忍者ブログ

すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

【すうさい堂最新情報/極私的ツイッタァ】 ■■ 2017年10月13日(金)13時より移転オープンしました。■吉祥寺本町1-29-5 サンスクエア吉祥寺201 ■0422-27-2549 ■土/日/祝日のみ営業

ディフェンスは正しい!



アナログな考えというのは重々承知だけれど、やはり作品というものはパッケージ化されてなんぼだと思う。ダウンロードでは体の隅々にまでその「怨念」が行き渡らない。ちなみにアーティストに対し「ファンです。いつもユーチューブで見てます!」っていうのはそれ全っ然ファンじゃないですから!
たとえば昔の角川文庫版・夢野久作や春陽堂文庫版・江戸川乱歩なんかはそのカバーを見ただけで「全部欲しい!」と思ったものだよ。ものすごく禍々しいフェロモンを放っていたのだ。
個人的に同じにおいを感じるのは平山夢明大先生の著作で、怪談じゃなくて小説のほう。「彼岸系」というか、どれもこれもヤバい装丁ですよね。あとはやはり楳図かずお大先生で、オリジナル版はもちろんだが祖父江慎大先生がデザインした一連の単行本(小学館)が超超超カッコいい。

CDやDVDのパッケージも同じこと。紙一枚というなかれ。そこが「命懸け」であれば買ってしまうのが人情というものだ。
『フォーリング・ダウン』(93)のアートワークをご覧になって頂きたい。白シャツの会社員姿のマイケル・ダグラスが両手にそれぞれスーツケースとマシンガンを持っている。
「これはどういう映画なんですか?」と聞かれたら、「こういう映画です」と即効で返せる素晴らしいデザインである。
真夏。離婚した妻が引き取ったわが娘の誕生日。一刻も早く会いたいが、渋滞。そこで男(マイケル・ダグラス。後半でコードネーム「ディフェンス」と呼ばれる)は早速ブチ切れ、車を乗り捨てる。
公衆電話で電話をかけたいのでコンビニでコーラを買い、細かい釣銭をもらおうとするが、韓国人店主の言い値で買ってしまうと電話がかけられない。どうにかしてくれと頼む彼に店主は応じてくれない。
そこでディフェンスはブチ切れ、手元にあったバットで店内を滅茶苦茶に破壊する。
店を出たらカツアゲ目的のチンピラを返り討ちでボコボコにし、彼らのマシンガンを手に入れる。
お次はハンバーガーショップへ。朝食メニューを頼むが時間帯を数分過ぎているため「お出しできません」と断られ、ついマシンガンのトリガーを引いてしまう。
恐怖で固まる客たちの前で改めてメニューをオーダーすると、出てきたものが写真とまったく違うぺちゃんこなハンバーガーで、それに一言、「おかしかないか?」。
そしてハンバーガーショップを出た後、今度はミリタリーショップに入り、ネオナチでレイシストの店主とすったもんだのあげくバズーカ砲を手に入れ・・・という話。
荒唐無稽ではあるんだけど、彼を追う「その日が退職予定だった刑事」の好感度もあり、実に楽しく観られる。あまり評価されてはいないようだが、サスペンスというよりはブラックコメディの大傑作である。
しかもディフェンスはお店にはちゃんとお金を払っているので「そういう意味で事件性は無い」ってのが笑える。

ディフェンスの怒りは我々庶民が日常感じる不満なのだ。ちょっとしたものが高い、メニューの見本と出てきたものが全然違う、横柄な店主は最悪だ、etc。
さらに彼は予算消化のための無意味な工事現場を豪快にぶっ壊し、自分たちが楽しむだけのために広大な土地と緑を独占しているゴルフ会員のジジイたちに制裁を下す。これはもう「世直しヒーロー映画」である。
ラストは刑事との一騎打ちになるのだが、ここがものすごくいいんだな。名場面なので書きませんが。
「溜飲を下げる」というのは大事で、表現に触れてそれができるのならばベストなのだ。
それは人それぞれで、自分はこのような作品に触れるのが楽しいし、『男はつらいよ』全作がバイブルという人もいるだろう(たまにはそういう手合いも観てみればいいのにと言われそうだが、「下町に住む人に悪人はいない」みたいな性善説を延々押し付けられたら発狂しそうになるのであり、渥美清という人を特に嫌いになりたくもないので、スルーさせて頂く)。
もしもこの世に、恋愛小説と、友情マンガと、「魂が震える渾身の大作」映画と、「いつでもあなたを応援しているよ」系の歌しかなかったら、生きている心地がしない。むしろ死んだほうがいい。




