突き詰めると映画ってやつのほとんどは、「異常な状況を楽しむもの」だと思うんですよね。
「タイタニック」だって、巨大客船が沈んでみんな死んじゃうようかわいそうだようおいおいおいってことで、泣くのだろ?
そういう意味でホラーは王道である。と、若干言い訳をしておいて、先日、渋谷シアターNで開催されている『ハーシェル・ゴードン・ルイス映画祭』に行って参りました。
彼の作品が劇場にかかるのは本邦初ということで、これはちょっとした事件なんである。
ここはホラーとロック映画をメインとするビッとした劇場なのだが、12月で閉館するとのこと。ビッとした経営方針を貫いていると金子(きんす)が集まらないという、なんとも残念な現実であります。
H・G・ルイスとは、人間の解体や内臓を見せつける、「ゴア(血塗れ)映画」を世界で初めて撮った人。
この手の映画の元祖なのだが、スプラッターというほど勢いはないし、スラッシャーというほどキレもない。
ホラーってのは基本的にストーリーが楽しめて、フックとしてショック描写が入ったりするものだと思うので、実は玄人の仕事である。
ルイス作品がすごいのは何から何までド素人丸出しなところ。低予算で雑で投げやりでテンポも間も悪く、全体的に「もっちゃり」している。
それでも「盛り上がらないまま」見せられるゴアシーンはなぜか生々しく、独特のひゃっこさと背徳感を放っている。
だいたいバックに流れるのは「もよ~ん」「ぼわわわわわわ」といった、安っぽいシンセの音。
これに比べたらジェイソンなんてマッチョが暴れてますね、ぐらいの健全なもので(実はまともに観たことないんだが)、初見では「ものすごく嫌なものを観たなあ」と思うのだが、それっぽい言い方をすればあの「モンド感」に体が馴染むと、じわじわと効いてくる。
「ちゃんと」作られたホラーに比べれば欠陥だらけのルイス諸作品が、クールというよりはなぜか、キュートに見えてくる。実際、ダビングビデオで『血の祝祭日』『2000人の狂人』『ゴアゴア・ガールズ』を所有していたりなんかして、愛でた愛でた。
これはほんと、人に言えない悪趣味。
今回鑑賞したのは未見だった『血の魔術師(THE WIZARD OF GORE/70年)と、『ゴッドファーザー・オブ・ゴア』。
「魔術師」は、夜な夜な女性客をステージに上げ、残酷になぶり殺すショーを繰り返す、魔術師モンターグが登場。
殺害方法が凄まじく、チェーンソーで体を真っ二つに切断したり、五寸釘を頭に打ち付けたり、剣を飲み込ませたり、プレス機で体に穴を開けて内臓を抜いたりする。
が、「魔術」なので、ショーが終わると女性たちは無事に生き返り帰路につくのだが、その途中でステージでされたことと同じ方法で惨殺される。その事件を追うスポーツ記者とテレビキャスターのラヴラヴカッポゥ!
