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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

すうさい堂は閉店しました。17年間ありがとうございました。

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たのしいギョーカイ用語講座(補講)



どうもです。先日のギョーカイ用語講座で何点か忘れていたものがあることを思い出し、本日追加講義をしたいと重います。お暇な方はお付き合いくださいませ。
まず、最近はこれもメジャーになりつつありますが、「ハケる」。もともと現場を「撤収する」という意味合いらしいですが、日常的には「帰る」としても使えます。例・「あれ?みんなハケたの?」
「ダーター」。これは「タダ」=無料です。例・「このシャツ、ダーター」。
「ビークー」。「クビ」=解雇を意味します。自分の友人がバイトをクビになったときも「ビークー?ビークーになったの?」と、ビークーを連発して嬉しそうでした。
「ロープー」。これは「プロ」ですが、本当のプロフェッショナルの人が「俺、ロープーだから」とはあまり使わないような気がするんですがどうなんでしょうね。
「定価」は「プロパー」などと呼んでみましょう。

では音楽編など。普通の人の発音は、ギターは「ギター(↓)」と下がりますが、ギョーカイの人は「ギター(↑)」と、「ター」にアクセントをつけます。
「ドラム」は「タイコ」、キーボードは「鍵盤」、「トランペット」は「ペット」です。時にベースは「ベー」、パーカッションは「パー」と省略したりします。
「マイルスもそんなに上手いペッターじゃないんだけど」などと発言して、自分の大物感を演出してみてはいかがでしょうか?
あ、マイクチェックなんかをするときも「あー、あー」じゃなくて、「チェーック!チェックワン!」とスタイリッシュに決めてみましょう。
ちなみにこれらはすべて、私が実際に聴いた生の言葉です。
・・あと思いつかねーや。じゃあ、シクヨロ~。

私の師匠は国際感覚が豊かですので、各国のリアクションも体に染み付いています。
嬉しいときは「サンキュ~メ~ン!」で、肯定するときは「イエスメ~ン!」、気にいらない事柄には「ファーック!」。
別れ際には拳と拳をぶつけて(黒人ラッパーがよくやるアレです)「イエーイ」なんつって帰るのですが、これは純日本人である私にとって「なんともいえない」儀式でありまして、はあ。
あと、やはり別れ際に「チャオ!」を頻繁に使っておられましたが、これを電車の中などでやられるとですね、車内の人がみんな一斉にツイートするんじゃないかなどと、余計なことを思ったりなんかしまして、はあ。

師匠は国際的な人間ですので、しばしば日本国内のしばりから(勝手に)解き放たれたりしておられましたが、ある時アキハバラという駅のホームでタバコが吸いたくなり、ホームで(勝手に)デッドゾーンを見つけ、そこで喫煙していたそうです(彼いわく、「遠慮がちに吸ってたんだよ?」)。
で、若い駅員に注意された師匠は「すみません」とすぐにその行為をやめたのですが、電車の発進と同時にその駅員が師匠に向かってなんと、「中指を立てた」そうです。
ブチ切れた師匠は思わず「電車と平行に走っちゃった(笑い)」らしいんですが、双方に言いたいことは、「俺らそんな文化圏の人間じゃないだろ・・・?」ってことですねえ。

これは国際感覚とは関係のない話なんですが、師匠は胃腸の弱い人でもあるので、よく公衆トイレを利用します。
ある時、某駅で催した際に駅のトイレを使おうとしたのですが、個室は満員。
しばらく我慢していたのですが、いよいよ切羽詰った師匠は、「いつまでお前らクソたれてんだあ!?」とドアをキック!
すると両隣から、若者とおじさんがズボンを上げきらぬまま、飛び出してきたそうです。
日本的には「無理を通せば道理がひっこむ」の実例ですが、あるいは「フロンティア・スピリット」と言えなくもないかも知れません。

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たのしいギョーカイ用語講座



僕の数少ない特殊技能に「ギョーカイ用語を翻訳できる」というのがありまして、無駄に埋蔵していてもやや勿体無いので、今回は特別にそれをみなさんに伝授したいと思います。ギョーカイのおぢさんとパイプを作ってギョーカイにすり寄ってみたい女子は特に必須だゾ★

