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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

すうさい堂は閉店しました。17年間ありがとうございました。

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BiSHに至る病



「こんなひどい話がありますぜ、げっしっし」というのが基本的なスタンスなので、しばらくブログが書けなくなった。現実のほうがずっとひどいからである。フィクションが負けている。ホラー映画ですら半分くらいは因果応報の法則があるというのに(残り半分は何も悪くない人が大変な迷惑を蒙る)、現実にはタイーホすらされん輩がおる。などと言っても詮無いのでぼちぼち頭の中の整理をしようかと思うのだがもちろん本の話ではなく、とりあえずは「欅がしんどい」ということだ。

二年くらい大好きで追っていた欅坂46がもうかなりしんどい。本当にカッコいいと思っていたのは全員黒スーツの『風に吹かれても』までで、欅史上最もロックと言われた『ガラスを割れ!』がどうにも好きじゃない。そもそもアイドルが「今回はロックに挑戦しました!」と言われる作品のほとんどがしんどい結果に終わるのである。次の『アンビバレント』もなぜかビミョーーーにピンと来ない(カップリングのPVが「時計じかけのオレンジ」チックでカッコいいのがあったが)。『黒い羊』に至ってはとうとう「鬱陶しい・・・」という感想が出てきて我ながらびっくりした。
センター平手友梨奈の不在問題。これも最初は「今日は平手ちゃんはいるのだろうか?」とざわざわしていたものだが、いない状態が当たり前になると「ああ。いないんですね。はいはい。わかりました」。二期生が入って選抜制になったときの黒い雰囲気。ぼろぼろメンバーが抜けているのに、当時の音源でパフォーマンスしている微妙な不条理。そしてたまに登場する平手友梨奈の冷え冷えとした目つき。あんなに醒め切った顔のアイドルは見た事がない。しんどい。

といった心情のところにさくっと入り込んできたのがBiSHなのでありました。
ユーチューブでも見ていたし、テレビ出演時も「大人にBiSの流れをやらされているかわいそうな子たち」という印象しかなかったのだけど、CDを聴いて認識が変わったのでありました。
(そもそも「ユーチューブで見ているからファンでーす」という人びとは、ザッピングが出来る「ユーチューブが好きなだけ」なのである)
とりあえずファーストから聴いてみっか、とディスクをプレイした途端、瞬殺。アイドルのキラキラしたカラオケではなくガチにラウドなバンド演奏なので、おっさんにはするりと馴染む。
BiSHの音楽的評価はもう確定しているから自分がごちゃごちゃ言うことはないのだが、どのアルバムが一番好きかと言われると、彼女らの楽曲は本当に捨て曲がないので困ります。
現メンバーが三人しかいないファースト『Brand-new idol SHiT』、というのも後ろ向きな気がするので、メンバーが全員揃った99秒のハードコアパンクで始まるメジャーデビュー作『KiLLER BiSH』ということにしておきましょう。ここには洗練(ほんのちょっと、だが)に向かう直前の勢いがある。
鳴かず飛ばずのダンサー志望だったアイナ・ジ・エンドをボーカルとして発掘した功績は本当に大きい。いわゆるアイドル枠としてはピンクレディーのケイちゃん以来のハスキーボイスかと思うのだが、エグさでは比較にならない。瞬殺である。
王道アイドルボイスのセントチヒロ・チッチ。息継ぎを隠さないところがすごく好き。作詞を最も多く手がけるモモコグミカンパニーはグループの知の象徴。ちょっと緑魔子や戸川純のような(昭和ですまん)雰囲気を持つ「無口担当」のリンリン、本当は狂気担当。メガネ担当ながら視力は1・5、なおかつメガネを外したらクビと言われているハシヤスメ・アツコはアラサーらしい。おそらくメガネを外したら箸休めにならんと思う。ごはんが何杯でもいけてしまう。

