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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

【すうさい堂最新情報/極私的ツイッタァ】 ■■ 火曜と水曜が定休です。※店主が大昔に描いた絵を売り始めました。

ぱんちーすとっきんぐのやうなそら



カンパニー松尾、末井昭、高橋源一郎といった面々が絶賛コメントを寄せた帯、刊行は太田出版、しかもタイトルは三上寛の曲からのインスパイアということで読んでみた「うめざわしゅん作品集成/パンティストッキングのような空の下』。
学校内で様々なカオスが同時進行し、それがピークに達すると校舎が倒壊する『学級崩壊』、透明人間の渡辺くんに恋する少女『渡辺くんのいる風景』、人工都市「シブーヤ」に住み続け、「ジョシコーセ」の幻影を求める老人『未来世紀シブーヤ』などは初期の大友克弘っぽいテイストでいい感じ。まず純粋に「いい短編漫画」であるということ。
ところが「はずれ者が物申す」のがメインの作品になってくると様子が違ってくる。もう大ッ嫌いなカリブマ・レイ原作の一連のアレに近くなってくるのが非常に残念。
マイノリティがマジョリティに対して翻す反旗はそりゃカッコいいかも知らんが、マジョリティの描き方が類型的過ぎる。カッコ悪いマジョリティに対してカッコいいマイノリティが叩きつけるメッセージなんて、カッコよくて当たり前。逆に『カイジ』は悪の側(支配者)の論理に一本筋が通っていたからこそ、説得力があった。
あとちょっと、つまんないセリフに尺を取りすぎ。少々長いが引用すると、

【自由だとか癒しだとか自分らしさだとか平等だとか
障害は個性だとか人権だとか
若者には無限の可能性があるだとか
芸能人でいうと誰に似てるだとか
先行きの見えない不況が原因だとか
平和で明るい差別のない社会だとか

そーゆーのに逆らったらつまはじきにされるんだな・・・

そーか・・・ 幸福な人生に必要なのは服従だ】
(パンティストッキングのような空)

ははっ、マジョリティを切り捨てたつもりが結局何も言ってない。(ちなみにこのセリフを吐くのは高校生)。
ところで訂正したい。幸福な人生に必要なのは「迎合」だと思う。前記のような文脈に右へ習えするのは「迎合」であり、そんなもん別に屈辱でもなんでもない。
「服従」に対して抗うみたいな?そんなに大したことじゃないよ。きれいごとに対してアンチを言いたいのはわかるけど、わざわざ一ページを費やしてやることでもないと思う。

かつて事件を起こしたロリコン青年「洋一」が人生にうんざりしているところに、幼馴染の女子「ルイ」と再会。
天真爛漫なのに物事の深いところをえぐるような言葉を「さらっと」吐くルイに洋一は心を開いていくという『唯一者たち』。
この作品は大嫌いですね。なぜならもう「ええかっこしい」の度が過ぎるから。

【とにかく!私の人生超すばらしいよ!
でも・・・
生まれてこないで済んだならそれが一番よかったな
誰だってそうじゃない?
みんな自分だけが自分なんだから】

と、ルナちゃんが洋一に向かって語るのだが、最後の「誰だって~」以降は意味わからんし、
まず!かわいく生まれたリア充女子がそんなこと思ってるわけない!!嘘っぱちです!!!!
すべての「別に生まれてきたくもなかった」と思ってる人間に謝れ!と言いたい。
作者の意図ももうひとつわからないってのもあるけど、これも見開き二ページ使ってやることかなあ。
あと、幼馴染女子を呼び捨てにできる主人公は結構ステージが高いと思う。それ以下の人々はいくらでもいる。

この作品集の中で一番好きなのは『朝まだき』。
ゴミ収集業の青年が主人公。一見はずれ者っぽいけど、ちゃんと職をもった一市民。
彼のなんともパッとしない日常が描かれるが、「とりあえずこれでやっていくしかねえ」と人生を放棄しない人間が吐く言葉は一番リアルに響く。
きわどい言葉もあるけどそのまま引用。


