手ブラはおそろしい。自分でやっておればよいものを、外国人のコドモを参加させたおかげで、写真集が発売中止だかなんだかの大騒ぎ。
いやしかし、これがパンツに手をつっこんでたり、逆に、男のアイドルの乳首を女子児童がつまんでいたりしたらそれはアレかも知れんが、この程度でもダメですか。でも一体、誰が被害を受けたというのか。よく考えたら誰もいないんじゃないか。
本件は、被害者なき事件である。
年明け早々大変なことになってる人もいるもんで、例えば「血の死汚」ってアナウンサー(あれ?あれれ?)。
駐車場の事故で人を死なせるってのもなあ。実業家と結婚してお子ももうけて仕事も順調、なはずが一挙に来ましたね。
でもいわゆる負け組の皆さんに「あたし結婚してないし仕事も好きじゃないけど人は殺してないもーん!」と、ほんのちょっとのひん曲がった優越感を与えてくれたと思う。
しかし彼女の写真を見ると、「病気で肌の色が薄くなってしまった頃のマイケル・ジャクソン」にそっくりだな。
数週間前から問題になっている埼玉公立学校における、教員の退職金引き下げ問題。
1月で辞めればそのまま全額もらえるということで、駆け込み退職者が100人を超えているという。
実は身も蓋もないことを考えていたので、別に自分は誰にも尊敬されたくないので今から書いてやろうと思うが(人から尊敬してますとか言われるようになったらおしまいだ)、その、現場で教師に実質上「捨てられた」形になった生徒さんというのは、今回実に得がたい体験をしたと思う。
退職金は150万ほど減額されるらしいが、1月で辞めると2・3月の給料は無しになるのでその差額は70万ほどということらしい。
70万。皮肉っぽく言えば、いい年した大人がたったそれだけの銭を拾うため、自分の職場を放棄するんである。
すごい人間ドキュメントじゃございませんか。それってば、社会に出てもなかなかお目にかかれないディープな現場である。
多分教員たちもたまーにはお説教などかましていたと思うが、生徒さんにおかれましては非常にシンプルな原理が一瞬で分かったと思う。
つまり「偉そうなことを言ってる奴は信用できない」。あるいは「信用しなくていい」。「偉そうなことを言っていてもやっぱり自分が一番かわいい」。
(「自分はそうはならん!」と夜空の星に誓うのもそれもまたよし)
だから教員にどんなことをされようが、別に自殺なんかしなくてもいい。
「教師」って呼び方が生きてるからなんかちょっとウエットな部分が出てくるんで、いっそ「教員」で統一したらいいと思う。単なる職業です。
今年学校に「就職」した若者を2人ほど知ってるが、確実にあいつら「聖職者」になろうなんて思ってないもんな。ひとりは童貞だから「生殖者」には早くなりたいのかも知れんなあ。なんてな。えへん。おほん。
この件に関してはもちろん制度の強行が一番悪いのだけど、100人ってのは全体からすれば案外少ないってことか?わからんけど。
個人の事情ってものもあるから辞める方も苦渋の選択だとは思うので、一概に非難するのもなんだかねえって気はしますが。
オールジャンル、お金は大事ということだ。すべてじゃないが、大事だ。
それにしても「聖職者が現場を放棄するとは何たることか!」といった論調の説得力のなさといったら。
そんなものいねえし。坊さんだって戒名一行で荒稼ぎする高額取りのコピーライター。
しかしながら最後までやり遂げる先生方というのも多数いるわけで、そういう人はやっぱり「本物」ってことだろうか?
あれれ。なんかきれいに落ちてるな。もっと醜い文が書きたかったのに。なんか変な感じだな。あれれ。
『おそいひと』(監督・柴田剛)鑑賞。
これは本物の身体障害者(重度の脳性マヒ)が、連続殺人を繰り広げるという内容。
自分はボランティアとか介護の仕事に一切興味がなく、そういう人を見かけると「ちょっと引く」程度の意識が低い人間なので、これはヤバそうだなという下衆な興味からDVDを手に取った。
いざ観てみるとモノクロ映像、きれいなカット、エロクトロニカなサントラなど、実にアートっぽい作品であった。
主人公の住田雅清氏は車椅子で移動し、言葉の発生もままならない(文字を打ち込むことによって電子の声が出る、ボイスマシーンで会話する)重度の身体障害者なのだが、監督はこのハードコアな被写体を出来る限りカッコよく撮ろうとしているような意思が感じられる。きわどい内容だが、そういった意味では非常に「優しい」作品。
カラーでもっと凄まじくどぎつく!という方法はとらなかったのである。
ついうっかりしがちなのが、脳性マヒとは脳の命令系統が繋がらないのであって、脳の機能自体がマヒしているわけではない、ということ。
つまり考えることは普通の人と同じ。若い女子には萌えるし、こいつぶっ殺す!と憎悪をメラメラさせることも当然、ある。ってことを確認させてくれた。
住田さんは酒好きであり、ヘルパー(スキンヘッドのバンドマン)ともうまくやっており、夜な夜な酒宴を繰り広げている。
