先日無事に「がっかり福袋(限定1部・999円)」が売れまして(ありがとうございます~)、この際ですのでネタばらしをしてみようと思います。
雑誌4冊 ※「オレモリ創刊号」、「ミュージックマガジン (特集・ワルいやつら)」など。
コミック4冊 ※「素晴らしい世界①(浅野いにお)」、「wsamaru2001(古屋兎丸)」、
「神罰(田中圭一)」、「アイデン&ティティ(みうらじゅん・文庫)」
絵本1冊 ※「リトルボーイとファットマン(マッド・アマノ)」
単行本1冊 ※「異形(北野武)」
ビニ本2冊
サイコ動画集2冊(DVD)
VHSビデオ2本(「ルパン三世ファーストシリーズ」vol3、「パンク・ロック・ムービー」)
CD3枚(「ザ・チェリーボーイズ」、「永吉(矢沢永吉)」、「エメラルド・カウボーイ・サントラ」)
Tシャツ1枚(あしたのジョー)
サングラス2個
バッヂ1個(なめんなよ!福島)
ワインクーラー1個
金髪のズラ1個
・・・・・以上でございます。
これがお得なのかどうなのか、作ったほうもよくわからないのですが(後半、わけわかんなくなってますが)、とりあえず購入して頂いたスーツ姿の若い会社員さん、ありがとうございました。
人生で一番大事なのは洒落っ気であります。というわけで。
大晦日は高級地下街アトレで購入したカレープレート&ナン&ティオペペを飲み喰らい、元旦は杉並大宮八幡宮を冷やかしたあと歌舞伎町のサウナに行き6階の露天風呂から新宿の空を眺め、2日は実家へ帰ってテレヴィジョンなぞを眺め「このとんねるずっていう芸人さんはひとつも面白いことを言わないねえ」などと思ったり、3日は店を閉めた後フォースフロアのカラオケ企画に行ってみたら社長しかいなくてびっくりした(しばらくしたらぼちぼち来客ありましたが)。
で、今年は久々に作ってみました『2012年度バージョン・すうさい堂のがっかり福袋』。
25アイテム詰め込んで999円。イギリスの緊急通報用電話番号と同じ。限定1部。内容を考えると男性向きですね。「びみょ~」なセレクトなので、遊び心がわかる方買ってください。「いいモノ」を詰め込むなんてどこでも出来るんじゃ。
まー兎に角、まだ続くらしいすうさい堂は吉祥寺デビューして今年で9周年を迎える。
線路は続くよどこまでも。レール、ガッタガタだけどもな。置石とかすんなよな。
友人知人一見さんが来てくれる限り、僕はここで地蔵になっております。たまには、か、傘をかけてあげて下さい。
(来店してくれた人のブログで「半分は展示コーナーなので売り場面積も半分だけ」と書いていた人がいたけど、展示じゃなくて「面出し」ですから、全面展開してますから、ひとつよろしくです~)
当店の新しいお友達というかアイコン・「死神くん」に、「A Happy Nuclear Year」と書いて貼った。
皮肉半分、「そうそう簡単に脱原発なんてできないんだから、なるべくハッピーな方向で使ったほうがいんじゃね?」といった意味も半分含めごにょごにょごにょ(逃げた)。
去年ラストに亡くなった日本の芸能人は内藤陳さんだった。「ん」で終わるのが〆って感じだよね。だから何?
さて本年度もがんばった、ということで自分へのご褒美にドアーズ全アルバム6枚組CDセットを購入。 もし若干とっつきにくいと思ったら、最大のヒットだが実は間奏が無駄に長いだけで大した内容がない「ハートに火をつけて」、詞曲ともに昭和歌謡のようなヒット曲「タッチ・ミー」、ハッタリを通してるだけで長ったらしいのみの「ジ・エンド」の3曲を無視すると、非常にシャープに全体像が浮かび上がる。
ジム・モリソンの悪魔的な風貌ももちろんだが、キーボードのレイ・マンザレク!60年代でもっともカッコいいミュージシャンの一人。
サイケデリックと呼ぶにはヒッピー思想皆無、ガレージと呼ぶにはメンバーの力量がプロフェッショナルすぎる、ポップスターと呼ぶには不穏すぎる、そしてベーシスト不在という、シーンのど真ん中で活動しながらも異端中の異端バンドであった。
初期の繊細さから後期のブルースシンガーとしての顔まで、モリソンのボーカルの、ごほっ(咳払い)、、一貫した「変態的」な魅力。
これほどセクシャルなボーカリストはそうそういないってなもんで、当時のアングラサブカル女子が夢中になったのも死ぬほど理解できる。60年代妖艶系男子であと思いつくのはミック・ジャガー、ルー・リード、イギー・ポップくらいか。
イギリスのバンドってのは意外とセクシャリティーが少ないように思う。
