先日は久々に北千住まで出向く。ブルーフィルム、じゃなかった「シネマ ブルースタジオ」という劇場で北野武特集なのである。
もう十数回観ているのだが、せっかくのホリデイですからってことで『その男、凶暴につき』(89年)を鑑賞。
名作じゃないでしょうか。初監督とは思えないくらいキレまくってます。これ、日本版ダーディー・ハリーをイメージしていたのかも知れないが、ハリー・キャラハンは正義という大義名分を持っている上で暴れてるのに対し、ビートたけし演じる我妻刑事には倫理観や正義感がまるで感じられない。ほぼ、己の衝動のみで行動する。
ホームレスを襲撃した中学生の後をつけ、家に上がりこんでボコボコにした上で自首を要請。
追跡した犯人に追いつかないとみるや、あきらめてだらだら歩き出す。しかもその犯人を車で轢く。
麻薬の売人には自白するまで連続ビンタ。マジでやってるよなこれ。
違法に逮捕した殺し屋(白竜)を監禁・拷問。たけしを狙って白竜が発射したピストルを足で蹴れば、弾が逸れて通行人のねーちゃんの頭を直撃(これ、ギャグのつもりだったのかなあ?)。
自身の脚本ではないが、たけし節がそこら中で炸裂。
海外公開版のタイトルは『VIOLENT COP』らしいが、それじゃ「あぶないデカ」だよ全然ちげーよと思う。
とても体温が低い作品。冷血と言ってもいい。これに比べたら極悪非道を謳った『アウトレイジ』なんかは「仁義」のテイストが裏レシピなので、だいぶ叙情的である。
キャスティングも白竜、レストラン経営者で麻薬の元締め・岸辺一徳、警察署長の佐野史郎(警官というよりナチの高官にしか見えない)など、役者の爬虫類度の高さがさらに体温を下げる。この作品を見て以来、何をやっても目が死んでる岸辺一徳がとてもこわい。
ちょっとだけほっこりするのが、知的障害があるらしい妹役の川上麻衣子だが(もちろん具体的な説明は省略)、それとて悲惨なラストを迎える。そしてたけしの死に様に関しては「おお!こんなカッコいい演出だったなっ」と改めて感心する。
しかし当時のたけしのカッコよさは特筆もの。自然体なんだけど、とんでもないヤバさを秘めた雰囲気。要するに艶っぽいということか。
カメラマンが被写体として撮りたい男のダントツ人気は、「ビートたけしと泉谷しげる」という記事を昔、何かの雑誌でちらっと読んだ記憶がある。
暴力はド派手に展開すると痛快だったりするが、小出しにされると見ている者にも痛みを伴う。
北野作品の基調であるところの、突発的に巻き起こる暴力。歯医者のドリルで口の中をグチャグチャにしたり、バッティングマシーンのボックスに縛りつけて死ぬまでデッドボールを浴びせたりとかね。
実は本作と次作の『3-4x10月』は封切で観ているので、自分は先見の目があるなあと思う。
来週は結局やっぱり大傑作であるところの『ソナチネ』をみにいくんだ。
客は全部で四人。都営じゃなきゃ確実につぶれてる。
鑑賞後、「吉田類」みたいな友人のナビで北千住と、浅草橋まで出向いて飲む。財布に優しい店じゃなきゃおっかなくて酔えない。オレにはハモニカ横丁なんていらない。
お盆も過ぎまして、ブログもさぼっていましたが先週、我々にとって伝説の男が西方から上京しまして、本当に久々に「いせや」なんかに行って参りました。
いや、オサレになって。出してるものは変わらないんだが。吉祥寺のソウルフード、らしいけどべっつに普通の安い焼き鳥である。以前のボロボロの店で飲むのがよかったんだろうね、とか言っても老朽化だからしょうがないか。実は大して思い入れもなかったりして。けどちょっと、なんかなあ、と思わなくもない。物事はやっぱり同じところにはとどまってくれないらしい。
で、なぜか先日、ミート・イズ・マーダー的なノリで焼き鳥食ってると非難を浴びるという夢を見た。
