伝記というのは基本的に描く人物を良く見せるために「盛っていく」ものだと思う。「ワシントンは桜の木を切ったのでほめられました」とか。
ところが『愛と憎しみの伝説』(81)はリスペクトどころか、斜め上くらいに暴走しているように見える。
ハリウッド女優ジョーン・クロフォードの伝記映画。ジョーンを演じるのは史上最高の女ギャング「ボニー・パーカー」で有名なフェイ・ダナウェイ。もちろん当ブログを読んでいる人が『俺たちに明日はない』を観ていないわけがない、という前提で書いている。
どちらも若い頃は絶世の美女。ただ自分はジョーン・クロフォードの作品は、彼女が50代の『何がジェーンに起こったか?』しか観ていない。狂気の妹にいぢめられる姉の役だが、当ブログを読んでいる人にはおすすめの「娯楽作」であります。
この『あいにく(略します)』におけるジョンクロ(略します)の役こそが、『なにジェン(略します)』のガイキチ妹そのものなのである。
ジョンクロは子供が出来ない体質だった。それでも彼女は自分の子供が欲しかったので、女の子と男の子を一人ずつ養子に迎える。
子供たちにとって豪邸に暮らす何不自由ない生活に見える。が、養母は時折とんでもない感情の爆発を見せる。
特に長女クリスティーナに感情をぶつけ、水泳でガチ勝負をして「ざまーかんかん!」というくらいは序の口、化粧台でメイクをしていた幼い彼女にぶち切れ、髪をハサミでジャキジャキ切る!会社から専属契約を反故にされた夜には、怒りのあまり庭に植えていたバラの花をハサミでジャキジャキ切る!
子供を叩き起こし、「あなたたち、この花を運んでおしまいなさ~い!!」と絶叫。
ある晩、フェイスクリームで顔が真っ白のジョンクロが、クリスティーナのクローゼットの前に立っている。
そして「アレ」を見つけてしまう。針金ハンガーに下げられたドレス。
さてここで、この作品中でもっとも有名なセリフが飛び出す。皆様斉唱、せーの、
「ノー!ワイヤー!!ハンガーズ!!!エヴァー!!!!(なんで針金ハンガーにかかってんのよおおおおおおおおおおお!!!!!!)」
「高いドレスを雑巾みたいに扱いやがって!!」と、怒りが止まらない。
そして「まだあるんじゃないの見つけてやるわむきいいいいい!!と、服をバシバシ放り投げ、もう一本めっけちゃうのである。その針金ハンガー2号で、寝ていたクリスティーナをバシバシぶっ叩く!
さらには浴槽の床に目をつけ、「汚れてる!全然きれいじゃない!朝までにあんたが掃除しなさああああああい!!」と、洗剤をぶちまけタイルは真っ白。
なぜか深夜の風呂掃除を託された幼い女の子がつぶやく。「なんでこうなるの?」
いや、あまりにもものすごいシーンなので、3回もリピートしてしまいました。もちろん笑うためである。
大人になっても母親と長女の確執は止まらない。
やがてクリスティーナは女優として連続ドラマの主演を張るようになるのだが、ある日病気で倒れてしまう。
さあドラマどうしよう?と困っていたところに現われた仕事がないジョンクロかあさん、「私が代役をやればいいんじゃない?」。
大女優なのでこれが通ってしまいました。
つまり視聴者は60代のおばあさんを20代の女性だと思って観ることを強制させられるということなのだが、これは事実なのか?いくらなんでもなくないか?
やがて死が、母と子供たちの袂を分かつ。養母と養女は最後の別れでお互いの様々な感情を清算した。
はずなのだが、最後の最後の最悪なオチに、クリスティーナは泣きながらも思わず笑うしかないのであった・・・・ジ・エンド。
町山智浩氏の」名著『トラウマ映画館』にも『あいにく』は紹介されており、あまりにもドイヒーな内容に批評家の評価は散々、その年の最低映画賞まで受賞したという。
が、へんてこなものを愛好する好事家は存在する。代表格が悪趣味大王のジョン・ウォーターズ。
「この映画のクロフォードは『ジョーズ』のサメやゴジラと同じ」「ひとかけらの人間性も感じられない」と、彼流の言葉で大絶賛だ。
ウォーターズのようなセンスの人々が面白がってやがてカルト・ムービー化し、ゲイや女装趣味者の間では熱狂的に愛される作品となった。
ジョン・ウォーターズはダメ押ししている。「この映画はまったくダメじゃない。それどころか完璧だ」
「親愛なるマミー Mommie Dearest(原題)」という英語は本来の意味を離れ、今でも「子供を虐待する恐ろしい母親」という意味で使われている。クロフォードを知らない世代でも。
(トラウマ映画館「ハリウッド伝説の大女優、児童虐待ショー」より)