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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

【すうさい堂最新情報/極私的ツイッタァ】 ■■ 火曜と水曜が定休です。※店主が大昔に描いた絵を売り始めました。

シンパシー・フォー・ザ・高橋ヨシキ



これほど「映画を観たい!」と思わせてくれる本は久々だった。高橋ヨシキ著『悪魔が憐れむ歌』と『続・悪魔が憐れむ歌』の二冊(どちらも洋泉社)。
「暗黒映画入門」とあるようにホラー・バイオレンス・カルト・やらせドキュメントといった「残酷で奇妙でねじれた」」作品ばかりが紹介されているので、もちろん万人向けじゃない。
だが著者が繰り返し主張する「映画が残酷で野蛮で何が悪い」「行き過ぎたショック表現は笑いを生む」に共感する者(簡単に言えば映画秘宝ファン)には、刺さってくるものがある。
何かというと叩かれるジャンルだがそれに対して高橋ヨシキは「みんなは何一つ間違ってない!」と、喝破してくれた。
検察官のような批評家は多いが、彼のポジションは完全に弁護士。考えてみれば今までこういう人がいないという事のほうがフェアじゃなかった。
風当たりも強いとは思うが、「このジャンルはオレが死守する」という姿勢のストロングさ。「政治的になんとか」みたいなクソ社会のモラルを否定するために、彼は「悪魔主義者(サタニスト)」を自称しているのだと思う。
だいたい「人が簡単に死ぬ映画なんかダメだ」みたいな戯言は、生涯まともに一本の映画も観たことがないようなバカにだって言える。悪いねー、オレはやっぱり、いっぱい人が死ぬところがみたいんだわ。
だったら『タイタニック』は?1500人も死ぬじゃんか。リア充を山盛りに乗せた旅客船が「まるっ」と沈むのを観て「キターッ」と泣く(盛り上がる)のだろ?それは悪趣味じゃないのか?
しかも溺死。殺人鬼ならば「いいひと」に当たれば、サクッと一発で殺してくれる。
とか書いているがもちろんジョークであり、こうしたジョークがわからない人にはこの本で紹介されているような作品は理解できない。要するに心の余裕がちょっとだけ必要ってこと。
ちょいちょい「ぶっ殺せ!」「みんな死ね!」みたいな語彙を使うヨシキ氏ではあるが(この著作ではさすがに少ないけど)、行間の読めない人に言っておくとそれは「リップサービス」なのであり、「もっと映画を楽しめよ!」ってことなんである。おわかりか?

ホラーなんてのは特に、有名な俳優はいないし予算も組めない若者でもアイディアと情熱があれば、鮮烈な作品を作ることも可能なクリエイティブなジャンルなので、DIYの姿勢も含めパンク的である。
『悪魔のいけにえ』撮影時の灼熱地獄、『死霊のはらわた』撮影時の極寒地獄(「続」に詳しい)といったリアルな地獄を乗り越えたクルーたちの作品は、スクリーンに地獄の花を咲かせてくれた。
昨今も「ムカデ人間シリーズ」を世間にぶちまけたムービー・テロリスト、トム・シックスなんてのが登場しており、まだまだセックス・ピストルズみたいな爆弾を抱えた連中がウロウロしている。素敵じゃないか。
ちなみにホラーに良心なんかいらないので、ここにクラッシュはお呼びじゃないのだ。クラッシュは「不発弾」だから(そこが好き、なんだけれども)。

何か起こると影響力が云々と言われるのは『13日の金曜日』などの有名な作品だが(サカキバラの時もそうだった)、正直なところマッチョな怪人が若者を殺していくという展開がローティーンワークというか、なんだかフィジカルでさえあるよなあというイメージであまり興味がなかった。「エルム街」のフレディに至ってはおしゃべりでウザい親戚のおっさんって感じ。
が、この二冊を読んで考えが変わった。「自分が好きなのはああいうのじゃないんで」といった言い訳を封じるためにも、13金もエルムもちゃんと観ておこうと思う。
(いま手元に『フレディ対ジェイソン』がある。こりゃ、ドリームチケットですね)
サカキバラといえば元少年A名義の『絶歌』が売れまくったという事実のほうが、よっぽど狂ってるし忌まわしい。あの本を買った人間に「つくりもの」を糾弾する資格は一切ない。