多分、知り合いの女子が急に肉を絶ってベジタリアンになったことが少し気になっていたのかも知れないが、あれですねえ、ライオンは生きるために他の動物を捕らえて食いますね。
新橋のおっさんも仕事帰りに一杯ひっかけつつ焼き鳥をつまみます。それも同じ。生きるため、である。
家庭料理をちゃんと頂くのもいいけど、「生きる」ってそういうことでしょう。
人間なんてろくなことをしないが、食事として提供された動物の肉はちゃんと食べてあげればいいんである。
以前知り合いと晩飯を取ったとき、彼のオーダーは「ステーキをレアで」だったのだがしっかり焼かれて出てきた。
でも彼は「牛のことを考えると文句言えない」と黙って食った。命を大切にするってのはそういうこと。故にメシを平気で残す奴は嫌いだ。
ついでの話だが、最近荻窪にある小さいカレー屋がお気に入り。本当に小さな看板しか出していないのでほとんどの人は通り過ぎると思う。
甘口と辛口しかない(トッピングはある)ごく普通のカレー。自分は辛口しか頼まないけど、うまい。中央線で一番かも知れない。
一人で切り盛りしてる店員の兄ちゃんの無愛想さもいい。
最近足しげく劇場に通うシネフィルの私ですが、観ているものがほとんど昭和40年代の東映娯楽作品。
昔であればこのような番組が上映される劇場は「ションベン映画館」(実際、トイレがくさい)などと言われて蔑まれていたものですが、再評価の声も上がりレアな作品に出会える機会が多くなったのは良いことかと思います。
ションベン映画というのもなんですので、シャレオツに「アンモニア・シネマ」などと呼んでみてはいかがか。その手の映画ファンは「アンモニアン」、ってこの発想からはちょっと離れましょう。無理だわ。
ともかく今、ラピュタ阿佐ヶ谷のレイトショーが熱い。『渡瀬恒彦 狂犬NIGHTS』である。
わかってらっしゃる。東映作品で最も狂犬の称号にふさわしい暴れっぷりを見せているのは、実は菅原文太ではなくて渡瀬恒彦である。実際、当時の芸能界で一番ケンカが強かったと言われている。
彼のデビュウ作・『殺し屋人別帳』(監督/石井輝男・70年)を鑑賞。まだ初々しく狂犬ぶりは控えめだが、ビデオもDVDも未発売なのである。
いわゆる任侠ベースなので話は古臭いが、監督が監督なので部分的にアクが強い。そこがとても変。
渡瀬自身は組織に逗留している流れ者で、最初から最後までぶらぶらしてるだけ。
最も印象が強いのはフランス帰りの殺し屋を演じる佐藤充で、仏語でタバコをねだり(自分で買えよ)、ずーっと口笛を吹いてる。キザと言う演出を通り越して、バカ、かも知んない。
流しの嵐勘寿郎の正体は、子守唄をうたいながら人を斬る殺し屋。うーん。
刺青をライターで炙るという残酷なシーンがあるのだが、そういうところは執拗に長くてエグい。ラストの斬り合いにおける血糊の量はスプラッタ的。テリー石井の作品はストーリーよりこういう細かい悪ふざけが重要である。
あとはやっぱり、出てるだけでなにをやっても面白い由利徹。
先日は同劇場で小林旭×宍戸錠の『縄張り(シマ)はもらった』(監督/長谷部安春・68年)を鑑賞。
集団抗争劇の先駆けか。いわゆる「渡り鳥」的ではないアキラ。刑期を終えたアキラが組長の恩義に報い、組を再建するためとは言え、汚い画策もする。地元民に味方する昔ながらの任侠ヤクザ組織を潰してしまう展開はなかなか斬新。
宍戸錠という人は自分の中ではハカイダー的な位置づけなのだが、この作品ではハカイダー度が増量。アキラの敵なんだけど最終的には味方する、みたいな。かなり黒光りしたカッコいい存在感を見せる。
あとはやっぱり、本名の太田雅子時代の梶芽衣子さんが見られます。おっぱいも見せてくれます。
『闇金ウシジマくん』でお馴染み、真鍋昌平作品集『青空のはてのはて』(講談社)、読む。
