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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

すうさい堂は閉店しました。17年間ありがとうございました。

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黒猫失踪



去年に引き続き、ヂル会長がまたやりやがりました。すべての業務を放棄して失踪致致しました。
30日金曜日の夜に姿を消して以来、まだ見つかっておりません。
首にスタッズベルト(シルバー)、体重4・5キロ、金目、かぎ尻尾の♀です。所々に白い部分あり。足にはアンクレットのような白線。好物スライスかまぼこ。
チラシ作成はお隣のメキシコ雑貨・ラブラバさん。ノーギャランティですみません。
しかし、最近カラスの鳴き声が「にゃー」と聴こえるし、メシを食う気力はあっても風呂に入る気力がない。
春は家出猫が増えるとは聞くけれども、あまり長い滞在は勘弁して頂きたい。おれが何やったってんだよう。
動物保護センターには連絡済み。ツイッターでもつぶやいた。また明日は春の嵐らしい。ここのところ、ろくなことがない。
吉祥寺本町一丁目あたりで見かけた方はご一報を。よろしくお願い致します。

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ライフ・イズ・たいへんだ

本日健康診断に行って参りまして。
まあそれを受ければ何がしかの謝礼がもらえるってやつだったんですが、早々に「あんたは血圧が高いからいらん」と帰らされまして、それでももらえる金額は同じなのでいいんだけど、どうせならちゃんと診てもらいたかったなーとは思う。
そうそう、実は(遺伝だと思うが)血圧高めなので、案外「上」のほうの病気でさくっと逝っちゃう可能性がなくもないので、その辺よろしくな。
自分は大きな病気や怪我もなく、そもそも入院を一度もしたことがないというそこそこラッキーな人生を歩んでいるのだが、お陰で保険料を払うってことにあまり自覚が無く、滞納しまくったら「赤紙」が来ちゃったぞう。
わあどうしよう。近所の猫さん「演歌歌手(妙齢の女性歌手みたいな、そんなイメージ)」がスリスリしてくれたぞうとか言って喜んでるバーイではなかったのだ。
生きるのは大変だなあ。実は先週新しいバイトをしてみたのだが、これがハンパじゃなくキツくて一週間でやめてしまった。
ただいま模索中。9年続いている古本屋家業をまだやめないというガッツは、ガッツがないことに関しては右に出る者がない自分としては、すごいガッツである。ガッタガッタ。
結局、普通の人みたいに「節目」が作れないんだな。ベッドのシーツが乱れていたらちゃんと張ろうではなく、なんか適当につっこんで誤魔化しちゃえとかやってるから、どんどんヨレていくのである。思えば「包む」「折る」が出来ない人間なのであった。

清志郎は日本のレノンか?

最近ちょっと疲れておって左目がぴくぴくしております。この症状が出るとほんとに疲れておる。
ブログってのもある程度継続しないと書けなくなっちゃうもんでして。
明日からとりあえず通常営業しております。火曜は春分の日。寒すぎて桜も咲きゃしねえ。
最近のニュースではやはり「ルパン三世」実写化ですか。
ルパンがふぐり旬クンですか。よく見るとややサル顔だが。他にいなかったのか。大泉洋とか。
次元水嶋ヒロ。五ェ門アベちゃん。そうですか。不二子エリカ様は意外とアリかも。
銭形寺島進はハマリ役かも。というかこの中では一番ルパンっぽいと思う。年齢が高すぎるが。
監督は職人三池崇史。まあ、当代の人気者を起用して映画化するのは古今東西の定石であって。
しかし製作者は世紀の地雷・『ルパン三世 念力珍作戦』をちゃんと見ておいたほうがいいと思う。
同じ大惨事を二度と繰り返してはいけません。
それより深夜に放送される新シリーズ『ルパン三世 峰不二子という女』の方が気になる。