と書くと、ものすごいサスペンスっぽいのだが(他の監督が撮ればそうなるんだろうけど)、実際見てみればわかるんだが、もうグダグダのヘロヘロのぺったらぺたらこ、です。
一応、観客を煙に巻くようなオチがあるのだが、多分「こんなの思いついちゃったんだけれども~」ってなノリで撮影されたに違いない。
「哲学」とか「SF」とか「傑作」とかの言葉を鵜呑みにすると、口から屁が出るような脱力感を味わうと思う。
私は「さらにダメ感割り増しでお得だ!カッコいー!!(かわいー!!)」と、素直に捉えた。
ちなみにこの映画のサントラは、バーレスクショーのハコバンのようでとてもカッコいい。
トラッシュなルーツ探しに余念のない、サイコビリー兄貴やガレージパンカー諸氏には是非、ご覧頂きたい一本。
『ゴッドファーザー・オブ・ゴア』はルイス師匠の人生を追ったドキュメント。快活に喋る明るいおじいちゃんである。
最初は「ヌーディー・キューティー」を製作していたが(出演者の男女が全裸でビーチ遊びをしたりツイスト踊ったりという、バカしか観ないジャンル)、なにかもっと刺激的なものを!というわけで、世界初のゴア映画、『血の祝祭日』を監督・配給。
舌を抜き取ったり脳味噌をばらまいたりという猟奇な描写が受けて映画は大ヒット。評論家筋にはシカトこかれる。
そして師匠は「あれ?イケるんじゃね?」と、やや「間違った」表現者魂に火がつき、続々と残酷映画を送り出して世に問う。いや、問うてないか、別に。
よく「金儲け主義」と言われていたが(どれも「祝祭日」ほどヒットしなかった)、意外と映画制作を楽しんでいたようである。
相棒と苦労話を懐古していたが、あの作風でも苦労あったんだ、とか思ったりして。
御大いわく、「私の代表作は『2000人の狂人』で、あの作品で映画史に名を残した」と語っていたが、普通の人にはなかなか見つけにくい足跡であります。そういうところがキュートであったりするわけなんだが。
先の「魔術師」は小学校の講堂を借りて撮影した(とんでもないなあ!)などのエピソードを語りつつ、監督業を引退した後はマーケティング会社で成功を収めたりしていて、実にまっとうな社会人。
最近はホラー映画祭などにゲストとして呼ばれることも多いようで、自作のカントリーソング(「2000人の狂人」のテーマ!)を元気に歌う姿は、日本において恐怖を司るあのお方、楳図かずお先生を連想してしまった。
監督はドイツの変態・フランク・ヘネンロッター。ジョン・ウォーターズもコメンテーターとして登場。
「究極のゴアはポルノに似ている」の言葉になんとなく納得。たしかにルイスの映画は淫靡である。
見ちゃいけないものを見る後ろ暗い快感。
ルイスが極端な突破口を作らなければ、ロメロもサム・ライミもトビー・フーパーもタランティーノも三池崇史もいなかったかも知れない、と考えると、ちょっと偉いひとに思えてくる。
『悪魔のかつら屋』や『シー・デビルズ・オン・ホィールズ(バイクに乗った女悪魔!)』なんかも観ている自分はマニアなんだろうか。
「シー・デビル」はクランプスがカバーした、あれ以上薄くなりようがないペラペラ・ガレージパンクの主題歌と、敵の暴走族リーダーを首チョンパするラストしか覚えていないので、再見したいのはやまやまなのだが、ソフトを十年以上見たことがない。「かつら屋」に関しては、完全に忘れた。
記念にポスターを買って帰りました。店に貼ってあります。
ヒマなもんで、バットマン映画を全部観倒したのですこんな心。
さすがにテレビ版『怪鳥人間バットマン』までは追っかけてないが、60年代の『バットマン・オリジナルムービー』はビデオで持ってた。
これは、バットマンふくめ登場人物が全員バカ!という怪作である。松本人志言うところの「元祖天才バカボン」の世界。つまりツッコミがいない。
ジョーカー・キャットウーマン・ナゾラー(リドラー)の三悪人がバットマン&ロビンに対し「バカの知恵」で挑戦する。さらにそれを「バカのひらめき」で返すバットマン!バカ同士の力が拮抗するバカの世界!ツッコミ担当は観ているぼくら!