最後に加入したアユニ・Dの声はなんつーか、強烈な「ひらがな」が襲ってくる感じ。この洗練されない、されようがないニュアンス、個人的には80年代の北九州パンク・スワンキーズを連想した。
彼女がベースボーカルをつとめる3ピースのバンド「PEDRO」が実は最高にカッコいいのである。ライブでも確認済み。元ナンバーガールの田渕ひさ子がギターなのでもう、ギャリッギャリです。ギャング・オブ・フォーの再来か。
海外でリリースしても受けるのではないか。なにせ日本人が聴いても半分くらい何を歌ってるのかわからんのであるからして。
この発音もあやしいアユニをボーカルとして立てた事務所代表・じゅんじゅんこと渡辺淳之介(ファン=清掃員は彼をこう呼ぶ)の慧眼。強烈なコックニーなまりのジョニー・ロットンをボーカルに抜擢したマルコム・マクラレンのセンスに近い。
人間的にはかなり問題ありそうだが、マネージャーとしてはマルコム並に敏腕。追っていくとフェイクの仕掛けが抜群なので、作詞作業はメンバーに任せてそっち方面でひっかき回してほしい。かな。

BiSHの公式デビューPVはメンバーにウンコをぶっかけてグチャグチャにするいうもので(馬糞とのこと)、じゅんじゅんの「ここから這い上がって来い」というメッセージとして取れなくもないが、BiSを非常階段と共演させてグチャグチャにしていた過去もあるので、単に彼の趣味嗜好かな?とも思う。
しかしソークーを投げつけられながらもカメラに目線を合わせしっかりリップシンクする、アイナの根性はすごい。
BiSは詳しくないのだが、彼女たちを怪奇やアングラ趣味が濃厚でありつつ礎を築いた初代仮面ライダーとしたら、BiSHは初代をポップにビルドアップさせ人気や売り上げで乗り超えた、仮面ライダーV3ではないかと思う。ってまた昭和。
と、このようにおっさんは薀蓄があり、名盤やゴミ盤を何百枚も聴いてきているので、おっさんが「このアイドルは良い」というのはある程度説得力がある。はずである。と思う。

現在のBiSHのキャッチフレーズは「楽器を持たないパンクバンド」。これが「楽器を持たないメタルバンド」だったら意味が通じない。ヘビーメタルはテクニックやスキルを伝えるものだから。
パンク最大の発明はレコードや音楽ではなく、「パンクというニュアンスを伝えること」だと思う。


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にっぽん無責任パンク伝説



結局80年代から逃れられないのである。
先日キノコホテルとアーバンギャルドのライブに出向いたところ、アンコールで両バンドセッションのスターリン『ロマンチスト』と戸川純『好き好き大好き』のカバーを聴くことができた。
なるほどもはやサブカルの『ジョニー・B・グッド』『スタンド・バイ・ミー』のような趣であり、この人たちもそこから逃れられないのだなあと感じた次第。
ただ、彼らの好みからもすっぽりと抜け落ちてしまうバンドが「アナーキー」で、同じようなことをずっと言っているような気もするけど、こちらも自分的には重要なんである。
アナーキーと名乗りつつも彼らは全然アナーキストではないし、なんといってもいつのまにやらバンドの表記が「亜無亜危異」になっていた。
アナーキーのヒストリー本『タブーの正体』(根本豪・著/シンコーミュージック)を大変楽しく読んだ。

カバーはメンバー四人のマグショット。還暦近くまで現役の不良でいると人間はこういう顔になります、という見本。特にボーカル・仲野茂の「ガンクレ」はお見事。
この本の表記だとバンド名は基本「亜無亜危異」で、メンバーはシゲル(vo)・シンイチ(g)・テラオカ(b)・コバン(d)となっている。そして2017年に死去のため欠席となったもうひとりのギタリスト・マリ。
五人は少年時代からずっと「ダチ」だったので、そこからインタビューが始まる。
特にシゲルとマリは「半端なヤンチャ生活」を続けていくが、もともと全員がバンドをやっていたので自然にアナーキー結成。
意外と彼らはパンクに触発されて楽器を持ったのではなく、もともとエアロスミスなんかのコピーをやっていたから、後にミュージシャンとして開花していく才能は持ち合わせていた(シゲルとマリ以外)。
で、パンクらしからぬことなのではあるがコンテストで賞を頂いたり、「ピラフを奢ってもらったから」なる驚愕の理由で契約先のレコード会社をあっちへふらふらフラメンコしているうちに、ビクターに決定。
このときのディレクターが曲者で、彼らに「ダビング」という手法を教えなかった。
というわけで我々が耳にできるアナーキーの代表曲『ノット・サティスファイド』はバンドが延々と6時間演奏して、ようやくOKが出たテイクなんである。
で、メッセージというよりは全編ヤンキーのイチャモンで埋め尽くされた奇跡的な名盤、ファースト『アナーキー』が発売される。無知による無邪気な皇室批判の曲がその筋から抗議されて削除され、それなりに話題になり、この時期のアナーキーは売れた。
というか、ここまでの流れがすべて「ミスリード」に導かれているように思える。

