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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

【すうさい堂最新情報/極私的ツイッタァ】 ■■ 2017年10月13日(金)13時より移転オープンしました。■吉祥寺本町1-29-5 サンスクエア吉祥寺201 ■0422-27-2549 ■土/日/祝日のみ営業

見世物上等



超話題作『カメラを止めるな!』、行ってまいりました。吉祥寺オデヲンで昼間の部はチケット完売。平日のレイトショーでセーフ。でも満員。感想。面白いです。以上。
SNSでも自分が知る限りは、ネタバレを拡散している者は一人もいない。これだけ底意地の悪い連中がうようよしている世界をビシッと黙らせる作品の力はすごいと思う。
正直言ってゾンビパートはかなりお粗末。インディーズとはいえこれで終わりだと金返せのレベルだけれど、そのあとが重要。予告編でも触れられているから書いてしまうが、実はゾンビ映画ではないのだ。
「これは家族愛の映画だ!」とぶち上げた記事もあったが、正直そういう見方は白ける。なんでそんなにちゃんとしようとすんの。「最高のコメディ」でいいんじゃないか。
ここがこうなってリンクするのか、という映画でしかできない表現がお見事。実際なんでもないシーンで笑っている観客がいる。リピーターなのだ。
特に「お前の人生は全部嘘っぱちなんだよ!!」からの展開が心捉まれる。映画を観た人ならわかると思います。よろしくでーす。
が、最近、原作者と名乗る人が現れて一悶着あると聞く。「原案じゃなく原作とクレジットしてほしい」と。
とある劇団の舞台がオリジナルなんだそうな。
事情はわからないが、映画を観た限りでは「映画でしかできない表現のオンパレード(ここを書くとネタバレになる)」なので、俯瞰で、つまり「ワンカット」で見せる舞台とは全然別物になってるんじゃないか。な。という。気がするんだけれども。

ともあれ「ゾンビ」をテーマにこれだけ多くの人に愛される作品を作ったってことがすごい。あ、韓国の『新感染』も愛され系のゾンビ映画でした。
そうなると本来の陰惨なゾンビ映画もやっぱりいいよな、と思い始めるのが人情。「今までとは違うゾンビ映画」という発想も、世界中が延々と、しょうもないゾンビを作り続けてきた累積の結果なのだ。
自分の一番のトラウマは昔、深夜テレビで観た『サンゲリア』で、これが多分、最初に腐乱ゾンビを登場させた作品だと思う。公開当時は「ショック死した人のためにハワイにお墓を用意しました」と宣伝されたとか(もちろん嘘っぱち)。
イタリアの残酷王ルチオ・フルチの作品は他にも『地獄の門』『ビヨンド』『墓地裏の家』『ザ・リッパー』など、具体的に書くと汚らしいのでやめておきますが、「何すかそれ?」で終わってしまうホラーも多い中(特に「自撮り系」)、「とにかくなんだかすごいことがおこっている」という点で、ホラー映画としては百点なんである。
デタラメだし意味もメッセージもないんだが、たまに観ると頭の中をドブさらいしたような気分になる。
「映画は芸術か見世物か?」という極端な問いには絶大なる自信を持って「見世物だ!」と答える立場を取りたい。極論ではあるが、すべての表現がそうであってもいいと思う。見世物で悪ければ「カブキモノ」だ。
お前の内面的メッセージなんて知ったことか。体を張って何か面白いことをやってくれ。

シネフィルの方々は「昔のホラーには優雅さがあった」とおっしゃるのだろうけど、今や残念ながらベラ・ルゴシから恐怖の本質は感じられない。ただもう、圧倒的にエロティックでカッコいいのだが。
恐ろしいのはやはり極悪非道な殺人鬼であり、隣に住むサイコパスであり、群れをなして襲うクリーチャーであり、原因不明の伝染病だったりする(ゾンビってジャンルとしてはこれなのかな?)。
そして我々はそれを観てサッパリする。なぜか。見世物が好きだから。
仮にゴア・エフェクトが存在しなかったら、あるいは禁止されたままであれば、いまだに映画は「ウッ、バタッ」で人が死ぬ。これを「犬死に」という。
立派な賞をとった名作や大ヒット作にも少なからず残酷描写がある。それを一応多くの人が受け入れているのは、知らず知らずのうちに「そういう表現」あるということに慣らされているから。
つまり不気味で下劣で道徳的に問題があり、人道的配慮に欠け、女性蔑視的であり、人間不信を煽り、青少年に不健全な影響を与え、いたずらに刺激的なだけの、掃き溜めを集めたポリバケツの上に「ちゃんとした」作品郡が輝いている。もちろん地均しされているので、ポリバケツは普通に人には見えないが(それを掘っているのがぼくらです)。

