最近キャバクラ街の銭湯に行くたびに「いちゃキャバどうですか?いい乳首ありますよ!」と声をかけられるのだが、もちろん悪い乳首や普通の乳首よりも良い乳首のほうがいいに決まっているのだけど、なにぶん自分は酒を飲んでいるときと(飲むとムラムラするという感覚がまるでわからん)浴場の前後は欲情しておらんので、無意味である。そもそも無駄遣いをしないように風呂代とメシ代くらいしか持ち歩いておらぬ。
知り合いのライター・河田拓也さんがミニコミというにはえらい気合の入った雑誌を創刊した。
『For Everyman』、すべての男たちえ。定価1000円。すうさい堂に3部入荷。
自分なんかも観たことがない日本映画の特集(田宮二郎の「犬」シリーズとか)や山田太一氏の対談など、かなりディープ。
やりたいようにやっていたら制作費もかなり嵩んでしまったらしいのだが、我々の共通した意見は「なんで好きなことを好きなようにやっていると比例してお金がなくなっていくのでしょう?」ということであります。
「編集」なる行為は自身をすごく突き動かされると思うのだが、とりあえず店が持てた時点でなんとなく一件落着している自分のような者は、なるべくやりたくないことはやらない方向で、なるべくストレスをためずにやっていくのがコツで、その代償としてはやっぱりお金がない、貯金がない、残高がないってな按配になるわけだが、とりあえずまだ続いているのであります。
すうさい堂に発展はない、継続のみ。
一番カッコつけた言い方をすれば、本音でもあるのだけど、すべてに絶望しておるのでる。絶望しました。夢がこわれました。
自分のあまりの引き出しのなさというか、「これは遺伝子が腐っとる」と気付いた時には呆然としたもんだが、次世代を残すということにまるで興味がないので、むしろ好都合ってもんである。
(強がりじゃないんだもんね。わざわざアウトレットなんか生産したってしょうがない)
まあしかし、互い違いに椅子を積み上げ、その上で逆立ちをしている中国雑技団のような努力をするよりは、絶対いずれ腰をやられるな、と思いつつもパイプ椅子に座って釣り糸を垂れてダラダラしたい。釣り嫌いだけど。いやいや例え例え。
人と並んで走るのが無理なら、「降りる」のもひとつの手だと思う。少しばかり腹は括らなきゃならないかも知れんが、「これはいかん」と思ったら一回まッさらにしてみる、ってのもアリ。
選択範囲はそこから選んでみましょう。かなり限られたものしか残らないと思うけども、多分、そこが正解。
ってのが「良い」絶望。「悪い」絶望なら首でも括っちまえばいい。「普通の」絶望なら何とか普通にやっていけるだろ。
というわけで最初の振りに戻っていくのであった。
何がおこるかわからないもんでして、月曜日にまっつん構成員より「海を見に行きましょう」とのお誘いがあり、半寝ぼけのまま「へ?・・・・はい」とトコトコついて行ってしまい、午前中にはなぜか葛西でした。
ほいで、地上116mの観覧車に乗ったり、海を見たり、水族館で水棲生物やら生ペンギンやらをお子様連れと一緒に見て、浅草(銭湯)~上野(飲み)と世界一周して帰りました。
魚たちの彩色や珍妙なるデザインには「ギョギョーッ」と驚かされます。ちなみに「さかなクン」は頭の上に乗ってるのが本体、という説があります。マジンガーZみたいなもんですね。
店はさぼりました。すいません。
葛西臨海公園のギャラリーで、カップヌードルを食いながら子どもたちの絵画展を鑑賞していました。
大部分が水族館とか遊泳の絵なのですが、中にはただ「白ヌキでヒトデ」を表現していたり、キース・ヘリングみたいなニューヨーカーもどきがいたり、つげ義春的な視点なのか、工業地帯のほうを描写していたりと、数点個性的な作品も見受けられました。親としては「おまえなあ・・・・」ということになるかも知れませんが。
あ、葛西の駅に着いたら、茶髪にルーズソックスで一人称が「あーっし」の女子高生2名と約10年ぶりに遭遇してしまい、さすがある意味で東京のはしっこ、時間のひずみが生じているに違いない、と思いました。
海も穏やかなるときは優しいのだが、これに襲いかかられたらたまんねえなと、悪い想像もしっかり刻んできたあーっしでした。
