内田裕也氏が亡くなった。なんだかんだで最後まで気になる人であった。芸能界においても功罪あると思うし、思想的にはマフィアみたいだったかもしれないし、悪人か善人かといえば確実に悪人側であろうが、「面白い」人であったことは間違いない。
矢沢永吉と比べればよくわかる。矢沢氏はボーカリスト、作曲家、ビジネスマンとしても超一流で、ヤンキー諸氏が「あーゆーのになりたい」と憧れを抱くのは理解できる。ルックスだってカッコいいし、いい年のとり方をしている。
転じて裕也氏(これで統一)は、いわゆる歌唱力は「・・・・」であり(個人的にはめっちゃ好きなボーカリストなのだが)、ヒット曲は一曲もなく、ボスとして君臨していたわりには金持ちそうなイメージもない。
で、(長髪ハゲ以降の)あのルックス。誰も憧れない。真似もできない。したくない。
永ちゃんのはっちゃけはミュージシャン/ビジネスマンとしてちゃんと着地していくのだが、裕也氏の場合、着地点が本当にわからない。
大震災の被害を受けた石巻市でボランテイア活動(「石巻はロックンロールと読めるから縁がある」という理由が素晴らしい)を行った数日後、愛人を脅して逮捕されるという事件。ある意味ですごいバランス感覚。ドラえもんと魔太郎が同居している藤子ランドみたいな精神構造である。
コートにやたらバッジをつけ「中世の騎士風に」方膝をついて謝罪した記者会見も最高。
日本ロック黎明期の立役者だったことは間違いない。結局芸能として消費されたグループサウンズを目にしたあと、日本で本格的なロックグループを作る、という意気込みで「内田裕也とフラワーズ」を結成し『チャレンジ!』(69年)をリリース。
これ、名盤です。ジャケットも最高。
ジャニス・ジョプリンなどの洋楽カバーが中心なのだが、オリジナルのジョプリンさんは歌唱が情念すぎて自分は少々苦手なので、こっちのほうが好き。なぜなら声のベースにかわいらしさがあるから。
そしてこのアルバムでの裕也氏なのだが、「なんにもしていない」のである。もちろんライブではタンバリンも叩いただろうし、プロデューサー的な役割もあるであろうし、なによりこの当時は「内田裕也」が誰よりもネームバリューがあったゆえの「内田裕也とフラワーズ」なのだ。
音楽的にはツワモノばかりの中で「オレはなにもしない」という選択は潔い。とにかくカバーでも洋楽レベルの演奏ができるバンドを作るということが第一だったのであろう。日本語のオリジナルを標榜するはっぴぃえんどと対立する経緯も、歴史のひとコマである。
ボーナストラックで数曲が収録された中に裕也氏の歌う『ファイブ・フット・ワン』がある。原点にしてまったく変わらない歌唱。しかしドアーズの曲の中でこれをカバーするセンスはかなり渋い。
シングル盤も『ラスト・チャンス』『フラワー・ボーイ』『夜霧のトランペット』の三曲収録。あれほど洋楽を目指したバンドなのにシングルとして切られたものは完全に当時のGS、つーか歌謡曲。この時点でフラワーズは負けていたのかもしれないのだが、今聴くとかなりお洒落でクール。これはこれでひとつの正解であったのだ。
フラワー・トラヴェリン・バンドはちゃんと評価されているからすっとばすとして、問題は裕也氏のソロアルバムなのだ。
ヤンチャさがはじける『ア・ドッグ・ランズ』(78年)と、最高傑作でハードボイルドな『さらば愛しき女(ひと)よ』(81)。この二枚の、ぶっきらぼうで不器用な声には独特の色気と怖さが入り混じっていて最高。
「死ぬまでにこれは聴け!」とは言えないのがなかなかつらいところ。以上です。
あ、「内田裕也&1815ロックンロールバンド」名義の『ロックンロール放送局』(73年)もある。これは慣れ親しんだオールディーズを豪華なメンツでカバー。水を得た魚のように歌っている。ライブでおなじみ『コミック雑誌なんかいらない』も収録。
「ニューイヤーロックフェス」に至っては生涯現役であったのだから、大したもんだとしか言いようがない(最後にキノコホテルをチョイスするセンスがグッド)。