その後はロンドン・レコーディングによるメンバーのミュージシャンシップの目覚め、バンドとして深化していくことによるファン離れとセールスの低下(及びシゲルとマリの置いてきぼり感)、マリによる傷害事件のためアナーキーのバンド名が使えなくなりブルージーな「ザ・ロック・バンド」として活動、メンバーチェンジしてデジロック・バンド「ANARCHY」として再生、オリジナル「亜無亜危異」再結成、マリの死、という怒涛の歴史を迎える。
そして彼ら四人は現在、ザ・ロック・バンドではなく、デビュー時の衣装である「日本国有鉄道の作業服」をまとった亜無亜危異として活動中。
このバンドのすごいところは、刑務所行きになったメンバーがいようが、ボーカリストのやる気が全然感じられなかろうが、怒りもせずにただ「待っている」ということ。ダチだから。
シゲルは「この時はやる気もなくて」「人気者になりたいだけだし」とぶっちゃけているし、実際にライブをドタキャンもしている。
他のメンバーも「歌もまともにうたえない」「曲も作れない」と言ってはいるのだが、「フロントマンはあいつしかいない」とちゃんと認めた上で成り立っているし、そのフロントマンが「ヤクザにもボクサーにもなれないし、ロックバンドならできるかなって」という意識で続いている。
「あの三人がいなかったら音楽になんねぇってことなんだよ。やっぱり俺とマリは『上もの』なの。だけど、その音楽を売るにはマリも大事なの」(シゲル)



「勢いとハッタリだけ。けど、その感じのハリボテ感?そのポップさが俺にとっては大事で」(シンイチ)

「シゲルがすごいのは正面から向き合わず、いろいろ逃げてきたのによくここまでやってこれたなってことで(笑)~略~磨かないから原石のままですけど、それでもダイヤモンドに違いないんです。磨き方がわかんないんだよね(笑)」(テラオカ)

「一発屋は一発屋なんだろうけど、三週くらい回って、最近また一発はじめました、みたいな」(コバン)

「意外に亜無亜危異はゴージャスなバンドだと思う。あの頃に戻れるし、それを待ってくれる人もいる」(シゲル)

というわけで元祖無責任パンクの亜無亜危異=アナーキーは今が旬!実際ライブも凄いらしい。安心してチケットを取りに行こう。


仰げば尊しわが師のミチロウ



ネット社会と言われて久しいが、なんだかんだで情報操作しているのはまだまだテレビなのかもしれないと、令和元年の番組を見て思ったのである。
渋谷や道頓堀ではしゃぐ人々や、なんだか知らんがずっと行列で並ぶ人々。それらをさして「令和元年、盛り上がっております!すごいですねー」などと言っておるが、実はもっと多くのほとんどの日本国民が、家や職場などで淡々と過ごしているのである。
テレビ的には渋谷や道頓堀はバカがたくさん釣れるからありがたいわけで、別にあれが国民を代表する姿ではナイ。
まあしかし渋谷なんてかつては「80年代パルコ文化」(いけ好かないとかどうとかはこの際置いておく)とか、90年代の「渋谷系」なんてカルチャーの流れがあったはずなんだが、早朝など行ってごらんなさいよ、完全にバカ(になった状態)の若者がわんさかで、バカの一夜漬けがゴロゴロ落ちている。
若い人はいいですな、などとまったく思わないのは、さすがにあそこから何かが生み出されるとはもはや思わないから。やりたい放題に撒き散らされるゴミとゲロ以外。
ここに必要なのは怖い大人の存在、つまり「自警団としてのヤクザ」なんじゃないか、などと思ったりする。
来年の五輪に向けて渋谷区はどんなクリーン計画を打ち出すのか今から楽しみである。いひひひひ。
「令和元年の午前0時」に結婚式を挙げることで自分たちの承認欲求を満たした薄っぺらいカップルには、貴方がたと同じような薄っぺらい幸せが訪れますように。
話が逸れた。といった、新時代のよろこびに湧く日本列島に(一部の人間に)冷や水をぶっかけたのは、遠藤ミチロウ死去のニュースであった。