だがしかし、世間様はこのようなジャンル・ムービー鑑賞より楽しいことがあるらしく、それはカラオケ/合コン/ドライブ/温泉旅行/テーマパーク/デイト/おしゃれカフェ/家族間の信頼など、枚挙にいとまがない。
でも大丈夫。我々にはタランティーノやイーライ・ロスや三池崇史がついていていい人も悪い人も分け隔てなく血祭りに上げてくれる。
少なくともオレは自分の人生がクソだから、映画を観たり音楽を聴いたり本を読んだりしている。
彼らの表現の「邪悪さ」を糧にして、どうにか自分もタフになろうとしている気持ちが多分にあるのだと思う。
あたらしく「悪いもの」を知ると、嬉しい気持ちになる。「人生が楽しい奴らはこんなの知らないだろ?ざまあみろ」っていう気分。鼻持ちならないと思ったら放っておいてほしい。こっちにはこっちの楽しみかたがあるのだ。

ミシェル・ファイファーのキャットウーマン&『愛の嵐』のシャーロット・ランプリングをプリントしたカバーは「乗るかそるか」を一瞬で要求する。すんばらしい装丁だ。内容も然り(正直、自分の頭には難しくてよくわからない章もあるのはあるが)。
最低すぎて市場にほとんど出回らない伝説級のクズ映画(パッケージすら見た事がない)『悪魔のしたたり』をこれほど愛情と尊敬をもって書かれた文章は空前絶後だろうと思う。なにせ『ロッキー・ホラー・ショー』と同列に語っているのだから。
モンドの巨匠・ヤコペッテイに対する揺るぎないリスペクト、『エクソシスト』に関する詳細なルポ、マニアだからこそ一発で通じる監督たちへのインタビュー。引用される作品の多彩さでもわかるが、グロだけじゃなくあらゆるジャンルを知り尽くしている。本気で映画が好きな人だ。
特に『バットマン・リターンズ』に関する考察力にはため息すら出た。
まえがきもあとがきも最高としか言い様がなくて、特に「続」のまえがきは涙腺がゆるみそうになる名文であり、堪えながら引用。

光が照らし出してくれるものは愉快なものとは限らない。
ゆらめく光は美しいものや気高いものを映し出す一方で、醜悪でおぞましいものの姿も浮かび上がらせる。


(略)そういう便利な「光」のさすことのない、薄暗い世界にとどまり続けるぼくのような種類の人間は「哀れ」で「気の毒」な人たち、と「明るい」人たちの目には映る。
本書はそういう明るい世界に向けて拡声器で怒鳴りつける「ファック・ユー!」である。




しかし、ゴールデンウィーク中になに書いてんだろ。
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(平山夢明の)DINERへようこそ