これに関しても「ロックに芸能界的な年功序列を持ち込んだ」と批判され勝ちなんだけど、長い歴史がありそこでベテランと若手が集まるのだから、それは致し方がないのではないか。
下北ギターポップバンドならば横一列で公平に楽しくライブができるのだろうが、新顔のバンドが「本当に怖い先輩方」(安岡力也・ジョー山中・白竜・ジョニー大倉・松田優作など)のドアを叩いて挨拶するというのもなかなか得難い経験なのではないか、と思う。
そして裕也氏といえばやはり映画。好きな出演作はたくさんあるのだが、一本だけ選ぶとするならば『十階のモスキート』(83年)。崔洋一の監督デビュー作品でもある。
これは妻子からも見捨てられ、借金まみれになった警察官が郵便局強盗に押し入るという、非常にスカッとする物語。
裕也氏は素でも口ごもるがそれを演技にそのまま持ち込む。が、そこに妙なリアリティが生まれる。
都市に住む人間が抱える孤独や狂気、不安や焦燥などを「そこにいるだけで表現できる」という稀有な俳優だったと思う。「演技も下手くそで」とか言ってる人はテレビドラマだけ見ていればよろしい。
完全に出世コースからはずれた交番勤務の警察官が主人公。妻(まだまだ色っぽい吉行和子)には離婚され娘には養育費を払わねばならない。娘役がアイドル全盛期の小泉今日子。当時、何か巨大なコネがあったのだろう。
ちなみにキョンキョンの彼氏役として、モヒカン期の「アナーキー」仲野茂が共演している。彼としては生涯自慢できるであろうメジャーな仕事だ。
妻からも娘からも馬鹿にされ、競艇にはまってサラ金からの借金はふくれあがり、スナックで泥酔してはぶちのめされ、唯一の友達は当時の「パソコン」。といってもインターネット以前なので、どうにもしょぼいゲームしかできないのだが。
(当時のサラ金は無人ではなく対面式。なんともいえない圧迫感が画面から伝わってくる)
そして裕也映画といえば「レイプ」。今回はアン・ルイスまでもがその餌食に(もちろん直接的な場面はない)。
万引きロック主婦としてちょこっとだけ登場するが、ポスターやパッケージには二人の堂々たるツーショット。これが裕也の力。
競艇の予想屋として全盛期のビートたけしも登場。生き生きとした存在感に目をうばわれる。
やがて多重責務が上部にもばれてしまい、所長(佐藤慶)にコンコンと説教される。
「君もいつか孫と熱海にでも行って笑顔で暮らせる日が来る。いいですか?熱海ですよ、熱海」
マックスが熱海旅行の時代だったのだろうなあと、ちょっとほっこりさせられます。
そしてすべてに煮詰まった彼はパソコンをマンションからぶん投げ、いつもチャリでとろとろ巡回しているコースを全力疾走し、制服姿のまま郵便局で発砲!!
そこでとりあえず、あるだけの金を出させた裕也氏が局員たちに宣言する。
「なにかあったら交番に来てくれ。いつでもオレがいる」・・・最高すぎませんか?
こんなことで借金が清算できるわけがないので、結局、自身のどんづまった人生を清算させるために行った行為なのであろう。派手に逮捕されたエンディングに流れる白竜の『誰のためでもない』のポジティブなメッセージがどうにもちぐはぐだが、強引に筋を通す裕也イズムがスカッとする。
つまりこれは、ぼくやきみやあなたのための映画なのである。
なんだかんだで恐ろしげながらもファニーで「可笑しな」な人であったと思う。やはり「可愛げ」がなければ誰もついて来ない。
そして正しいロックンロールとはジェリー・リー・ルイスからGGアリン、『爆裂都市』の面々に至るまで、怖くて、「とことん可笑しい」ものだ。そこがカッコいいんじゃない。
そして最強のミーハー。軽々しく「シェケナベイベー」を連発し、ポルノで主演を張り、フランク・ザッパを来日させ、意味不明に都知事選に立候補し、AKB指原とコラボし、奥方・樹木希林と婚活雑誌のCMで共演(逮捕されて放映中止)、晩年近くでは「焼きそばUFO」のCMにも出てた。なんだこりゃ。
そして大女優・樹木希林さんが「生まれ変わってもまた一緒になりたい」と惚れ抜いた男であった。