大方の予想を裏切らずに最後の言葉は「明日もまた見てくれるかな?!」だったそうで、意味のない笑いをとろとろと流し続けていたお昼の長寿番組は、見事に無意味に終了したのである。
そもそもタモリという人は、ものすごくじれったい。
伝説的に語られることだが、この人のアナーキーな面白さが爆発していたのは、赤塚不二夫や山下洋輔などの身内で盛り上がっていた「密室芸人」の頃である。
ってずるいよそれ。絶対に見られないし記録映像もないんだから。
デビューしたのはいいけど、「テレビで彼の笑いは通じるのか?」と、昔の仲間たちは危惧していたが、いつのまにやら売れっ子になり、「あの男に昼の帯番組なんて無理だろう」と反対の声も小さくなかったと聞くが、いつの間にやら日本で一番有名なMCになった。
自身のセンスがスポイルされればされるほど、人気者になっていったのである。なんなんだ、この人。
ガキの頃の記憶ではあるのだが、いいとも以前のタモリは得体の知れない大人というイメージで、かなり怪しかった。そもそもデタラメ四ヶ国語麻雀なんてネタは子供には理解不能。
それでも「笑っていいとも!」のオープニングで歌い踊る姿には少し違和感があった。
わからないなりに、ちょっとカッコいいと思った大人が、なんとなくカッコ悪くなっちゃった気がしたのである。
その頃はビートたけしが破竹の勢いで、ツービートに始まりひょうきん族やオールナイトニッポンなど、自分は完全にたけし派だった。
なのだが、年齢とともに殿のセンスも磨り減って、もう見てるのがキツいなあと思っていたところに、飄々と同じ番組に出続けていたのがタモリ。
「あ、タモリって面白いんだ」と思ったのが、ご多分に漏れず『タモリ倶楽部』。
ゆるいんだけど、軽く毒もあり、ちょっとくすぐったい。改めてテレフォンショッキングを見ると、トークが結構面白い。身を乗り出して見るほどじゃないんだけど。
で、毎日会社員のように出勤して、同じテンションで「仕事」をしているタモリって何なんだ?と再確認。
さんまのように強引に自分側の空気を作ることもせず、今のたけしのような「いるだけの偶像」にもならず、引くとこ引いて、さらっと落とす。
松本人志やビートたけしだったら、つまらなくなったと見切ることも出来る。
だけどそれは、彼らの最盛期の仕事が革命的だったからなわけで、その才能が枯れていったり迷走したりするのは仕方がないことでもある。
翻ってタモリは、そういう意味では代表作がない。ただどこに当てはめても、意外にスルッとはまる。
なんとなくくすぐったい感じでずっとそこにいる。
(彼らとの決定的な違いは、タモさんは音楽がベースの人であるということ)
器用貧乏という言葉も当てはまらない。料理もトークもトランペットもデタラメ外国語も一流だから。
『タモリ読本』(洋泉社ムック)読了。いろんな人が氏について語っています。
が、本人不在。ここまで一切を語らないというのはもはや思想。
政治的な発言はしないし、反なんとか運動にもまったく関わらない。
人の出入りやつきあいはたくさんありそうだけど、きっと去る者は追わない。
慕ってくる若手ミュージシャンたちも多そうだが、どうせ誰も認めてない。だからミュージックステーションも続けられるんだな(この本に収録されている町山智広氏と同意見)。
ちょっと意外だが、『ラプソディー』の頃のRCサクセションを、自分の深夜放送で大プッシュしていたとのこと。やっぱり音楽がわかる人である。
31日アルタ前のタモリコールはすごかったらしいけど、本人はさくっと帰っちゃった様子。
32年間の無意味に意味を求めてもしょうがない、といったところだろうか。
「俺は粋だぜ/からっぽだからな」というパンクの名曲があったのを思い出した。