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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

【すうさい堂最新情報/極私的ツイッタァ】 ■■ 2017年10月13日(金)13時より移転オープンしました。■吉祥寺本町1-29-5 サンスクエア吉祥寺201 ■0422-27-2549 ■金/土/日/祝日のみ営業

言葉尻を捕らえてみよう

言葉尻(ことばじり)を捕(と)ら・える

相手のささいな言いそこないにつけ込んで、攻撃したり批判したりする。「―・えて反論する」


悪く言うつもりはないけど

「これから悪口を言うよ」というときに使うイントロ。最初にこれを言うことによって「決して悪意ではないんだよ」ということを相手に伝え、ガンガン対象を攻撃できる便利な言葉です。
「あなたのことを悪く言うつもりはないけど」と来たら、「おっ」と防御体制を整えておくことが大切です。

だから言ってやったんだよ

「自分がその場でいかに重要な発言を放ったか」ということを「その場にいなかった者」に伝えられる便利な言葉。
男性が「だから俺は言ってやったんだよ!」などと使いますが、まずイキってるだけと考えてよいでしょう。イキってるだけだからほぼ100パーセント、大したことは言ってません。
なにしろこっちは、その場にいないんですから。冷ややかに、冷ややかに、冷ややかに対処致しましょう。

今、いない

「今、つきあってる人はいるの?」とたずねて、いなかった場合、美男美女モテモテリア充は即効で「いませんよお」と答えます。すぐ出来る、と思ってるから余裕綽々の「いませんよお」なのであります。
これに対し非モテは少しでも自尊心を傷つけぬように「今、いない」と答えます。この「今」の期間は、推定5年前後とか、結構長いんじゃないでしょうか。偏見ですが。
ちなみに相手に「今、つきあってる人はいるの?」とたずねたときに、即効の「いませんよお」ならば少しは脈があり、「今、いない」というクールダウンなお返事は「あんたじゃないから」のサインではないかと思われます。偏見ですが。
あ、ボクも今、いません。

酒の上での失態

これも非常に便利な言葉ですが実質上、「酒の上での失態」というものは存在しません。
存在するのは「酒の上での実態」です。酔ったときの言動が本質だということです。
つまり酔った上での暴力などは言うに及ばず、「公共では憚られる言葉をわめき周囲をドン引きさせる」「暴言を吐いて人を傷つける」などの行動をとる者は、それが本性なのです。
類義語に「酔った上での話しじゃん?」などがあります。本人は「覚えてないからしょうがない」で済ませますが、傷つけられたほうの立場は?「楽しいはずの酒宴がぶち壊される」ということは、かなり悲しい記憶として残るものです。
「酒さえ飲まなきゃ優しい親父」などという生き物は存在しないのです。
路上で酔っ払った若者が通行人をからかうなどは時々見かける風景ですが、「普段は彼らもナイスなヤングなのだろう」などと思うのは間違いで、その傍若無人さが彼らの本質なのであります。
お酒はニコニコと飲みたいものです。

ひととおり

「小説はひととおり読んだ」「マンガはひととおり読んだ」「映画はひととおり観た」「ロックはひととおり聴いた」。は?マジか?という話であります。
こういうことを言う人は自己完結しているだけであり、勝手に「オレオレ古典」を築き、そこから先は面白いものなどないと考えるつまらない人であり、「ナントカはもう終わってる」などとおっしゃいますが、終わってるのはあんたなのであります。
「映画より批評のほうが面白い」などとのたまうのもこのタイプであり、彼らはまず新作映画を追いかけるなんてことはしません。観てないくせに何を言っておるのか?
あらゆる表現は古典があり、現在更新中のものも含めその数は膨大であるはずですが、それを「ひととおり知ってる」とは、何者???パソコンにだって容量があります。
「ひととおり」を使ってOKなのはかなり狭義であり、例えば「手塚治虫の有名作品はひととおり読んだ」「70年代レゲエの有名なアルバムはひととおり聴いた」「アメリカンニューシネマの有名どころはひととおり観た」などの場合だけであります。
例えばブルースを研究している人は、その膨大な量と歴史の前で「ブルースはひととおり聴いた」などとは、とても言えないはずです。
結局我々は「いつまでたっても何も知らない」が、正解なのだと思います。
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トッド・ソロンズの地雷犬物語