膵臓ガンというのは知っていたから、まあそうだろうなという感じだったのだけれど、「ある時期だけ好き」がほとんどの中で、彼は数少ない最後まで追いかけたアーチストであった(そういう意味では内田裕也も同様)。
ミチロウさんに関しては昔からいろいろ書いているのでいまさらではあるのだが、彼はたぶん「日本で初のメジャーなパンク・アイドル」だったのだと思う。
ギズムやガーゼのようなマイナーではなく(しかも超こわい)、ラフィンノーズ以降は露骨なほどパンクスのアイドル化が進むが、危険度もリスペクトされつつポップ・アイコンとしてその手前でとどまり、さらにはサブカルや文化人からも支持を得る。
意外とザ・スターリンのあり方はキャロルに近かったのかな?と思うのである。

スターリンはずっと重要なのだけど、晩年まで続けたアンプラグド・スタイルも同じくらい重要で、この姿勢にブレがなかったから最後まで支持できた。
で、アンプラグドのトリオ「M.J.Q」の『unplugged punk』と、最後のソロアルバム『FUKUSHIMA』を聴いている。
『unplugged punk』はアコーステック・ギター二本(ミチロウ/山本久士)とドラム(クハラカズユキ)によるベスト・オブ・ミチロウ的な内容。
アコギで再演される『負け犬』や『下水道のペテン師』『虫』など最高(生楽器編成なので特にキューちゃんのドラムが冴える)。であるのだが、白眉はこのバンドのオリジナル『自滅』と『結末』。
真新しい絶望。彼は常に新しい絶望を更新する。それが救い。つまりパンクであるということ。

『FUKUSHIMA』はもちろん彼の故郷、福島の原発事故がテーマ。あまり思い出したくない事例なので聴く回数も少なかったのだが、聴きなおせばやはり、遠藤ミチロウはブラックユーモアの達人なのだ。
福島(ふぐすま)弁がスパークするミチロウ版のラップ『オデッセイ・2014・SEX・福島』に始まり、皮肉たっぷりの『原発ブルース』、セルフパロディの『STOP JAP 音頭』『三陸の幻想』、民謡ナンバーに、友川かずきのカバー『ワルツ』。そして『NAMIE(浪江)』『大阪の荒野』『放射能の海』はずしりと重い。抽象的だが随所に「あのこと」を指す言葉に溢れている。
推しナンバーは『オレの周りは』。毒のある言葉を吐き散らす、彼が得意としたポエトリールーディングスタイルの到達点ではないか?

オレの周りは聞きたくもないニュース 
欲しくもない笑いと胡散臭い正義感と
常識だらけの知ったかぶりと 黙りこくった老人ばかり
窓を開けるのも嫌になる 鳥の声はカラスばかりで 
TVのCMは入院保険と生命保険の繰り返し
サプリメントの大洪水
どこまで生きりゃ気が済むんだと
死んだあとまで心配してる


平成を振り返るテレビ番組の報道局制作のもの以外はやはりというか、原発事故については触れられなかったという。圧力があったのは見え見えで、国をあげてあの一件は「なかったこと」にしたいらしい。
ミチロウさんは福島復興プロジェクトの中心メンバーの一人でもあり志半ばであったのだが、やはり日本はそんな国でした。4月に死去していた事実をあえて令和元年に発表した意図を、我々ファンはちょっとでも考えたいところ。
福島県は「名士」としてその名前を刻むのだろうけど、我々にとってはあくまでも表現者としての遠藤ミチロウ。
彼は表現者と運動家との活動をわりと振り分けていたので、そこは正解だった。
運動に関わったことばかりが先走って「作品はよく知りません」ではちょっと不憫な気がする。やはり作品を流通させ、ライブで集客してナンボが、名のある表現者だと思う。
パンク/ハードコアは言うに及ばず様々なミュージシャン、著述、映像、コミックなど彼に影響を受けリスペクトする表現者は数多い。
つまり「遠藤ミチロウを通った奴らはカッコいい」ということである。一般人だって然り。
そーいえば、天国の扉を叩いちゃったザ・スターリンのメンバー、これで三人目なんだなあ。
ありがとうございました。




さっさとくたばれ!バイバイ!

