先日はまっつん構成員と高田馬場にて『マチェーテ・キルズ』を鑑賞していたのだが、ますます中学生感覚が爆発しており、劇中にて予告された三作目は相当くだらないものになりそうな予感。
まあ、楽しきゃいいんです。超一流が揃ってバカバカしいストーリーを真面目に演じている。
で、馬場の安い焼きとん屋で飲んだのですが、ビールケースで作った外の席が明らかに道交法違反。
なんかのアトラクションのように横を車が通る。しかもビールケース席を傾斜の上に作っているものだから、うっかりすると大惨事。危ないあぶない。
で、近くの猫公園に移動。改めて見ると「猫って小さいのだなあ」と思う。夜行性の地域猫五匹。
ヂル会長も猫界のあんあんとか、のんのとか言われている『猫びより』七月号にてデビュー。
無愛想無愛想と言われちゃいるが、トイレのあとに砂が掻けなくて、トイレットペーパーをからんからんする動画なんかをネットにアップしてごらんなさいよ、「萌え死ぬ~」とかきっと大変だよ。やんないけど。
どこを切り取るか、つうことですな。ちなみにマーキングは一度もしたことないし、毛玉も二回くらいしか吐いたことがないし、猫にしてもらえると嬉しいことを何一つしてくれないという奇跡の猫である。現時点も別宅(ラブラバ)で好き放題している。
ここのところヂル中心の取材が続いている。昔は「ジャルダン吉祥寺」として特集されたもんだが、はつきり言つて魅力のある店並びじゃなくなっているという事でしょう。激減した客足がそれを証明している。
お世話になっていたクラブ/イベントスペース「Fourth Floor」も先月でいきなり閉店。
後半はカラオケやら麻雀大会やら卓球やらと随分迷走していた感があるが、ここではいろいろと遊ばせてもらった。
いろんな話も聞くけど、今まで継続してきたオーナーはある意味大物だ。吉祥寺の歴史には残んないけどさ。
ものごとはずっと続くと思ってないが。バウスももうないし。次は何だろね?泣いてない。
ところで勝手ながら定休日が火曜と水曜になりました。ゆとりの週休二日制です。
なんだかんだで、男性作家が描くホラーや猟奇は、どこか無邪気なんである。エグい表現もエンタメのひとつ、ということ。
楳図かずお、日野日出志、山岸涼子がホラーマンガの三羽烏だと思っているのだけど、この中で誰が一番ゾッとするものを描いているのかといえば、山岸涼子さんである。
発想に情け容赦がない。『鬼来迎』『夜叉御前』『狐女』『天人唐草』あたりが特に突出している。
血も内臓もモンスターも出てこないが、切り捨て方が冷酷すぎるのである。この人に比べたら日野氏なんかは叙情的だと思う。名作『蔵六の奇病』『地獄小僧』『毒虫小僧』を見よ。優しいから好きなんだ。
視覚的に一番ぶっとんでるのは伊藤潤二かも知れませんが、着想がぶっとびすぎていて個人的にはギャグの琴線に触れてしまうのである。
で、知られざる名作ホラーコミックを紹介。円山みやこ・『蟲笛(こてき)』である。青林工藝舎より復刊。
実際の事件からヒントを得た作品が多く、正統派少女マンガの絵柄だが、とにかくヒリヒリしている。
ぶっちゃけ、陰惨すぎるし後味も悪い。それでもとことん描いてしまう作家としての業。仕事でやってるんだとしたらなおさらすごい。
『傷の軋み』。学校にも行かず裏ビデオのチラシをポスティングしている少女は、家に独りでいるときに巨大な芋虫の幻影を見ている。その正体は、彼女を虐待する父親。
『葉隠しの家』。ひきこもり息子が自宅で監禁している少女を黙認している母親は、その子を「盆栽」に見立てている。
「盆栽の・・・いらない枝を割って」「皮を・・・はいで枯れさせて」「一部分を骨みたいにするのよ」
女子高生コンクリート詰め殺人事件をモデルにした表題作。
『ハイエナの粉』。リンチ殺人事件の実行犯を兄に持つ少女。彼女はインターネットで自分のプロフィールを公にされてしまう。
そして母親宛てに、自分の骨を59グラムずつ封筒に入れて郵送してほしい、との遺書を残して自殺する。
彼女なりの、世の中への復讐。
『哂う花』。これはオリジナル。「生理」を主題とした、男には思いつかない、もう本当に、なんとも言い難いホラー。被害者は一人も出ないのだが、おぞましさで毛穴が開く。
清楚な美しい転校生は人間じゃないのかも知れません。月のものが「アレ」だから。
読後、しばらく気が滅入る。どれもこれも読み手と刺し違えるような作品集である。