 

『トッド・ソロンズの子犬物語』(2017)。これは「トッド・ソロンズの~」が重要なのであり、つまり「混ぜるな危険」とか「お子様の手には触れない場所で保管してください」のような但し書きと同じ意味である。
なので子犬じゃなくて「トッド・ソロンズのコビトカバ物語」でも、「トッド・ソロンズのアメフラシ物語」でも、「トッド・ソロンズのポルカドットスティングレイ物語」でも成立する。
ウィンナードッグ(ダックスフント)がバトンされるエピソード4話で構成されたブラックコメディ。
登場する犬がかわいいからと本気の犬好きの人が観れば、怒りで逆上すること必至の怪作。はい、ぼくはちゃんとここまで伝えたよ。

第一話。癌で治療中の子供に父親が犬を買い与える。のはいいんだけど、「躾け」に対して子供が「しつけるってどういうこと?」と聞かれると父親は「犬の個性を打ち砕くことだ」「個性とは、お前をお前らしくしているもののことだ」と答える。
例によってあんまりな応酬だが、「躾け」は人間にも使う言葉ですよねえ。うーむ。
子供は親の留守中にウィンナードッグにシリアルを与えて、下痢便をぶちまけさせて大目玉を食らうのだが、すべての動物映画が避けて通ってきたマジな汚さです。
その後、犬を避妊手術に連れて行くことになるが、母親は「ママの飼ってた犬は野良犬にレイプされて病気を移されて死んだのよ」とまたまたあまりにも、デリカシーがない言葉をぶつける。
もちろん両親は立派な社会人であり、立派に子育てをしている、つもり、なんである。
エピソードが終わる頃には幼い彼は、「どうせみんな死ぬんだ」と達観しちゃう。
病院に運ばれた犬は、女性の看護士によってそっと連れ出され、そこから第二話へ。

この第二話がちょっととっつきにくいのだけど、先の女性が名が「ドーン」で、『ウェルカム・ドールハウス』の後日談になるという仕掛け。
ドーンは偶然、同級生でいじめっ子だったブランドンと再会してなんとなくいい感じになり、彼の家へ。
妹と弟がいたが、二人ともダウン症。
音信不通だったブランドン家の父親が死んだことを妹と弟に伝えると、彼は車で当てのない旅に出ようとする。ドーンも同行することに決め「ドゥーディー(犬の名前。意味は「うんち」)はあなたたちに預ける」と、実質上、犬を捨てる。
「好きな男と好きなように生きるので、犬はもうどうでもいいです」ということ。ひっどい。

そして人をなめきったインターミッションの映像(※休憩時間。90分しかないのに!)の後、ダニー・デビード主演の三話へ。彼独特の体躯と、ヨレヨレ感が合わさってなんともいい風情。
ダニーは売れなくなって映画のシナリオ学校で講師をしている脚本家。生徒はバカばっかり。
しかも生徒はダニー式の「だったら、どうする?」という発想法を古臭いといってバカにしている。
あるバカ生徒はいろいろまくしたてるけれど「君の好きな一本は?」と聞かれると「えええ。多すぎて答えられませんよお」と答える。しかも「あっそれは引っ掛け問題ですね?」。バカは余計なことを考えるものだなあ。
といったバカを相手にしているうちにストレスが溜まりまくり、ある出来事をきっかけに、彼は学校にある過激なリベンジを仕掛ける。
もちろんソロンズ作品なので派手なことは起きないのだが、彼の理論「だったら、どうする?」がブラックなオチへとつながっていく。