淀川先生の名解説があったので貼っておきます。
PR

小粋な悲喜劇



『ブルース・ブラザース』(80)はいまだに世界中で人気だが、『狼男アメリカン』(81)はホラーファンには人気でも、一般的にはだいぶ忘れられた存在になっている。どちらもジョン・ランディス監督作品。
『狼男アメリカン』は変身シーンが有名だし今観てもすごい。なのでそこばかり語られがちなのだけれども、実は小粋なブラックコメディなんである。
サントラも、のんびりしたカントリーが多く使用されている。
イギリスを旅していたバックパッカーのアメリカ人二人が狼に襲われる。一人は病院に運ばれなんとか生き延びるが、もう一人は死んでしまう。が、彼は亡霊となって現れ「お前は狼に変身して、ぜってー人を襲うから、その前に自殺しろ」と忠告する。とはいえ担当ナースと恋愛関係になり、結構なリア充である主人公が死ねるわけがないので、忠告どおり狼になって殺人を犯してしまう。
そして亡霊は「だから言ったじゃんか」と姿を現すのだが、亡霊のくせに出てくるたび体が腐っていく。最後は原型をとどめておらず、つまり、ふざけているのである。
一番ふざけているのはポルノ映画館で自分が殺害してしまった人々とご対面する場面で、「ごめんなさい・・・」とシュンとするシーンには爆笑。っと、コメディなので細かいネタバレは厳禁。
「狼に変身してしまう男の悲喜劇」といった体で、あまり類を見ないタイプの作品。『ハウリング』はツタヤレンタルで復刻したのに『アメリカン』が手付かずになっているのはとても残念。こっちのほうが面白いのに。

少し前に『ブルース・ブラザース』を始めてまともに鑑賞した。
ダン・エイクロイドとジョン・ベルーシのコンビは歌もダンスも達者だし、登場する黒人ミュージシャンも超豪華。総額どれくらいのギャラを払ったのだろうか。
カークラッシュあり、ギャグあり、良質の音楽ありで非の打ち所がない。
ところがですねえ、自分的には全然、乗れなかった。
世界中から愛され続けている映画だし、ひねくれ者がちょっとくらい横槍を入れてもよろしかろうってことで真面目に書きますが、なんだろうな、「記号が回ってるとしか思えなかった」のである。
『狼男アメリカン』はジャンルこそホラーだが(グロテスクな変身シーンなんか絶対見られない、という方々もいらっしゃるだろう)おかしくも物悲しい、つまり有機的ということだ。
狼わんこ(実際のところそんな感じのデザイン)がロンドンの街なかで乱暴狼藉をおこしたのち狙撃され、死ぬときは人間に戻って全裸で横たわっているシーンには、哀愁があった。