【俺が一番怖いのは金が無くなることだ
幸福は金で買えなくても不幸は金で避けられる】

【きっと人が一人でいられるんなら何の問題もないんだろう
悪いのは欲望だ チンコとマンコだ】

【①新しい朝が来た
②希望の朝だ

この場合本当なのは①だけで
②は根も葉もない真っ赤な嘘

朝は無限にやって来る
それだけが絶望的に本当だ】





同感。
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ブックレビューイベント



「人生相談」ほどお気楽なものはない。するほうもされるほうも実はどうでもいいと思っている。
テレビなんてのは完全にバラエティ扱いなので論外として、ラジオや雑誌におけるいろんな人がやってる人生相談コーナー。
そもそも「会った事もない人に」「取り上げてくれるかどうかすらわからない」悩みを投稿することが実に薄っぺらいというか「本当はどうでもいい」んじゃないの?と思うわけ。
それに対して真摯に答えるパーソナリティーには「ああ、仕事してますなあ」。以上。
ただ「絶対に前向きな答えしか言わない」というのはプロフェッショナルだなあとは思う。自分だったらストレス溜まりまくって降板する。
知らん人の愛だの恋だの友情だの夢だの将来だのと、実に「どうでもいい」ことなのであって、それらは番組や誌面を構成するトッピングにしか過ぎない。おでんにはちょっとだけ辛子をつけて食べたいのと同じこと。
昔のアイドルのフォト&エッセイにもよく人生相談コーナーがあった気がする。ページを稼げる上に「アイドルにだって脳みそがある」という証も出来るわけだから、たいへんお徳。どうでもいい相談を「アイドルらしく」難しい言葉を使わずに答える、ってのが基本である。
たまに見かけるのが夜のコンビニで電話しながら買い物してる奴。
「あっうんわかるわかる。あっでもオレの意見も言っていい?」とかなんとか、一応相談を受けているような口ぶりだが、そいつの買い物カゴには発泡酒とポテチとDVD付きエロ本が入っている。
そして「限定カップ麺はどれを買うべきか?」と目まぐるしく考えている。
本当の悩みとは「肉親や夫婦の問題」「金銭の問題」「健康上や身体の問題」にほぼ集約され、しかるべき施設に出向かうのが正しい。

『リリー・フランキーの人生相談』(集英社)は相談内容こそ凡庸だが、すごいのは聴き手であるリリーさんが相談相手に直接会いに行っちゃうところ。
で、相手がバカだった場合には「おまえバカだろ?」って言っちゃうところ。
「沖縄は今、おまえみたいな(スローライフな)連中であふれてて本当に困ってんだぞ」「犬を拾うより道に落ちてるおじさんを拾って帰りなさい」等々、名言も多数。帯にもあるようにこの本は「ノンフィクションの傑作」なのである。
というわけで書評おわり。本のレビューをなぜあまり書かないかというと、それが即、ネタバレに通じるわけで、徒労な気がするから。こっちがずらずらと引用してしまうのは勿体ないし、おこがましい。買った人がまっさらな状態で本を読むのが正しい。
5月3日(水)に高円寺フォースで珍しくブックレビューのイベント『俺達は字が読める!』をやるのですが、ゴールデンウィーク真っ最中であり、絶対に誰も来ない。くわつはつはつ。ほとんどの人は楽しい予定で一杯だから、バーテンのお兄さんしかいない可能性も高い。
http://fourthfloor.sub.jp/
とはいえ、明らかに店のスケジュールの穴埋め要員であるとはいえ、なんでもない我々にいつも場を提供してくれるフォースには敬意を表したい。仁義をおろそかにしていると、数少ない人間関係がますますお釈迦になっていく。こうした余興が出来るのもポンコツ店を続けているお陰である。
ポンコツ店、連休中はずっと開けている予定です。3日は19時までです。