最終話。金持ちのおばあちゃんに金の無心に来た孫娘。しかも彼氏を連れて。
その彼氏ってのが絶妙にアホアホなスタイリングで決めたボンクラ黒人で、自称アーチストであり、名前はファンタジーと云う。
そして我々はダメ孫が盲目の祖母に無心する様子を「ほぼリアルタイムで見せつけられる」という意地悪にあう。せっかく、映画をみているというのに、だ。
アートかぶれの孫は女優にも首をつっこんでいるらしく、「今度役がついたの。ジャンキーの売春婦で。出番はちょっとだけど深い役なのよ」。そんなわけ、ねーーーーだろーーーっての。
しかも孫は「おみやげ」としてダチョウの卵をひとつ持ってくる。一体何がやりたいのか?アートか?
彼らが帰ったあと、老婆は夢を見る。それは少女たち(かつての自分。人生の分かれ道で捨てていったわたし)がお別れの挨拶をしに現れるというものだ。
ひとりひとりが「人生をがんばったあなた」「他人を愛したあなた」「自分を愛したあなた」「母親や娘を許したあなた」etcで、最後が「チップをはずんだあなた」。
彼女たちが全員手をふり、「さよーならー」。
老婆は「行かないで!」と、はっと目覚める。「チップをはずんだ自分」にまでバイバイされるとは、この人にはいったい何が残っているのか?という残酷なオチ。
そして老婆が飼っている犬(名前はキャンサー。「癌」という意味)が・・・・という愛犬家憤慨のマジでひどいラストがあり、休憩時間(ははは)にも流れた妙に哀愁のある曲でエンド・クレジット。
すべてのエピソードがピーカンで展開し、よく考えたらトッド・ソロンズ作品はひどいことがおきるからといって、曇天や雨になったりとかのわかりやすい記号は皆無であり、彼の色合いはまさに「アメリカの青い空」のように、明るく突き抜けてポップなのだ。


ダークホースにもなれなかったよ



これは確か精神科医の受け売りなのですが、「あなたはやればできる子」とは「やらなければできない子」と同意である、ということ。つまり普通の子は「やらなくてもできる」ので、やらなくてもできる子がやる気を出せば、さらにできるようになる。というわけで両者の差は縮まらない。
これはものすごく身に覚えがあることなので、残念ながら真実である。そして「やればできる子」がなにもやらないでいると、背中も見えないくらい「普通の子」との距離が遠くなる。
さらに残酷なことを言えば「やってもできない子」も確実に存在する。うわああああああああ。
『ダークホース~リア獣エイブの恋』(2011)はそんなお話。まだまだトッド・ソロンズまつりは続いています。
しかしこの日本版タイトル。「リア充」じゃなくて「リア獣」。ソロンズにあてられたような皮肉センスだが、確かに主人公エイブは「リアルなけもの」みたい。
自分の感情にものすごく素直。父親の不動産会社で働いているがあんまりやる気もないようで、他の社員はスーツ出勤なのにこいつはTシャツにスウェット。
うるさいパパ・優秀な弟・返品に応じない店員などには即効でブチ切れ、やさしいママ・やさしい同僚の事務員おばさんには徹底的に甘える。交友関係の描写は一切ないので、「友達はゼロ」ということなのだろう。
そんな彼がパーティーで知り合ったメンヘル美人に恋をして、デブハゲブサイクの自分にふりむいてもらうためになんとかがんばるのであった。

パパはクリストファー・ウォーケンで(一目でわかるヅラをずっと着用。最高ですな)、ママはミア・ファロー。ある意味で史上最も恐ろしいホラー『ローズマリーの赤ちゃん』のヒロイン。
この二人からなぜ君が?弟はスリムなイケメンなのに。というわけで本人は自分を「ダークホース」だと思っている。仕事を覚える気はないが自惚れは強いようで「歌手になりたかったのにパパに反対された。十代のスターになる夢も絶たれた」とのたまう。
この辺のねじれ感覚は松田洋子『薫の秘話』のチビデブハゲマザコン引きこもり理屈だけはいっちょまえの主人公「橘薫(たちばな・かおる)」に通じるものがある。
実際エイブはリア充に見えなくもない。とりあえず親の会社で働いて、裕福でもあり、父親は「お前が家を買うなら援助してやる」とさえ言ってくれる。
ただ、彼はやっぱりどうしょうもなく孤独で不幸なのだ。金も仕事も親もあるけれど、当の本人はまったくもって、なんっにも、持っていない、という不幸。
長谷川和彦の『青春の殺人者』は、親の出資でスナックのマスターをやっている息子が反逆して、両親を殺し恋人と逃げるという話だが、トッド・ソロンズは絶対に、そんなドラマチックな展開を作らない(ちなみにこの親殺し息子は、若き日の右京さん・水谷豊)。
で、一応エイブと彼女はつきあうようになる。が、彼女の気持ちとしては「自分はB型肝炎だし、作家になる夢もあきらめて、リストカットもやめて(なんかもうどーでもいいから)、あなたと結婚する」という前向きな部分がまったくない交際。
この辺からエイブに厳しい現実が襲いかかる。パパは会社を首にすると言い出し、ママは弟を引き合いに出してきっつい本音をぶちまけ、(地味なはずだった)同僚のおばさんは実は波乱万丈なイケイケウーマンであった。
そしてヤケになったエイブは車を暴走させ大事故、両足を失い、彼女から移されたB型肝炎で死んでしまう。

