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いま、相原コージという作家がどんな評価を受けているのかはよく知らないが、ヤングサンデーに連載されていた、『ムジナ』は名作であります。
白土三平の忍者マンガをリスペクトしているのは明白なのだが、「オレは元々ギャグマンガ家だしなー」といった「照れ」と相まって、相原流の下ネタと骨太なストーリーが相乗効果を生み出していて飽きさせない。
が、「絵がきたない」「ギャグが下品」「残酷なシーンが多すぎ」と、一般的な女子はもちろん「サブカル女子」にも評価が低そうなので、ここはもう「男なら読め!」ってことで話を進めたい。
主人公のムジナは「下忍」の父親を持つヘタレ忍者だが、父の最期を看取ったときに、実は「生き抜くため」に彼はぶざまな下忍を続けていたことを知る。
そして自分も生き抜くために、逃げ続けることを決意する。
そんな中でムジナは忍法・跳頭(はねがしら)や、自由自在に屁をこいてそれに引火させる「蛍火」なる珍妙な技を生み出していくのだが、きっと「あたしそーゆーノリってちょっと無理っぽい」と、オサレ女子にはスルーされるんである。
随所に「漫画的記号を多様してみる」から、「夜を夜として描いてみる」のような相原一流の試み「実験シリーズ」があり、実はこの人はマンガ描きとしてかなり手だれ(忍者っぽい表現)なんである。
練り上げられたプロットを持つ王道的な作品なので、細かいことを書いてしまうのは野暮ってもんだが、キャラがばんばん死にます殺されます。その辺の描写はハンパないです。もちろんそれは、白土三平の流れをキチンと汲むものだからである。
なんだけれども、やはりギャグマンガ家としての資質は「血」であるようで、挿入される効果音が「すぽーん」「ゆいんゆいん」「ぽぽぽぽぽぽぽぽぽ」「ぬぷっぬぶっぬぼっ(これはおセックス様をしている時のおと)」など、実に相原コージなので、これがまたオサレ女子から「だからあたしそーゆーの無理だから!」と、駄目押しをされてしまう所以である。っていうか、全9巻を英字新聞かなんかに包んで無理矢理プレゼントするってのもアリ。
怒涛の終盤劇に拳を挙げろ。
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人はなぜ刺青をするか、というのは深遠な問題だが、人はなぜ刺青をしないかというと、痛いし、手間と金がかかるし、消せないし、おとーさんに怒られるし、会社の慰安旅行に行けないし、普通の彼女は作れないし等々の諸問題ゆえ、要するにつらそうだしアフターがめんどくさくてやだ、といったところであろうと。
以前バイトで首筋や腕から指にかけて墨を入れたバンドマンと一緒になったことがあって、さぞや全身はすごいのであろうと思っていたんだが着替えの時に見たら、二の腕から先はびっしりなんだがあとはきれいな体で、これって結局人に見せるための刺青じゃんと、少々引いた覚えがある。
それとは逆に全身黒一色の総身彫りなんだけど、二の腕から先には入れていないので、半袖のシャツを着ている分にはまったくわからないという人もいて、こっちの方が全然カッコいいんじゃないかと思う。
タトゥー雑誌なんかでみなさん自慢の彫り物を披露しているが、少なくとも日本人なら知っているようなキャラを入れる際には、腕の立つ彫師を選ぶべきではないかと。
時々、台湾の海賊版みたいな「ルパン三世」とか「キューティーハニー」とかのタトゥーを得意げに見せている若者がいるが、あれは自分を「バッタモンです」と名乗っているようなもんなので、先々のことも考えるとっちょっとどうなんですかね?大きなお世話だが。
なんでこんなことを書いてるかというと、谷崎潤一郎原作・増村保造監督・若尾文子主演の『刺青』を観たからなのだが、この映画はパンクである。
駆け落ちしたおきゃんな若尾さんが芸者に売られ、背中に女郎蜘蛛の刺青を彫られ、男を食い物というか、殺人教唆までするような肝っ玉姐さんに成り上がり、そして破滅する。
女郎蜘蛛の刺青ってのがまた微妙にチープで、ここにも「D・I・Y」のパンク精神が生きている。
駆け落ち相手の彼氏(チョンマゲですが)のヘタレ、腰の据わらなさ加減もいい感じ。
「おれの愛人になれ」と迫る武士の佐藤慶はやはりカッコいい。
「増村保造」と「町田町蔵」はついうっかり間違えてしまいがちなのだが(ですよね?)、どちらもパンキッシュな精神の持ち主であることに間違いはない。
ついでに伊太利亜スプラッターの大御所、ルチオ・フルチの『ビヨンド』ってのも観てみたのだが、さっぱりわけのわからないストーリーについていけず、昏睡状態になりました(スコアは素晴らしいんだけどねッ)。
60年代にもこの手の映画を量産したハーシェル・ゴードン・ルイスなる監督もおりまして、彼らに共通するのは「グロければグロいほど好き物の客が来るんだから、そこだけサービスすればよい」というヤマっ気であって、要するに商売人。