GGアリンという死にかた



『真っ白なものは汚したくなる』とは欅坂46のファーストアルバムにして歴史的名盤なのだが(結局タイプBも買ってしまった)、いまやレア・アイテムであるGGアリンのドキュメンタリー『全身ハードコア』(2008)を観ていたら、なぜかこの言葉を思い出してしまった。
GGアリンとはパンクロッカーで、手がつけられない過激なライブが有名で、36才でドラッグで死んだひと。
手がつけられないとはそのまま「触れたくない」ということであって、全裸で血まみれは当たり前、ステージで脱糞しそれを体に塗りたくって客席に突っ込んで行く、という狂気の沙汰を繰り広げていた。
しかも中にはその状態のGGをどつきにかかるツワモノもいて、やっぱりアメリカはすごいなあと思う。
流血にしても剃刀で切り裂くとかじゃなくて、あの硬いマイクロフォンで自分の頭をぶん殴る。
彼の中では流血がないとライブとして完成しないようで、時々イライラしながらマイクで自分を殴っている。これを毎回繰り返しているのだから、後遺症がないわけがないと思う(でも、それが出る前に死んだから、まあよかったんではないか)。
血と糞が混ざるのであるからやはり「敗血症になる・・・」なんてことも考えてしまうけど、実際そういうことで何回も入院しているらしい。
日本でも「財団呆人じゃがたら」の江戸あけみや「ザ・スターリン」の遠藤みちろう(当時の表記による)なんかも近いパフォーマンスをやっていたが、段々それを求める客に嫌気が指して、音楽のみで勝負するようになる。でもGGアリン、根本が違う。映画でこんなことを言っている。
「俺はパフォーマンスって言葉が大嫌いだ。全部リアルだ。俺の生き様なんだ」

キラキラネームという言葉があるけど、GGの本名は「ジーザス・クライスト・アリン」という究極のキラキラで、かなりの変人だったらしい父親が名付けた(後に母親がまともな名前に改名)。
その父親の影響をもろに受けた少年アリンはどんどん屈折してあらゆるものを憎み、スキンヘッドにメタボ体型のパンクロッカーとして完成されていく。酒とドラッグの放蕩生活でたるたるになった裸を汚物まみれにして歌うのは、残念ながらイギー・ポップのようなグッド・ルッキンさがGGにはなかったから。
ついで彼の股間についてる一物はかなり極小。普通なら女性に超バカにされそうなものなんだけど、ライブでワイルドに振る舞うことによってグルーピーまで出来てしまうという、逆転の発想。
「ライブをやっていなければ大量殺人者になっていた」と明言し、世の中のあらゆるものを分け隔てなく憎む歌「どうせ死ぬときゃみんな死ぬ(バイト・ユア・スカム)」がスタンダード。
ファン代表の友達いなさそうなオタ青年はこう言う。
「GGアリンのライブはオバケ屋敷みたいで最高に笑える。GGが暴れ始めたら俺は背後に立つんだ」
演者と観客の垣根をぶっ壊すライブは、寺山修司が見たら感動するんじゃないか、という気もする。