ブラザースの二人はハット+黒スーツ+サングラスであえて記号化されており、アイコンとしては非常にわかりやすい。
そんな彼らがまきおこすてんやわんやの大騒ぎ(笑い)。その騒ぎの原因として「つぶされそうな自分たちを育ててくれた孤児院を救うため」という立派な理由がある。
というわけで「バカ映画査定としてはすでにマイナス」なのである。バカは過激に無意味にバカでなくてはならない!(というか、別にバカ映画じゃないのかな?)
ブラザースの命を狙って奔走するのがネオナチとカントリー・バンド。
「黒人音楽を愛する人間を白人至上主義の人間が狙う」という構図は皮肉が効いていていいのだけど、ネオナチの「自分たちの演説をコケにされたから」はまだわかるが、カントリーバンドは「自分たちがライブハウスに到着する時間を大幅に遅刻して、ブラザースにステージを取られてしまったから」という理由で、命のやりとりをするにはなんだかなあ、の甘あまさ。
しかも彼らをさほど「ワル」として描いていないから、記号が記号を追いかけているようにしか見えない。
ほどよく毒抜きした、職人的な百点満点の作品。つまりそれが苦手なのだなあ。嫌い、というより、苦手なんである。
続々登場するビッグ・ネームたちの演奏シーンは素晴らしいし、そもそもソウル・ミュージックにケチをつけるバカはいない。が、ソウルを至上のものとし、他ジャンルをバカにする手合いがたまにいるがそいつはいかがなものか?と思うけれども、それは自分が低位置にいるものに強い偏愛を抱いているからなのでしょうかね。


遺作がいちばんバカだった



人間には左脳と右脳の他に「ボンクラ脳」というものがある。これは無い人には無いのだけれど、左脳はほとんどないがボンクラ脳が異常に発達している自分のような者もいる。
映画のことばかり書いていますが、それは手にしたときに「これは・・・・ろくでもないぞ・・・」と思わせてくれるパッケージ・ソフトがCDや書籍より映画DVDが一番多いということであり、つまり脊髄反応であり、脊髄の中にも「ボンクラ液」が大量に分泌しているということです。
世界中で「やっちゃいかんと言われてることをやる」ことにシノギを削っているのがボンクラムービーなので、だから面白い。
実際に人が死ぬのはいろいろ大変だが、劇中で人が死ぬのは後腐れがなくてポップだ。無責任だからいいのである。映画が責任を持つべきは、死んでくれた俳優に対するギャランティである。

というわけで最底辺と言われているジャンル映画が「スラッシャー・ムービー」。
「スローモーションを多用した銃撃戦による残酷美学」などといった立派なものではなく、「大事なのは断面図です」というろくでもない作品群。「切株派」とも呼ばれています。
この辺を追求するときりがないので上澄みしか知らないのだが、一番好きなのは元祖であり「血糊のゴッドファーザー」、ハーシェル・ゴードン・ルイス。
殺人や怪物がどんどんリアルに派手になっていく時代に観た第一作『血の祝祭日』はストーリーもだるだるだし、ゴアシーンも「これが見たいんでしょ?あらよっと」と臓物をぶちまけてみせるだけという超・雑さ。(しかしこれは1963年の作品であり、ビートルズがまだ『プリーズ・プリーズ・ミー』だったわけで、まさに鬼っ子だ)
けれどもその「純粋な残酷さ」はまた違ったショックで、花形スターのジェイソンよりこちらのほうが好きだった。
後々彼も映画作りが上達して(とはいえレベルは低い)エンタメ度が増していくので、繰り返しになるが「純粋な残酷さ」では一番だと思う。
で、これに続編があります。ハーシェル・ゴードン・ルイス30年ぶりの復帰作『ブラッド・フィースト 血の祝祭日2』(2002)である。
いや、これはヤバい。普通に見ればクズ中のクズだけど、セルフパロディとして考えれば素晴らしいのではないか。
一作目に登場した、インディーズな邪教にはまって内臓お持ち帰りを繰り返した殺人鬼の孫がレストランを開店するのだが、やっぱり同じ邪教にはまってゴアゴアな惨劇を繰り返すというもの。
残酷シーンは人間ミンチやら顔面皮剥ぎやら頭蓋骨ギコギコやら肝臓つかみ取りやらで、さすがに60年代のホルモン屋状態よりは上達しており、「わしゃずっとこれがやりたかったんじゃー、ひゃっはー!」という楽しげな監督の顔が浮かぶ。ちなみに撮影している時点で75歳だったらしい。
そして本作は完全なコメディなのだが、ブラックコメディという高尚な言い回しをするより、「内臓コント」と言ったほうが的確か。
登場人物がみんなおかしい。キレキレっぽい刑事は死体を見るたびに吐いてるし、逆に相棒のデブ刑事はどんなグロい死体の前でもなにかしらモノを食っている(常におなかをへらしています)。
キレキレ刑事の婚約者のママは超・ざーますババアだし、主人公の殺人鬼は手袋の代わりに鍋つかみをはめて犯行を行う。鍋つかみハンドの手を窓に挟まれて落下し、泣きながら撤退していくシーンで爆笑。
殺される女子はみんな美人でみんな脱ぐ。あ、神父役でジョン・ウォーターズもちょっと出演。彼はルイス映画の大ファンなので、うれしかっただろうなあ。
というわけで観た事もないのに恐縮だが、『ツイン・ピークス』の世界に近いような気がする(翁がそれを意識していたかどうかはわからないけど)。サントラも怪しげなネオ・ロカビリーがどかどか使用されており、実にいかがわしくてカッコよい。
そして本作は是非、吹き替え版で鑑賞して頂きたい!日本の製作側も明らかにコメディとしてとらえているのでやりたい放題。
特にキレキレ刑事は全編、関西弁なんである。「わしがこの事件、解決したるさかい!」みたいな感じであり、凄惨な死体を前にすると「ムチャクチャやないかオエーッ!!」とゲロを吐く。ちょっと勇気を出して書くと、吹き替え映画としては最高傑作!
60~70年代の彼の作品を並べて一席理屈をぶてばそれなりに格好もつくのだが、これに関しては絶対無理なので「わっひゃー!」と楽しんで頂きたい。ラストは吉本新喜劇も裸足で逃げ出すくらいのグッダグダ加減です。
御大は2016年に亡くなったがきっと地獄に落ちて、いやいや、へんてこ映画監督やへんてこ映画ファンからの草の根的なリスペクトを受けているのだからきっと天国か。
だってハーシェルでゴードンでルイスなのだから。カッコいい名前だ。