『スリー・ビルボード』も『デトロイト』も『シェイプ・オブ・ウォーター』も観た上で「でもやっぱり、ブラッドサッキング・フリークスやヒルズ・ハブ・アイズは最高だ!」と言いたい。
つまりええと、『カメラを止めるな!』はホラーではなくコメディだということです。
それと拙作の短編ゾンビ映画の上映会が9月5日にあります。以下のアカウントで告知されるはずです。さりげない宣伝がカッコいいなあ。
https://twitter.com/uktheater


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アジアン・ゲットーのウェストサイド・ストーリー



池袋新文芸座にて『(秘)色情めす市場』(74)鑑賞。
いろいろな人が触れているとおり日活ロマンポルノの大傑作。個人的には「究極の夏映画」であります。
「夏はイベントや出会いの季節!ちょう最高!!ファンファンふぁんFUN!!!!!」と浮かれた人々を尻目に地下に潜んでいる者からすれば、この作品の「とにっかく、だるくて、かったるい・・・・・くそったれが!」というムードに心を持っていかれる。もし季節が冬だったりすると、内容はウエットになるだろう。くそ暑い夏を描きながらも、そのテイストは徹底的に醒めていてドライだ。

ヒロインの芹明香が最高。決して美人ではない。X-JAPANのTOSHIに似ている気もする。
サイドストーリーに登場する宮下順子のほうが今みてもかわいいしエロい。が、この映画の主役は彼女には向かない。
モノクロで撮影された70年代の西成を、安っぽいワンピースの芹明香(役名・トメ)がふらふらと歩くだけで心が奪われる。最底辺の売春婦がとんでもなくカッコよく見える。
トメは母親(花柳幻舟)と弟と暮らしている。が、ママはいい年した同業者。弟は知的障害者。なかなかえぐい環境だが、タフな彼女にとってはそれが日常。
自分の常連をとったとられたと親子喧嘩を始めたりする。この辺が関西弁の妙なのか、ふたりのディスり合いがすこぶる可笑しい。最低最悪の状況を描いてはいるのだが、実はコメディでもあるのだ。しかも素晴らしいことに「人情」なんてものが一切入らない。
西成を統括するピンプ親父もゲスくて最高だし、彼に翻弄されるカップルも、・・あっこの作品のダッチワイフの使われ方は世界最高です。あぶないあぶない。
ただし、潔癖症の人は正視に耐えないかもしれない。当時の売春宿にシャワーなんかないし、なによりも「使用済みコンドームを手洗いして干して再利用させる」という仕事をしているおっさん・・・・これ以上最低な仕事は私、みたことがないです。

とにかくゲスい場面、ゲスい会話、ゲスい人間関係が延々と続くのだけど、まったく目が離せない。
(ただ、「指名手配と間違われている男とトメのストイックなエピソード」があって、それがこの作品の中の唯一の良心)
やはり、「ウチはここがええんや」という、トメの達観した視線によるところが大きいのだろう。「生ゴミの上より紙クズの上に座ってるほうがマシやろ?」といったような(そんなセリフ、ないけども)。
「パンパンであること」が、まったくコンプレックスじゃない。それは、自分は、そういうものだから。
江戸時代の太夫よろしく、客の男にもまったく媚びず。

ドブに顔をつっこまれ続けるような内容だが、自分は大好きなのであって、キラキラしたSFやアメコミヒーローものが基本的に苦手なのも、そんな嗜好によるのかも。
ドブ水から顔を離した瞬間に「あはははは」と笑ってしまうこともあるわけで、この作品を観た後は本当に爽やかな気分になる。現在、風俗産業に従事している皆様も鑑賞されたらよろしかろうと思う。
「NINPHOMANIA BITCH MARKET」なる英題を思いついてしまった。