悲惨な話が好きで。というより、悲惨な状況をヤケクソ気味にひっくり返していく話が好きなんで、その結果主人公が生きようが死のうが、それはどうでもいい。
平山夢明の『DAINER』がまさにそんな感じのど真ん中。町田康の『告白』、筒井康隆の『銀齢の果て』、中島らもの『酒気帯び車椅子』あたりの読後感に似た高揚感を覚えた。脳内麻薬出まくり。
アルバイトのつもりで報酬目当てに犯罪カップルの片棒を担ぎ、見事にドジって「組織」に捕らえられた主人公・オオバカナコ(大莫迦な子)が送られた先は、殺し屋専門の定食屋「キャンティーン」。
店を切り盛りするのは「ボンベロ」と呼ばれる元・殺し屋。今までウェイトレスとして送られた女は八人。いずれも「使い捨て」。
店にやってくる客たちも、スフレ好きな火薬魔「スキン」、自分を子供の姿に改造した「キッド」、犬歯の入れ歯で相手を噛み殺す「ボイル」、元堕胎医の「ソーハ」、ボンベロに恋する暗殺者「炎眉」、歯に蛇の毒を仕込んだ「ミコト」などなど多彩。ボンベロの相棒は改造闘犬型人間「菊千代」。
ボンベロも当初は「消費」目的でカナコに無茶苦茶な労働を強いるが、カナコが即興で「ダイヤモンドで濾過した最高級のウオッカ(ボスたちが祝いの席で嗜むためのもの)」を隠してしまったり、命がけギリギリのやりとりを続けていくうちに、「こんな女は見たことがない」と次第に彼女に情が移っていく。
この作者の売りといえば人体破壊。殺し屋たちからさりげなく語られる拷問や殺戮の場面は、実にバラエティ豊かにエグい。ただ、微に入り細にわたる残酷描写が痛みを伴って読者を刺激し、現実離れした物語に現実感をもたらせていると思う。
グロテスクなだけじゃない。ここはダイナーであって、出される料理はハンバーガーなどが中心なのだけど、その描写が文字だけなのに絶妙に旨そうなんである。吐き気と同時に食欲も増す。
カナコさん、「んまい」なんて食ってるし、殺し屋どももボンベロの作るメニューには舌を打つ。
猟奇と暴力+グルメ。豊富な銃火器等の知識。殺し屋同士の友情。通してみるとカナコとボンベロのラブストーリーでもある。
しかしこの本が児童書主体の「ポプラ社」から刊行されているというのは、まさに奇跡だな。

著者あとがきの言葉のようにこれは、「殺しにかかってくる」作品。<グゥの音も出ないほど徹底的に小説世界に引き摺りこみ、窒息させるほど楽しませようとしている物語>。
短編集『他人事』や『ミサイルマン』などの陰湿さも好きなのだが(とはいえ人格なのか、平山作品はどこかポップで軽やか。グロポップ!)、『ダイナー』は大藪春彦賞などを受賞した、正面からのエンターテイメント。
実際「殺しにかかってくる」作品群は、いとも簡単にひとが死ぬ。
現実の死や殺人は悲しいことだけれど、表現においては大いに堪能してよろしかろうと思う。
それが、北朝鮮などのがんじがらめ社会や、内紛だらけで「表現なんぞさておき」な中東にはない「文化」である。
ギャングのボスが彼に憧れる少年を「道を外させないため」わざと捕まるところを見せる『汚れた顔の天使』なんて映画もあったけど、我々の感性はもはやそんなにウブちゃんじゃないのだ。
むしろ「うっそでー!」と思う。
こんなテーストのものばかり取り上げているすうさい堂さんなのですが、「この作品で命の重さを知りました」などと書いたところで、それ面白いか?とか、つい思っちゃうわけで。
そんな当たり前のことなら誰でも言えるし、しょぼいブログながらも読んでくれる人を楽しませようとするならば「善い人々がドカドカ殺されちゃって最高です!」くらいのことは書いてしまっていいんじゃないの。と。思う。
『ダイナー』は非常に視覚的にも刺激される小説なので、無国籍なイメージもあり、「洋画」で観てみたい気もする。ボンベロは「マイケル・マドセン」で。





やんちゃマドセンくんの耳切りシーン。

伊藤潤二はびっくり箱である



ところで、手塚先生が作品中もっとも多用するフレーズって何か知ってます?
自分のリサーチによると「ウヒャーッこりゃひでェ」である。
事故でグシャグシャの遺体が出て来ても「ウヒャーッこりゃひでェ」、もんのずごいブサイクなおばさんが出て来ても「ウヒャーッこりゃひでェ」。たしかに読み手もそう言われると、何となくテンションが上がる。
この「ウヒャーッこりゃひでェ」に特化したジャンルがホラーで、伊藤潤二『うずまき』を久々に読んだ。
どのページをめくっても「ウヒャーッこりゃひでェ」の乱れ撃ち。ははは。
しかしこの人の作品は、グロテスクであってもポップである。つまりアイディアが「びっくり箱」。
中盤でとんでもないモノがいきなり登場し、そのままドドドドっとラストへ。実際、オチは弱いかなーという気はする。