カメ止めとハロウィンと見世物小屋



『カメラを止めるな』がいよいよソフト化ということで、またしばらくはレンタル大稼動中ということになるのだろうけれど、劇場の高揚感が一旦収まったようなので、ちょっと冷静に考えてみる。
実際のところ「なかなかチケットが買えない映画がやっと観られた」というプレミア感があったことは否めない(自分の場合)。
監督さんが出ずっぱりでニュースステーションに出演していた日をたまたま見ていて「これはいよいよ大変なことに」と思っていたのだが、作品の熱狂ぶりが報道され、観客の中に子供たちの姿があった。
これに対する微妙な違和感。もちろん映画は面白かったし楽しんだのだが、何パーセントか「んんん?」というところが実はあって、その正体がはっきりした。
この作品の唯一最大の弱点、それは「毒がない」。
お子様にも楽しめるエンターティメントつまり「ご家族そろって楽しめます」というやつで、自分が最も忌み嫌うもの。
やっぱり結局は「家族愛」なるものが軸となっていて、ああそうだったのかなるほどなあと勝手に納得しているのである。もちろんいいファミリー映画もたくさんあります。『血まみれギャングママ』とか『ピンク・フラミンゴ』とか『悪魔のいけにえ』とか。
そういえば最後に流れる曲が超ダサいとか(タイアップの関係なのだろうけど)、きれいに答え合わせをして終わる作品なので『バック・トゥ・ザ・フューチャー』みたいだなあと思ったのだよなあ。
あまりにもきれいに完結するので、自分だったら「やっぱり奥さんが感染していて家族を食っちゃって仲良くみんなゾンビ」とかにするかなあとか思うのだが、それだと出来上がったパズルをぶっ壊すようなものだしなにしろ意味不明になる、が、そのほうが映画としてコクが出るような気がしませんか。
世の中には「ろくでもないのに嫌いになれない作品」と「ちゃんとしてるが好きになれない作品」というものがって、『カメ止め』はどっちなのだろうと考えるのだが、やはりゾンビ(フェイクだけど)でインディーズが大ヒットをかっとばしたというのは痛快なので、実際面白いし、レンタルに並べばまた借りてしまうのだろう。
ただ(親子で鑑賞するであろう)子供たちにはひとこと言っておきたい。
「ゾンビ映画がこんなもんだと思ったら大間違いだ!!」

