『絶歌』なる本がバカ売れしているらしい。こういうものは佐川一政の著作のようにアングラ/サブカル間で持ち上げられていればまだいいものを、10万部だか20万部だかのベストセラー。案外、世間様はゲスでした。
買う気も読む気も毛頭ないのでネットでチラ見した程度だが、こりゃちょいちょい言われているように「ポエム」ですな。しかも「才能の無い文学青年の自費出版物」程度。
「この本には犯罪抑止力があるのではないか」と息巻く識者もおいでになるが、こんな駄ポエムにそんな力はないよ。しかも、やるやつはやるのである。
二人も殺しておいて死刑にならず、素性もばらされずに社会生活を送り、「自伝」を出せばベストセラー。
「作家で犯罪者」としても、佐川は顔が割れまくりだし(ていうかアングラ芸人)、永山則夫は獄中で死刑になった。それを考えると非常に稀有なパターン。
こうなるともう一部の連中にとってはスーパースターであり、カリスマ。自分もがんばらねば!と思う予備軍はいるかもですね。
酒鬼薔薇聖斗事件というのはやってることは派手だったが、犯人像はかなりマヌケなものであった。
大そうな宣言文(これもポエム。この文章を評価していた文化人がいたが、当時からマジか?と首をひねっていました)のあとの署名が「SHOOLL KILLER」。「SCHOOL」程度も綴れないバカ。
しかし太田出版ってのは90年代の「完全自殺マニュアル」にしろ、どうもヤマッ気の強い出版社らしい。
当てるもんだなあ。バチも当たりそうだが。
あと、精神科医の常套句。「自分もモンスターになるんじゃないかという想像力がない人たちが恐ろしい」。
なんないよ、そんなもん。普通の人はそんなことやりたいとも思わないし、やろうとも思わないのである。
想像力ありすぎじゃないでしょうか。
そんで、彼、「元少年A」は調子に乗って公式サイトまで作った。
『存在の耐えられない透明さ』だそうで、まだタレント・サカキバラを引きずっているというか、こういうタイトルを付ける心理状態を想像してみるとやはり、どこか自分を「純粋無垢」だと思っている。
イノセントゆえに自分はあんな事件をおこしてしまいました、と。
【「心象風景」ならぬ「心象生物」という言葉がもしあったなら、不完全で、貧弱で、醜悪で、万人から忌み嫌われるナメクジは、間違いなく僕の「心象生物」だった― 】
という前置きから始まる「ギャラリー」ページ。
この一文から察するに、自分をどこか「被害者」だと思っている節がある。で、ナメクジをモチーフにしたイラストが延々と続く。
さらに進むと、自分のオールヌードをコラージュした「セルフポートレート」もアップ(確実に、だんだん気持ちよくなって来ている)。
ちょっと想像してみればわかるが、顔を隠しているとはいえ、ムキムキに鍛えているとはいえ、自分の全裸をネットに晒すなんてのは、相当な自己愛がないと出来ない「蛮勇」である。
ああ、この人って、本当は自分のことが大好きなんだな、と思った。
そして、本物のナメクジを使った「アート写真」。ハート型の容器に大量のナメクジを敷き詰めている。
本当は気持ち悪すぎで見たくもないんだが(グロ画像は比較的平気なのですけれど、虫系だけは超苦手で、正視できない)、この作品を作る過程において捕獲したナメクジは100匹をくだらないとか、テンションが上がって撮影に2ヶ月を要したとか、完全に軌道を逸している。
大量のナメクジの写真を喜々として取り続ける元殺人者。これが野放しになってるって事実が凄いわ。
こいつも狂ってるが、国も狂ってる。
思うに、元少年Aってのは「片岡鶴太郎」なんである。
もともと「小森のおば、おば、おばけちゃまよ~」であり、ひょうきんベストテンで(マッチで~す!)、熱々のおでんをぶっかけられたりしていたのに、今や画家であり、書道家であり、俳優であり、ボクシングのリングサイドをうろうろしていたこともあった。
ノリがまったく同じだ、と気付いたときはちょっと驚いた。鶴ちゃんかよ。