GGがテレビ番組に登場した映像も収録されていてこれがなかなか傑作。
司会が「なぜあなたはステージで排泄行為をするのか?」との質問には「俺の体はロックンロールの神殿だ。信者には体液や血液を与えるべきだ」と答える。自分こそがロックンロールだ、という信念には揺るぎがないのである。
一方で(GGに嫌気が指して)バンドを辞めた若いギタリストはこう言う。
「アリンは宗教でも始めればよかったのに、あいつはライブをやるだけだ。ステージで自分のクソを食ってる」
この兄ちゃんは「顔を殴るくらい俺でも出来る」と、自分で自分を殴り始めるんだけど、ついカメラの前で「血、出てる?」と言ってしまう普通の人。ここは映画のオチに使われた。はっはっはっ。
ドラマーも全裸でステージに登場する。「服着てると擦れてヒリヒリするんだよ」。こいつも相当イカれてる。
ベースは実の兄、マール・アリン。この人も筆みたいな鼻ヒゲでスキンヘッドにタトゥーだらけという特異なルックスだが、メンバーではまともな部類。「弟のタトゥーは酔っぱらいに適当に彫らせたやつだが(ほぼトイレの落書きレベル)、俺は金を払ってる」と言うくらいまともだ。
GGは「ステージで死んでやる」と、公開自殺宣言も有名なのだが(実現ならず)この兄貴は「あいつがそうしたいんなら仕方がない」と、弟の自殺願望すらも肯定する。
ちらほらとGGをリスペクトする発言も多いし、きっと本気で弟のことを世界最高のロッカーだと思ってる。
(特典インタビューでは、彼への愛情を思い切りぶちまけている)
この薄汚いドキュメンタリーから浮かんでくるものは、実は兄弟愛だったりする。
バンドの名前は「マーダー・ジャンキーズ」。バッカみたい。

最後は葬儀。GGの死体が映る。発見されたときのままの、泥まみれの姿で。
恐らく兄貴マールの「汚れて生きてきたんだから、最後も同じように見送ってやろうじゃないか。こいつはGGアリンなんだぜ?」という粋な計らいだと思われる。
「普通のロックスターみたいにドラッグで死んだ」とアナウンスされるけど、この茶化しは監督から主演へ、ねぎらいの言葉なのだろう。
GGアリンが素でインタビューを受けるときは必ずサングラス着用で、フードまで被っていたりするし、弾き語りでカントリーも歌う(これがいいんだ)。確実にシャイな面も持っていた人だと思う。
「俺は完全に自由なんだ」「ロックンロールに制限なんかない」と繰り返し発言し、それを極端な形で最後まで貫いたわけで、殿堂入りはとりあえず置いておいて、これはこれでアリなんだろう。
そういう風にしか生きられなかったから不幸だったのか、そうやって生きられたから幸福だったのか。
どっちでもいいけれど、確実に自分のコンパスはあったということだ。
本作は50分。原題は『HATED』。ファストに生きた人にはこれぐらいの長さがちょうどいい。
初見は渋谷のシアターNで、ザ・クランプスの精神病院ライブとの二本立て上映『TRASH ROCKIN PICTURE SHOW』(よくやったな、これ)であったが、シアターNもクランプスも、もうないのだった。
ところで欅ちゃんの『エキセントリック』の歌詞がGGのことを指してるみたいで、非常に困るのであった。

「理解されないほうがよっぽど楽だと思ったんだ」「他人(ひと)の目気にしない 愛なんて縁を切る」
「はみ出してしまおう 自由なんてそんなもの」


地獄上等ダムドダムドダムド



『地獄に堕ちた野郎ども』鑑賞@新宿シネマート。
ザ・ダムドのドキュメンタリー。冒頭の『ニート・ニート・ニート』でいきなり上がる。
ブンブン唸るベースのイントロが強烈で、あまりベースソロが重要視されないパンクにおいて特筆すべきナンバー。
初期のライブにおける、ドラムセットはおろか、ステージにあるものは何でもぶん投げる大暴れ。
実はこの「クレイジーさ」というのが、当時のパンク・バンドにはあまりみられないセンスなのだ。
クラッシュは生真面目だし、弱っちいはずのジョニー・ロットンは真面目に目をひんむいて叫び虚勢を張ってみせた。
(本来はマイナス要素の「矯正し忘れた歯並び」や「猫背」などをカッコよさに転化させた、彼のマジックは永遠だ!)
ファースト『ダムド・ダムド・ダムド』はあれだけ騒がしい音なのに、マッチョさのかけらもない。
マッチョさ皆無という部分も重要で、どんどんマッチョ=ハードコア化していくパンクシーンとは確実に距離を置き、どこまでも洒落者。
彼らにとってパンクとはジョークでもあり、それはケーキでグチャグチャになったり、全員が紙袋を被って立っていたりの(なぜかそれが恐ろしく決まってる)ジャケット・センスにも現われる。
「抜けたりくっついたりを繰り返しつついまだに現役」という節操のないイメージもある彼らだが実は、ってのがこの映画のミソ。