伸るか反るか、究極の悪魔



「究極の悪役」ってことを考えてみる。カッコよさ、とか、悪の美学、とかではなく、「嫌さ」を基準にしてみる。
一番はやはり『ソドムの市』の四人のファシストたちだろうか。美少年美少女を奴隷にしてハレンチ騒ぎ(スカトロ込み)。自分たちの快楽以外はどうでもいい。特に内田裕也似の「大統領」がキモい。しかも誰も成敗されず、祭りは続くのでした、で終わり。うわーっ最悪。
『悪魔のいけにえ』のソーヤー家も嫌だ。言葉も喋れない電ノコ野郎のレザーフェイスが、実は一番「話が通じる」ってところがキモ。怒られればシュンとするし、楽しい宴の席ではチークを入れたり(おっしゃれー)、ちょこっとだけなら人助けもするので、「人間味」もあったりする。
ところが家長である父親は一見好々爺で会話もできるが、いかんせん「まったく話が通じない」。
なおかつ子供のように無邪気に残酷さをぶつけてくる。すっぴんの狂気。
『ムカデ人間2』のマーティン君はどうだろう。文字通り「人と人を繋いで」みたくてしょうがない知的障害者。しかもそれをホームセンターで揃えたような道具で、おぞましくも実行に移すのであった。
そして彼がブリーフ一丁になった時の姿はえ?CGか?と思わせる、「日野日出志のマンガから抜け出したような」ある意味で芸術作品。
「ああ自分はまだ普通だ、アートじゃなくてよかった」と心から思えてくる。

デビルズ・リジェクツとは「究極の悪魔」という意味で、そんな輩を主人公にしたのが『マーダー・ライド・ショー2~デビルズ・リジェクト』(2005)。ミュージシャンでもあるロブ・ゾンビ監督作『マーダー・ライド・ショー』の続編。
「マーダー~」はロブ先生の頭の中の花やしきという感じの、サイケでカラフルなホラー作品。表向きは殺人鬼博物館を経営しているが、裏で日々楽しく人をぶっ殺していたのが「ファイアフライ一家」で、犯行が明るみに出てしまった彼らは警察に追われる身となる。その逃亡を追うロードムービー。ジャンル的にはホラーからかなり逸脱する。
彼らに兄を殺された保安官が「神の意思」を持って一家襲撃を指揮するが、母親以外は逃げ切る。流れるサザン・ロック。この幕開けがもうカッコいい。
そして親切なおばさんが長男・オ-ティスと妹・ベイビーによってメッタ刺し。車を手に入れるためである。
このオープニングですでに振るいがけが始まっている。「これから登場するのは究極の悪魔だ。あんたはついて来られるのか?」というわけだ。
まず兄と妹はカントリーバンドマンの一家に侵入して全員を殺害する。ノーパンでズタボロのジーンズをたくし上げるベイビーのエロさに大概の男は家に入れてしまうのであった(ちなみにベイビー=シェリ・ムーン・ゾンビはロブ・ゾンビの嫁さん。同じ姓を名乗るとは、意外と古風な夫婦)。
これがまるで弱肉強食の世界で、二人の残虐行為が自然界における「捕食」を見ているようなのだ。弱いものは餌になる、などと考えているうちにあれ?おかしいな?と思ってくる。
後に兄妹は父親のキャプテン・スポールディングと合流する。車で逃亡中に父と娘は「アイスが食べたいから止めろ」と言い出し、息子は「だめだ」と口論になる。結局アイス買ってるんだけど。
このシーンが妙にかわいらしいのだが、罪のない一家を皆殺しにした直後の話なのである。
おかしなことに、この超残酷な連中が魅力的に見え始め、実は感情移入が「とっくに」始まっている。

