気に、無責任に「アレ可愛いよね~」と、「人間ですら」消費するあなたたち・わたしたちの残酷さも作者はキッチリと指摘する。
『みんななんでもどんどん忘れてゆき ただ欲望だけが変わらずあり そこを通りすぎる名前だけが変わっていった』
でもそれが、アイコンとしての王道でもある。
「銭ゲバ」ですら、死ぬ直前はかなりウエットになったというのに、りりこの決意表明はロックンロールそのもの。
びしょぬれの同情なんかいらないもの
だとしたら無視されるか 笑いものになった方がましよ
あたしは皆さんに最高の悪意をこめて死んでやるのよ 見てやがれ
チャールズ・マンソンはビートルズの「ヘルター・スケルター」から勝手に啓示を受けて、シャロン・テート殺人事件をやらかした。
岡崎京子さんは本作を描き上げたあと、交通事故でベッドの人となった。
沢尻さんも体調不良とかで、映画のPR活動をすべて欠席。
(しかしスチールを見ると、この人の細胞組織は一体どうなってんだ?と思うくらい美しい。「りりこ」そのもの。今さらながら映画観たくなった)
そして岡崎さんは数年前の小沢健二復帰コンサートに、車椅子で現れたらしい。
オザケン、ライブの最後でこらえきれずに泣いちゃったそうです。