ついでに書くと天才ジャニスのシャウトはちょっとトゥーマッチだし、天才ジミヘンの音楽はなんか高等数学のようだし、天才ディランの詞はさっぱりわからんし、天才ジミー・ペイジが作ったハードロックのフォーマットがどうにも苦手だし、破壊を繰り返すキチガイバンドのボーカルがなんで野口五郎なのか?という疑問がどうしてもぬぐえないんだよなザ・フーって、といったところなので、パンクびいきの自覚も含めて60年代3大バンドはドアーズ、ストーンズ、ヴェルベット・アンダーグラウンドであります(ストゥージスはやっぱ70年代かな)。
モリソンの通称が「リザード・キング」であるように、コレハと思うロッカーはトカゲっぽいイメージがある。
リアルなロックンロールは、クールダウンが基本です。アゲアゲだったらそれこそ、すーぱーふらいだとか、みひまるじーてぃーだとか、あるわけですから。ゆえに体温が低そうな連中に魅力を感じるのである。
1st『ハートに火をつけて』、これはもうマスト。ラリりながらトライアスロンをやっているようなギリギリのバランスに溢れた名盤。ジムはこの時点で手を差しのべてくれてはいるが、掴んだその手は確実に冷たい。
2nd『まぼろしの世界』は、疾走感は後退したものの、常人では製作不可能な幽玄的世界。すべて、美メロだけで構成されているという奇跡。「アシッド云々」という以前に音楽でありポップ・アート。
3rd『太陽を待ちながら』は小休憩といった感じ。「ハロー・アイ・ラブ・ユー」が派手だが、シンプルながらも捨てがたいナンバー多し。フラメンコ出身のギタリストが唯一その腕前を披露する「スパニッシュ・キャラバン」が○。
4th『ソフト・パレード』はあまり評判が芳しくないが、ホーンいらないよなとは感じるものの、それ以外は骨太な演奏が多い。3曲目から聴くべし。ソフト・ロック側から評価するとまた違うかも。
5th『モリソン・ホテル』はへヴィなブルースと、それまでの持ち味が融合した後期の名盤。クスリと酒で太りだしたジムだが、その声はさらに黒く、ドスが利いている。
6th『LAウーマン』はラストアルバム。さらにブルースに接近し、ジムのルックスも当時山ほどいたであろう、「普通のヒッピーおじさん」のように変貌。でも、これも捨てがたき。初期に戻ったように繊細な「ライダーズ・オン・ザ・ストーム」を最後に、ジェームス・ダグラス・モリソンはパリのアパートのバスタブで死亡。
トカゲだったら水なんぞ平気だろうが、死ぬ間際は人間に戻っていたようだ。
パリにあるジム・モリソンの墓を訪問した友人は、そこに投げられている各種ドラッグをお持ち帰りしてウハウハだったらしい。ジャンキーたちが自分が吸うぶんと分けて、大先輩の墓に献花するようにクスリや大麻を置く。さらにろくでなしがそれをご馳走になるという図。どうやら彼の存在は死してもなお、「悪の温床」として機能しているらしい。
メディアのパーソナリティーの「いろいろあった今年ですが」という発言をよく耳にする年末ですが、それを聞くたび「いやいや過去形にしてますけど事態はなんにも解決してないでしょう、むしろ現在進行形ではありますまいか?」と思うのです。
そんな中で読み返す、しりあがり寿『方舟』はかなり痛い。
雨が降り止まない世界。農作物への被害は深刻になり、町の「水かさ」がどんどん上がっていく。
それでもテレビはおちゃらけを放送し、「なんとかなる」と高を括ったサラリーマンは自宅待機してパソコンを見続け、歯磨き粉の宣伝キャンペーン用に作られた「方舟」に助かりたい一心の人々が我先にと乗りつけ、すべてを悟った上京組は家族を連れて自分たちの田舎へ帰るが、たった一軒残った高台の家すら水没していく(このシーンが一番切ない)。
方舟に乗れた者たちは食糧難でどんどんボロボロになり、それでも「雨がやんだら」昔の仲間とダンスを踊るためによろよろと練習を始める女子や、この状況で結婚するというカップルに対し、かつて夢や希望を歌っていた若者は「この期に及んでまだ希望だと・・・・」「お前らみんなバカか!!」とブチ切れる。
「私はいつだって私のために最善の努力をしてきたのに・・・・」、全部チャラ。
そして水位はいよいよ高層ビルを越え、かつて「空」であった場所に人々がぷかぷかと浮かんでいるという、漫画でしか表現できないラストの見開きは、繰り返し描かれてきた人類の終末の中でも、最も美しいもののひとつ。
「80年代ヘタウマギャグ」でデビューしたしりあがり寿氏は、近年そのペンネームとは真逆の、狂気や死を扱った誰よりもダークな作品を発表している。
『瀕死のエッセイスト』は大病を患っている主人公がさまざまな「死を想う」連作。
その死はブラックだったり、悲しかったり、優しかったりする。