うずまきによる怪奇現象に呪われた町、黒渦町。伊藤潤二作品といえば「美少女」であって、主人公の五島桐絵さんも然り。彼氏の秀一君は「親父がおかしい、渦巻きに異常に執着している」と最初からノイローゼ顔。
この親父さんは特注の丸桶に入り、自らの体を渦巻状にして死ぬのだが、この絵の見開きがぶっとんでる。初見はもう「あっ!」って感じで、ほとんどギャグの域にも達している。この作者、ジャンル的にはホラーだけど怖いと思ったことがないのはつまり「あっ!」=「ぶっ(笑)」に転じてしまう紙一重なセンス。
身体中を「渦巻きの空洞」に食われて消滅してしまう少女。渦巻状に自己主張を始める髪の毛。身体中をねじれさせて合体し、海に消えるカップル。なぜか人間がカタツムリに変身する現象(ヒトマイマイ)。エトセトラ、エトセトラ。
これらがすべて「呪い」で片付けられ、オチは投げっぱなし。
いくらバラバラにされてもパーツで蘇生していく「すくすくせいちょうホラー」の『富江』もそうだが、この人の作品は潔いくらい、意味もメッセージもゼロ。
どれだけ読者をびっくりさせられるか、ということに特化しているように思う。
繰り返すが、伊藤潤二は美少女が抜群にうまい。
ホラーが支持される要因として「女の子がかわいい」といのが昔からの定石で、自分も当然『恐怖新聞』より『エコエコアザラク』が好きだった。

先人である楳図かずおや日野日出志には、容赦ない描写と共に深遠なメッセージがある。
『漂流教室』では巨大な怪虫が暴れるが、実は小さな虫の大群となった怪虫が「ザザザ」と子供たちに襲いかかり、骨にしてしまう描写のほうが凄惨。
「あけてっ!!」「あけてくれーっ!!」と叫ぶ彼らを閉じ込めてドアを塞ぎ、犠牲にしてしまう主人公たち。
「だって、しかたがなかった!!」。ほんと、よくこんなの描いたもんだと思う。
日野作品で忘れられないのが『水色の部屋』で、子供を中絶してしまったカップルと稚魚を産むグッピーが対照的に語られる。
おびただしい数の胎児が「なんで殺したんだ~」「寒いよう~」と女性に群がる描写がショッキング過ぎて(彼女の幻覚なのだが)、さすがに読後すぐに捨てた。あれほどおぞましい漫画は読んだことがない。
「やるなら徹底的にやる」という作家魂に、ポップさは微塵もない。

なぜしつこく「伊藤潤二は意味がない」と書いているかというと、本書の解説がひどすぎるから。
元外交官の作家が「本書は21世紀の資本論だ」「伊藤潤二はマルクスなみの天才だ」とぶちあげているのである。
天才ということに異論はないけれど、いちいち弁証法だの格差社会がどうのと、ひどいこじつけをしている。
っていうかなに言ってんだか全然わかんねぇ。
作家なのに文章の意味がまるでわからない。意味が伝わらないのはアホの文章なのであって、本を買ってこの解説を読んだ人は全員げんなりしたんじゃないか。そうだったのか!なんて思う人はまずいねぇよ。
お門違いもいいところで、マルクス語りたいなら他でやればよろしい。完全な人選ミス。
帯にも「今日の格差・貧困社会の到来を予見したホラー」のコピーが舞っていて、あっはっは、である。
これをどう読んだらそんな解釈になるのか全然わかんねぇ。
せっかく「無意味でポップな、単なるホラー漫画の力作」を描いた著者も、これじゃあ浮かばれない。
表現からは高尚な意味を見出さなければいけない、という精神が貧困そのものなんである。

ぶっちゃけ、この作家が原作で、伊藤潤二作画による作品(軍事ものらしい)が当時連載されてたという事情による「事故」なのだが、そんなの読んでるファンがいたとも思えない。
ウヒャーッこりゃひでェ。

少女椿は綺麗に咲くか?



