先日はそれまでアルバイト勤務だった某ナニガシが筆記試験に受かってしまい、明日は面接ということで、店でなんちゃって試験官ごっこをしていた。あちらとしてはマジなんだが(ちなみに日本人なら誰でも知ってる民間企業です)。
しかしまあ、受かったところで今までの「ぬるい地獄」から「本物の地獄」に移行するだけの話なんだが、それでも素っ堅気になってやろうという志がある分、自分よりはるかに真っ当である。
しかしながら世の中のほとんどの人がその辺をクリアして生きている、というのはすごいことです。
すうさん的にはありえません。
「天は二物を与えず」なんてのはまったくの嘘っぱちで、ほとんどの人は10個か20個は普通に持ってる。
一個か二個しか持ってない人が意固地に開けてるのがすうさい堂なわけで、大変分かりやすいですねッ。
「自殺行為」どころか「延命装置」である。実際のところ。2月の更新も無事クリアできればいいんだが。
しかし九月は仕事を辞めたのが二人もいたり、バイトを首になったのがいたり、同棲を始めるのがいたり、すうさい堂さんもなんとなく身軽になったりで、微妙にいろいろあったりします。
この前まで同じバイト先で働いていた「お笑い芸人」が、今週のめちゃイケに出演するらしい。
喋っていても全然アンテナが立ってる感じがしなくて、絶対売れねーだろコイツ、と思っていたんだが。別にどうでもよいので見ないですが。
本日初めて、楳図かずお先生宅を見学に行ったのですが、思ったよりかなり地味という印象である。たしかに紅白ボーダーだけど。
これがなんで問題になったのかさっぱり分からない。
「おうち」という概念から外れたものを作られたということにむかっぱらが立った、ということかも知れんが、訴訟起こしたおばはんてのが一キロ以上も先に住んでいる人ということなので、実際のところ「金にあかしてわけわかんねーものを建てるんじゃんーよ」ってのが本音なんじゃないかと思う。
でまあ、タイーホされましたねマーシー先生。
凄まじいジャンキー面になっていてびっくり。あの人気者がここまで豹変するのかと。
これから非難轟々だと思うが、彼は「自分で買って打った」だけなので、押尾学よりはるかに罪が軽い、ということを忘れちゃいけないと思う。
そして村崎百郎氏が刺殺されたあと、緘口令がしかれたようにすべての週刊誌がこの事件をスルーしていたが、これはこれでなんとも不気味でありました。
などと書いてみるが最近の一番でかい事件は、すうさい堂に新しいコンポ・通称『ドラムカン』がやってきたことである。中古で五千円。
ウーハー付きなので、低音がクリアに響くのなんのって。
トム・ウェイツの呪術的な近年の作品などがヘビロテである。
来週は祝日が二日もあるというのに、すでに回転資金が底を尽きかけているってことが、当面の大問題である。
なかなか日記がアップできないんですが、それはなんでかっつーと、ほぼ連日呑み続けているからでして。今日はシラフだ。
店の機能を果たしていないかわりに「サロン状態」になっていたりするので、ワインやらルービーやらしまいにはマミツを皿に盛ってたりして、まあなんというか「ああ、将棋を打っているのですね」という感じで見て頂けると幸い。
先日はネットのリンクとしてつながっていた北九州のネット古書店『あなもんhttp://members.jcom.home.ne.jp/anamon/』の佐藤さんが突如来店。
知り合ってからほぼ10年目にしての邂逅。ボーズでヒゲでピアスででかい「ピースなゲッツ板谷」みたいな感じの方でした。
翌日に渋谷にて、ノイズバンドでライブをやるということである。
せっかくお会いしたもんで、店で軽く飲んだあと、吉祥寺の祭りを冷やかして、トルコ人が売ってたケバブを二人で食う(屋台は町内会のおじさんたちではなく、ちゃんとした神農系の方々であった)。
そのあと井の頭公園をぶらついたり、古本センター・バサラブックス・ブックオフと覗いたり、二時間濃縮吉祥寺メニュー。
自分が北九州に行くことが今後あるかどうかは分かりませんが、トキオに来るときはまた是非。ピース。
最近は特にパーティー的な場が苦手で、先日のアースドムも一人で行ったもんでなんか肩身が狭く、ラストの中原昌也はめんどくさくなって見ないで帰った。
同じ場所に出入りしてるから仲間だ、みたいな意識はまったくない。関わる人というのは無理しなくても自然にやってくる。
なんか、今までぼうっと夕焼けなどを見ていましたが、昨日の小島麻由美さんの野外ライブ、夏の出し物としてなかなかよかったんじゃないでしょうか。
(実は小島さんに関してはよく知らなくて、かつての「渋谷系」というようなイメージなのだが、総本山のHMVが閉店ということで、「盛者必衰じゃのう」とか思いました)
『きちじょうじのなつやすみ』というイベントの一環だったのだが、泉谷しげるから南佳孝、ブレッド&バター、ムッシュかまやつ、楳図かずお等々の豪華面子で、町おこしというよりまわりに対する「武蔵野市やっぱすごいべ?」的な威嚇?