渋谷ハロウィン。今年はトラックをひっくり返した奴や逮捕者が出てしまって、一挙に世間から顰蹙を買う形となった。
最終日の17時台に渋谷にちょろっと寄ってみたのだけれど、さすがに人が多い。仮装した人たちだらけで、見た限りでは「シン・ゴジラ第二形態」が一等賞だと思う。
みんな楽しそうにニコニコしている。写真を撮ったり撮られたり。これだけなら本当にピース(大混雑しているのは、祭りだと思えばしょうがない)。
若い人が本当にやりたいお祭りってこれなのかなと思う(阿波踊りじゃないだろう)。ハロウィンには参加しないが、自分もゾンビやって楽しかったし「気持ちはわかる」。
金にあかしての馬鹿騒ぎをしていたバブル期のクリスマスイブより、DIYの衣装で集まっているだけのハロウィンのほうが健全なんじゃないかと、どうしても否定できない。
最悪なのはこれに乗じてただ騒ぎに来る奴ら、悪いことをしに来る奴らで、基本的にこの連中は「普段着」である。なぜなら犯罪を行うのは常に「身軽な奴ら」であり、コスプレしてたら目立つわ衣装がひっかかるわで、逃げるのにはかなり不利だから(なので警察の人は普段着のなんだかヤバそうな雰囲気の奴らをマークしたほうがいい)。
みんなが虚構を楽しんでいる中に現実の暴力を持ち込む無粋な輩は、フランケンフルター博士に撲殺されてしまえばよろしい。
で、あいつらは高橋ヨシキさんがトークライブで言い放った「精神的なカッペ」だな。
ただなあ、深夜に及ぶ飲酒によるご乱心。楽しい、終わらせたくないというのはわかるんだけど、なんていうかな、もっと自覚を持てばいいのにと思う。
それはミニスカポリスとしての自覚であり、ゾンビナースとしての自覚であり、ジョーカーとしての自覚だ。ジョーカーなのに泥酔してゲロ吐いてたらみっともないよ。どうせならヒース・レジャーの心意気もコスプレしようじゃないか。
「あれは若者の不満のはけ口である」とか言ってる人もかなり古臭いセンスだと思う。ならばクリスマスで浮かれるのも桜の下で泥酔するのも普段の不満のはけ口なのか?現場に行けばわかるが普通の人が仮装してニコニコ歩いているだけだ。つうか、あれはどう見てもリア充だよ。
「悪魔の正体は現代社会に不満を持った人間だ!」では、原作『デビルマン』に出てきた勘違い科学者と一緒である。
「もともと子供のイベントなのに履き違えている」と言われればそりゃそうなんだが、魔や死のにおいやエロスに惹かれるのは子供じゃなくて大人。徐々にこうした流れになるのはある程度必然かと思われる。血文字が街の中に現れるあの時期は嫌いじゃない。
とはいえ、もはや交通整理が必要。渋谷区主催のイベントなわけじゃないから、中止とか排除は無理な話。しかしながら実際早朝にゴミ拾いをしているコスプレさんも見かけたから、「あんな奴らは」とひとくくりにしてはダメ。この輪が広がっていくのが一番理想的なのだろうとは思う。