ネタバレしてしまったが、ソロンズ映画は気付かれないようにそっと致死量の毒を盛るような作風なので、まあ多少の解説ありでもいいじゃないですか。こっちもがんばって書いとる。
死の直前、病気で全身まっ黄色になったエイブが事務のおばさんの唇を(無理っぽく)奪い、生涯最後のキスをする。ただそれが好きな彼女ではなく「安全パイのおばさん」ってとこがね。女子は見てても泣けないよね。あっはっはっ。
そして家に現れたエイブは(幽霊?)は壁紙に「パパのダークホース・エイブ」の文字を発見する。
ここはちょっといい場面のような気が、するんだけど、こいつは結局ダメ息子のまま死んじゃったのである。とにかく底意地が悪いお話だ。
意地悪はそれだけで終わらず、エンドロールで流れる曲。誰だか分かりませんが、大意はこんな歌詞。

「今日は完璧な日 人生を踏み出し変化を起こす
君は君のまま何にでもなれる 巻き返していこう
君の夢がどこかで待ってる 新しい君が始まる夜明け
あるがままの君を恐れないで」

まさに腐れJポップそのままの歌詞で、ポジティブなメロディと真っ直ぐなボーカルで歌われる。
ところがこの主人公は「何も変化できず、どうしようもない自分のまま巻き返しもならず、夢も希望も踏んづけられて、あるがままの感情で暴走したら死んじゃった」という、まさに歌詞を反転したような人生。
この手の「馬鹿ポジティブソング」が大嫌いなので、初見は「ざまあ!!」と思ったのが正直なところ。
ただ、こうした「やってもできなかった人生」は確実にある。ゴロゴロしている。
夢や悪夢を描くのが映画ではあるのだろうけど、こんなイケてないあるある作品ばかりを撮り続けるソロンズは「オンリーワンな、世界にひとつだけの毒の花」なのだと思う。




しかし、この予告編も大傑作。

アビ松さん



『おわらない物語~アビバの場合』(2004)は12才の少女が妊娠するという作品なのだが、親にとって「子供が子供を産む」ということは「子供が子供を殺す」と同じくらいとんでもないことなのだろうなあなどと、鬼畜なことを考えた。
葬式のシーンから始まる。故人の名は「ドーン」。『ウェルカム・ドールハウス』のメガネブス、あ、いやいや、主人公である。しかも死因は自殺らしい。トッド・ソロンズは自分が生み出したキャラを冒頭で死なせて「つかみ」とした。き、鬼畜。
女児(アビバ)が母親に「ドーンはなぜ死んだの?」と聞く。母は「両親に愛されなかったの。皮膚科に行くかダイエットすれば違ったかも知れないけど」と答える。いきなり、あんまりですね。
ここでおかしいのは母親は白人なのに、少女アビバは黒人なのである。以降、エピソードが変わるたびにアビバを演じる女優が入れ替わり、計8人のアビバが登場する。
後にアビバは妊娠し、彼女は「絶対産む」と言う。母親は「障害者や体が欠けている子だったらどうするの!それに今はまだオデキみたいなものよ!」と実も蓋もなくぶちまける。なんかもうちょっと言い方はないものかとも思うが、考える前に出てくるナマの言葉ってのはこんな感じなのだろう。「きれいごと」はもっと後からついてくるものだ。
中絶は行われるが、母体が幼すぎたため子宮も一緒に摘出せざるを得なくなるという最悪の事態。
そしてアビバは家出をして、「ろくでもない人々」と出会う。