父親の弟が営む売春宿に一家は身を隠すが、ならず者たちを雇って保安官は彼らを捕らえ、一人一人を拷問にかける。
こうなると「神の意思を持つ、法の番人」である保安官が世にも残酷な悪魔に見えてくる。
完全にロブの手のひらで転がされているのだけど、感情移入しているのはファイアフライ一家なんだよなー、という自分を発見するのだ。
いや、そんなことはない!という人もいるだろうが、その人は確実にこの映画は大嫌いですね。
主人公たちを究極の極悪人として描いているのだが、にもかかわらず、彼らはキュートでファニーで魅力的!こんな作品は他にないと思う。
『俺たちに明日はない』も『ゴッドファーザー』も実は主人公の「本当の悪の部分」を描いていないから、名作・古典として受け入れられている。実際のボニー&クライドは十三人も殺しているし、ドン・コルリオーネは自分の手は汚さないが、彼の一言で殺人が行われ、朝起きるとベッドに馬の生首が転がっている。
『デビルズ・リジェクト』はこの矛盾をチャッチャとクリアしてしまった、実はとんでもない作品なんである。
もちろん伸るか反るか、ではあるのだけど、反った人とはどうやっても平行線。なので、さようなら。
一度乗せられてしまうともう止まらない。血みどろのラストには大感動。初見はボロ泣き致しましたが、そういうボンクラは世界中にたくさんいるはずだ!
実質上の主人公であるスポールディングはハゲデブ親父だし、オーティスはむさくるしい長髪のヒゲ面。※うん、ベイビーはすごくかわいいな。
スタイリッシュさでいえば『ダークナイト』のジョーカーや『ニューヨーク1997』のスネークなんかの方がずっと上なんだけど、「気持ちの持っていかれ方」で言えばファイアフライ・ファミリーの圧勝。
確実に構造的にはおかしいし、どうかしている。それはわかっている、のだが。・・・・・最高。
要点しか書かなかったので、乗れる方々は是非。




史上最低って最高



「史上最低」。甘美な響きである。が、何を指して史上最低と呼ぶのか。あまりにもチープな稚拙さか。あえてモラルに揺さぶりをかける過激な表現か。あるいは目を覆うような「志の低さ」か(これに関しては見えづらいがものすごく多いような気がする)。
エド・ウッドとは自分の映画監督としての資質(の無さ)をまるで気にすることなく進み続けて、ひたすら「映画を撮る」という行為を続けたひと。ティム・バートンは溢れんばかりのリスペクトで彼の伝記映画『エド・ウッド』(94)を撮った。
エド・ウッドにとって最重要なのは「自分が映画監督であること」。メガホンで現場に立っていればハイになれるようで、つまり「何かを撮っている」ということが一番重要なものだから、「そこに何が映っているのか」ってことは基本的にどうでもいい。おおよそいい感じ、であれば。だから役者がセットにぶつかろうが発泡スチロールの墓石が倒れようがさほど問題ではない。いわく「パーフェクト!」。

彼を演じるのはジョニー・デップ。実際のエドさんもなかなかの色男なので、「ややとち狂ったイケメン」ぶりが板につく。ちなみにエドさんは女装が好きな服装倒錯者でもあったので、その筋でも先駆者なのだった。
それにしてもこの作品のエド・ウッドはチャーミングである。エドはダメ映画監督だったかも知れないが、人間的には全然ダメじゃない。
彼はそのチャームさで人脈を集め資本を募り、とにもかくにも作品を作り続けた。
その中の大物にベラ・ルゴシがいる。『魔人ドラキュラ』その人だ。ゴスを掘り下げれば元祖中の元祖が彼のドラキュラ伯爵だと思うのだけれど、エドと知り合った頃には仕事もなく落ちぶれたハンガリーの老人。しかもアルコールとモルヒネ中毒。
エドはベラの大ファンだったので「ぜひ自分の作品に出てくれ」と依頼する。仕事のない俳優は出演することになるのだが、現場にある動かない大ダコのセットに自ら飛び込み、「自分の手で」タコの触手を動かして「ぎゃあああああ」とかやっていたんだけど、実際のところ心中はどうだったのだろう。
そしてベラの演技は一昔前の芝居がかかったものだったので、スッカスカのエド作品に少しは厚みを加えた(のか?)。とにかく「あのベラ・ルゴシが出演!」ということは、なんもないエド作品にとって超目玉なのだ。
ちょっと面白いのはベラがやっかみなのかボリス・カーロフのことを「フランケンシュタインなんてのは、うおー!とか唸っていれば誰だって出来るんだ」などとやたらバカにしていて、エドも「そうそう!ドラキュラは優雅でなきゃ!」と調子を合わせてる。ダメ映画監督と落ちぶれ俳優の微笑ましい友情。
(カーロフはあのメイクながらとてつもなく哀しい目つきをしていて、自分は大好きなのだけれど、まあいいいか)
ベラ・ルゴシは治療費が払えないためリハビリ施設を追い出されたのち死んでしまう。貧乏ダメ監督であるエドは「もう大丈夫だから退院だよ」と言ってあげることしかできない。