疲れてるとようつべを見る。ようつべはいいよね。もはやテレビいらねーし。
酔っ払って見続けていると最終的に「perfume」に行きつくのはなぜだろう?
あと最近よく清志郎を見ているのだけど、コメント欄なんか「預言者!」みたいな書き込みが多くて、気持ちは分かるのだが、日本のジョン・レノン的に神格化されているのにはちょっと違和感がある。
自分は『COVERS』リアルタイムで聴いていたのだけど、最初は面白がっていたのだが、内容が直接的なだけに、正直すぐ飽きた。そりゃまあ、本当に原発がぶっ壊れる日が来るなんて思ってなかったから。
当時の評価も賛否両論だった気がする。
(少なくとも自分はこれを聴いてもまったく危機感を感じなかったし、他のアルバムと比べても素晴らしいとは思わなかった)
そもそもこの人は直感で、自分の好きか嫌いかを表現する人だ。決して運動家じゃない。あの当時「なんか原発とか核ってのが気にいらねーな」と感じたことがコンセプトの動機だったんじゃないか。多分本人も、日本がマジでこんなことになるなんて思ってなかったよきっと。

ルックスも丸く親しみやすくなっていったのも神格化されている要因かも。しかしむしろ、80年代初武道館あたりのソリッドなロッカーぶりこそが神だ。「役立たずの神様/ハードロックが大好き」なんて歌ってるんだぜ。
(ちなみに一番最初にカッコいいと思ったギタリストが、仲井戸麗市/チャボです)
晩年近い『なにわサリバンショー』の何でもアリな感じもちょっとなあ。
勘違いされちゃ困るんだが、ロックってのはものすごく規制が多く、スポイルされたものなのだ。
クールなロッカーであるためには、やっちゃいかんことが山ほどあるのだ。精神は自由であるべきだが、抑制されたスタイルの中で決めるのが本物のロックンロールだ。
RCサクセションにもゴリゴリのロックンロールのアルバムが「何枚か」ある。短い期間かも知れないが、それが清志郎の最盛期で、本質だと思う。いつまでも『サマータイムブルース』等の反ナントカって括りに入れないでほしい。
あんまり彼を過小評価するんじゃねえよ。あんたらが大好きなのは、「ロッカーとしての清志郎」とは別物だ。

むしろオカマくさい変なおっさんとして逝ってもらったほうが、まだよかった。

http://www.youtube.com/watch?v=d1vKOeaRzMs&feature=results_video&playnext=1&list=PL00110B13FEA13829

姓は地獄、名は貴族(っぽい)



リチャード・ヘルはカッコいい。
まず名前がいい。渡世名を「地獄」と名乗るセンスがいい。従えたバンドの名は「ザ・ヴォイドイズ(からっぽ・抜けがら)」。イカれてる。
ルックスがいい。髪を逆立て(オレンジジュースやらビールやらでセットしたという説あり)、シャツを切り裂いたパンクファッションのオリジネーター。それを見て「これは使える」と、某・イギリス人山師が自分の子飼いのバンドに真似させたら大受け(多分整髪料は、使わせている)。
ジャンキーである。ロック界ではそれがクールな態度らしい。当然、クリーンな文学青年トム・ヴァーライン(テレヴィジョン)とのバンドは続かない。
ベーシストだが上手くはない。「俺のベースはヘタだ。それこそが俺のメッセージだ」と言い放つ態度はパンクである。
で、彼の代表作でありパンクロック名盤中の名盤とされる『ブランク・ジェネレーション』を聴いてみる。
ほとんどの人が「ん?んん?」と首を傾げると思う。あんまりカッコよくないからです。

妙にカン高いヘルのボーカル、いわゆるパンクには程遠い、緩いんだかひしゃげてるんだかか分からない演奏。ヤクザのようなハゲオヤジが放つ一発芸のようなギターが、なんとか全体を引き締めている。
タイトル曲に関しては「これは演歌」と言い切った人もいて、確かにそんな気がしなくもない。
いわゆるパンクロックというお手本抜きの、自然発生パンク。イギリスのパンクバンドはなんだかんだで突破口をあたえてくれたが、ヴォイドイズの音楽は袋小路。
真面目にコピーしようとしても、まずそれが間違ってるので、フォロワーが成立しない。一世一代のパンクロック。ファッションとイメージのみ、影響を与えまくったのであった。

