帰ってまいりました。約二ヶ月ぶりであります。
杉並区松庵の猫好きな方が手厚く保護して下さっていました。
本日引き取って店猫として解き放ちました。
本人はあいかわらずしれーっとしておりますが以前よりややスリムになったというか、「お、脚が出現した」という感じであります。
急遽名札をこしらえましたが、いろいろ細かいことは明日以降にやろうと思います。
で、なんだかんだしているうちに店主疲れちゃいました。
さまざまなご協力とご支援、ありがとうございました。
とりいそぎ報告まで。
店内改装しました。巨大スライド式本棚がやってきたのであります。
それに伴い、棚を大移動。なんやかんやで時間がかかってしまった。
このレイアウトはすうさい堂の最高傑作。これ以上はでけん。もう勘弁してくれ。
特に目立つ棚にもっとも禍々しい本どもを集めてみたのだが、これはもう商売してるとは思えんな・・・・と、店主自らがうなるラインナップ。
ひょっとしてあかんのではないか。ほな、どないせえゆうね?
大自己満足に浸っております。
コミックもオールドスクール、ニューウェーブ、カルト系といった感じに分けてみた。これで以前のギチギチ間も解消。
で、こいつが大事なのだが、棚をひとつレジ前(?)に設置したので、私はこの陰に隠れる形になりますゆえ、小さい店舗独特の「お客さんと店員のマンツーマン状態による圧迫感」も、だいぶ解消できたのではないかと思います。
これですうさい堂10周年に向けての準備万端。これだけ利益を生まないテナントを死守している自分すごい。自分えらい。
まあなんだなー、がんばる方向を間違ってるような気がしなくもないのだが、でも僕、がんばゆの。
24日の木曜はお休みします。
次週より基本的に火・木曜を定休とさせていただきます。水曜は午後3時(ごろ)開店。
土日祝は12時からオープンします。
そしてヂルはいまだに見つかりません。先日は「中道通り」で、かぎ尻尾の黒猫を2日連続で見たとの情報が。
猫探しサイトを見ると、毎日毎日、日本中で猫が逃げている。
なぜ猫たちは、
逃亡するのだろうか?
本来の自由を求めてか?
ふー
(瓜田純士風)
自分は猫好きであるのだけど、パンクの美学はいわゆる「負け犬の美学」だと思う。
テクもカネもなく知識や人生経験にも乏しいので、わんわんきゃんきゃん吠えることしかできないが、大人が聞けば失笑しそうなわんわんきゃんきゃんこそがパンク最大の武器で、そのわんわんきゃんきゃんを溝に刻んだものがパンクのレコードというわけである。
とはいえ、わんわんきゃんきゃんだけでは持続力などないので、ほどんどのパンク・バンドはシングル一枚で消えたり(それでも残せれば立派!)失速していったりする。
中には思慮深く活動を続けていたバンドもいて、ザ・クラッシュなんかはその代表格だと思うのだけど、パンクの成功者であるにもかかわらず、なぜかジョー・ストラマーには負け犬的なイメージがつきまとう。
『LONDON CALLING/ザ・ライフ・オブ・ジョー・ストラマー』を観る。
101ERSからザ・クラッシュ、最後のジョー・ストラマー&メスカレロスまで、彼の生涯を追ったドキュメント。監督はまたしてもジュリアン・テンプル。
クラッシュに関しては、サード『ロンドン・コーリング』のジャケがあまりにもカッコいいので購入したら、中身が全然パンクじゃなくて当時がっかりした、という声をちらほらと聞く。
ならばファーストは良いのだろうと『白い暴動』(コレもジャケが滅茶苦茶カッコいい)を聴くと、おっそろしくスッカスカな演奏が最後まで続くのである。
というわけで最初、自分はクラッシュはあまり好きではなかったのだけど、こういうバンドはじわじわと効いてくる。
今時の耳なら、セカンド『動乱』のカラッとした音が一番フィットするんじゃないかと思う。あまり評価自体は高くないが、これって「今」の音でしょう。
何にしても、相反する「破滅の」ピストルズと「継続の」クラッシュを生んでこそのパンク・ムーブメント。ピストルズが攻撃の矢面に立っていたのでクラッシュは自分たちの方法論を模索できたのだと思うし、ピストルズが放棄したパンク・スピリットを、クラッシュが彼らなりのやり方で伝道していったのは確か。これに「ゴスなパーティー感覚」ザ・ダムドを加えたものが、パンクの三大要素。
で、映画なのだが、これが「ストーリー・オブ・クラッシュ」だとちょっと悲惨であった。
ピストルズに衝撃を受けたジョーが、それまでやっていたパブロックのバンドを捨て、クラッシュに参加。ファーストのデモらしきプレイをするモノクロの映像が恐ろしくカッコいい。ジョーストラマー、ミック・ジョーンズ・ポール・シムノンのとびきりトッポいルックス!パンクはコレだろ。