もう一人はヴァンパイラ。テレビの人気女性ホラー・ホストだが仕事を干されていたので、「まいっか」という感じで作品に出演することを了承。ヴァンパイラの映像は現存せず、彼女の動く姿が観られるのはエド・ウッドの代表作『プラン9・フロム・アウタースペース』だけらしい。
これねえ、ほんっとにつまんなくて、内容は、宇宙人が地球人の死体を蘇らせてみたら超楽しくね?的な、・・・・すいませんまともにみてないのでよくわかりません。
ただUFOは灰皿で、宇宙人の服はドンキホーテ以下ということはわかった。ちなみに、近所の教会をうまいこと言いくるめて出資させた。
ともかく、セリフはないものの女ゾンビとしてヴァンパイラが出演している。エド・ウッド最大の功績は「動くヴァンパイラを映像に残したこと」かも知れない。

まとめれば「でも、やるんだよ!」の人。少なくとも自分の作品づくりを楽しんでいたし、その点で「志が低い」なんてことはまったくない。原案・素材の作成・編集の才能が皆無だっただけで。
「我々はみなエド・ウッドなのだ」などとは絶対言ってはいけない。ものを作っている人はそう言いたいだろうけど、絶対、一緒じゃないから。
エド・ウッドの本当の凄さは「自分の才能がまったくないということを一切認めない才能」であり、この根本に揺るぎがないから「史上最低の映画監督」というある意味最強のアイコンに成り得た。エド・ウッドはどこまでいってもエド・ウッドひとり。彼は「そこそこやっていけてる人」とは明らかに違う、異端者=フリークスなんである。
劇中でオーソン・ウェルズがエドに「他人の夢を撮ってどうする。自分の夢を撮れ」と言うシーンがあるのだが、「ちょっときれいすぎじゃね?」とは思ったものの、実はエド・ウッドに対してはその通りなのだった。

この作品はとても優しいし感動的だ。もちろんオタクではみ出し者のティム・バートンが優しい視線で作っているからなのだが、クズ文化が好きなオタクもそうじゃない人もじわっと来ると思う。つうか、これを貶すのは人間じゃないです。
が、後追いで一連のエド・ウッド監督作品は、観なくていいと思います。感動の涙も一瞬で乾くというものです。むしろ観るならば1931年の『魔人ドラキュラ』。
そういえばこの前のアカデミー賞をモンスター映画が総なめで受賞したとき、中継の町山智浩氏が思わず涙をこぼしていた。あれは「俺たちが大好きなやつをやっと世間が認めてくれた!!」という、本物のオタクの涙であった。


トッド・ソロンズの地雷犬物語

 

『トッド・ソロンズの子犬物語』(2017)。これは「トッド・ソロンズの~」が重要なのであり、つまり「混ぜるな危険」とか「お子様の手には触れない場所で保管してください」のような但し書きと同じ意味である。
なので子犬じゃなくて「トッド・ソロンズのコビトカバ物語」でも、「トッド・ソロンズのアメフラシ物語」でも、「トッド・ソロンズのポルカドットスティングレイ物語」でも成立する。
ウィンナードッグ(ダックスフント)がバトンされるエピソード4話で構成されたブラックコメディ。
登場する犬がかわいいからと本気の犬好きの人が観れば、怒りで逆上すること必至の怪作。はい、ぼくはちゃんとここまで伝えたよ。

第一話。癌で治療中の子供に父親が犬を買い与える。のはいいんだけど、「躾け」に対して子供が「しつけるってどういうこと?」と聞かれると父親は「犬の個性を打ち砕くことだ」「個性とは、お前をお前らしくしているもののことだ」と答える。
例によってあんまりな応酬だが、「躾け」は人間にも使う言葉ですよねえ。うーむ。
子供は親の留守中にウィンナードッグにシリアルを与えて、下痢便をぶちまけさせて大目玉を食らうのだが、すべての動物映画が避けて通ってきたマジな汚さです。
その後、犬を避妊手術に連れて行くことになるが、母親は「ママの飼ってた犬は野良犬にレイプされて病気を移されて死んだのよ」とまたまたあまりにも、デリカシーがない言葉をぶつける。
もちろん両親は立派な社会人であり、立派に子育てをしている、つもり、なんである。
エピソードが終わる頃には幼い彼は、「どうせみんな死ぬんだ」と達観しちゃう。
病院に運ばれた犬は、女性の看護士によってそっと連れ出され、そこから第二話へ。