人はなぜ残酷に惹かれるかと言うと、それがどこかエロティックな要素を含んでいるからである、と、思う。
シリアルキラーの実録ものが流行したのも、彼らの行為が抑えきれない屈折した性欲によるものだったからというのが大きいんじゃないか。
人気がある殺人鬼というとやはり、ヘンリー・ルーカス、テッド・バンディ、チカチーロ、ジョン・ゲイシー、ジェフリー・ダーマーあたりで、こう並べてみるとヘテロであるルーカスやバンディがちょこっとだけ、まともに見えてくる。掘り出した死体を使ってチョッキや椅子やランプシェードなどを製作した職人さん、エド・ゲインも忘れがたい。
射殺魔のチャールズ・ホイットマンなんかがいまいち地味な印象なのは(それでも30人以上殺したんですが)、要するにセクシャリティに欠けるってことなのか。人気者シリアルキラーってのはなんと、セクシーな存在だったんである。
さて、大越孝太郎『猟奇刑事マルサイ』(コアマガジン)である。帯には「人間椅子」のメンバーによる推薦文。
『この本をワクワクしながら読みおおせたあなた、あなたは人として立派に倒錯しています。』
まさにその通りで、ああ読みおおせちゃったんだなこれが。とてつもなく残酷。かつエロティック。
作者の女性に対するサディズム描写には凄まじいものがあって、この点では猟奇の大御所・丸尾末広や花輪和一もはるかに及ばない。
そして女性キャラの美しさ。ほんとにかわいいし、きれい。顔の表情なんかもリアルに色っぽい。
が、大越氏のペンにかかれば彼女たちがもう、ムチャクチャな目に合う。
意識不明のまま、生前葬プレイで陵辱されて殺されるM女の話なんてのは単なるイントロ。
『地底の星』。シェルター研究チームの夫婦が実験として一年間、北海道の地中で暮らすことになり、最初は仕事しなくていい、食料ある、エッチし放題でその生活を享受していたが、地上で監視していたチームの研究資金が底を尽き、逃走。そのまま閉じ込められた夫婦に襲いかかる狂気の結末。
『恍惚の女医』。四肢切断を望み、それを実行する女医。彼女がなりたかったものは、性欲だけで生きるおぞましいだるま女。
『人間按摩椅子』。明らかに乱歩のオマージュである、人間椅子男。同じ性癖を持つ人間椅子女も登場。
『ラチカン』。拉致監禁のエース、ゲイリー・ハイドニクあたりをフェイバリットとする、自宅の地下室でさらった女たちを飼う変態医師。言うことを聞かなきゃ乳首もちょん切る。
『アイツを許さない!』。自分の復讐のために無関係の女子をさらい、乳房や指を切断して相手に送りつけるキチガイ女。
『シリコンラバー・ドーターズ』。等身大の愛玩人形が連続して傷つけられ捨てられる事件が発生。捜査線上には長身の男性が浮かび上がるが・・・。推理ものとしても出色の出来。
『孤高の鬼』。体にシリアルナンバーのタトゥーを彫られた風俗嬢たちが自慰行為で達しながら、飛び降り自殺する事件が頻発に起こる。彼女たちの元締めは、M女を専門に提供するサークル代表の女・メア。
催眠暗示で彼女たちをコントロールしていたメアは、伝説の調教師のもとに、彼の術を盗むためM女として飼われ、潜入していたのであった。
「マゾ女の幸福」という、なかなか常人には踏み入れられない域を描いてラストを飾ります。
この本は究極の踏み絵である。ダメな人はまともにページも開けないと思う。
うーむ、やはり「俺の」バウスシアターをノイバウテンみたいなクソバンドで終わらせるわけにはいかねー!ってことで、先日はちょい店を抜けて『ミッシェル・ガン・エレファント THEE MOVIE LAST HEAVEN 031011』を観てきたのである。ちょっとうどん食ってきます、って感覚だ。
もうあんまり語ることもないけど、キザでいいバンドであった。等身大を売りにしてる連中ばかりの中で、彼らの存在はさらに輝いているような気がする。そんな奴らが「発泡酒」だとすると、TMGEは「ハイネケン」である(相変わらずいい例えするよなあ俺って)。
最後の最後まで衣装を着替えなかったチバとアベ。特にチバはキメキメのスーツ姿で登場したのがはるか昔のように、汗だくのシャツで歌いまくる。投げキッス魔のウエノ。モヒカンでも怖くないキュウちゃん。
日本語カウパンクの到達点『ジェニー』の乱痴気騒ぎも素晴らしいが、ラストナンバー『世界の終わり』で、声が出なくなったチバが、思わずギターを殴るように振り下ろす「一瞬」が、とてもいい。