解説の田口ランディ氏が「しりあがりさんの描く『死』はユーモラスで愛おしい」「だから読み終わってから、じっと抱きしめていられる」「そういう作品が、この時代にあることの意味は、とてつもなく大きい」と書いているように、実は癒し系。登場人物のほとんどは穏やかに自らの死を迎え、あるいは最初から「ほのぼのと」死んでいる。
死を恐ろしく書けば書くほどエンタメだが、こうした手法でやられると死も「詩」だな、なんて思ったりする。
確かに自分が病気で余命いくばくもないとしたら、そっと枕元に置いておきたい一冊。
「生きろ」なんて一言も書かれていないが、ラストのエピソードはまごうことなき「生」に対する控えめな希望。
元気で一生死なない人は読まなくても大丈夫です。
(同じ主人公が生命力あふれる「トレンディースポット」に繰り出し、水戸黄門のように「死を想え!!」と毎回喝破する、『メメント・モリ』もおすすめ。瀕死のくせに意外と働き者だ)
『ア○ス』はホラーよりもホラーな、「不条理な狂気に満ちた作品」などと書くと平たすぎるほど、凄まじい毒気を放つ。この不穏なイメージは、ちょっと文章では伝わりにくい。
「線」が怖い。線だけで怖いってのは本物。
個人的に楳図かずお・日野日出志・山岸涼子がホラー漫画家三羽烏だと思っているのだけど、ここまでやられるとしりあがり寿もその列席に加えたいと思う。
もちろんストーリー自体はしっかり構成されている「まがいものの狂気」なわけだけれど、ページからこれほど禍々しいにおいを放つ漫画にはそうそう滅多にお目にかかれないよなと思っていたら、連載誌は「ユリイカ」ですかそうですかと納得。これは狂気をギリギリまで引き寄せた、むしろエンタメだとは思うのだが、鬱気味の方は手に取らないほうがいいかも知れない。
「境界線」を表現することにおいて、しりあがり氏は実はめちゃめちゃテクニシャン。これを読んで「ヘタクソで意味不明」と感じたあなたは健全で健康。でも、それはそれで正解。
カバーをめくると分かる、ラストの大オチも凄い。
『ア○ス』と『瀕死のエッセイスト』のカバーがすごく洒落ているなと思ったら、デザインはやっぱり祖父江慎さんだった。読み捨てされるべきではない本には、それに見合ういい装丁が施されないといけませんよ、ほんと。
説明会おさぼりさんしちゃったい。というわけでしれっと本日も開けているのですが、人っ子一人入店されませんなあ。
なんとかしないといけませんなあ。アングラじゃ食えませんなあ。
8年目なのですが、前から気付いてはいるのだが、吉祥寺にそういう文化は根付かないとうことがよーくわかった。うんうんうんうん。
願わくば「ヨドバシ裏」にカフェとかじゃない変なスポットが増えればいいのにな、と思う。ここは吉祥寺最後の楽園ですよ。珍種が分布をひろげるには最適じゃないか。
東急裏や中道、南口なんかは人通りが多くてうらやましいのだが、自分がそこにずっといたら「おまいらなんか大嫌いだッ!」なんつって泣きながら駆け出しそうな気がしなくもない。
京極夏彦との対談集『バッカみたい、読んでらんナイ!』(FM東京出版)が大変面白かったので、平岡夢明短編集『ミサイルマン』を読んでみる。
(しかし京極先生って方は、和装に茶髪に指なし皮手袋という、かなりバランス感覚の欠けたコーディネイトがお好みだ。なぜだ?そして馳星周はみうらじゅんと見分けがつかない。脱線)
この人はかつて「デルモンテ平山」名義で、ゴミ映画の紹介コラムなどを書いていて、結構自分なんかは面白がって読んでいたのだが、実はホラーの名手だったのでした。
吸血鬼・人狼・拷問マニアなどをスカムな味付けで再構成。特に人体破壊の描写が凄まじい『枷』なんかは、かなり読者を選ぶ。
乾いた笑いの持ち味と残酷趣味が釣り合ったのが表題作で、ハイロウズの「ミサイルマン」を聴きながらストレス発散、面白半分に女性を虐殺する「快楽殺人鬼」の男二人。
どうにもすっとぼけた彼らの関係は「傷だらけの天使」みたいだなと思ったら、ラストもなんかそんな感じだった。スラプスティックなスプラッタ!読後はスカッとさわやか!、か?
作者が「自分にとって小説は現実から逃避するためのものだったから、文豪の名作には興味がなかった」と発言しているので、彼のフィルターがこのようなダークなエンタメを生んだ。
現実的に死はあるし殺人もあるし事故もある。難病ものの感動作が支持されるのはもちろん良いこと。
ただその裏側で、「猟奇的な冗談」も、その道の手だれたちによって吐き出し続けられなければならないと思う。心優しきハイロウズだって、「ミジンコでもクジラでも 生きてる奴が気にいらねえ」と、どうにもならないヘイトをぶちまけているのだから。