ひょんなところから雑誌「アックス」(青林工藝舎)を15冊入荷できたので、ワンコーナー設置。vol68~82。
改めて読んでみると先代の「ガロ」以上に濃いというか、まとめて読むにはかなりしんどい。これは毎月マメに購入し、ひと月かけてじっくり読むのが正しいと思う。一ヶ月楽しめる月刊誌ってのは今、なかなかございませんよ。
自分は文学にまったく影響を受けていない、完全に雑誌文化で育った口。子供の頃一番好きだったのは「少年チャンピオン」で、他紙に比べてもかなりアクが強かった。がきデカ、ブラックジャック、魔太郎、エコエコ、マカロニほうれん荘とか(←これが一番好きだったんだけど、今読むと面白くもなんともないんですよね・・・すうさい堂でも回転するので、若者の捉え方はまた違うのかも知れないが。鴨川つばめは「ドラ猫ロック」まで追いかけたんだけど、これも今読むとねえ・・・ははは。残酷なことに)。
「サンデー」「マガジン」は当時の連載としてはちょっと薄口のような気がして。むしろいい年になってから読んだ往年の名作郡は、腹にズドンと来た。
ジャンプに関しては「すすめパイレーツ」と「北斗の拳」の最初くらい。「東大一直線」ってのもあったか。その直後に鳥山明という大ヒットメーカーがブレイクするわけだが、「Drスランプ」がまったくダメだったので、当然「ドラゴンボール」には一ページも手をつけていない。
その次がB5サイズの80年代「宝島」。ミーハーで最先端でなおかつ下世話。「トンガリキッズ」になりたかった中坊。くわつはつはつはつ。
パンクの特集を初めて読んだのもこの雑誌で、RCサクセションはするっと行けたのに、クラッシュやジョニー・ロットンの佇まいにはビビッた。それはカッコいいと思ったってことなんだけど、この世界は自分みたいなヘタレが手を出すものではないと、実はかなり抵抗があった。
まあしかし、どんどん自閉的になるにつれ、日本のアングラパンク込みでしっかりはまり、レコードが増えるたびにヤバい世界に入り込んでいくような、高揚感と背徳感。モノをコレクトする時の隠微な快感を一番最初に覚えた。
カルトムービー/ライブハウス/ニューウェーブなマンガ郡。宝島レビューで蛭子能収のマンガをプッシュしていたので買ってみた。このエビスさんて人(ひるこのうしゅう、だと思ってた)、完全に狂ってると思った。ビビった。で、何回も読み返した。そのタイトルは『私は何も考えない』。
毎月掲載される「都市生活はこんなに楽しいぜトンガリキッズ!」と煽動する記事が大好きだったんだが、自分といえば完全にどんづまり高校生だった。お陰さまで馬鹿のくせに無駄な雑学はやたら覚えた。
っていうかさ、ガキの時分でこんなマニアックな趣味を共有できる友達なんてそうそういなかったんじゃないか?実は当時の少年少女宝島読者の三分の一くらいは、どんづまりキッズだったんじゃないかと、今になって思う。
宝島が仕掛けた、パンクスの大群が真夏の新宿アルタ前をジャックしたライブイベントにも行った(17才の俺)。好きよ、キャプテン!
お次が「ロッキング・オン」で、多分宝島があまりにも享楽的だったもんで、馬鹿なりにバランスを取ったんじゃないかと思う。とにかく投稿記事が暗い。もう、社会不適合者の自分がいかに音楽によって救われたか、という内容を鬱々と延々。で、まあ、当然はまりまして。でもディスクレビューの面白さは随一で、毎月隅から隅まで読んでましてね。ここでかなり屁理屈というか、物事を斜めに見ることを覚えた(宝島はほんとにストレートだったね)。
質の悪い紙を読者の呪いとトラウマで埋め尽くしていたかつての雑誌は、いまや大成功してメインストリームになった。
何事も生き残ることが重要なので、それはそれでいいと思う。マジでマジで。別にひがんでないんだからねっ。
あとはやっぱり青林堂の「ガロ」で、これでマンガに対する概念がひっくりかえってさらにサブカルにずるずると。「ドール」っていうパンク専門誌もあって、これでさらにアングラ音楽へずるずると(編集長の森脇さんが以前はうちのリピーターさんだったりする。この雑誌は本当に硬派だった)。
「フールズメイト」なるインディーズ/ニューウェーブ雑誌もちょこちょこと。こちらは基本的にお耽美だったので、今のビジュアル系専門誌になる流れも、分からなくはない。
そんで定番の「クイックジャパン」と。最近はお笑いプッシュ誌で、いま一番勢いのあるサブカルがお笑いってことになるのだろうか。しかしインタビューのディープさは変わっていないような気もする。繰り返すけど、生き残るのが大事。
考えてみればここ何年も読んでいる雑誌がない。
っていうか感性が一周して先祖がえりしているので、「大人っぽい」ことを言う気がまったくない。
ずっとピストルズとかスターリンとか言って死ぬんだ、俺は。もう馬鹿でいいです。