まず初級は比較的ポピュラーな「ひっくりかえし言葉」です。
メジャーどころでは「ルービー」「ケーサー」「ズーミー」「シーメ」「シータク」「シースー」「ヒーコー」などですが、これらはそれぞれ「ビール」「酒」「水」「飯」「タクシー」「寿司」「コーヒー」という意味ですね。
(でも「茄子」は「ナースー」だったなあ。なぜだろう?)
やや難解な使い方としては「マミツ」「リーゴ」などがあります。これは「おつまみ」「奢り」を解体した単語です。
とはいえ「ハミガキ」を「ミギハガ」と呼ぶ人はさすがにいないようで、そこまでアナグラムを用いると日本語の会話が成立しませんね。

そしてさらに上級者向けには「バーソー」がありますが、これには「日本そば」と「ラーメン」という二つの意味がありますので、相手のその日の体調を「読んでから」反応するのが賢明のようです。ラーメンの場合、普通に「メーラン」とも呼ばれます。
ちなみに脱糞は「ソーク」です。使用例・「ちょっと、ソークしてくる」。
「チャンカー」はこのような考え方で行くと「お母さん」「お袋さん」だと思われがちですが、違います。
「チャンカー」=「かあちゃん」転じて、「嫁さん」という意味になります。この辺は引っかけ問題ですので、皆さん特に留意して下さい。
複合語としては「ミーゴをなげる」などがあります。これは「ゴミを捨てる」という行為を指します。

会得すればさらにステージが上がるのが(なんの?)、「数字の数え方」です。
バンドマンのおぢさんが「ツェーマン」などと口にしたりしますが、これは「一万」という意味です。
つまり音階のキーを示すアルファベットをドイツ語で読んだもので、発音はそれぞれC(ツェー)/D(デー)/E(イー)/F(エフ)/G(ゲー)/A(アー)/B(ベー)で、順番に「1234567」です。
7までしかないじゃないかって?多分、それいじょうかぞえられないのだとおもいます。
「デーマンゲーセン(二万五千円)スッた」「エフマン(四万)貸して」などと使い、一番有名な使用法は奥田民生の「イージュー(みそじ)・ライダー」でしょう。
まず、今のバンドマンで使っている人はいないと思いますが。

そして親しいわけでもないのに他人を「ちゃん」付けします。
僕の業界用語の師匠は、うちにインタビューに来た女性の名刺を眺めた後、いきなり「薫ちゃんはさあ」と呼びかけていました。ちょっとびっくりしました。
店のオーナーに対しては職種に関係なく、「マスター」です。
もちろん「友達」「彼女」などの無粋な言葉はあまり使いたがらないようです。「ダチ」「オンナ」です。
あと、「センパイ」の使用頻度が高いようです。
どこの世界にいても給料は「ギャラ」で、休みは「オフ」です。「ノリ」もお好きなようです。「今日のノリはオフ?」とか聞かれましても、一般人にはよくわからないのですが。
そうそう、「プロダクション」は、「ダクション」で。
レコードは「皿」、パッケージは「フィルム」などと言ってみると、更にそれっぽくなるかも知れません。

ロックバーで一緒に飲んでいたときも、「マスター」に頼んで某レコードをかけてもらい、「やっぱり皿は音がいい」とご機嫌でしたが、ラストの曲が終わると「ボーナストラック」が始まってしまい、これは明らかに「CD」であることが判明してしまったのですが、人にやさしくがモットーの僕は黙っていましたよ。
あと「コールドビュッフェ」もよく耳にしました。多分、口に出して言いたいだけだったと思うのですが。
番外編として「注射」は(ほぼスラングですが)、「プーポン」です。これは、ノーコメント。

僕の師匠は海外経験も豊富ですので、一風堂で食事した際にも「このノリはラーメン屋じゃねえ。ビストロだ」などと感動されたり、インドカレー屋に行った時も、現地の店員が《日本語で》「ご注文は?」と聞いているにも関わらず、「チャイ・プリーズ」と答えたり、さらに「いつお持ちしますか?」との問いに「ファーストタイム」と答えましたが、なぜか、食事が済んだあとに運ばれて来たりました。
なんともお茶目な感じでした。
師匠は時々、自然体な感じで「カーディガンを肩にかけて」おられましたが、僕からすると「うわーコントの人だ!!」と、内心若干感動しておりました。
そんな彼も現在は西成で、日雇い労働者として生計を立てており、健闘を祈りたいところであります。

夏だから、レゲエ(・・・嘘くせえ)



