今月の『Hanako』誌、特集「吉祥寺のオモテとウラ」に有難く掲載させて頂き候。
「吉祥寺のアナーキーさを象徴する店」と紹介されていて、ワーオ!
んーと、わたくし自身は吉祥寺にアナーキーさを感じたことがないのでありますが。阿佐ヶ谷の北口あたりの方がよっぽどアナーキーだと思う。
吉祥寺の不動産屋を舞台とした漫画家の人の対談も載っていて、作中でバウスシアター閉館に触れ、「吉祥寺も終わったな」のセリフが。
アナーキーインザ吉祥寺があったとすれば、今更ながらそれは恐らくバウスという映画館。メジャー作品を上映しつつ、裏に回ればかなりのマニアックさと遊びに溢れた企画を通していた。
「楳図かずお映画祭」とか「一週間パンクムービー」とか、場合によってはガラガラだったりしたのだけど(イギーポップのライブ映画etc・・・)、それでもやりたいこと優先、洒落が優先という姿勢が吉祥寺カルチャーってことだったんだろうなあ、と思う。
この街はオシャレだけどシャレッ気が足りなくなってしまった。それを考えるとすうさい堂なんかは「これやってオレの人生終わるんだろうなあ・・・」と考えるとかなりブラックな笑いを提供しているわけで、そこらへん、よろしくね。
全然関係ない話だが、キングオブコメディの解散がやはり残念である。
昨今はコントのレベルがどんどん上がって来ていて、サンドウイッチマンとかバナナマンとか面白いなあ、うまいなあと思う。
でもキンコメの凄さは「うまいなあ」とか思わせないところで、「ギャグが直撃」するんである。
高橋健一のほぼ日常会話なツッコミと、今野浩喜の放送ギリギリ感満載の爆発力。役者に転身するには、ちと早い。キングオブコメディの名前は伊達じゃないのだ。
しかしパーケン、今後どうするんだろう。死んでしまった人は人生完結だが、彼の人生はまだ続くのだ。
惜しい才能が終わってしまった(のか?)と思う。
さらに話は関係ない。丸尾末広の『少女椿』が実写映画化ということで、吃驚ぎょうてん。
この作品、アニメ化もされていて、昔は中野の単館上映を観に行ったもんだが、見世物小屋にフリークスという描写を避けて通れるはずもなく(避けちゃったら別物)、大丈夫なんだろうか?
「みどりちゃん」役には中村里砂さんという女子。知らなかったけど、中村雅俊の娘さん(お人形さん!お人形さん!!お人形さん!!!)。
中央線及び世界中に熱狂的なファンを持つ丸尾末広の代表作。成功を祈りたい。
ところで当店も丸尾作品は別格扱いなんである。
誰の本の顔を出して飾ったら一番美しいかと十秒ほど熟考したのち、丸尾本ということになった。
カバーからして、この人の絵や彩色は本当に美しい。で、本を開けば凄惨なエログロ地獄絵図。
伊藤潤二や高橋葉介も然りだが、ホラーやエログロってやつは、絵に魅力がないと成立しないジャンルである。つまらない絵のホラー漫画なんて、ほとんどゴミ。
そして丸尾作品は圧倒的にポップ。無意味、と言い換えてもいい。
古今東西のカルチャーのコラージュ。元ネタを探せばちょっとした教養になる。
日本軍やナチスをモチーフにしたものも多いので、その辺を受け付けない人も多そうだが、丸尾作品はまるっきり無思想。そのポップさ無意味さゆえに、幅広いファンがいる
(人間の業とか情念とか、本当にドロドロしたものを読みたいなら花輪和一。こればかりは手放せなかったりして。少々なマヌケさも含めて最高)。
ファシスト、ファシズム、ネオナチ、全然関係ない。
絵がまったく劣化しない。それどころかさらなる高みにのぼっていて、近年の幻想文学とのコラボ『パノラマ島奇譚』『芋虫』『瓶詰めの地獄』なんか、これらを漫画として描き切れるのは、さすがに他にいないでしょう(「パノラマ」は手塚治虫文化賞!)。
初の続きもの『トミノの地獄』も2巻以降が楽しみである。
偶然なのか最近、古屋兎丸の『ライチ光クラブ』とか杉浦日向子の『百日紅』とかのいわゆるサブカル漫画作品の映画化が続いている。サブカルチュア復活か?だと良いな。
ついでに山野一『四丁目の夕陽』や、大越孝太郎『マルサイ』なんかも映画化して、スクリーンに地獄の花を咲かせて頂戴。