『キャリー』(76)を観ていま思うことは、いじめの最終形態として「バケツいっぱいの豚の血をぶっかけられて血まみれにされ、その様子を大笑いされる@プロムナイト」というシーンが、一番エグいということ。
そこでキャリーの超能力が爆発して、会場にいた者たちに襲いかかるのだが、「ホースで放水」というのがやられたことに対しては、ちょっと手ぬるいなあと思う。実際には女優の一人が水圧で鼓膜が破れたという事故があったというけど、それはあくまでも裏話。
このシーンは画面が二分割になっているが、監督のブライアン・デ・パルマいわく「あれは緊張感がなくなって失敗だった」と振り返る。そこが一番有名なんだけどな。ははは。
ただ、血まみれで仁王立ちになりながらも目を見開き、制御不能のパワーを放ち続けるキャリーはカッコいい。どれくらいかというと、昔あったホラーマンガ専門出版社「ひばり書房」のカバーと同じくらいのカッコよさである。
クロエ・グレース・モレッツ主演のリメイク版(2013)もある。
キャリー役がクロエちゃんなので、初代の姐さんに比べてかわいさは格段にアップ。なにせ初代のシシー・スペイセク姐さんは当時25才だったらしい。
演じるのは17才、と。
かなり忠実なリメイクで、「生理を知らない」キャリーにいきなり初潮が始まって、シャワー室で泣きながら同級生に助けを乞うというシーンもちゃんと再現。
同級生たちは嘲笑しながらキャリーにナプキンを投げつける。リメイクではこの騒動をスマホで撮影し、ネットにアップするという、実に現代的ないじめが加えられた。
血まみれにされたクロエ・キャリーも同じように念動力を放つが、オリジナルの自己制御不能パワーではなく、「狙った獲物は逃がさない」と、標的を次々にぶち殺していく。さすが元ヒットガールである。
仕掛け人のカップルも派手に成敗。なぜか評価が低いけど、なかなかいいリメイクだと思うのだが。
虐げられた者がリベンジして降らせる血の雨はいつの時代も最高。
そして両作品に共通しているのは「宗教キチガイの痛いお母さんを持つと子供がたいへん」ということだ。
映画のことばっかり書いていますが、本を読むより映画を観るスピードのほうが圧倒的に早いのだからしょうがない。
ちなみにこのブログは自分からの「おすそわけ」。こんなのありますよ、ということなのだが、まあ、知ってても知らなくてもどうでもいいようなことばっかりだな。閑話休題。
で、同じテーマで『キャリー』より好きな作品がある。『デビルスピーク』(81)だ!
陸軍士官学校に通う両親のいない少年、クーパースミスは成績優秀なのだが、同級生や教師からもバカにされている。「いじめ」というよりはコケにされている、というニュアンス。時には屈辱的ないじめも受ける。これが毎日。逃げ場のない青春。
ある日彼は悪魔復活のマニュアル本を入手し、当時のコンピューターを駆使して、その方法を解読しようと苦戦する。
屈辱的な日々は続く。気にかけてくれるのはマイノリティである黒人の同級生と、一見こわもての専属コックだけ。
コックから体の弱い子犬を譲り受け、犬が彼の唯一の友となる。のだが、いじめ連中たちが面白半分に子犬を殺してしまう。そしてクーパースミスの怒りが爆発!観てるほうの怒りも爆発!
クーパースミスのリクエストに応えて復活した悪魔は、彼に憑依する。
クーパーの顔に狂気が宿り、髪が総毛立ち(若ハゲ全開!)、魔剣を手にして宙に浮かぶ。
そこからは豪快な首チョンパ大会!胸がすくとはこういうことだ!がんばれぼくらのクーパースミス!
学校で飼っている黒豚軍団も手先となって「ブーブー!(おれらもがんばるよ!)」とクーパーを援護し、首チョンパを免れた者は豚さんに食われるのである。世の中には立場が逆になることもある。
(あ、ちなみに悪魔の本をパクろうとした学校の美人秘書も、バスルームで全裸のまま黒豚さんたちに食われる。パクリとかはしちゃいかん、という教育的指導だ)
「クーパースミスは復活する」と悪魔から太鼓判を押す声が流れ、映画は終わる。いじめられっ子であった彼は最高のケツもちを得た。これは、ハッピーエンドである。
とにかくいじめはダメだ。昨今のいじめがエスカレートしているのも、「因果応報」という話を知らなすぎるからじゃないか?という気もする。
民放も『キャリー』や『デビルスピーク』のようないい映画を放映しなくなったから、ガキどもにトラウマが直撃する機会がなくなってしまったのである。
そしていじめられている子達は、悪魔でもなんでもいいじゃない、何か生きる糧を掴むことだ。
自殺する決意ができるんだったら、学校の窓ガラスでも派手にぶっ壊して、卒業までしれっと居座ってやればいい(死んじゃったら教育者たちはどーせ「いじめはなかった」とか言うんだから)。
それなら誰も傷つかないし、「あいつ狂ってる超やべえ」と誰も近づかなくなる。超クールだ。