レゲエというものが基本的に苦手で、ボブ・マーリーでもカラッとしたものは聴けるのだけど「ワン・ラブ」とか歌われてもちょっとなあ、「ノーウーマンノークライ」の合唱もアレだなあ、なんて感じである。スカのチンピラっぽさはカッコいいと思うのだが。
例外はスティール・パルスで、二枚しか持っていないが、ブリティッシュ・レゲエ特有の「ひゃっこさ」は気持ちがいい。
『クー・クラックス・クラン』というヒット曲があるのだが、テーマのきわどさもさることながら、ライブではkkkの定番衣装「白装束の三角帽子」を着たダンサーが踊っているという演出をしていたりする。さすがパンクと共闘していただけのことはある。

日本ならば「ミュート・ビート」。名匠・小玉和文氏も在籍したレゲエ・ダブ・バンド。
実は売ろうと思って仕入れたのだが店主が気に入ってしまい、私物行きになりました。
アマゾンではセカンド『ラヴァーズ・ロック』がプレミアなのだが、ひとつ安く出ていたので購入してしまいました。
80年代は完全にスルーしていたのであった。ビートパンクやらハードコアが全盛の時代において、あまりにも大人っぽかったんである。
全編クールなインスト。インストバンドはアジテーター的なメンバーがいると近づきやすくなったりするものだが、彼らはそういうフェイク一切なし。
コドモパンクがどんちゃかやっているのを横目に、メジャーから妥協無しのオリジナルアルバムを三枚発表。
驚いたのは、87から89年の作品ということ。ボウイ全盛イカ天直前という、ロックがもっともスナックに近かった時代である。ちなみに自分はこの辺のバンド、ほとんど聴けません。
80年代後半に彼らの音の先鋭さはちょっと凄いと思う。あの時代にもっとも尖っていた音楽はJAGATARAでもハードコアパンクでもなく、ミュート・ビートだったんである。
原発の煙のジャケットが目を引くセカンドはインパクトがあるが(この頃、反原発ブームがあった)、そういうメッセージを受け取るにしても流すにしても、アルバムは三枚とも同じように強靭。
ということをつい最近になって理解し始めたら、ベーシストの松永孝義氏が亡くなられた。享年54才。
この人のタメの効いたベースプレイはめちゃめちゃカッコいい。ミュートのオリジナルアルバムは廃盤だが、ベストは購入できるはず。できれば三枚とも再発して欲しいと思う。(しかし、知り合いのクラブ経営者にソックリです)
http://www.youtube.com/watch?v=EbpDiVxaq0M

ざわ・・・・ざわ・・・・・



最近は動画サイトにアップされているアニメ版『カイジ』にはまっておりまして、原作読んで内容は知っているのについつい見てしまう。
例の「ざわ・・・」はどうするのかと思ったら、本当に「ユニゾンで」言ってた。時々コーラスっぽくなったり。
改めてみるとなかなかトリックが荒っぽかったりするんだが(さすがに自分の耳を切断したら調べられるだろう、とか)、一番好きなのは「地獄チンチロ編」。この逆転劇は気持ちがいい。
一向に増えない紙幣を数えたりしている自分とカイジの境遇を重ね合わせたりなんかして、バックに流れるはやっぱし「ざわ・・・・・・・・」。
うちのポストは支払い用紙か督促状しか来ない実に色っぽくない窓口なのだが、例によって来やがりました水道料金の赤紙。
今月はダメだろうって。あかんやないか。夢がこわれました。ネガティブ感情その他いろいろ。
さすがにこちらを優先しなければいけないので、通信費も未払いゆえ、明日以降はしばらくインターネット社会とは断絶すると思われます。あんど固定電話も止まります。
だってしょーがないじゃん。
もう自分みたいなのは「社会人」とは言えないんじゃないかと思うのですが、店がないとまともに人とも関われないという、実に困ったものであります。
夕暮れから夜にかけて店先テラスでビールなんかを嗜んでいたりするんだが、実はその代価はかなり高いんだぜベイビー。だ。・・・です。