バットマンはかなり薄着(防護服にもなっていない)。おなかぶよぶよの中年体型丸出しだが、アクションシーンもしっかりあって、殴ると「POW!」なんて吹き出しが出たりする牧歌的なもの。キッチュ&コミカルさを押し出した、まあカッコよくいえばカルト作。はっきり言って大好きだ。
ティム・バートン監督の『バットマン』『バットマン・リターンズ』はやはり名作。
本来のダークヒーローとしてのバットマンが、スクリーンに初登場。
マフィアの幹部がバットマンに手を離され(やりますねえ)、酸の中に落ちて肌は真っ白に漂白され、顔の筋肉は笑っているように固まった。これがジャック・ニコルソン版・ジョーカーの誕生。
とにかくニコルソンがノリノリでずうっと踊っている。同時にイケイケのマフィアだった男が(バットマンのせいで)道化のような顔を与えられ、凶悪なピエロとしてしか生きざるを得なくなったという事情に、一抹の哀愁も感じる。
『リターンズ』はさらにおどろおどろしさ大爆発。ゴッサム・シティを暗躍する三人の怪物の物語。
水かきのような手を持った畸形の赤ちゃんがその醜さゆえ、両親によって下水道に捨てられてしまうのだが、彼はその世界で「ペンギン」として生き、サーカス団のようなギャング一味のボスとなっていた。
下水道に暗黒組織。初めて観たときは江戸川乱歩のできそこない小説『影男』あたりを想像してしまった。
手の畸形が支配者となり孤島で人工的にフリークスを製造する、というのは石井輝男の『恐怖奇形人間』だけれども、バートンだったらこれ知ってるんじゃないかね。
そして重要なのがキャットウーマン。オフィスから突き落とされたが猫の魔力によって蘇った、梶芽衣子のような「怨み節」に燃えた黒猫。自宅に戻るといきなりコスチュームをミシンで編み始めるシーンが笑える。
ミシェル・ファイファーのブラックレザーにムチさばきがカッコいい。バットマンとのはかない恋愛もあり(で、やっぱりヤるシーンは暖炉の前なのな)。女はとうに捨てました~♪にはなかなかなれず。
ペンギンを操って画策をはかる町の実力者(クリスファー・ウォーケン)も登場するが、トータル的に見てこいつが一番悪い。怪人たちより生身の人間の方が極悪、という皮肉。
切羽詰ったペンギンは部下のペンギン軍団(鳥です)に爆弾を背負わせ、神風特攻隊よろしく町を破壊しようとする。バートンのすごい発想力。
力尽きたペンギンがペンギンたち(鳥です)に見送られ水葬されるシーンは悪役なのに切ない。体型的にもダニー・デビートのペンギンは大当たり。
バットマンは眼光と顎のラインが重要なので、素でいるときの胡散臭さも含め、マイケル・キートンがベスト・オブ・バットマン俳優だと思う。
バートンがどういうわけか監督を降板して、ガラリと傾向が変わったのが『バットマン・フォーエヴァー』。
ロビン初登場。悪役トゥーフェイスも登場。ただしマジンガーZを知っている日本人からすると、「あしゅら男爵みたいだな」とか思ったりする。
ずっとハイテンションで目立っているのがクイズ大好き・リドラー役のジム・キャリー。はじめてこの人の演技を見たが良くも悪くも「顔芸」ですな。バットマンはヴァル・キルマー。
それまでが暗すぎたせいか、ずいぶんポップになったという印象。
続く『バットマン&ロビン Mr・フリーズの逆襲』はドライアイスな怪人・フリーズにシュワちゃん。植物女ポイズン・アイビーに「ビル殺し」のユマ・サーマン。バットマンはジョージ・クルーニー。さらにロビン・バットガール・ベインまで登場。
ここまでくるとほとんど、子供向けの後期ゴジラ映画(怪獣総進撃とか)。実はこの二本、長いことシカトしていてようやく観た。まあ想像どおりだったんだけど(つまらなくはない)、シリーズ物ってのはあまり出来がよくないものも混ざっていたほうがコクが出る。
「先祖がえり」と言えなくもない。恐らくこの勢ぞろいキャラでもう一本くらい作りたかったんじゃないかというのが見え見えなのだが、それができなかったのはあまり当たらなかったせい?
で、「これじゃダメだろう・・・・」と製作されたのが怪人キャラが出てこない『バットマン・ビギンズ』から始まるシリアスな新シリーズなんだろうなということは、想像に難くない。
『ダークナイト』はちょっと重要なので、一回しか観ていない。できれば「爆音」あたりで鑑賞したいところ。
スピンオフ作品『キャットウーマン』はあちらで最低映画賞を受賞したらしいが、そんなに悪くないかと。
ただコスチュームが露出多すぎというか、ヤングジャンプの連載漫画のような安っぽい感じに見えてしまう(ってごめん。あの雑誌昔から受け付けない)。ハル・ベリーはすごくカッコいい。
キャットウーマンちゃんはやはり、ビチビチの全身ブラックレザーで決めてくんないと!