今月の『Hanako』誌、特集「吉祥寺のオモテとウラ」に有難く掲載させて頂き候。
「吉祥寺のアナーキーさを象徴する店」と紹介されていて、ワーオ!
んーと、わたくし自身は吉祥寺にアナーキーさを感じたことがないのでありますが。阿佐ヶ谷の北口あたりの方がよっぽどアナーキーだと思う。
吉祥寺の不動産屋を舞台とした漫画家の人の対談も載っていて、作中でバウスシアター閉館に触れ、「吉祥寺も終わったな」のセリフが。
アナーキーインザ吉祥寺があったとすれば、今更ながらそれは恐らくバウスという映画館。メジャー作品を上映しつつ、裏に回ればかなりのマニアックさと遊びに溢れた企画を通していた。
「楳図かずお映画祭」とか「一週間パンクムービー」とか、場合によってはガラガラだったりしたのだけど(イギーポップのライブ映画etc・・・)、それでもやりたいこと優先、洒落が優先という姿勢が吉祥寺カルチャーってことだったんだろうなあ、と思う。
この街はオシャレだけどシャレッ気が足りなくなってしまった。それを考えるとすうさい堂なんかは「これやってオレの人生終わるんだろうなあ・・・」と考えるとかなりブラックな笑いを提供しているわけで、そこらへん、よろしくね。
全然関係ない話だが、キングオブコメディの解散がやはり残念である。
昨今はコントのレベルがどんどん上がって来ていて、サンドウイッチマンとかバナナマンとか面白いなあ、うまいなあと思う。
でもキンコメの凄さは「うまいなあ」とか思わせないところで、「ギャグが直撃」するんである。
高橋健一のほぼ日常会話なツッコミと、今野浩喜の放送ギリギリ感満載の爆発力。役者に転身するには、ちと早い。キングオブコメディの名前は伊達じゃないのだ。
しかしパーケン、今後どうするんだろう。死んでしまった人は人生完結だが、彼の人生はまだ続くのだ。
惜しい才能が終わってしまった(のか?)と思う。

さらに話は関係ない。丸尾末広の『少女椿』が実写映画化ということで、吃驚ぎょうてん。
この作品、アニメ化もされていて、昔は中野の単館上映を観に行ったもんだが、見世物小屋にフリークスという描写を避けて通れるはずもなく(避けちゃったら別物)、大丈夫なんだろうか?
「みどりちゃん」役には中村里砂さんという女子。知らなかったけど、中村雅俊の娘さん(お人形さん!お人形さん!!お人形さん!!!)。
中央線及び世界中に熱狂的なファンを持つ丸尾末広の代表作。成功を祈りたい。

ところで当店も丸尾作品は別格扱いなんである。
誰の本の顔を出して飾ったら一番美しいかと十秒ほど熟考したのち、丸尾本ということになった。
カバーからして、この人の絵や彩色は本当に美しい。で、本を開けば凄惨なエログロ地獄絵図。
伊藤潤二や高橋葉介も然りだが、ホラーやエログロってやつは、絵に魅力がないと成立しないジャンルである。つまらない絵のホラー漫画なんて、ほとんどゴミ。
そして丸尾作品は圧倒的にポップ。無意味、と言い換えてもいい。
古今東西のカルチャーのコラージュ。元ネタを探せばちょっとした教養になる。
日本軍やナチスをモチーフにしたものも多いので、その辺を受け付けない人も多そうだが、丸尾作品はまるっきり無思想。そのポップさ無意味さゆえに、幅広いファンがいる
(人間の業とか情念とか、本当にドロドロしたものを読みたいなら花輪和一。こればかりは手放せなかったりして。少々なマヌケさも含めて最高)。
ファシスト、ファシズム、ネオナチ、全然関係ない。
絵がまったく劣化しない。それどころかさらなる高みにのぼっていて、近年の幻想文学とのコラボ『パノラマ島奇譚』『芋虫』『瓶詰めの地獄』なんか、これらを漫画として描き切れるのは、さすがに他にいないでしょう(「パノラマ」は手塚治虫文化賞!)。
初の続きもの『トミノの地獄』も2巻以降が楽しみである。
偶然なのか最近、古屋兎丸の『ライチ光クラブ』とか杉浦日向子の『百日紅』とかのいわゆるサブカル漫画作品の映画化が続いている。サブカルチュア復活か?だと良いな。
ついでに山野一『四丁目の夕陽』や、大越孝太郎『マルサイ』なんかも映画化して、スクリーンに地獄の花を咲かせて頂戴。