新宿花園神社・酉の市。今年は久々に見世物小屋を観るためだけに来た。
元祖の大寅興行の方々は裏方に回り、アングラ劇団『ゴキブリコンビナート』が芸人として登場。
樺太から来た原住民は回転している扇風機の羽を舌で止める。
伝説の女総長はロウソクを口に含み炎を吹き上げる。
中国の武術者は頬を串で貫いてコンクリートを串にぶら下げて手を使わずに持ち上げる。
「やもり女」は生きているミミズを食う。
「狂ったOL」は自らの腕にホチキスの針をプチプチ刺す。アンド、レシートを額にプッチン。
これをエンドレスで深夜まで。MCは気配りしつつも喋りっぱなし。すげえ根性と体力だと思う。お題は観てのお帰り、たったの八百円。
確かにグロいが、不思議な郷愁もある。人間なら共通して持っているであろう魔への好奇心を体現しているのが見世物小屋であり、「祀りのいけにえ」として機能しているのかもしれない。
開き直った自傷行為は芸であり、ショック・バリューだ。本人たちがやりたくてやってるなら問題ない。
まあ、ものすごい無駄なエネルギーと言えなくもないし、なくなっても困らない類なのだろうけど、世の中「生産性」ばかりが大手を振って歩いているのもつまらない。
「ショック・バリューな人たち」は、裏のスターとしてどす黒く光って頂きたいものです。
数年前に人気があった「蛇食い娘」さん(ゴキコンの女優さんとのこと)は、動物愛護協会からのクレームでステージに立てなくなったと、まことしやかに聞いたことがあるが本当なのだろうか。
だとしたら、そのような「政治的正しさ」の前ではぐうの音も出ないんだが、協会さんは蛇の命を救った代わりに「蛇食い」という伝統芸を殺したのである。
牛や豚はコンビニやスーパーの弁当として加工され、賞味期限が切れればゴミとして廃棄される。
見世物小屋の蛇たちは一匹一匹が芸のパートナーとして、命を鮮血で飛び散らすさまを客の目に焼き付けながら死んでいく。本当に生命を軽視しているのは果たしてどちらなのか?
数年前に観た、赤襦袢で蛇を食いちぎる小雪太夫さんは確かに、美しくもカッコよかった。蛇食い芸は、カッコいい。
ところで「狂ったOL」さんは、ホチキスを希望者に手渡し自分の腕に針を刺させるというお客さんサービスを行っていて、女子が嬉々としてプチプチしていたのだけど、ぼくは絶対できません。考えただけでめまいがする。

見世物上等



超話題作『カメラを止めるな!』、行ってまいりました。吉祥寺オデヲンで昼間の部はチケット完売。平日のレイトショーでセーフ。でも満員。感想。面白いです。以上。
SNSでも自分が知る限りは、ネタバレを拡散している者は一人もいない。これだけ底意地の悪い連中がうようよしている世界をビシッと黙らせる作品の力はすごいと思う。
正直言ってゾンビパートはかなりお粗末。インディーズとはいえこれで終わりだと金返せのレベルだけれど、そのあとが重要。予告編でも触れられているから書いてしまうが、実はゾンビ映画ではないのだ。
「これは家族愛の映画だ!」とぶち上げた記事もあったが、正直そういう見方は白ける。なんでそんなにちゃんとしようとすんの。「最高のコメディ」でいいんじゃないか。
ここがこうなってリンクするのか、という映画でしかできない表現がお見事。実際なんでもないシーンで笑っている観客がいる。リピーターなのだ。
特に「お前の人生は全部嘘っぱちなんだよ!!」からの展開が心捉まれる。映画を観た人ならわかると思います。よろしくでーす。
が、最近、原作者と名乗る人が現れて一悶着あると聞く。「原案じゃなく原作とクレジットしてほしい」と。
とある劇団の舞台がオリジナルなんだそうな。
事情はわからないが、映画を観た限りでは「映画でしかできない表現のオンパレード(ここを書くとネタバレになる)」なので、俯瞰で、つまり「ワンカット」で見せる舞台とは全然別物になってるんじゃないか。な。という。気がするんだけれども。