シンパシー・フォー・ザ・高橋ヨシキ



これほど「映画を観たい!」と思わせてくれる本は久々だった。高橋ヨシキ著『悪魔が憐れむ歌』と『続・悪魔が憐れむ歌』の二冊(どちらも洋泉社)。
「暗黒映画入門」とあるようにホラー・バイオレンス・カルト・やらせドキュメントといった「残酷で奇妙でねじれた」」作品ばかりが紹介されているので、もちろん万人向けじゃない。
だが著者が繰り返し主張する「映画が残酷で野蛮で何が悪い」「行き過ぎたショック表現は笑いを生む」に共感する者(簡単に言えば映画秘宝ファン)には、刺さってくるものがある。
何かというと叩かれるジャンルだがそれに対して高橋ヨシキは「みんなは何一つ間違ってない!」と、喝破してくれた。
検察官のような批評家は多いが、彼のポジションは完全に弁護士。考えてみれば今までこういう人がいないという事のほうがフェアじゃなかった。
風当たりも強いとは思うが、「このジャンルはオレが死守する」という姿勢のストロングさ。「政治的になんとか」みたいなクソ社会のモラルを否定するために、彼は「悪魔主義者(サタニスト)」を自称しているのだと思う。
だいたい「人が簡単に死ぬ映画なんかダメだ」みたいな戯言は、生涯まともに一本の映画も観たことがないようなバカにだって言える。悪いねー、オレはやっぱり、いっぱい人が死ぬところがみたいんだわ。
だったら『タイタニック』は?1500人も死ぬじゃんか。リア充を山盛りに乗せた旅客船が「まるっ」と沈むのを観て「キターッ」と泣く(盛り上がる)のだろ?それは悪趣味じゃないのか?
しかも溺死。殺人鬼ならば「いいひと」に当たれば、サクッと一発で殺してくれる。
とか書いているがもちろんジョークであり、こうしたジョークがわからない人にはこの本で紹介されているような作品は理解できない。要するに心の余裕がちょっとだけ必要ってこと。
ちょいちょい「ぶっ殺せ!」「みんな死ね!」みたいな語彙を使うヨシキ氏ではあるが(この著作ではさすがに少ないけど)、行間の読めない人に言っておくとそれは「リップサービス」なのであり、「もっと映画を楽しめよ!」ってことなんである。おわかりか?

ホラーなんてのは特に、有名な俳優はいないし予算も組めない若者でもアイディアと情熱があれば、鮮烈な作品を作ることも可能なクリエイティブなジャンルなので、DIYの姿勢も含めパンク的である。
『悪魔のいけにえ』撮影時の灼熱地獄、『死霊のはらわた』撮影時の極寒地獄(「続」に詳しい)といったリアルな地獄を乗り越えたクルーたちの作品は、スクリーンに地獄の花を咲かせてくれた。
昨今も「ムカデ人間シリーズ」を世間にぶちまけたムービー・テロリスト、トム・シックスなんてのが登場しており、まだまだセックス・ピストルズみたいな爆弾を抱えた連中がウロウロしている。素敵じゃないか。
ちなみにホラーに良心なんかいらないので、ここにクラッシュはお呼びじゃないのだ。クラッシュは「不発弾」だから(そこが好き、なんだけれども)。

何か起こると影響力が云々と言われるのは『13日の金曜日』などの有名な作品だが(サカキバラの時もそうだった)、正直なところマッチョな怪人が若者を殺していくという展開がローティーンワークというか、なんだかフィジカルでさえあるよなあというイメージであまり興味がなかった。「エルム街」のフレディに至ってはおしゃべりでウザい親戚のおっさんって感じ。
が、この二冊を読んで考えが変わった。「自分が好きなのはああいうのじゃないんで」といった言い訳を封じるためにも、13金もエルムもちゃんと観ておこうと思う。
(いま手元に『フレディ対ジェイソン』がある。こりゃ、ドリームチケットですね)
サカキバラといえば元少年A名義の『絶歌』が売れまくったという事実のほうが、よっぽど狂ってるし忌まわしい。あの本を買った人間に「つくりもの」を糾弾する資格は一切ない。