そして、パンクの先鋭として時代が彼らを求めた。
人気が出るにつれ他のロックバンドと同じように、クラッシュも巨大マーケットに取り込まれ、成功したもののジョー・ストラマーとしてはどうにも居心地が悪い。
「反アメリカ」と歌っていたのに、カウボーイの前説に紹介されて、アメリカのスタジアムで演奏している(主張も完全にブレた)。そこにイギリスのライブハウスでの画像が挟まれるのだが、どちらが生き生きとしているかは明白。
ジョーの激しいアジテーションもアメリカ人の観客には空回り。
彼のエゴはどんどん肥大し、メンバーの首を切り、バンド史上「なかったこと」にされている駄作を一枚作り、いつのまにやら「ザ・クラッシュ」消滅。
そこから長い不遇時代が続く。
この時期にジャームッシュの『ミステリー・トレイン』なんかに俳優として出演していて、おーストラマー相変わらずかっけーななどと観ていたのだが、本人的にはどん底だったらしい。
が、最後のバンド・メスカレロスはいい感じに始動し、いい仲間と「少しの名声」を得て、心臓疾患のため50才で死去。
晩年はすっかりロカビリー親父みたいになっていたが、基本的にルックスがほぼブレてないってのは素晴らしいことです。
(インタビューに答える相方のミック・ジョーンズはきっちり劣化して、悪徳不動産屋みたいになってしまったのが、ちと悲しい)
外交官の息子として生まれ、右翼活動に傾倒した兄がドラッグの過剰摂取で死亡。
裕福な出身が逆にコンプレックスなのか、反ナチコンサートに参加したり、アルバムの価格をギリギリまで抑えたり。
しかし、改めて見るとクラッシュはルックスがとてもいい。パンクスとテッズのいいとこどり。
ジョニー・ロットンの思いつめた目つきもいいが、ストラマーの据わった目つき、いきなり鉄拳制裁されそうな緊張感が、男が痺れるバンドとしてリスペクトされているのだろう。
http://www.youtube.com/watch?v=1nX_SZPZSsk&feature=related
ジョー・ストラマー生前のラジオDJを使って進行していく構成が粋だと思う。
U2 のボノや、ジョニー・デップもコメンテーターとして出演。
当店にはこのポスター↑が一番目立つところに配置してあるのだが、特に意味はない。単にカッコいいから。
セックス・ピストルズのドキュメンタリー『ノー・フューチャー』を観る。
彼らの「No FUtuRe FoR YOU」(パンクっぽいっしょ?)って歌詞も単に絶望のフレーズと捉えるより、「じゃあ、どうすんだよ?」あるいは「でも、やるんだよ!」と続けられれば合格。あなたはパンク。
日本のブルーハーツってバンドはこの言葉を、「未来は僕らの手の中」と超訳して歌った。
この映画は再結成前に製作されたので、登場するライブの映像は70年代のレアなものばかり。
世界一美しいバンドのひとつである。そこらへんを考慮してか、インタビューを受けるメンバーはシルエットのみで登場(再結成もあれはあれでアリだとは思う)。
それにしてもジョニー・ロットンの美しさである。普段はシャイで孤独そうな青年がマイクを前にした途端、憎悪をむき出しで痙攣する。しかも若い衆に「自分も出来るんじゃないか?」と思わせた芸当は大したもの。
冗談じゃないって。あんなもんの真似なんかできるわけなかろ!パンクがどんなに過激化しようが、「一流のパンクロッカー」はロットン含め、ごく僅かである。
彼の言葉の切れ味は、白いモハメド・アリ。「パンクはこの15年で最も誠実な音楽だ。つぶせるもんか」。
ピストルズは当時「英国中の敵」であり、しかも矢面に立たされるのはロットンだったので、実際に右翼やチンピラから襲撃を受けたりしていた。
日々のストレスや恐怖は相当のものだったと思うんだけど、彼は自分の役割を自覚していたので2年強、『ジョニー・ロットン』として、がんばった。
勇気を持ってバンドの顔になり、そして勇気をふりしぼってバンドを脱退した。
そんでもってシドである。才能あふれる他のバンドメンバーと違い、どーにもならん木偶の坊。
今の目でみりゃ、普通にグレン・マトロックのほうがバンドマンとしてカッコいいと思う(シドの演奏スタイルには躍動感がない。コワモテ感はたしかに倍増)。
得意げに(バカ丸出しの)鍵十字Tシャツ着て、インタビュー中に耳糞ほじり、しまいにゃぐーすか居眠りをこく。
演奏よりジャンプするほうが重要で、ベースは客をぶん殴るためのものでもあり、作曲よりヘロインを溶かすほうが得意。
