『ナニワ金融道』でおなじみ、青木雄二の『唯物論』なる本がなかなか面白い。
著者によれば観念論とは「思う」ことで、唯物論は「在る」ということ。
つまりノリとしては「いや~、そうかもしんないけどさぁ~・・・」が観念論で、「せやろ!」が唯物論。
このノリでトバしていくので、観念論的に悩んでいる人生相談も、「チンポ」「オメコ」「イワす」の、唯物論3コードで(この本の表記による。僕じゃないですよ)ばさばさと切り捨てる。
何でもこんな風にイワせられたらさぞ気持ちよろしかろうな、と思う。彼の漫画に出てくる街の風景が「スナック赤貝」「ラウンジずるむけ」など全部下ネタってのも、実に唯物論的である。
最近、京都出身のガールズ・バンド「赤痢」の10枚組ボックス、『赤痢匣』を購入。
改めて聴くと、極めて珍しい唯物論のバンドなんではないか?と思った。パンクとはいえ観念論が先行するバンドがほとんどだが、この、身も蓋も無さ。
特に今回初めて聴いたデビューEP『赤痢』(85年)に収録されている曲の、あけすけっぷりはすごい。
当時(不良)高校生だったメンバーが「おっさんあたしは処女なのよ/処女でもあそこは持ってるやんけ」「二万で春は渡せんな」「イカレポンチはとっととうせろ」。
いくら人が来ないすうさい堂とはいえ、店内で流すにはためらわれる『夢見るオxxコ』のオリジナルも収録。
徐々に演奏力も上がり、同時に歌詞は加速度的に支離滅裂になり、それでも時折「今夜星光爛漫/きれいごとだけで満開」「あたしの夫はちびではげ/誰かなんとかしてくれ」「希望なんてないんだ/欲望だけがあるんだ」など、ギラリと光るフレーズがあちこちに。
パンク・バンドとしてのピークはファースト・アルバム『私を赤痢に連れてって』(88年)だろうか。
ラストの『THREE』(95年)は、ローファイなワールド・ミュージックという風情で、初期の唯物異論的な勢いはないが、誰にも似ていない音楽を「まったく無理せず」作り上げた。
感触が全然変わんないのである。
精神的にはロンドンのパンキー・ガールズ「ザ・スリッツ」に近いものを常に持っていたバンドではないかと思う。
ライナーによると彼女らはクラッシュの大ファンであり、それに触発されてバンドを組んだという。
これには感動した。だってファッションから何から、まったく影響を受けたあとがないんだもの。
ロウなパンクでデビューしたのも、それしか出来なかったからであろうし。
しかしながら我が国のクラッシュに影響を受けた輩ってのはどうしようもないのばっかりなので、赤痢こそ最高のクラッシュ・フォロワーと言えるかも知れない。いや、そう言いましょう。
自分もクラッシュは大好きだが、左翼的/政治的な部分には全く影響を受けていない。
あくまでも彼らが残した「ぶきっちょだけどカッコいいロックンロール」を愛しているんである。
クラッシュの本当に偉大なところは、政治的メッセージすら「ポップ・アートとして」クールに決めてみせたことだ。
過激なメッセージがプリントされたパラシュート・シャツを着こなすストラマーやシムノンは、実にシャレオツでカッコいい。これはほんと、選ばれた人間にしかできないこと。
アルケミー・レーベルの社長でプロデューサーの「非常階段」・JOJO広重は、
「君たちのためなら何でもしてやろう」と、メンバーの前で宣言したという。
ある年代の女の子が放つ、生理的ないらつき、ちょっとした絶望、無邪気な残酷さ、正体不明の不穏さ。
そうしたものをすくいあげて、音楽で表現したバンドだったと思う。一度だけライブを観た。
ゼロ年代には・・・とか言いたくなったが、当時もこんなバンドは他にいなかったんである。
しかしながら、西野カナあたりの「とにかく共感して!!共感できるっしょ?!」と、ゴリゴリ攻めてくる今の連中のほうが、唯物論的なのかも知れない。
ベストアルバム『赤痢の花園』がメジャーから出ているので、そちらがお手ごろです。