だがしかし、世間様はこのようなジャンル・ムービー鑑賞より楽しいことがあるらしく、それはカラオケ/合コン/ドライブ/温泉旅行/テーマパーク/デイト/おしゃれカフェ/家族間の信頼など、枚挙にいとまがない。
でも大丈夫。我々にはタランティーノやイーライ・ロスや三池崇史がついていていい人も悪い人も分け隔てなく血祭りに上げてくれる。
少なくともオレは自分の人生がクソだから、映画を観たり音楽を聴いたり本を読んだりしている。
彼らの表現の「邪悪さ」を糧にして、どうにか自分もタフになろうとしている気持ちが多分にあるのだと思う。
あたらしく「悪いもの」を知ると、嬉しい気持ちになる。「人生が楽しい奴らはこんなの知らないだろ?ざまあみろ」っていう気分。鼻持ちならないと思ったら放っておいてほしい。こっちにはこっちの楽しみかたがあるのだ。

ミシェル・ファイファーのキャットウーマン&『愛の嵐』のシャーロット・ランプリングをプリントしたカバーは「乗るかそるか」を一瞬で要求する。すんばらしい装丁だ。内容も然り(正直、自分の頭には難しくてよくわからない章もあるのはあるが)。
最低すぎて市場にほとんど出回らない伝説級のクズ映画(パッケージすら見た事がない)『悪魔のしたたり』をこれほど愛情と尊敬をもって書かれた文章は空前絶後だろうと思う。なにせ『ロッキー・ホラー・ショー』と同列に語っているのだから。
モンドの巨匠・ヤコペッテイに対する揺るぎないリスペクト、『エクソシスト』に関する詳細なルポ、マニアだからこそ一発で通じる監督たちへのインタビュー。引用される作品の多彩さでもわかるが、グロだけじゃなくあらゆるジャンルを知り尽くしている。本気で映画が好きな人だ。
特に『バットマン・リターンズ』に関する考察力にはため息すら出た。
まえがきもあとがきも最高としか言い様がなくて、特に「続」のまえがきは涙腺がゆるみそうになる名文であり、堪えながら引用。

光が照らし出してくれるものは愉快なものとは限らない。
ゆらめく光は美しいものや気高いものを映し出す一方で、醜悪でおぞましいものの姿も浮かび上がらせる。


(略)そういう便利な「光」のさすことのない、薄暗い世界にとどまり続けるぼくのような種類の人間は「哀れ」で「気の毒」な人たち、と「明るい」人たちの目には映る。
本書はそういう明るい世界に向けて拡声器で怒鳴りつける「ファック・ユー!」である。




しかし、ゴールデンウィーク中になに書いてんだろ。

(平山夢明の)DINERへようこそ



悲惨な話が好きで。というより、悲惨な状況をヤケクソ気味にひっくり返していく話が好きなんで、その結果主人公が生きようが死のうが、それはどうでもいい。
平山夢明の『DAINER』がまさにそんな感じのど真ん中。町田康の『告白』、筒井康隆の『銀齢の果て』、中島らもの『酒気帯び車椅子』あたりの読後感に似た高揚感を覚えた。脳内麻薬出まくり。
アルバイトのつもりで報酬目当てに犯罪カップルの片棒を担ぎ、見事にドジって「組織」に捕らえられた主人公・オオバカナコ(大莫迦な子)が送られた先は、殺し屋専門の定食屋「キャンティーン」。
店を切り盛りするのは「ボンベロ」と呼ばれる元・殺し屋。今までウェイトレスとして送られた女は八人。いずれも「使い捨て」。
店にやってくる客たちも、スフレ好きな火薬魔「スキン」、自分を子供の姿に改造した「キッド」、犬歯の入れ歯で相手を噛み殺す「ボイル」、元堕胎医の「ソーハ」、ボンベロに恋する暗殺者「炎眉」、歯に蛇の毒を仕込んだ「ミコト」などなど多彩。ボンベロの相棒は改造闘犬型人間「菊千代」。
ボンベロも当初は「消費」目的でカナコに無茶苦茶な労働を強いるが、カナコが即興で「ダイヤモンドで濾過した最高級のウオッカ(ボスたちが祝いの席で嗜むためのもの)」を隠してしまったり、命がけギリギリのやりとりを続けていくうちに、「こんな女は見たことがない」と次第に彼女に情が移っていく。
この作者の売りといえば人体破壊。殺し屋たちからさりげなく語られる拷問や殺戮の場面は、実にバラエティ豊かにエグい。ただ、微に入り細にわたる残酷描写が痛みを伴って読者を刺激し、現実離れした物語に現実感をもたらせていると思う。
グロテスクなだけじゃない。ここはダイナーであって、出される料理はハンバーガーなどが中心なのだけど、その描写が文字だけなのに絶妙に旨そうなんである。吐き気と同時に食欲も増す。
カナコさん、「んまい」なんて食ってるし、殺し屋どももボンベロの作るメニューには舌を打つ。
猟奇と暴力+グルメ。豊富な銃火器等の知識。殺し屋同士の友情。通してみるとカナコとボンベロのラブストーリーでもある。
しかしこの本が児童書主体の「ポプラ社」から刊行されているというのは、まさに奇跡だな。