で、ブスのジャンキーを殺しただの殺してないだの、その辺もグズグズのままで早々に死んじゃったわけだが、ロットンにとっては親友であり、映画の後半、「あいつはジャンキーにしたくなかった」「こんなひどい話ってあるか?」と自分の誤算について恥じながら半べそをかく、「ジョン・ライドン」という大人がいた。
ここには登場しないが、「ピストルズのいかりや長介」マルカム・マクラレンの立場もあるだろうとは思う。
ただし彼は『グレート・ロックンロール・スウィンドル』で好き勝手やっていたので、これで相殺かと。
監督はどちらもジュリアン・テンプルであった。『ノー・フューチャー』はかなり良い伝記映画だと思う。
時折挿入される、寸劇やコメディのコラージュ以外は(あれ、すっげえイライラする)。
http://www.youtube.com/watch?v=qtbu59k88oo
多忙を縫って(わら)、阿佐ヶ谷ラピュタにて『ヘアピン・ザーカス』(72年・監督/西村潔)鑑賞。
まず、ドライバーの目線で、高速で前を走っている車をブンブンブンブン追い抜いていく冒頭から持っていかれる。
もうこれ全編、許可を取っているとは思えないゲリラ撮影。一般車が走っている公道にてブリブリとカーチェイスを繰り広げます。製作者の姿勢が一番、「不良」なんである。
そしてイケてる当時の不良はジャズ。音楽がブリブリのクールジャズ(これに関しては以前、爆音映画祭で観たときのほうが数倍気持ちよかったが)。
ストーリーは単純で、元レーサーの教習所教官(俳優ではなく、本物のレーサー)が、じゃじゃ馬ちゃんの担当になるが、スピード狂の娘さんはなかなか素直に従わない。どうやら教官に惚れているようなのだが、彼の方がクールで相手してくれないのも面白くないらしい。
そのうち娘さんはトッポイ男たちと組み、走行中の車を挑発し、カーブまで誘ってそこに激突させることを生きがいとする「ヘアピン・サーカス」を結成し、夜な夜な獲物を狙って走る。
これはよろしくない!と教官はサングラスで目を隠し、わざと連中の挑発に乗り、逆に彼らを撃墜していく・・・・といったところ。
五木寛之の原作では「刹那の快感に生きる若者たち」みたいなものがテーマなのかも知れぬが(未読)、映像作品として、ジャズとカーチェイスに感じ入ればいいと思う。
何にしてもストーリーはさほど重要でない。ネットで予告編も発見したが、あれはこの映画の良さを伝えられていない。
スピードレーサー・はすっぱガール・夜のィヨコハマ、が三大要素。つまり、クレイジーケンバンドの世界。イイネ!イイネ!イイネ!
車を運転できない自分が推すのだからこの作品は本当にすごいです。
自分が今まで生きているのは運転免許を持っていないということがかなり大きいと思われ、下手に運転など(いやいやながら)していたら、多分死んでるか人様を傷つけてます。それもかなりトンマな理由で。
スピード、ギャンブル、ナンパなど、スリルを嗜好する感性がまるっきり欠落しているらしい(よかったね)。
生きるか死ぬかのスリルこそ人生さ!ってな生きざまもあるとは思うが、そういう方は古本屋はできませんな。のへ。
で、思い出したんだが、就職活動に失敗して自殺する若者が急増しているらしい。
去年は150人死にましたとさ。のへ。
真面目っつーか、きっと自殺するようなキャラでもなかったのであろうし、親御さんも寝耳に水だったんではないか。
ところで、就職先ってのは実は山ほどある。タウンワークなどをチェックしたらよろしい。
もちろん、いわゆる一流企業の社員なんか募集してねーよ。でもそこは「ホワイトカラーがダメならブルーカラー、あるいは店員」と発想転換というか視野を広げればいいわけで、それじゃイヤなんで死にますという精神は非常に卑しいものだと思うので、そういう腐れ根性はこの世界に必要ないと思いますんで、きっと死んで正解です。
フリーターになる、自分でなんかやる、親の脛をかじる、ひきこもる、などの選択すら出来なかった哀れな奴ら。
前にも書いたが、命は平等かも知れんが、死に方に計量はある。
理想の自分は一歩下げて、最悪な自分の許容範囲を一歩上げれば、なんとかやれるんじゃないかって話だとは思うのだが、まあ別に死にたい奴は死ねばいいさと。バッハハーイだ。
いい友人や表現に出会わなかったんだろうな、ってことに関しては多少、同情もする。
「なんか世の中、意外といろいろ面白いもんがあるんじゃないか?就職してる場合じゃないんじゃない?」と思えれば、もうちょい長生きできたかもな。