いろいろなタイプの短編が読めるが、基本的な気分は「やってられねェ」。この気分を描かせると著者は抜群に上手い。
ウシジマくんに登場する客たちのダメさ加減と言ったら。特に食べ物に関する描写。
煎餅に辛子を塗って涙ぐみながら「うまっ!」「からっ!」とか言いながらむさぼり食う。いや、気持ちはわかるよ。気持ちはわかるが、そいつのダメさを絶妙に浮き彫りにする。
財布の中身が薄いサラリーマンが友達に牛丼屋で、「何でも奢ってやる」なんて言ったらその友達は一番高い定食にサラダまでつけて、それを見てなんだこのヤロー、みたいなシーンがあった気がする。まあどっちもどっちではあるんだが。
丑嶋馨はフィギュア化されているから、ガシャポンあたりで「ウシジマくんとカウカウファイナンスのたのしい仲間たち」みたいなシリーズを作ってみたらどうか。やっぱ、売れんか。
商業誌デビュー作『憂鬱滑り台』は、強盗に手を染めてしまった若者二人の行く末。
商業誌で勝負を賭けて見事に砕け散ったらしい『暴力(バイオレンス)ポコペン』は、念願の意中のキャバ譲とドライブし(なぜかキャバ嬢の女友達までついてくるという状況)、心霊スポットへ向かったはいいが、そこにたむろする不良少年たちに包囲されてしまい、さてどうやって逃走する?という話。どちらもエンタメで面白い。
『かわりめ』『星に願いを』は、やっぱりダメっぽい人々を叙情的に描いた作品。この辺のテイストも真鍋作品には重要だったりする。
『最後の居場所』は衝動的にハムスターを拾った青年が、当初はかわいがっていたが内心のところはだんだん面倒になってくる。その矢先にハムスターは交通事故で死んでしまう。絵柄もまったく違うこの本の中では一番の異色作。つげ義春の「チーコ」に近いかも。
狂ったアメコミ調の『超人ドビューン』『ハトくん』の合間を、ブラックなショートショートが埋める。
タイトル作は通勤ラッシュにおけるサラリーマンの妄想を描いたもの。これもまたやるせねェ。
普通の人の普通の弱さを掬い上げるのが上手いのだと思う。ウシジマくんも表面上は暴力的だが、だんだん「救い」がテーマになっていく。読むといろんな意味でナイーブな気分になる。
誰しもいつだって青空だけを見ていたいのだろうけども、ずっと続く青空っていうのも趣がない。
佐世保の、友達を殺して死体を切断した少女。
ネットで検索するとすでに顔写真や本名が出回ってる。常々、被害者だけが媒体にばらまかれる不条理さを感じていたので、こういった制裁もアリなんだとは思う。
ただ、親はともかく兄のプロフィールまで公開されているのはひどいのではないかね。自分にとってモラルの境目ってのはその辺である。
ものすごい血統書付きの家系を見ると、ああ、こんな突然変異も生まれるわ、と正直思った。
自分みたいな者から見れば、これだけ文武両道ってのは明らかに異常。親の期待に立派に応えるという劇薬。狂気を育てるには立派な土壌。
心の闇が云々、というより、元来ピュアなサイコパスなんじゃないか。
この娘の心は闇じゃなくて、煌々と明りが照らされてるだけで、そこにはなんにもない。多分。
しかも16才になる数時間前にコトに及ぶという確信犯。
とか書いててなんだかめんどくさいこと言ってるなと思ったが書いちゃったのでもういいや。
ところで私が懇意にしていたクラブがほぼスナック仕様で高円寺に復活した。看板もまともに出してないので詳細は省く。
まったくこの変わり身の速さはすごい。オーナー、ちょっと尊敬する。ここでまた溶けて流れそうなDJなどやります。
ちょっと遠くなったが、続けるのは立派なことだと、一応。
このハコで(旧)観たライブで最も印象に残っているのは、自らの手首をノコギリで切って病院に運ばれた「悪霊おばけ」クンだろうか。今どうしてるのかと思えばまだやってるらしい。
このくらいココロノヤミを開放できれば、人なんか殺さなくてもいいのになあ。