『突飛な芸人伝(吉川潮・著/新潮文庫)』を読んでいて、指パッチンとか、レッドスネークカモンとか、坂田利夫師匠においては存在そのものとか、持ち芸が生き様になっているという点において、偉大なるパンクバンド「ラモーンズ」と勝手にリンクした。
チープだマンネリと言われようがクオリティを下げずに、一貫して同じことを続けるというのは、実は誠実な態度である。
最古参のジョーイとジョニーは、死ぬまでルックスすら変わらなかった(変わることを拒否した)。
「表現のラモーンズ化」が起き易い場として、日本のコミック界が挙げられると思う。
最右翼はやはり谷岡ヤスジだろうか。彼の作品はもうマンガにおけるスリーコードみたいなもんで、自らを禁じ手でがんじがらめにしつつも最期まで疾走した。ヤスジ・ラモーンと呼びたい。
『やる気まんまん』の横山まさみちも然り。単行本化されたもので初めてちゃんと読んでみたのだが、実際の話、本当にしょーもない。主人公(人間)と男性器(オットセイ)のメンタルが完全に分離しており、「大将!どうしましょう?」「オットセイよ!堪えるのだ!」なんて会話しとるのである。さらに女性器は「巻貝」として表現されるので、なんか海洋生物がいっぱい出てくるなーとは思うのだが、性交している風にはあんまり見えないっていう。ちなみに手足の指を「出動」させる際にはそれらが「コットセイ」「足(ソク)トセイ」となる(笑っちゃったよ・・・)。しかしこの設定を亡くなる直前まで27年間(!)も続けたのは偉業としか言いようがない。マサミチ・ラモーン。
現役だと、地味な絵で2ページというお約束を守りつつも、ふいに心の機微をついて笑わせてくれる玄人・中崎タツヤ。年代別にまとめた『じみへん』のワイド版がおすすめ。タツヤ・ラモーン。
これまた地味なんだけど、哀愁の中年オヤジを描かせると抜群な「文芸作家」いましろたかし。『ラララ劇場』がもう一回読みたい。タカシ・ラモーン。
「漫画界の畳職人」の異名を取る東陽片岡。日雇い労働者・熟女・B級グルメの「三大噺」を守りつつ、青林堂から小学館まで、「まったく同じ内容」で描き続ける一途さ。どの本も同じだがどれも安心して楽しく読める。ただし、本物の日雇いオヤジは読まないと思う。トーヨー・ラモーン。
漫 画太郎はちょっとハードコアなんだよな~。ラモーンズというより「エクスプロイテッド」って感じ?
ネタがオナニー・ホモ・後背位の三要素で構成されている気がする、ある意味大御所・とがしやすたか。スカム感は「カオスUK 」と言ったら褒めすぎか?
後期ラモーンズのライブはさらに曲のスピードが早くなったと聞くが、最近の作品キレ具合や、『人生画力対決』でいよいよ大御所にケンカを売り始めた西原理恵子女史もファミリーに。リエコ・ラモーン。
(本人結構「熟した美人」て感じなんだけど、マンガで登場する時はやや年齢設定高めな「おばちゃんキャラ」を用いており、「まだまだ稼がせて頂きます」というプロ根性を感じる。この路線で長く続けるには実年齢よりもキャラ年齢を上にした方が尺が稼げるってことじゃないかと。多分、恐ろしく計算ができる人だ)
徹底した「あの絵」と「銭がらみの人間関係」のみで作品を大ヒットさせて引退=癌で亡くなった青木雄二という人もいた。しかも彼には後継者(フォロワー)がいて、いまだにその世界観が継続され読みつがれている。
ユージ・ラモーン。
まだまだたくさんいらっしゃるとは思うのだが、あえてマイナー系は外してみた。
「ラモーン道」は王道ゆえ、メジャーで勝負するのが筋である。
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