http://www.youtube.com/watch?v=_OvuA2DmK4w
銀行強盗のことなぞを書いているうちにコンピューターのえらいひと(スティーブなんとかさん)が死んだりして、世間では話題になっているがやっぱりどうでもよくて、今年は団鬼六・ジョー山中・原田芳雄に柳ジョージと、男っぷりのいい人びとがどんどん死んでいくなあ、などと思ったり。
で、この本(吉祥寺住みたい街のいいお店200・ダイヤプレス社)に掲載されております、すうさい堂。
震災後としては初で、世の中も少し落ち着いてきた。
あの時期は少々落ちていたのだが、実のところ放射能による人体への影響etcより、スキマ人間としては「ひょっとして日本から隙間がなくなったんじゃないか?」ということのほうが怖かった。
なんかみんな一致団結して、がんばって前向きになんなきゃと、それはもちろん正論なんだけど、「じゃあ自分みたいな者の立ち位置の人間は今後どうなるんだ?」と。
優先順位として生活雑貨は売り切れ、日常を維持するもの以外はどんどん削られていく傾向になったとしたらこれはかなりヤバい、と思っていた人は結構多かったんじゃないかと思う。
七ヶ月たった。余震もおさまり平穏無事な毎日。原発関係のニュースも報道されなくなった。
が、収束したとは聞かないので、放射能は出続け海も空も汚染され続けているはずだし、原発周辺の人は自分の家へ帰れない。ホットスポットはどうなった?
で・す・が、生活者としてどうにもならんことは「忘れていく」というのも、知恵のひとつではある。
やっぱり今後「ツケ」としてぼちぼち問題がおこったりするんじゃないかなあと、ほとんどの日本人が思っているのだろうけれども、秋は野菜のおいしい季節だし、刺身はいつ食ってもうまいし、まあよろしいかと(ダメかしら?)。
吉祥寺で暮らして八年になるのですが、ここのところ「この街は何だかめちゃめちゃ物価が安い!」と感じてましてですね、実際そんなはずはないのだが、ビンボーなはずなのになんとかやっていけてるということは、自分の行動範囲がそういうところをウロウロしているだけ、ということなのであろう。
でもそれで満足。毎日深夜より行列ができる和菓子屋から、四百円でおつりが来るジャンク中華屋までがそろっているこの街一番の魅力は、「選択できる」の一言に尽きる。
本日は台風東京直撃のためもう閉めているのですが(もう無理です)、昨日はお休みしてまっつん構成員とともに浅草散策。
(名画座で『いつかギラギラする日』を観る予定だったのだが、一日ずれておりましたです。)
相変わらずの浮遊感を堪能する。おれはもう一生旅行とか行かなくていいから、この町がこのやうな佇まいをしている限り、時々は足を運びたいと思う。
屋号にやたら「ニュー」がつく店が目立つのはご愛嬌。
三上寛が通いつめるという飲み屋「三ちゃん」も発見。まだオープン前だかでやっていなかったのだが、普通の店にもかかわらず経年のド迫力みたいなものが漂っており、ここは一見さんにはちょっと戸を開け辛い(多分いい意味で)。
先住民族である「クロマニヨン浅草人」を気持ちわりい、と吐き捨てた若造をちらっと見たが、こいつの人生における感性がその程度なのであろうと思えば、別に腹も立たぬ。
いい感じの飲み屋で一杯飲んで、稲荷町の銭湯へ。
ここはサウナ・露天風呂・水風呂完備。こういうスポットがしれっと存在しているところが、下町の凄さ。二時間くらい滞在したのではないでしょうか。
歩いて上野へ。激安かつ刺身のうまい飲み屋でさらに飲む。
完全私服は我々のみ。あとサラリーマンとOL 。
まあとにかく彼らのテンションが高い。学生を除けばワイシャツ族が飲み屋でのテンションが一番高い気がする。きっとストレスの度合いと比例するのである。でもまだ火曜だぜ?
(吉祥寺の飲み屋における比率は、意外と多くないんだよなあ)
毎日出勤して嫁と子供を食わせローンを払って各種厚生年金を払う、なんて芸当は自分にはまったく無理な「ワイルドライフ」だ。皮肉とか一切抜きで本当に凄いと思う。他にも工事現場の誘導員とか、宅急便とか、ゴミの回収業者とか、自分から見ればマジでスペシャリストです。
そしてフリーターのkくんに娘さんができました。おめでとうございます。