セクシイさでは60年代、クールさではミシェル、なんか一番「かわいい!」と思えるのは、『ダークナイト・ライジング』のアン・ハサウェイじゃないかと思う。
よく、バットマンの存在感が地味、とか「ない」とか言われたりしていますが(そりゃあんまりだ)、寡黙なヒーローゆえ騒々しい悪党たちを許容できるんである。
バットマンがゴッサム市民からもうひとつ支持を得られないのは、道交法をほとんど無視しているからというのはデカいと思う。
バットマンは生身の人間なので、武器やコスチュームや車(バットモービル)などを金に明かしてカスタムメイドする、成金のヒーローである。そして執事が優秀すぎる。
楳図かずお『洗礼』久々に読む。内容は知ってるのにやっぱり圧倒される。これも大傑作。
ひらめいた物語を完璧な形で届けようとする意思。それは時にトゥーマッチだったり奇妙だったりするのだけど、それらを全て飲み込む凄み。ゆえに天才。
往年の美人女優・若草いずみは老化と顔のアザが広がって別人のようになった。彼女は若い頃の美貌を取り戻すため、女の子(さくら)を産み、さくらの体に自分の脳を移植し、美少女として自分の人生をやり直そうとするという、とんでもないストーリー。
手術に至るまでがこれまたギミックたっぷりで、実験用に脳をくり抜かれた犬猫の死体をこれでもか見せつける見開きとか、母親が娘に告げるひとことがふるっている。
「悪いけどあなたに人生なんてないのよ」・・・・・いや、「悪いけど」って言われても。
麻酔にはわざわざ禍々しい麻酔針を体中に「ブスーッ」と突き刺す。そして脳の移植という大手術を、何の医療設備もないフツーの家で行うという大胆さ!まあこの辺のねじれ加減は、大オチで解決されますが。
手術は無事成功し、若草いずみは「上原さくら」という小学四年生の女子児童として生まれ変わる。
そしてここからがさらなる楳図ワールド。担任の男性教諭(さわやかマッチョ)を我がものとするため、悪女の脳味噌をフル回転!
「あなたはだれにもあげないわ わたしだけのものよ!」
「そしてわたしの女のとしての幸せを始めるのよ」、ちなみに、小学四年生な。
わざわざ食あたりを引き起こし首尾よく教師の家に入り込み(この時点で母親は海外へ行ったことになっている)、「妻の座」を得んがため、ガス事故を起こして奥さんに怪我を負わせ、動けない奥さんにゴキブリ混ぜごはんを食べさせたり、赤ちゃんの前で先のくり抜かれた犬の頭をかぶってみたり(物持ちがいいらしい)、「あなたの一番大切なところを焼きつぶしてやる!」とあそこにアイロン攻撃etc!そんなこんなで奥さんを追い出すことに成功!