この第二話がちょっととっつきにくいのだけど、先の女性が名が「ドーン」で、『ウェルカム・ドールハウス』の後日談になるという仕掛け。
ドーンは偶然、同級生でいじめっ子だったブランドンと再会してなんとなくいい感じになり、彼の家へ。
妹と弟がいたが、二人ともダウン症。
音信不通だったブランドン家の父親が死んだことを妹と弟に伝えると、彼は車で当てのない旅に出ようとする。ドーンも同行することに決め「ドゥーディー(犬の名前。意味は「うんち」)はあなたたちに預ける」と、実質上、犬を捨てる。
「好きな男と好きなように生きるので、犬はもうどうでもいいです」ということ。ひっどい。

そして人をなめきったインターミッションの映像(※休憩時間。90分しかないのに!)の後、ダニー・デビード主演の三話へ。彼独特の体躯と、ヨレヨレ感が合わさってなんともいい風情。
ダニーは売れなくなって映画のシナリオ学校で講師をしている脚本家。生徒はバカばっかり。
しかも生徒はダニー式の「だったら、どうする?」という発想法を古臭いといってバカにしている。
あるバカ生徒はいろいろまくしたてるけれど「君の好きな一本は?」と聞かれると「えええ。多すぎて答えられませんよお」と答える。しかも「あっそれは引っ掛け問題ですね?」。バカは余計なことを考えるものだなあ。
といったバカを相手にしているうちにストレスが溜まりまくり、ある出来事をきっかけに、彼は学校にある過激なリベンジを仕掛ける。
もちろんソロンズ作品なので派手なことは起きないのだが、彼の理論「だったら、どうする?」がブラックなオチへとつながっていく。

最終話。金持ちのおばあちゃんに金の無心に来た孫娘。しかも彼氏を連れて。
その彼氏ってのが絶妙にアホアホなスタイリングで決めたボンクラ黒人で、自称アーチストであり、名前はファンタジーと云う。
そして我々はダメ孫が盲目の祖母に無心する様子を「ほぼリアルタイムで見せつけられる」という意地悪にあう。せっかく、映画をみているというのに、だ。
アートかぶれの孫は女優にも首をつっこんでいるらしく、「今度役がついたの。ジャンキーの売春婦で。出番はちょっとだけど深い役なのよ」。そんなわけ、ねーーーーだろーーーっての。
しかも孫は「おみやげ」としてダチョウの卵をひとつ持ってくる。一体何がやりたいのか?アートか?
彼らが帰ったあと、老婆は夢を見る。それは少女たち(かつての自分。人生の分かれ道で捨てていったわたし)がお別れの挨拶をしに現れるというものだ。
ひとりひとりが「人生をがんばったあなた」「他人を愛したあなた」「自分を愛したあなた」「母親や娘を許したあなた」etcで、最後が「チップをはずんだあなた」。
彼女たちが全員手をふり、「さよーならー」。
老婆は「行かないで!」と、はっと目覚める。「チップをはずんだ自分」にまでバイバイされるとは、この人にはいったい何が残っているのか?という残酷なオチ。
そして老婆が飼っている犬(名前はキャンサー。「癌」という意味)が・・・・という愛犬家憤慨のマジでひどいラストがあり、休憩時間(ははは)にも流れた妙に哀愁のある曲でエンド・クレジット。
すべてのエピソードがピーカンで展開し、よく考えたらトッド・ソロンズ作品はひどいことがおきるからといって、曇天や雨になったりとかのわかりやすい記号は皆無であり、彼の色合いはまさに「アメリカの青い空」のように、明るく突き抜けてポップなのだ。


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すうさい堂主人
性別:
男性
職業:
古本すうさい堂
自己紹介:
自称「吉祥寺の盲腸」、すうさい堂のだらだらした日常の綴り。
本を読むという行為は隠微なこと、悪いことを覚えるためのモノ。

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