横ではもはや死相が漂っているアベフトシ。一弦が切れてしまったギターをかき鳴らす。
(同名のバンド、ちょっとそこに座んなさい!って感じだ)
本日も爆音映画祭は開催中で、そのあとにライブイベントも続きますが、とりあえず自分の中ではこれで〆た。ちょっとここで劇場の写真なんかを載せたりするとおセンチなブログにもなるのでしょうが、写真は撮るのも撮られるのもまったく興味がないんである。
終わっちゃうものはしょうがない。おさらばである。泣いてない。
明日は『LIVING DEAD★COCKTAILS』@渋谷・アップリンクファクトリーです。
前作『毎日ぞんび』をリミックスした作品での上映となりました。よろしかったらどーぞ。
先日もバウスに入り浸って三本鑑賞。
まずは内田裕也主演の『餌食』(監督/若松孝二・1979年)。
色褪せて赤茶けた傷だらけのフィルム。音楽はピーター・トッシュ/マトゥンビによるレゲエ。
爆音ってつまりはボトムなのだと思い知らされる。ベースの低音がビンビン来る。
このチョイスが奇跡であり、ラストバウス最大の収穫なんじゃないかと思う。
ニューヨークに渡った音楽プロデューサーの裕也氏はレゲエバンド「ソルティ・ドッグ」に衝撃を受け、これを日本で発売しようするが、かつての仲間たちはアイドル専門になっていたり、外タレのプロモーター&彼らに提供するクスリの元締めになっていて、まるで売る気がない。
裕也氏は族あがりの兄ちゃんが彼女と同棲しているアパートに転がり込む。家主はしょっちゅう南部式拳銃を磨いている、戦争のトラウマを背負っていそうなジサマ。
裕也はレゲエバンドの招聘、兄ちゃんはナナハンを手に入れること。それぞれの夢をかなえる為、彼らはジサマから借りた銃で、クスリの取引現場を襲撃する。
(しかし粉を舐めて「グッド」なんて言うシーンを久々に見たが、あれ大丈夫なのかね?)
それにしてもレゲエである。こんなに硝煙の匂いが漂うような危険な音楽だとは思わなかった。裕也先生が相手をフルボッコにするシーンにも使われているが、これがまた恐ろしくハマる。
発酵したフィルムに映る昭和の街もいい感じ。三丁目のCGがいくらがんばっても出せない色。
この作品は未DVD化で、ビデオもほとんど置いてるところがない(吉祥寺にはあったような気がするんだが)。『鉄砲玉の美学』もそうだけど、多分音楽の権利関係がクリアになっていないからだと思う。
そしてこの当時の裕也氏のトッポさである(まあ、今でも十分トッポいのですが)。無差別殺人をキメるラストシーンのクールさ!
彼は昔から存在自体に賛否両論ある人だが、こういう作品に触れるとやっぱり、針が「カッコいい」を指す。
あの冷たい三白眼。どうやって生きたらあんな目になるんだろうか。しかしながら、昔からアレにやられているのである。
二本目は『ファントム・オブ・パラダイス』(1974年)。
ストーリー云々よりも荒唐無稽なポップさが楽しい。「オペラの怪人」をケバケバしくアレンジしたロックミュージカル。むせかえるような70年代カルト映画の香り。
深夜テレビで観て以来だから約20年ぶり。
愛され度としてはブライアン・デ・パルマの作品中ダントツであろうことの証明に、平日昼間であるにも関わらず満員御礼。ファントムがカッコいい。
三本目、『シャッフル(80年)/ノイバウテン 半分人間(85年)』。石井聡互監督の二本立て。
驚いたことにこんなマイナー作品に立ち見まで。自分は「シャッフル」目当て。
つきあっていたホステス(室井滋)を殺して逃げるチンピラ。それを追う刑事というシンプルな話だが、主人公が頭を剃り上げてスキンヘッドにする冒頭からして不穏。
過去が狂ったようにフラッシュバックするランナーズ・ハイのシーンや、思わず引きつった笑いがおこるラスト。
まったく、短編映画のお手本のような作品(30分)。
刑事役が今ではルポライターとして有名な森達也氏。名著・『放送禁止歌』は当店でめちゃめちゃ回転します。
そしてこの作品も爆音装置によりべースのボトムがブリブリと迫る!ぶっほほっ、である。
アインシュツルツェンデ・ノイバウテンってのは当時、鉄板やらドリルやらを使ったパフォーマンスで「前衛」と持ち上げられていたドイツのバンドだが、自分は名前とイメージしか知らなくて、まあ観てみようかなと思って鑑賞したのですけれども、・・・寝ました。これアートなの?ドカチンがいるんだけど?
所詮ノイズ。ロックンロールやレゲエの普遍性の前にはお呼びでない。