硫酸で顔を溶かされたり、目玉をえぐられたり、犬に喉笛を食いつかれたり等の残虐場面は満載で(だったような気がする)、こちらの方をハードコアな人々は支持しそうだが、作り手側はきっと「牛乳を飲んでいるときに変な顔してブッ!と吹かせる小学生」みたいな人たちである。それがプロになっただけ。
物事の本質ってのはそういうもんであります。
白塗りで血糊を吐き火を吹くKISSはパンクか?違うだろ。
先日はそれまでアルバイト勤務だった某ナニガシが筆記試験に受かってしまい、明日は面接ということで、店でなんちゃって試験官ごっこをしていた。あちらとしてはマジなんだが(ちなみに日本人なら誰でも知ってる民間企業です)。
しかしまあ、受かったところで今までの「ぬるい地獄」から「本物の地獄」に移行するだけの話なんだが、それでも素っ堅気になってやろうという志がある分、自分よりはるかに真っ当である。
しかしながら世の中のほとんどの人がその辺をクリアして生きている、というのはすごいことです。
すうさん的にはありえません。
「天は二物を与えず」なんてのはまったくの嘘っぱちで、ほとんどの人は10個か20個は普通に持ってる。
一個か二個しか持ってない人が意固地に開けてるのがすうさい堂なわけで、大変分かりやすいですねッ。
「自殺行為」どころか「延命装置」である。実際のところ。2月の更新も無事クリアできればいいんだが。
しかし九月は仕事を辞めたのが二人もいたり、バイトを首になったのがいたり、同棲を始めるのがいたり、すうさい堂さんもなんとなく身軽になったりで、微妙にいろいろあったりします。
この前まで同じバイト先で働いていた「お笑い芸人」が、今週のめちゃイケに出演するらしい。
喋っていても全然アンテナが立ってる感じがしなくて、絶対売れねーだろコイツ、と思っていたんだが。別にどうでもよいので見ないですが。
なんかこう急に秋になりやがってこんちくしょう、涼しくていいじゃないか。しかし今年の猛暑にもかかわらず、レギンスを履いていた女子というのは一体どういう了見だったのか。不思議です。
最近年甲斐もなくシド・ヴィシャスTシャツなどをもらって着ているのだが、さすがフォトジェニックだなあと感心とかしている。ファンになりそうです。
いかにもギャング然としたこのお兄ちゃんを猫背のボーカルの横に並べたらいい感じじゃね?とコーディネートしてみせたマルカムの審美眼はやっぱり大したもんである。
ただ自分は、「パンクとは、自堕落じゃなくて自覚だ」と思っているので、死んでからプリントシャツや冠バッジの人気者になっているシドより、ブクブクに太りつつもピストルズ再結成をやり切って見せた意地の男、ジョン・ライドンを肯定したい。
ロカビリー/ガレージ/ブリティッシュ・ビート/パブロックなど、パンクに連なる不良系の音楽はやはり素晴らしいし、実はそっちの方が好きだったりする。本は売っちゃってるけど、この辺はまだしばらく手元にありそうだ。
大抵の人がいろんな物を切り捨ててまっとうになっていくのだろうけど、「ん~、もうちょっと踏ん張ってみよう」と思わせてくれる至高のガラクタの山である。
いい大人が集まって、「バイブレイターズ」とか名乗ってるシーンなんて(確実に確信犯)、他にちょっと見たことないぞ。
レゲエパンクの「ラッツ」とか、オーストラリアの「セインツ」とか、中学生パンクの「イーター」とか、郵便局強盗をやらかした「ルー・ルイス」とか、みんな聴いた方がいいと思うよ。盛り上がってんの絶対おれだけだけど。
吉祥寺には安く飲める店がない、というのは由々しき問題である。いせやはテーマパークみたいなもんで、並ばないと入れないしな。
アトレ吉祥寺がオープンったって、別に関係ないっつの。成城石井?いらんいらん。西友で間にあっとる。
何より実は好きだった台湾料理「わんわん」が撤退させられちまったのがムカつくんである。「お洒落」に侵食されすぎだ吉祥寺。
たまに阿佐ヶ谷で安い焼きとん屋とかで飲んだりするとホッとする。「一串80円文化」は大事だ。
で、いい感じに場末感をひきずって、ラピュタのストリップ映画特集の『実録ジプシー・ローズ』ってのを観てきたのだけど、要するにこの人も破滅型の天才であったのだろう。。激しい腰のグラインドで一世を風靡したが、酒に溺れて落ちぶれて急死。享年31歳。
主演のひろみ麻耶という女優さんが顔も体もまん丸で、昭和チックに妖艶。ピンク映画なもんで、場面転換のたんびにやりまくってますが。
多分当時のストリップショーにおける高揚感は、今では味わえないものだったのだろう。観客のやんややんや加減は、映画的な演出だけではないと思う。
一人では歩くこともあやしいローズが、呆然と腰を振り続ける最期ショーの有様は、ルースターズ脱退直前の大江慎也の彼岸な雰囲気を思い出した。
「一瞬輝く」という命題を背負ってしまった人には、多分人生31年でも長すぎたのだろう。
肉体表現に重きを置く人生に置いて、身体の衰えというのは避けられない問題ではあるけれども、こればっかりはどうしようもない。
「孫を抱きたい」というまっとうな願いを持つ人は長生きすべきだとは思うが、そういった輪廻がめんどくさくてしょうがないという人間には、コップの水が溜まればこぼれるようにサクッと逝けるシステムを神さんは導入するべきだ。しくよろ。