金の問題や人間関係の不仲などでかつてのオリジナル・メンバーはデイブ・ヴァニアン&キャプテン・センシブルとブライアン・ジェイムス&ラット・スキャビーズの二手に別れている。
シビアだし、切ない。ああまたこれかと思う。パンクのドキュメンタリーは「切ない」のである。
ピストルズ、ジョー・ストラマー、ラモーンズ、ジョニー・サンダース、ニューヨーク・ドールズ、シェイン・マガウアン(ポーグス)、GGアリン、アナーキー、遠藤ミチロウに至るまで(しかし観倒してるな)同じ感触を感じるし、ランナウェイズ、ジャームス、ジョイ・ディヴィジョンの『コントロール』のような伝記映画も然り。
どこかに切なさ(刹那さ)を内包しているのがパンクであり、自分にとってそれはとても繊細なものだ。
特にそれを感じたメンバーがキャプテン・センシブルで、この人のガキっぽさとかイノセントさは一体なんなんだろう。
ゆえに暴言や安直な行動でバンドを混乱に導きがち。彼が実質上のリーダーなので、そりゃバンドもひっちゃかめっちゃかになるわな、とも思う。
ただもうメチャメチャいい顔をしている。かなりいい年だが赤いベレー、紅白のボーダー、忘れちゃいけないバードスーツの着こなしなど、本当にカッコいい。ステキに年を重ねるとはこういうこと。
口髭を蓄えたデイブ・ヴァニアンは「太ったヴィンセント・プライス」という感じ。あの体型で朗々と歌われたらそれはそれで認めるしかないでしょう。
彼は一度もズタボロのパンク・ファッションをしていたことがない。初期のベラ・ルゴシ風ドラキュラメイクはパンクの精神をジョークで表したものだと思うし、ビジュアル系として売り出していた頃は超絶美形。
茶目っ気が多いようだがやはりこの人はちょっと謎。
ラットとブライアンは女性ボーカルを立て、一緒にバンドをやっている。ライブシーンも少し流れたが「あっファーストのあの音だ!こっちのほうがむしろダムドじゃん!」と思ったくらい、再現率が高い。二人とも現役バリバリなのである。
でも、この四人が同じステージに立つjことは多分なさそうだ。若いもんがかなわないくらい、すごいライブができるはずなのに。
ラモーンズはみんな死んじまったが、ダムドは呪われながらも(金がない、評価されないとかブツブツ言いながら)全員生きている。減らず口が元気の証であり、どうしても衝突してしまう部分でもあるのだろう。

映画の最後に流れるのは『イグナイト』。中期の『ストロベリーズ』(ブタさんの頭にちょこんとイチゴを乗っけている。こういうセンスがダムド)の一曲目で、アルバム自体がそうなのだがパンキッシュでゴージャスで、なんともカテゴライズできないナンバー。
サビの「We’re gonna have some fun tonight」は彼らの精神性を表していると思う。
ファン・パンクはあまり好きじゃないのだけど、ダムドにはモンティ・パイソンに通じるような「シニカルなバカ騒ぎ」を感じる。
ファーストと『マシンガン・エチケット』ばかりじゃなくてポップスやプログレ風も取り込んだ『ザ・ブラック・アルバム』もちゃんと聴くべし。「こういうのもロックンロールだ」と、発見があるはず。
ヴァニアンが舵を取ったゴシック/ビジュアル時代にも好きな曲がある。
セカンドはもーちょっと、気が利いたジャケットであれば、もーちょっと評価されるのではないかと思う。
今の気分でベスト・オブ・ダムドはストロベリーズに収録の『ライフ・ゴーズ・オン』。
どうやらまだ人生は続くようなので、地獄はもう少し先の話。

監督は『極悪レミー』を撮ったウェス・オーショスキー。レミー・キルミスター氏は死んじゃったが、こっちも最高。この作品を観てレミーを好きにならない奴は信用できない。






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