特にとんでもないのがサンシャイン・ファミリー。ここでのアビバはたいへんファットな黒人少女なのだが、ファミリーに養われている少年に連れられて、彼女もそこに在籍することになる。
ちなみに生まれて来られなかった子供の名は「ヘンリエッタ」で、この作品中、ヘンリエッタもアビバと同じキャラとして登場。なので混同してオーケー。
ファミリーはキリスト教原理主義者の夫婦が、わけありの子供たちと集団生活をしている施設。
サンシャイン夫婦を中心にボランティアと布教活動を行う立派な慈善団体ではあるのだが、裏では「中絶手術を行う医師」を密かに暗殺している狂信者集団でもあった。きっついでしょ?
子供たちでダンスチームを組み、キリストを讃えるオリジナルソングを歌ったりもしている。その中には両腕がない少女やダウン症など、本当に体に障害のある子供たちがいる。アルビノの少女も本当に盲目っぽい。
この内容にして、よく出演したものだと思う。それ以上は言葉が出ません。
特に「ひどっ!」と思ったのがアビバを連れてきた先ほどの少年が「いいもの見せてあげる」と森に向かう。
「ここはよく堕胎業者が中絶した胎児を捨てていくんだ・・・・・ほら!」アビバたまらず「キャーーーーッ!!」。そりゃそうだ。
韓国映画を観ていると子役の扱いが「ひどっ!」と思う。汚いセリフも言わせるし、何より子供を殺すことに躊躇がない。「子役だからかわいく撮ってもらえると思ってんじゃねえぞ!」という実に大人な態度で接しているのである。「プロフェッショナル」とも言う。韓国の子役は鍛えられるだろうなあとも思う。
ざっと思い出しても、洋画で同じようなスタンスを取っている監督はトッド・ソロンズしか思い浮かばない。

いろいろあってちょっと不思議なラスト(ネタバレ~)。冒頭の黒人アビバに戻り、「今度こそママになれそうな気がする」と微笑む。
これは「いろいろあっても人生はリセットできる」ということなのだろうか。とにかく観終わると「はあ・・・・」とこちらが消耗するオチを持ってくるソロンズだが、これは異例。彼の作品中、もっとも「やさしい」と言えるのかもしれない。
不思議な作品ではあるけれど、ソロンズの手のひらで転がされてみるとなかなか気持ちのいいものでもある。
いわゆるアートでもなく、いわゆるエンタメでもなく、いわゆる文芸作品でもない。
爆笑できるわけでもないし、残酷シーンがあるわけでもないし、暴力描写もないが、トッド・ソロンズの映画が観客の心に波及する効果はコメディであり、サイコホラーであり、バイオレンスでもある。という、たいへんタチの悪い代物なのであった。

不幸な人形の家へようこそ



ツジジンセーは後に嫁となるナカヤマミホとの初対面時に「やっと逢えたね」と言ったそうだが、ようやく鑑賞できたトッド・ソロンズのデビュー作『ウェルカム・ドールハウス』(95)。やっと、観れたね。
これは「リアルな」学校と家庭の物語。そしてリアルな不幸の物語でもある。「凡庸の中にこそ不幸がある」といったような。
主人公ドーンは兄と妹の真ん中に挟まれた中学生。いわゆる「メガネブス」。まあ、最初から最後までブスブス言われてるんで、そういうことにしましょう(ひどい@@@)。
兄はそこそこ勉強ができる、妹は可愛らしくどうやら世渡り上手で、いつもバレエを踊っている。両親の愛情もここに集中。
果たしてドーンは、特別取り柄もなく、メガネブスなので、男女問わずクラスからバカにされている。
彼女を慕う年下の少年もいるが、彼は「オカマ」呼ばわりされてバカにされているので、お気に召してはいない様子。ここで二人が団結して事を起こせばそれは美しいしファンタジーだけど、リアルな物語ではそうはならない。弱い者は自分より弱い者を、やっぱりバカにしているから。イケてない奴と一緒に見られるのは嫌なのだ。