困難な状況を切り開いていくカイジの姿が肝ではあるのだけど、資本主義の傀儡たちが展開する「悪の論理」も実に堂々としたものだったりする。「チンチロ」以外の結末は苦い。詰めの甘いカイジを「悪」は嘲笑う。その論理は冷酷だが、一理ある。そういう部分がむしろ刺さったりする。
ついでだが、(基本的にあまりディスったりはしないようにしているのだが)、あのですね、「狩撫麻礼」って漫画原作者の作品がほんとに大嫌いで。
といっても『ボーダー』と『天使派リョウ』しか知らないのだが、あまりにも胸くそ悪いので全巻読んでしまった。
アウトローこそ純粋で(アホか)、世間と自分たちを「あちら側」「こちら側」と区別し(何様だ?)、両作ともバブル全盛期に発表されたのだけど、主人公がなんだかんだで大金持ち。つまりは安定にあぐらをかいた上でのアウトロー。始末の悪い御伽噺。
スクエアな人々を必要以上に醜く描写し、正しいのは不器用ながらも「ピュア」に生きてる自分たちの仲間だけ。ほんとアホか。
キャラたちに反骨的メッセージを「言わせている」ので、その辺にやられちゃったファンが多いのかも知れないが、基本的に「居酒屋での正論」と大して変わらないですよ。
「ボーダー」なんか全部捨てて、業田良家『ゴーダ哲学堂』あたりをちゃんと読んだほうがいいと思う。同じ「漫画」というカテゴリーの中で活動する表現者とは思えないくらい、精神的レベルがまるで違う。

ナチス対化け猫(爆音2題)



バウスシアター・爆音映画祭にて『炎628』、『怪猫 呪いの沼』鑑賞。
「炎628」のインパクトが凄すぎて、もうこれはノーコメントでもいいんじゃないかと思ってはみたものの、生涯に一度だけ観る映画として、やはり記しておくべきではなかろうかと。
ロシア製作のナチス・ドイツ占領軍による暴虐を描いた作品(85年)。つまり「独逸さんよ、昔おめーんとこはウチにこんなことしたろ?」ってことを情け容赦なく描く。タイトルは「ナチによって炎に包まれた村が628あった」という意味らしい。
ナチスによって家族を殺されたロシア・パルチザン軍少年の行動を軸にストーリーは進む。
ドイツの将校たちがあの制服を着て右往左往されると「上がって」しまって困る、という人もおられようと思うが、この作品には「よそいきの」ナチたち出て来ない。
後半に、素のままのドイツ兵たちがようやく登場。部隊というより、ヘルス・エンジェルスのようである。
わざわざ母親と子供たちをひっぺがし、小屋に幽閉したのちに一斉射撃。さらに火炎放射器で全焼。
高笑いする兵士たちの横で嘔吐する者や、嫌々ながら機関銃を連射するメガネ君などが一瞬写る。
これは「戦争の狂気に染まりきらない者も一部いた」ということを訴えるカットなのだろう。
時は流れてパルチザンにドイツ軍が捕まって囲まれている。
タランティーノはあえて脳天気に「ナチの丸焼け」をやってくれたが、この映画にそのようなカタルシスは、やっぱりない。
ラスト、顔に刻まれた深いしわによって老人のような風貌になった少年が、ヒトラーの肖像画に向かってライフルを連射する。
同時に実際のフィルムを使い、第三帝国の栄華からヒトラーの少年期までナチの時代が逆巻きされる。
赤ん坊ヒトラーの写真が写されたのと同時に、少年は射撃を止める。
もともとヒトラーは画家志望であり、貧乏時代にユダヤ人から受けた屈辱を忘れられずに、あのような狂った思想を作り上げたのだけど、「種子ではなく、環境が人を怪物にする」ってことを伝えたかったのか。
あるいは「アドルフ・ヒトラーは特異な英雄なんかではない」と伝えたかったのか。
終映後、思わず拍手が起こったりしていたがロビーではほとんどの人が無言。蒸し暑い梅雨の合間の七月。

これに比べたら「怪猫 呪いの沼」(68年)は定石どおりの怪談で、安心して鑑賞(二十歳の女子美大生さんと観ていました)。
が、生首がずらりと床に並んでいたり、掴まれた手首を刀で切断するなど、元祖スプラッタな演出もあり、何よりこの手の日本映画の音をクリアに響かせてくれる企画ってものが、他にはないのである。そういう意味でも堪能。
しかし人に祟る恐ろしい猫としては、主演の三毛猫ちゃんがかわいすぎるな。うちのヂル会長のほうが迫力あると思う。
後ろの席に中原昌也先生がいた。

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