今読んで強烈なのはやっぱり、教師の入浴中にさくらが全裸で入っていき、体の洗いっこをおっぱじめるシーンである。・・・・いや、まずいだろそれ、何やってんだよお前ら。
それからはもう、同級生やら美形ルポライター(これが実に楳図先生っぽい)に迷惑をかけまくったりしつつ、物語はダムが決壊するように進んでいくのだが、「女性の美に対する執念」「女性が老いてゆくこと」の重いテーマを子供にも分かりやすく伝え(連載は週刊少女コミック)、キッチリざっくりとした結末を迎える。
ちゃらけた感じで書いてはいますが、実際に読んで頂きたい。ものすごく怖いです。
しかしオリジナル単行本の第三巻、脳味噌むきだしの少女が花束抱えているというカバー、楳図かずお以外は描けない凄まじい図柄。
本来ならば醜悪なこの絵だが、しかしどこか、凛とした妖しい美しさも放っている。
そして気がついたのだが、「ハハハ」「ホホホ」「ラララ」などの楽しげな擬音も、楳図作品の放つ不穏なオーラゆえ、まるで楽しそうに聞こえないってのはありますね。
ちなみにこの作品中、最初に読んで以来、変わらず最もゾッとするシーン。
「ラララ」と楽しげにレコードに合わせ踊るさくらだが、
「踊る足どりはにぶく・・・」
「声はまるで・・・・・」「年とった女のように聞こえた」
「それでもさくらは歌い・・・・・踊り続けた・・・・・・なにも気づくことなく・・・・」
という場面。・・・・・・・・脳は、ババアだからねえ・・・・・・・・。・・・・・・・。
ひとつハッキリさせておきたいことがあるのですが、最近「物より心が大切です」なる言説が結構まかり通っているらしい。
気持ちよーく「やっぱりモノやお金じゃなくて人のつながりや自然とのふれあいですよー」かなんか、おっしゃっておられるのだと思うのだが、こういう人は金もモノも持ち合わせているいわゆるリア充様である。
最新スペックのパソコンもスマフォもブルーレイもアイポッドも「結構なご趣味」も全部揃っていて、さらに「心も頂戴な」と言っておるだけ。
だったらそれら全部捨てて、エアコンも止めて夏も冬も「本来の自然」とおたわむれすればよい。
そして消費活動を捨てて自給自足で食っていく選択なんてやれるはずもないし、する意思もない。
特に都市において「身ひとつで生きてる」人間なんて、どう考えても魅力なんてあるわけがない。
「身ひとつだが人間的魅力(ハッ!)」のみで人が集まってくるなんて、カリブマレイ原作のバカ漫画くらいだ。
モノを持つことはすでにコミュニケーションツールなので、それ抜きに心のふれあいとかおっしゃられても、もうひとつ信用できない。最低限のツールを持つことでどうにか人間関係が発生するのだ。それがよくないことだとも全然思わない。いけしゃあしゃあとキレイごと言うな。
たわごとをほざく前にまずそれらのモノとその環境に感謝しろ。被災を逃れたすべての者ども!
そしてお金は大切ということ。自分だって、こりゃ参ったなーという事態を救ってくれたのはやはりお金であり、お金を持っている人間だった。「身ひとつくん」と身を寄せ合って、どーしよーかねー?などとやっていてもどうにもなりません。
貧乏話が美談になるのは、成功した人間が懐古するときのみである。
なんていうか、「恵まれていることに対する無自覚さ」を代弁しているようなムードにカチンと来たので、ちょっと書いてみた。
あーのー、すすめられてアレ、見てみたんだけど、『純喫茶磯辺』って、映画。
えーと、遺産が手に入ったバツイチの親父(みやさこ)が、よこしまな動機で?喫茶店開いて、でー、バイトの女の子(麻生くみこ)に横恋慕して?でー、・・・あっ高校生の娘が仲りいさでー、でー、いろんなアレが起こるような起こんないような、・・・・そんなはなし?
でー、りいささんの小生意気(笑)な感じがー、けっこーツボっつーか、・・・・アレで。
「は?」「バカじゃないの?」「死んでよ」とか言えちゃう親子関係が素敵っつーか、アレなかんじで、なんか、いーですよねぇ・・・・。
え?ん?・・・・・なんでこんな文章かっつーと、映画の会話のあのー、空気がこんな感じっつーか、そーゆー、ん?ねぇ?
あっ!えーとあの、麻生さんが実は、ヤリマンだった、ちゅーのが唯一のどんでん返し的な?感じで、あとはアレなんで、なんか終わっちゃったなっつー・・・・感じっす。コスプレ姿もけっこー、来るっつーか、アレ、あの、うん。
は?あーでもなんかピースで・・・・・あれあれあのー、クレイジーケンバンドの、エンディングテーマがなんか逆に?意外と、よかったっすね~・・・・あのえとそんな感じで、お疲れっすぅ・・・・・。