兄はバンドをやっている。が、兄担当のクラリネット・オルガン・ドラムという「テキトーに楽器ができるのを集めてみました」といった風情。彼らが演奏する「サティスファクション」のへっぽこぶりは絶品。
そこへなぜかイケメンのギターボーカルが加入。メガネブス、あ、いやいや、ドーンは一発で恋に落ちる。
「女の子はやっぱしルックスがいい人が好き!」という古今東西の定石。しかし、イケメンのバンドマンはモテモテのヤリチン、というのも古今東西の定石。メガネブス、あ、いやいや、ドーンの恋は静かに玉砕する。
ドーンの冴えない日常は続く。彼女は健康だし家庭もそこそこ裕福なようだが、どうにもこうにも不幸だ。
そういう種類の不幸は確実にある。少なくとも彼女の放つ全てから(へんてこなセンスのファッションも含め)、「ハッピー」というワードがまるで見えない。ぬるーい地獄がいつまで続くやら。
そこに起こった「可愛い妹」の誘拐事件。両親は憔悴し、父親はベッドで寝込んでしまう。
ドーンは父の枕元に行き、「ミッシー(妹)がダメでも・・・・私たちがいるわ」と励ます(・・・励ます??)のだが、父の反応は日本語で表すと「んがぐぐ・・・・」@@@@@@@@@@@@@@@
この兄弟構成であれば、親のリアルな反応は確実にこんなであろう。正直に真実を切り取った瞬間なのだ。
ドーンは妹の捜索をするため家出する。しばらくして家に電話してみると兄が出て「ミッシーは見つかったぞ。で、お前は何やってるんだ?」
まあ、この時のドーンの心情は「あのー、自分はどーでもいいんスか・・・・・?」といったところでしょうか。

事件が無事に解決し、ドーンは学校のスピーチ大会で事の顛末を語る。が、いつのまのやら生徒たちから起こる「ブス!」「ドブス!!」の大合唱@@@@@@@@。
ラストの兄との会話でドーンは「ディズニーワールドには行かない(修学旅行のことだろうか?)」と言うが、兄の答えは「行かないと内申書に響くぞ」。
生徒たちが楽しげに合唱するバスの中、ドーンひとり、苦虫を噛み潰したような表情で合唱に参加している。
そうなのだ。修学旅行や林間学校は大多数にとっては「楽しい青春の一ページ」かも知れないけれど、ひとりでいたい、何よりもこの世で最も大嫌いな「クラスメート」と一緒に何日間も過ごさねばならないのか?と思っている者にとっては、最悪な地獄だ。
この事実を知ろうとしないから、学校側はいつまでたってもいじめをスルーする。
はぐれ者が自滅する様を見せればそれはカタルシスでもあるが、トッド・ソロンズはこまこまと「どこにでもあって、誰にも見えていない不幸」をスケッチする。
『ウェルカム・ドールハウス』は「無い」とされている不幸を(事件や事故、病気や生い立ちにまつわることだけが不幸ではない)「あるんだよ!!」と見せつけてくれた。
それが「誠実」ということであり、トッド・ソロンズ作品の魅力である。実は彼の全作品を観たので、これから伝道していくのだー、という大きなお世話な予告で〆。

〆、じゃなかった。ドーン役の「ヘザー・マタラッツォ」で検索してみたら、ずーっと自分が最高最高と言い続けてる『ホステル2』で、全裸で逆さに吊られて首を切られて殺されるイケてない女子役で出演していたのでした。ドーンの人生は(ドーンじゃないけど)やはり不幸なのだった。はっはっはっ。



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男性
職業:
古本すうさい堂
自己紹介:
自称「吉祥寺の盲腸」、すうさい堂のだらだらした日常の綴り。
本を読むという行為は隠微なこと、悪いことを覚えるためのモノ。

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