ともあれ「ゾンビ」をテーマにこれだけ多くの人に愛される作品を作ったってことがすごい。あ、韓国の『新感染』も愛され系のゾンビ映画でした。
そうなると本来の陰惨なゾンビ映画もやっぱりいいよな、と思い始めるのが人情。「今までとは違うゾンビ映画」という発想も、世界中が延々と、しょうもないゾンビを作り続けてきた累積の結果なのだ。
自分の一番のトラウマは昔、深夜テレビで観た『サンゲリア』で、これが多分、最初に腐乱ゾンビを登場させた作品だと思う。公開当時は「ショック死した人のためにハワイにお墓を用意しました」と宣伝されたとか(もちろん嘘っぱち)。
イタリアの残酷王ルチオ・フルチの作品は他にも『地獄の門』『ビヨンド』『墓地裏の家』『ザ・リッパー』など、具体的に書くと汚らしいのでやめておきますが、「何すかそれ?」で終わってしまうホラーも多い中(特に「自撮り系」)、「とにかくなんだかすごいことがおこっている」という点で、ホラー映画としては百点なんである。
デタラメだし意味もメッセージもないんだが、たまに観ると頭の中をドブさらいしたような気分になる。
「映画は芸術か見世物か?」という極端な問いには絶大なる自信を持って「見世物だ!」と答える立場を取りたい。極論ではあるが、すべての表現がそうであってもいいと思う。見世物で悪ければ「カブキモノ」だ。
お前の内面的メッセージなんて知ったことか。体を張って何か面白いことをやってくれ。

シネフィルの方々は「昔のホラーには優雅さがあった」とおっしゃるのだろうけど、今や残念ながらベラ・ルゴシから恐怖の本質は感じられない。ただもう、圧倒的にエロティックでカッコいいのだが。
恐ろしいのはやはり極悪非道な殺人鬼であり、隣に住むサイコパスであり、群れをなして襲うクリーチャーであり、原因不明の伝染病だったりする(ゾンビってジャンルとしてはこれなのかな?)。
そして我々はそれを観てサッパリする。なぜか。見世物が好きだから。
仮にゴア・エフェクトが存在しなかったら、あるいは禁止されたままであれば、いまだに映画は「ウッ、バタッ」で人が死ぬ。これを「犬死に」という。
立派な賞をとった名作や大ヒット作にも少なからず残酷描写がある。それを一応多くの人が受け入れているのは、知らず知らずのうちに「そういう表現」あるということに慣らされているから。
つまり不気味で下劣で道徳的に問題があり、人道的配慮に欠け、女性蔑視的であり、人間不信を煽り、青少年に不健全な影響を与え、いたずらに刺激的なだけの、掃き溜めを集めたポリバケツの上に「ちゃんとした」作品郡が輝いている。もちろん地均しされているので、ポリバケツは普通に人には見えないが(それを掘っているのがぼくらです)。

『スリー・ビルボード』も『デトロイト』も『シェイプ・オブ・ウォーター』も観た上で「でもやっぱり、ブラッドサッキング・フリークスやヒルズ・ハブ・アイズは最高だ!」と言いたい。
つまりええと、『カメラを止めるな!』はホラーではなくコメディだということです。
それと拙作の短編ゾンビ映画の上映会が9月5日にあります。以下のアカウントで告知されるはずです。さりげない宣伝がカッコいいなあ。
https://twitter.com/uktheater


Copyright © すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。 : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]

管理人限定

カレンダー

11 2018/12 01
S M T W T F S
1
3 4 5 6 7 8
10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

フリーエリア

最新コメント

[07/02 ポーキー THE ピラニアのロレンス]
[06/21 すうさい堂]
[06/21 美澄]
[06/04 すうさい堂]
[06/02 nene0716]

最新トラックバック

プロフィール

HN:
すうさい堂主人
性別:
男性
職業:
古本すうさい堂
自己紹介:
自称「吉祥寺の盲腸」、すうさい堂のだらだらした日常の綴り。
本を読むという行為は隠微なこと、悪いことを覚えるためのモノ。

180-0004
武蔵野市吉祥寺本町1-29-5
サンスクエア吉祥寺201

0422-27-2549

(2017年10月より移転しました)

【営業時間】
土・日・祝日/13時~20時
【定休日】
月・火・水・木・金

東京都公安委員会許可304420105129号

メールはこちらまで suicidou@ybb.ne.jp

バーコード

ブログ内検索

カウンター

忍者アナライズ