著者あとがきの言葉のようにこれは、「殺しにかかってくる」作品。<グゥの音も出ないほど徹底的に小説世界に引き摺りこみ、窒息させるほど楽しませようとしている物語>。
短編集『他人事』や『ミサイルマン』などの陰湿さも好きなのだが(とはいえ人格なのか、平山作品はどこかポップで軽やか。グロポップ!)、『ダイナー』は大藪春彦賞などを受賞した、正面からのエンターテイメント。
実際「殺しにかかってくる」作品群は、いとも簡単にひとが死ぬ。
現実の死や殺人は悲しいことだけれど、表現においては大いに堪能してよろしかろうと思う。
それが、北朝鮮などのがんじがらめ社会や、内紛だらけで「表現なんぞさておき」な中東にはない「文化」である。
ギャングのボスが彼に憧れる少年を「道を外させないため」わざと捕まるところを見せる『汚れた顔の天使』なんて映画もあったけど、我々の感性はもはやそんなにウブちゃんじゃないのだ。
むしろ「うっそでー!」と思う。
こんなテーストのものばかり取り上げているすうさい堂さんなのですが、「この作品で命の重さを知りました」などと書いたところで、それ面白いか?とか、つい思っちゃうわけで。
そんな当たり前のことなら誰でも言えるし、しょぼいブログながらも読んでくれる人を楽しませようとするならば「善い人々がドカドカ殺されちゃって最高です!」くらいのことは書いてしまっていいんじゃないの。と。思う。
『ダイナー』は非常に視覚的にも刺激される小説なので、無国籍なイメージもあり、「洋画」で観てみたい気もする。ボンベロは「マイケル・マドセン」で。





やんちゃマドセンくんの耳切りシーン。

伊藤潤二はびっくり箱である



ところで、手塚先生が作品中もっとも多用するフレーズって何か知ってます?
自分のリサーチによると「ウヒャーッこりゃひでェ」である。
事故でグシャグシャの遺体が出て来ても「ウヒャーッこりゃひでェ」、もんのずごいブサイクなおばさんが出て来ても「ウヒャーッこりゃひでェ」。たしかに読み手もそう言われると、何となくテンションが上がる。
この「ウヒャーッこりゃひでェ」に特化したジャンルがホラーで、伊藤潤二『うずまき』を久々に読んだ。
どのページをめくっても「ウヒャーッこりゃひでェ」の乱れ撃ち。ははは。
しかしこの人の作品は、グロテスクであってもポップである。つまりアイディアが「びっくり箱」。
中盤でとんでもないモノがいきなり登場し、そのままドドドドっとラストへ。実際、オチは弱いかなーという気はする。