ブックオフでリチャード・ヘル「アンソロジー」を950円で発見したので購入。
レアな初期シングル盤から90年代の「ディム・スターズ」まで収録されているが、一貫しただらしなさが光る。
(正直、ディム・スターズはいらないかなと思う。単なるアングラバンドのデモみたい)
ラストはテレヴィジョン・バージョンの「ブランク・ジェネレーション」で締められており、これはマニア的にはお宝アイテム。
なんだかんだでリチャード・ヘル&ヴォイドイズ時代が突出している。
テレヴィジョンのような構築美もなく(しかし、彼らも至って普通のバンド編成なのに、なんであんな音楽が出てくるのだろう?)、ハートブレイカーズのような高揚感もなく、ラモーンズのようなコミックさもなく、パティ・スミスのような気高い精神が宿っていたとも思えない。まるでそこだけ置き去りにされたような「個」である。
彼らが誰よりも勝っているのはハードコアがスポーティーに見えるほどの「やさぐれ感」であり、それをいい大人がグズグズと表現しているという一点のみ。それだけで十分パンクだと思う。
少年の絶望は暴れれば発散できるが、大人の絶望はそんな小手先では解消できない分だけ、タチが悪い。
ニューヨークのロックはインテリくさいとよく言われるが、要するにそういう事情なんだと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=Wyqmt8G5BiI

コミック雑誌なんかいらない?



「顔が描けない漫画家」という人々も確実にいらっしゃって、たとえば走り屋の話を描いている作家さんなどクルマ以外はどうでもいいらしく、人間の描写などうっちゃりっぱなしで数十年。それでもニーズに応え続けているから大したものだが(いつも小汗をかいていて頬がポッとなってる以外は感情表現がまったくないですよ先生!)。
「亀有」の先生も、アレ、もはや本人は描いてないんじゃないスかね。出せば売れる単行本と二次使用の権利で、みんな大もうけ。確かに誰も困らない。
『北斗の拳』も通して読んだことがあるが、ラオウ編で終われば美しいものを、「・・・ああ、大変だあ」と分かったふりをしてみたり。
そういった業界の内幕をマンガによって告発したのが土田世紀の『編集王』。これを大手週刊誌が完結まで載せ続けたのはかなりの英断だと思う。

「あしたのジョー」に感動してボクサーとなった主人公の桃井環八は、体を痛めすぎ現役を引退。リングはどこにでもあると人気青年週刊誌にバイトとして雇われるが、そこで見たのは名前だけの流れ作業で作品をつくるアル中の大御所、数字しか見ない編集長、作家性などまるで無視される「とりかえのきく」新人、売るためだけのエロマンガ作りを仕切る残業嫌いの編集者、年金生活者のような扱いで文芸誌を発行し続けるベテランなど。
そこにピュアなカンパチは一直線の怒りでぶち当たっていく。もちろんそれで好転する場合もあるが、「雑誌は道楽じゃねえ」「作家との友情ごっこに給料は払えねえ」「無担保の人間に大金は貸せねえよ、商業誌ってのは」と、企業側のドライな理論に破られるパターンが多い。
たしかに読みながらも共感するのは「鬼の編集デスク」の方だったりして、性善説なカンパチたちは、ややもすると青臭い。
管理側としては売り上げを伸ばすため、人気のない作家はバサバサと切らざるを得ない。作中でも指摘されているように、「載せられるマンガの本数」ってのは決められている。この選択をシビアにできない者はトップに立つ資格はないのかも知れない。
登場人物の一人は「マンガは恐ろしい」と、涙を見せる。
『がきデカ』連載時の山上たつひこ氏は、「後半は自分で全然面白いと思わなかった。描くのが辛かった」と言っていたけど、読み手としてはそんなことはなかったわけで、編集部対作家の判断はどちらが正しかったのか、歴史が証明したんだなあという事例。

ただし、鬼デスクや、梶原一騎をイメージさせる大御所マンガ家、売らんかなのエロしか興味がない編集者など、彼らはさまざまな轍を踏んだあげく、そのような人間になったのだということをサイドストーリーで丁寧に描いている。
つまり、マンガ・モノ作りが嫌いな人間など一人も登場しない。悪役としても人間くさい魅力がある。
最終的に、対立していた編集部員たちが一丸となって、ある巨大な敵に向かっていく。この辺は素直に感動してしまう流れなわけで、ただの暴露モノで終わらせず、立派なエンタメになっている。
ドライに見るとこの作品自体がキャラの立ちかた、ストーリーの布石や展開など、商業誌連載としての良いサンプルにもなっている。

なんだかんだといっても肝は土田世紀氏の画力で、抜群にうまい顔の表情とか、マンガとしての完成度の高さだと思う。きっと本人も「ジョー」にはやられた口で、マンガ家としてこの作品を世に問い、ひとつおとしまえをつけたかったんじゃなかろうか。

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