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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

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カメ止めとハロウィンと見世物小屋



『カメラを止めるな』がいよいよソフト化ということで、またしばらくはレンタル大稼動中ということになるのだろうけれど、劇場の高揚感が一旦収まったようなので、ちょっと冷静に考えてみる。
実際のところ「なかなかチケットが買えない映画がやっと観られた」というプレミア感があったことは否めない(自分の場合)。
監督さんが出ずっぱりでニュースステーションに出演していた日をたまたま見ていて「これはいよいよ大変なことに」と思っていたのだが、作品の熱狂ぶりが報道され、観客の中に子供たちの姿があった。
これに対する微妙な違和感。もちろん映画は面白かったし楽しんだのだが、何パーセントか「んんん?」というところが実はあって、その正体がはっきりした。
この作品の唯一最大の弱点、それは「毒がない」。
お子様にも楽しめるエンターティメントつまり「ご家族そろって楽しめます」というやつで、自分が最も忌み嫌うもの。
やっぱり結局は「家族愛」なるものが軸となっていて、ああそうだったのかなるほどなあと勝手に納得しているのである。もちろんいいファミリー映画もたくさんあります。『血まみれギャングママ』とか『ピンク・フラミンゴ』とか『悪魔のいけにえ』とか。
そういえば最後に流れる曲が超ダサいとか(タイアップの関係なのだろうけど)、きれいに答え合わせをして終わる作品なので『バック・トゥ・ザ・フューチャー』みたいだなあと思ったのだよなあ。
あまりにもきれいに完結するので、自分だったら「やっぱり奥さんが感染していて家族を食っちゃって仲良くみんなゾンビ」とかにするかなあとか思うのだが、それだと出来上がったパズルをぶっ壊すようなものだしなにしろ意味不明になる、が、そのほうが映画としてコクが出るような気がしませんか。
世の中には「ろくでもないのに嫌いになれない作品」と「ちゃんとしてるが好きになれない作品」というものがって、『カメ止め』はどっちなのだろうと考えるのだが、やはりゾンビ(フェイクだけど)でインディーズが大ヒットをかっとばしたというのは痛快なので、実際面白いし、レンタルに並べばまた借りてしまうのだろう。
ただ(親子で鑑賞するであろう)子供たちにはひとこと言っておきたい。
「ゾンビ映画がこんなもんだと思ったら大間違いだ!!」

渋谷ハロウィン。今年はトラックをひっくり返した奴や逮捕者が出てしまって、一挙に世間から顰蹙を買う形となった。
最終日の17時台に渋谷にちょろっと寄ってみたのだけれど、さすがに人が多い。仮装した人たちだらけで、見た限りでは「シン・ゴジラ第二形態」が一等賞だと思う。
みんな楽しそうにニコニコしている。写真を撮ったり撮られたり。これだけなら本当にピース(大混雑しているのは、祭りだと思えばしょうがない)。
若い人が本当にやりたいお祭りってこれなのかなと思う(阿波踊りじゃないだろう)。ハロウィンには参加しないが、自分もゾンビやって楽しかったし「気持ちはわかる」。
金にあかしての馬鹿騒ぎをしていたバブル期のクリスマスイブより、DIYの衣装で集まっているだけのハロウィンのほうが健全なんじゃないかと、どうしても否定できない。
最悪なのはこれに乗じてただ騒ぎに来る奴ら、悪いことをしに来る奴らで、基本的にこの連中は「普段着」である。なぜなら犯罪を行うのは常に「身軽な奴ら」であり、コスプレしてたら目立つわ衣装がひっかかるわで、逃げるのにはかなり不利だから(なので警察の人は普段着のなんだかヤバそうな雰囲気の奴らをマークしたほうがいい)。
みんなが虚構を楽しんでいる中に現実の暴力を持ち込む無粋な輩は、フランケンフルター博士に撲殺されてしまえばよろしい。
で、あいつらは高橋ヨシキさんがトークライブで言い放った「精神的なカッペ」だな。
ただなあ、深夜に及ぶ飲酒によるご乱心。楽しい、終わらせたくないというのはわかるんだけど、なんていうかな、もっと自覚を持てばいいのにと思う。
それはミニスカポリスとしての自覚であり、ゾンビナースとしての自覚であり、ジョーカーとしての自覚だ。ジョーカーなのに泥酔してゲロ吐いてたらみっともないよ。どうせならヒース・レジャーの心意気もコスプレしようじゃないか。
「あれは若者の不満のはけ口である」とか言ってる人もかなり古臭いセンスだと思う。ならばクリスマスで浮かれるのも桜の下で泥酔するのも普段の不満のはけ口なのか?現場に行けばわかるが普通の人が仮装してニコニコ歩いているだけだ。つうか、あれはどう見てもリア充だよ。
「悪魔の正体は現代社会に不満を持った人間だ!」では、原作『デビルマン』に出てきた勘違い科学者と一緒である。
「もともと子供のイベントなのに履き違えている」と言われればそりゃそうなんだが、魔や死のにおいやエロスに惹かれるのは子供じゃなくて大人。徐々にこうした流れになるのはある程度必然かと思われる。血文字が街の中に現れるあの時期は嫌いじゃない。
とはいえ、もはや交通整理が必要。渋谷区主催のイベントなわけじゃないから、中止とか排除は無理な話。しかしながら実際早朝にゴミ拾いをしているコスプレさんも見かけたから、「あんな奴らは」とひとくくりにしてはダメ。この輪が広がっていくのが一番理想的なのだろうとは思う。