うずまきによる怪奇現象に呪われた町、黒渦町。伊藤潤二作品といえば「美少女」であって、主人公の五島桐絵さんも然り。彼氏の秀一君は「親父がおかしい、渦巻きに異常に執着している」と最初からノイローゼ顔。
この親父さんは特注の丸桶に入り、自らの体を渦巻状にして死ぬのだが、この絵の見開きがぶっとんでる。初見はもう「あっ!」って感じで、ほとんどギャグの域にも達している。この作者、ジャンル的にはホラーだけど怖いと思ったことがないのはつまり「あっ!」=「ぶっ(笑)」に転じてしまう紙一重なセンス。
身体中を「渦巻きの空洞」に食われて消滅してしまう少女。渦巻状に自己主張を始める髪の毛。身体中をねじれさせて合体し、海に消えるカップル。なぜか人間がカタツムリに変身する現象(ヒトマイマイ)。エトセトラ、エトセトラ。
これらがすべて「呪い」で片付けられ、オチは投げっぱなし。
いくらバラバラにされてもパーツで蘇生していく「すくすくせいちょうホラー」の『富江』もそうだが、この人の作品は潔いくらい、意味もメッセージもゼロ。
どれだけ読者をびっくりさせられるか、ということに特化しているように思う。
繰り返すが、伊藤潤二は美少女が抜群にうまい。
ホラーが支持される要因として「女の子がかわいい」といのが昔からの定石で、自分も当然『恐怖新聞』より『エコエコアザラク』が好きだった。

先人である楳図かずおや日野日出志には、容赦ない描写と共に深遠なメッセージがある。
『漂流教室』では巨大な怪虫が暴れるが、実は小さな虫の大群となった怪虫が「ザザザ」と子供たちに襲いかかり、骨にしてしまう描写のほうが凄惨。
「あけてっ!!」「あけてくれーっ!!」と叫ぶ彼らを閉じ込めてドアを塞ぎ、犠牲にしてしまう主人公たち。
「だって、しかたがなかった!!」。ほんと、よくこんなの描いたもんだと思う。
日野作品で忘れられないのが『水色の部屋』で、子供を中絶してしまったカップルと稚魚を産むグッピーが対照的に語られる。
おびただしい数の胎児が「なんで殺したんだ~」「寒いよう~」と女性に群がる描写がショッキング過ぎて(彼女の幻覚なのだが)、さすがに読後すぐに捨てた。あれほどおぞましい漫画は読んだことがない。
「やるなら徹底的にやる」という作家魂に、ポップさは微塵もない。

なぜしつこく「伊藤潤二は意味がない」と書いているかというと、本書の解説がひどすぎるから。
元外交官の作家が「本書は21世紀の資本論だ」「伊藤潤二はマルクスなみの天才だ」とぶちあげているのである。
天才ということに異論はないけれど、いちいち弁証法だの格差社会がどうのと、ひどいこじつけをしている。
っていうかなに言ってんだか全然わかんねぇ。
作家なのに文章の意味がまるでわからない。意味が伝わらないのはアホの文章なのであって、本を買ってこの解説を読んだ人は全員げんなりしたんじゃないか。そうだったのか!なんて思う人はまずいねぇよ。
お門違いもいいところで、マルクス語りたいなら他でやればよろしい。完全な人選ミス。
帯にも「今日の格差・貧困社会の到来を予見したホラー」のコピーが舞っていて、あっはっは、である。
これをどう読んだらそんな解釈になるのか全然わかんねぇ。
せっかく「無意味でポップな、単なるホラー漫画の力作」を描いた著者も、これじゃあ浮かばれない。
表現からは高尚な意味を見出さなければいけない、という精神が貧困そのものなんである。

ぶっちゃけ、この作家が原作で、伊藤潤二作画による作品(軍事ものらしい)が当時連載されてたという事情による「事故」なのだが、そんなの読んでるファンがいたとも思えない。
ウヒャーッこりゃひでェ。

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プロフィール

HN:
すうさい堂主人
性別:
男性
職業:
古本すうさい堂
自己紹介:
自称「吉祥寺の盲腸」、すうさい堂のだらだらした日常の綴り。
本を読むという行為は隠微なこと、悪いことを覚えるためのモノ。

180-0004
武蔵野市吉祥寺本町1-28-3 
ジャルダン吉祥寺103

0422-22-1813

【営業時間】
月・木・金・土・日・祝日/13時~20時
【定休日】
火曜・水耀

東京都公安委員会許可304420105129号

メールはこちらまで suicidou@ybb.ne.jp

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