欅坂46周辺の雲行きがどうもあやしい。
セールスも人気も絶好調なのだけど、今泉さんの体調不良による休養に始まり、エース平手ちゃんの声が出なくなる事件、サイン会で平手ちゃんを刺そうとしたバカが逮捕される事件(事前に発煙筒を焚いたことなどから、本当は実行する前に捕まえてほしかったんじゃないかという気もする)、配信動画での態度が悪いと人気メンバーが袋叩き、そしてとうとう先日のライブでは、体力の限界を超えた平手ちゃんがアンコールを前に途中退場するという事態が起こった。
これが初日。このあと続くツアースケジュールを見たらゾッとした。アリーナだからひとつでも落とせないのだろう。やり切るしかないんだろうが、しかし雑魚みたいなアイドルイベントにまでぶっこむことはないんじゃないか。
地獄のツアーになるのか、全員で乗り切るのか、今のところまったく読めず、とにかくこの嵐を呼ぶアイドルから目が離せないでいる。
ファーストアルバムのタイトルが『真っ白なものは汚したくなる』(百点!)というのだけど、深読みすれば「真っ白なもの」とは、欅坂自身のようにも思える。
「運営が悪い」「なんでそんなにこき使うか」云々はいろんな人が言っている正論であり、なおかつ言っても詮無いので書かない。どうにもならない。
それより言及したいのはアルバムのリード曲『月曜日の朝、スカートを切られた』(タイトル百点!)に、ネットで物言いがついたということ。
実際にスカートを切られる被害にあった女性が「不謹慎です」と署名を集め、それに賛同する人が二千人ほど。
「たくさん傷ついている人がいる中でこんな曲を出すのは不謹慎だと思いますし、この曲のせいでこのような犯罪が増えてはとても困ります」
それはわかる。この人の要求はこの曲が人々の耳に届かないようにしたい、つまり放送禁止が望ましいということなのだろう。が、こういう曲を作って発表してもよいという表現の自由もある。
一番悪いのは実際にスカートを切る連中なんだが、こればっかりはどうしようもない。
欅ファンからも反発や弁護の声も上がっているけど、自分は「あ、これはちょっとすごいことだぞ」と盛り上がってしまったのだった。
「この曲は犯罪を助長する。だからよくない」と訴えられた。しかし昔から犯罪を助長すると言われた音楽・映画・小説・漫画など、思い出せばカッコいいものばかりではないか。
過激な歌詞のパンクやメタルやフォーク、スラッシャー映画、猟奇小説、バイオレンスなコミックといったものの中にアイドルのカテゴリーから参入する者が出た、ということが痛快、とか書くと嘘臭いか、なんか「いい感じ」。
しかも売れまくっている。あとは放送禁止でもなんでもすればいいのである。
それに対してロックバンドらしきものは「ぜんぜんぜんせ」。一体なにやってんだ。
個人的には『月曜日~』の歌詞の、強烈なニヒリズムには少々驚かされた。
尾崎豊でさえ「先生あなたは~」と歌っているのに、「作り笑いの教師」である。
「あんたは私の何を知る?」。やっばい。「あなた」じゃなくて「あんた」。やっばい。
いろいろ物議をかもす欅ちゃんの歌詞だが、結局は秋元康の暴走にある。このプロの作詞家はあえて、舌っ足らずに「大人への反抗」を歌わせている。
アイドルの歌詞はラブラブビームがどうとか、いやちょっと真面目に書くと「あなたを思うと今夜も眠れない」とかが多いと思うのだけど、そんなことを言われた記憶がないのでよくわかりませんの。
といった、アイドル門外漢も巻き込んでの欅坂人気だと思う。
そして「アイドルらしからぬ」「アイドルとは思えない」という声が多い欅坂の曲。そう思ってる人、全部間違い。
ちょっと想像してほしいのだが、『サイレントマジョリティー』『不協和音』といった曲をバンド、ソロシンガー、男性アイドルが歌った場合、まったく面白くないし何の説得力もない。
あくまで女性アイドルが硬派に歌い踊ることによる化学反応なわけで、これらは確実にアイドルソングなんである。
もちろん『二人セゾン』も超名曲。この路線で行けばアンチから叩かれることもないのだろうが、秋元先生が恐らく冒険することを封印していた表現欲求に火がついてしまった。それは恐らく、平手友梨奈という存在が大きい。
『世界には愛しかない』。そんなはずあるわけがない。あえてそう言い切っている。
振り付けのTAKAHIRO先生(マドンナのバックダンサーなんだって!)についてもそれは恐らく同じで、『エキセントリック』でローファーの靴を振り回して放り投げる「お行儀の悪さ」は最高にカッコいい。
これも深読みすれば「ローファー=制服の一部」で、それを投げるという行為のメッセージを読み取ることも可能だ(ぼくだけですか?)。
アイドルをちゃんと好きになったことがないので「欅坂ってなにがいいの?」と聞かれるとつい「えーっと」となってしまうのだが、今思いついた。欅はエモい。
これは本当に自分だけだと思うと前書きすると、世代的にはジュリー(沢田研二)の全盛期を見ていたときの感覚に近い。
彼は国民的アイドルでテレビでコントもやる人気者だったけれど、曲を出すたびに必ずサプライズがあった、あの感じ。別に賛同してくれとは言ってないですよ。
動画サイトで散々見てきて、いざアルバムが出ても「自分が買う意味があるのかな?」と思っていた欅坂なのだけど、もう「満身創痍のてち」にリスペクトするっきゃない。久々に「するっきゃない」とか使ってみた。
明日、日曜日の朝、CDを買いに行く。
そしてこれは書いておきたいこと。「欅坂は厨二病」とか揶揄している人びと。
「中二」という概念は面白いと思うし、「あの感覚」を表すにはぴったりの発明だと思う。
しかし、それに「病」とつけたのはどこのどいつだ。思い出して欲しいのだが中学二年生で好きだったもの、それらは完全に自分のルーツになっていないか。実際、中二頃に好きだったものは今でも好きだ、と自信を持って言える。
自分の場合は坊主頭で校則ガチガチの学校だったので「こんなところは出たら好き勝手にやってやるんだ」と思い、詳しくは書きたくないが大失敗した。
でも、そういう青臭い感覚も大事なのではないかなあ。「中二病」とか平気で使える人は、青臭いものとはちゃんとおさらばできる立派な大人なのだろう。
わたくしはおっさんだし年齢的にも立派な大人なのだが、絶対におさらばなんかしてやらないのだ。おとなになんかならないぞ。