歩けばいろんなことをやってる町ということで、やっぱ楽しいっすよね。きゃは。
そういえばこの前、店のドアに封筒がはさんであって、中を見たら山本精一のライブチケットで(@スターパインズカフェ)、結局行けなかったんですが、差出人も分からないという。
お気持ちは受け取りました。ありがとうございます。てか、なんかの間違いか?
31日はおつきあい的な意味も含めてフォースフロアの出張イベント、『真珠を飲んで声を失う(大久保アースドム)』にいてきます。中原昌也とかexゆら帝の人とか出るよ。
な感じなので、たまに地元に帰ると落差が激しすぎる。なんにもすることナイ。
昔つるんでた連中はどこに行ったのか?死んだか?別にいいけどんだけど。死んじゃえ~。
酔狂にも自分の地元をわざわざ散策した者がいて、彼の感想は「スティーブン・キングの小説に出てくるような町だった」という、かなりツボを押さえたものであった。
たしかに地方都市独特のどんよりした感じは、デビッド・リンチ作品の舞台のようでもある。
で、地元の名物(?)に「T沼公園」というのがあって、T沼というきったねえ沼をメインビジュアルに、どーんと公園を作っているのである。
いつごろから汚染されたのかは分からないけれど、自分が物心ついたときにはすでにヘドロの沼であった。
吉祥寺でいえば井の頭公園のようなものなのだろうが、それと比べると「霜降り牛」と「バリュープライスの豚小間(賞味期限が切れて二週間目)」くらいの差がある。
町が腐っとる。距離を置くとますますそんな風に感じる。自分の田舎を「ふるさと」と呼べる人はかなりラッキーな部類だと思う。「ふるshit!」とか言っちゃうよ。なんかゾッとしない話だ。
あいらぶきちじょうじ(すなお!!)。
8月13日の金曜日にフォースの企画「ザ・怪談」っていうのに出ることになったんですが、どうしたらいいんすかね?そんな引き出しというか、テクニックはありませんぞ。
怖い話の類は確かに子供のころから好きなんだけど、霊感ってもんがまったくないし。
今はあるのかどうか知らぬが、昔のガキ向け怪談本は容赦なくイラストレーターたちが腕を振るっていて、それはとても怖かった。
もう一回読んでみたいのが世界の恐怖小説を子供向けに紹介した本で、タイトルも忘れたが編集のセンスふくめ、今見てもクオリティの高い「ゾクッ」を体験できるんじゃないかと思う。
H・P・ラブクラフトの短編に『アウトサイダー』という名作があって、古城にずっと閉じ込められていた「おれ」がふとしたきっかけで初めて外の世界に出て、パーティーに興じる人々の前に姿を現すが、「おれ」の姿を見たとたん彼らは恐怖に駆られて逃げ惑う。
で、鏡に映った醜怪な生き物を見て「おれ」はすべてを悟った、というだけの話なんだけど、具体的な描写を一切せず、読者のインスピレーションを刺激する。そいつが「恐怖」の本質である。
後にちゃんとした書籍で読んだ時より、このジャリ向け怪奇本の方が怖かった。その「姿」ってのもうまいことボカしていたと思う(漫画にしてた人もいたけど、あれはクソでした)。
半村良に『箪笥』という短編があって、旅人がある一家に一夜の宿を請う。
夜中に目を覚ますと、一家全員がそれぞれ箪笥の上に座って、まばたきもせずに何かをじっと見ている。
それが何なのかは一切書かれないのだが、自分が読んだ小説の中では最高にぞくりとした一遍である。
描写しない、正体を明かさないというのはかなり高等なテクニックである。
諸星大二郎の漫画で、子供がバッグの中に何か得体の知れない生き物を飼っている、なんて話なかったっけ?
この人のホラー系作品も、『不安の立像』などをはじめ(毎日ホームに「黒いいやな奴」が立っている。そいつの正体は「餓鬼」で、事故死した人間の一滴の血と一片の肉を食らうためだけにじっと”居る”のだ、という話)、なかなか嫌な後味が残る逸品が多い。
映画だとポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』あたりが、非常に不気味な余韻を残します。
この作品をとったあと、嫁さんのシャロン・テートがマンソン・ファミリーによって、身ごもっていた子供ごと惨殺されたというのは有名な話である。
ところで13日の金曜日どうしよウ?
そして風邪がなおらない。