ここのところ同じ路線をぐるぐるしていた感がある古谷実作品だが、『ヒメアノ~ル』はひとつ、頭抜けたのではないか。
といっても冴えない男が美人に惚れられまくるパターンはずっと同じなのだが、ここでいよいよ「快楽殺人鬼」をほぼ実質上の主人公として設定してきたのである。
「それ」しかやりたいことが見つからない。無慈悲に何人も殺しておきながら、処理もガサツ、計算なし、反省なし。
「たまたまオレの普通がみんなと違ってただけでさ・・・足が速いとか・・・歌がうまいとか・・・」
「実際そんなのと大してかわらね~んじゃねぇの?」
「運悪く普通じゃなくなった人もいっぱいいるのに そんな人に病気って言ったら可哀想だろ?」
「オレはそのバカみたいな簡単さとクソ共の残酷さに・・・超ムカついてんだな」
殺人鬼・森田の独白だが、理論的に破綻しているところが、こうした人種のリアルな心理状態かも知れぬ。ラストにほんのわずか、人間らしいところを見せる。
陰惨な印象の作品だが、ダメ人間の心理描写などさらに冴え、岡田君と安藤さんコンビのかけあいや、ある意味最強のサイコ野郎・平松ジョージ君との絡みなど爆笑ものなので(いや面白いっつうか、なんて言葉のセンスがいいんだろうと思う)、お得な全6巻である。
独立した作品としてみればこの人の漫画はすべて面白いし、若者の悶々やアラサーの焦燥間など、後ろ向きで投げやりなんだけどどこか光があるみたいな、微妙な機微をついてくる。
(今思えば「稲中」にもなんとなく、デカダンなにおいがする)
しかし古谷さん、単行本カバーがどんどん好き勝手にエスカレートしており、6巻なんかまったく意味不明なタコの絵である。本当はちょっとした含みを感じられるのだが、あえて書かないのであった。
ヤンマガってのはどうしてもヤンキー嗜好なイメージがあって、その中でもここのところずっとダークなエンターティメントを描き続けている古谷作品は、この雑誌の良心・知性だと思う。
(古谷流に言えば、)箱から出てないド新品「中年童貞」の屈折した内面を描かせたら、この人は冴えに冴える。
そんな彼らが美人のボインちゃんにコクられて大混乱、というのが定番なのだけれども、作品ごとにそのカオスぶりがどんどん「面白く」なってるので、やっぱり読んでしまう。
よく考えれば孤独な童貞くんなんてのは、日本中に山ほど居る(意外と、遭遇率は少ないかも知れないけれども)。
そこにスポットライトを当て続ける作家がひとりくらいいても良いと思う。
「童貞」から紡げる物語は無限にあるんじゃないか。ただ『シガテラ』は、主人公の魅力のなさからして、女子に惚れられるための説得力がないので、成功しているとは言いがたいのだが。
主人公の年齢を三十代に引き上げ(もちろん童貞)、深夜勤務の孤独な警備員を「深海魚」になぞらえた『わにとかげぎす』は、なかなかの名作だと思う。
屈折はある程度熟成させないと、面白人間は育たない。
「あんまり早く童貞切っちゃっうのはよろしくない。そのあとの人生、どこで巻き返すんだ?」というのが我々の意見である。
NPO 「童貞グリーンピース」でも作ろうかしら(「非営利」には違いないんだが・・・・)。
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