まあしかし。あまりにも自分や店のことを書かない(書くほど面白いことがまったくない)ので、そろそろブログタイトルも変更しようかと思っておる次第。ちなみに最初期は「がんばれチヨジ日記」でした。
カルトと呼ばれる映画を三本観まして、そのうち二本はわざわざ中野ツタヤからレンタル。あそこは防犯キーが付いているので、セルフレジで知らずに帰ると悲しい結果になります。
まずはリベンジ・バイオレンスの古典として名高い『鮮血の美学』(72)。
ちょいヒッピーでフラワーな娘がならず者たちにレイプされ殺されてしまい、その犯人たちが知らずに彼女の両親の家に宿を乞う。彼らが娘を殺したことが発覚してしまい、両親が怒りの大殺戮を展開するというシンプルな話。
母ちゃんはコチンを食いちぎり、父ちゃんはチェーンソーで切り刻む。とはいえ、直接的なゴアシーンはない。
当時は衝撃的だったのだろうけど、今となってはかなりもっさり。
それでも何ともいえない変てこりんな気分になるのは、あきらかに「どうかしてる」編集というか構成。
娘を殺した犯人たちは汚れを川で落とすのだが、そこに妙にメロウなバラードが流れる。それ必要か?
のんきな警察官と鶏を運搬するおばさんとの妙に間延びしたコメディ的会話。それ必要か?
映画は陰惨なラストを迎える。そしてエンドロール。殺された主演の娘さんが楽しそうに笑っている。そこに流れる脳天気なカントリーソング。
さらに続く出演者たちの顔ぶれ。冷酷な殺人者たちも、彼らを殺さなければならなかった両親も、のんびり警察官たちも同じようなトーンでカントリーと共に流れていくので今までの悲惨な話は一体なんだったのか?というか、台無し感がすごい。そこだけなら普通に楽しい映画のエンディングなんである。
当時は劇場で観客が怒りまくったと聞くが、それはもしかして呆れるような「無邪気さ」というか「罪のなさ」に対してではないか。
制作と脚本の二人はそれぞれ、『エルム街の悪夢』と『13日の金曜日』の監督として大ヒットを飛ばす。
『悪魔の植物人間』(73年)は身体の動かない人がなんかする、というわけではない。
例によっておかしなおかしな科学者が「人間と何かを合体させたらいいもんができるのではないか?」とがんばる系の話で、今回はそれが食虫植物。
それにしてもマッドサイエンティストにゃでっかい夢がある!フランケンシュタイン博士も死神博士もハイター博士(ムカデ人間)もみんなそうだね!
冒頭を飾る「食虫植物の成長過程の早回し」が禍々しくも美しい。リアルな『遊星からの物体X』みたい。
監督は結構なキャリア組のジャック・カーディフ。
主人公は大学の講義をしながら、自分とこの学生を誘拐しては、植物との合体手術を繰り返しているノルター教授。失敗すると見世物小屋行き。教授には顔面奇形の手下(リンチ)がいて、彼が裏作業を担う。
実験が成功すれば「おまえさんの顔も治してやる」と約束されているからである。
実はこの映画の本当の主役はフリークスたちで、当時の本物の見世物スターたちが一堂に集う。
小人はもちろんヒゲ女、多毛症のサル女、ガイコツ女、脚にまったくカルシウムがない人、「飛び出す目玉」の黒人(この人マジですごい芸です。ドライアイになったりしないのかなってのが心配)、皮膚がガサガサに硬化しているワニ女など。
彼女は舞台で「私は魚鱗癬という病気で、髪の毛も生えません。でも、七人の子供の母親です」と、心温まるエピソードを語る。ということでわかるように、本作は彼らにちゃんと台詞を与え、健常者とまったく同じ「俳優」として扱っている。
芸人のひとりが誕生日なので、フリークスたちがそれを祝うパーティーを楽しんでいるシーンがある。
そこにリンチが現われるのだが、皆から「あなたも仲間じゃないの」「一緒に祝ってあげて」と言われて超ブチ切れ。場をメチャクチャにする。
リンチは他の者と違い、自分の運命を受け入れていないのだ。彼はその足で売春宿に向かい、高いチップを払い女に顔を見せて「愛してると言ってくれ」とせがむ。知られざる名シーンだ。
で、最後の最後に全身を現す植物人間。ウツボカズラとの合体生物で、なかなかグロくていいデザインだけど、「バロムワン」の怪人とかにこんなのいなかったか?という気がしなくもない。
そして我々「和の民」としては、ひょっとこを連想するいい顔なので、ちょっと親近感がわきます。
ひさびさに観た『バスケットケース』(82)。監督はドイツの巨匠(変態作家としてですが)、フランク・ヘネンロッター。
身体に奇形の兄を宿していた弟(けっこうイケメン)。彼らは分離手術で独立する。
兄は人間というにはあまりにもアレな肉の塊で、弟にはテレパシーで心を伝える。
弟は自分たちを離れ離れにした医者たちに復讐するために、バスケットケースに兄を入れて持ち歩いているのだ。
というか弟は心を完全に支配されているので、兄の怒りにつきあう形である。
「不思議ちゃんのバスケットケースには小動物が入っている」とはリリー・フランキー氏の説だが、本作のバスケットには奇形で凶悪な兄ちゃんが収納されている。
とにかく「おこりんぼ」かつ「かまってちゃん」。バスケットを開ける者は容赦なく傷つけ殺し、弟に彼女ができれば気に入らん!と殺害して「レイプのようなこと」までする(不覚にもここで爆笑)。
あまりにも短気なので、よく言われているような「フリークスの哀愁」は感じない。むしろ弟に同情します。
肉兄貴がものすごくちゃちいのはご愛嬌。しかし本作は創意工夫の映画なので、コマ撮りも駆使して兄貴の動きを見せるのだが、そこだけ画質が変わっちゃうのは微笑ましい。つまり「ハンドメイドってのは良いね」と言いたいわけです。
しかし分離手術を執刀した医者の一人が「獣医」ってのはすごくないか?
「カルト・ムービー」と呼ばれるものの多くは、普通の映画に比べて何かが欠けている。
それは「思いやり」とか「良心」だったりするのかも知れないけど、捨てたものがザックリしている分、ある意味で「豪快」である。
やましいのになんだか惹かれちゃうよねってことで、・・・ご同輩?(返事して!)。