手塚版デビルマン『ミクロイドS』



手塚治虫の少年向け作品で最も残酷なものは何かと言えば(『アラバスター』とかあるけれども)、『ミクロイドS』じゃないかと思う。
アリが進化した種族「ギドロン」が人間に向けて総攻撃を仕掛けようとしている。
その下の階級が「ミクロイド」。彼らはギドロンに奴隷のように扱われているが、ルーツをたどれば人間であり、その中から選ばれたヤンマ、アゲハ、マメゾウが人類にこの非常事態と、自分たちも共に戦うことを伝えるための旅に出る。
が、旅は過酷を極め、途中で寄った人間の町はギドロンのサイボーグ「人虫(これが気色悪い)」によって壊滅。そして出会った人間はミクロイドの意志を無視して見世物として売りつけようとする。
世界的科学者の美土路博士とその息子・マナブに会うまでは、彼らの話を取り次ごうとする者がいない。
さらにアゲハはギドロンに忠誠を誓うミクロイド・ジガーの恋人であり、ジガーはヤンマの兄である。
よってアゲハはジガーが送り込んだスパイではあるが、段々と使命感に燃えたヤンマに気持ちが傾いていき、ジガーは「ジグジョー!!」と嫉妬の炎がメラメラメラ、という極めてアダルトな展開。
最初の数話でアゲハはオールヌードを御開帳しており、ある世代における「手塚治虫とは、エロいマンガを描くひと」という認識はあながち間違いではないのであります。

ギドロンはいよいよ、人間というか日本に向けて総攻撃を仕掛ける(公害が一番ひどいからだそうだ)。
竜巻のようなカ・ハチ・アブたちが人間を刺し、口や鼻から侵入して窒息させるんである。
つまりこれは手塚版「デビルマン」。いや、殺されるのが悪魔ならばまだ「最後になんかすんごいの来た!」と、ちょっとしたイリュージョン感があるかも知れないが、恐ろしい数の虫ですよ虫。
虫に殺された死体がまたむごたらしいし、ミクロイドをかばう美土路博士は人類の裏切り者だと、住民たちが自宅を襲うシーンなど、まさにデビルマン的。
ピストルを振り回して篭城し、暴君のように振る舞う白人。ギドロンが放った寄生バチ「マイマイ」にとりつかれてコントロールされている少女にマナブは恋するが、最終的に彼は彼女を自らの手で殺してしまう。戒厳令化のもと、投石した一般市民たちを容赦なく射殺する自衛隊。後半に登場するレディース愚連隊のエピソードなど、パニック・アクションの王道。
昆虫たちの脅威に人類は対抗し得ないのは明白。「とりあえず一件落着」で終わるラストも不気味。

この作品はアニメ版も放送されており、見てた記憶はあるけれどなんにも覚えてない。
(あ、脚本家がアニメのデビルマンと同じだ。そういえばこの原作に「S」の文字は一回も出てこなかった)
等身大ヒーローよりは巨大ヒーローのほうが人気があったであろう時代に「ミクロのヒーロー」では(手のひらに乗れます)、そりゃ地味過ぎますよねって話である。

※6月6日(土)は都合によりお休みさせて頂きます。来週からは火曜日も開ける予定です。


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プロフィール

HN:
すうさい堂主人
性別:
男性
職業:
古本すうさい堂
自己紹介:
自称「吉祥寺の盲腸」、すうさい堂のだらだらした日常の綴り。
本を読むという行為は隠微なこと、悪いことを覚えるためのモノ。

180-0004
武蔵野市吉祥寺本町1-28-3 
ジャルダン吉祥寺103

0422-22-1813

【営業時間】
月・木・金・土・日・祝日/13時~20時
【定休日】
火曜・水耀

東京都公安委員会許可304420105129号

メールはこちらまで suicidou@ybb.ne.jp

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