新宿花園神社・酉の市。今年は久々に見世物小屋を観るためだけに来た。
元祖の大寅興行の方々は裏方に回り、アングラ劇団『ゴキブリコンビナート』が芸人として登場。
樺太から来た原住民は回転している扇風機の羽を舌で止める。
伝説の女総長はロウソクを口に含み炎を吹き上げる。
中国の武術者は頬を串で貫いてコンクリートを串にぶら下げて手を使わずに持ち上げる。
「やもり女」は生きているミミズを食う。
「狂ったOL」は自らの腕にホチキスの針をプチプチ刺す。アンド、レシートを額にプッチン。
これをエンドレスで深夜まで。MCは気配りしつつも喋りっぱなし。すげえ根性と体力だと思う。お題は観てのお帰り、たったの八百円。
確かにグロいが、不思議な郷愁もある。人間なら共通して持っているであろう魔への好奇心を体現しているのが見世物小屋であり、「祀りのいけにえ」として機能しているのかもしれない。
開き直った自傷行為は芸であり、ショック・バリューだ。本人たちがやりたくてやってるなら問題ない。
まあ、ものすごい無駄なエネルギーと言えなくもないし、なくなっても困らない類なのだろうけど、世の中「生産性」ばかりが大手を振って歩いているのもつまらない。
「ショック・バリューな人たち」は、裏のスターとしてどす黒く光って頂きたいものです。
数年前に人気があった「蛇食い娘」さん(ゴキコンの女優さんとのこと)は、動物愛護協会からのクレームでステージに立てなくなったと、まことしやかに聞いたことがあるが本当なのだろうか。
だとしたら、そのような「政治的正しさ」の前ではぐうの音も出ないんだが、協会さんは蛇の命を救った代わりに「蛇食い」という伝統芸を殺したのである。
牛や豚はコンビニやスーパーの弁当として加工され、賞味期限が切れればゴミとして廃棄される。
見世物小屋の蛇たちは一匹一匹が芸のパートナーとして、命を鮮血で飛び散らすさまを客の目に焼き付けながら死んでいく。本当に生命を軽視しているのは果たしてどちらなのか?
数年前に観た、赤襦袢で蛇を食いちぎる小雪太夫さんは確かに、美しくもカッコよかった。蛇食い芸は、カッコいい。
ところで「狂ったOL」さんは、ホチキスを希望者に手渡し自分の腕に針を刺させるというお客さんサービスを行っていて、女子が嬉々としてプチプチしていたのだけど、ぼくは絶対できません。考えただけでめまいがする。

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