一見、楽しそうな人生である。
そこへ卒論のための体験として、女子大生が介護のボランティアとしてやってくる。男としては当然興味の対象。
要するに好きになっちゃう。
スキン兄ちゃんと女子大生さんが微妙にいい関係になり、先輩格の障害者から「壁は自分で取り除け」と忠告されてから、住田の中でなにかが狂う。
彼をまず、用意周到に殺害してしまうんである。あとは連続殺人鬼へとまっしぐら。
一瞬映される、障害者とは思えないくらい、無駄な肉のない裸体が神々しくも毒々しい。
全編に映し出される住田氏の笑顔。
剛毛で髭面で黒ぶち眼鏡をかけたその顔は毛むくじゃらの動物のようで、一瞬、かわいらしい。
このキラキラした笑顔を使って「障害者だけど僕、ハッピーです!」ってな作品をつくることも可能だと思うが、『おそいひと』は真逆のベクトルを貫いた。
だって、そんなわけがないんである。
劇中、女子大生が「住田さんて普通に生まれたかった?」という質問に対し、ボイスマシーンで『殺すぞ』と答えるシーンがあるのですが(笑顔で!)、恐ろしいのはその答えじゃなくてそんな質問ができる、無邪気かつ、まったくデリカシーのない神経である。
笑顔で楽しく酒飲んで、バンドの打ち上げにも誘ってもらえる人気者。の障害者。
もてなすほうは百パーセント悪意はない。が、どうにもこうにも健常者とのギャップは埋まらない。埋まるわけがない。
「障害者が連続殺人をする」という部分があるからむしろエンタメとして成り立っているのであって、笑顔を振りまきながらも一人になれば「はあぁ」と溜息を漏らすようなリアルな描写だけで映画を終わらせるとしたら、凄まじく絶望的なメッセージを放つ作品になったとも思う。
が、それをやっちゃうとあまりにも文学的というか内省的というか、「本物の脳性マヒが連続殺人鬼なんだって!なんかすげーんじゃね?!」と下世話に盛り上がれる部分がポップというか、映画としての一般性ということであります。
以前『障害者プロレス(ドッグレッグス)』という興行を見に行ったことがあるが、そこには女装趣味の変態障害者や性格が悪すぎる障害者、「ヘビー級」に至っては立ち上がれないくらい障害が重いからヘビー級ってことで、みんなリングに寝っころがったまんまっていう、なかなか黒いジョークに満ちた空間で、我々健常者は金を払って彼らのパフォーマンスを見て、彼らを揶揄するアナウンスを聞いて笑った。
障害者たちが作り上げたエンターティメントを無責任に楽しんで帰った。
それ以上でもそれ以下でもないが、よい思い出です。
この麿赤児チックなジサマは誰かと言うと、パブロックの名バンド『ドクター・フィールグッド』の初代ギタリスト、ウィルコ・ジョンソンであります。
ガイドブック的には彼が在籍した時代のアルバム『ダウン・バイ・ザ・ジェティー』『不正療法』『殺人病棟』が必ず、プレ・パンクの名盤として紹介されている。
ピックを使わない独特の「素手」によるカッティング、タテとヨコにしか動けないアクション、ギターをマシンガンのように構え威嚇射撃をするポーズなど、このバンドのパンキッシュな要素を受け持っていたのは確実に彼であり、ウィルコが抜けて以降、バンドはオーソドックスなR&Bバンドになり、ボーカルのリー・ブリローが死去したが、名前だけ残して実はまだ続いているようだ。すでにオリジナルメンバーがいないモーニング娘。に立ち位置が似ている。
なんだかんだいってもブリロー&ウィルコ時代が最高なんであって、これはロックンロールにおける他流試合みたいなもの。4枚目製作中にしてこの緊張関係も破綻。
ミッシェルがリスペクトを表明して以来、中古コーナーで彼らの在庫CDを見かけることが少なくなった。
そのウィルコ氏は現在、末期の膵臓ガン。
静養せずに日本、フランス、イギリスとツアーするのだという。
ツアー先の事故やおいたで亡くなるミュージシャンは山ほどいるが、自分の寿命を逆算しながらの音楽行脚ってのは今まで聞いたことがない。
地元の公演を終えたあたりでサクッといけたらいいね、ということなのだろうか。
っつってもおんなじようなロックンロール&ブルースを65歳まで現役で続けられたのだから、ロッカーとしてはかなり息が長い人生と考えていいと思う。
ブリローとウィルコは最後まで仲直りすることがなかったらしいが、リー・ブリローもやはりガンで亡くなる直前までステージに立ち続けた人なので、「あの気に入らねー奴には負けられねー!」っていうライバル心がどこかにあるのかも知れない。
先輩の『パイレーツ』のミック・グリーンがいなくなって(このバンドは音はOKなんだが、ルックスがかなりキツめなのでその辺がご勘弁)、後輩のアベフトシがいなくなってウィルコがいなくなるともう「この系譜」のギタリストが消滅する、と思う。
パンクが安物ナイフで粋がるガキだとしたら、彼らのギターは日本刀の居合い抜き。
髪があったころのウィルコ・ジョンソンは殺し屋然としていたファーストシリーズの初代・石川五ェ門のイメージである。と自分だけが思っている。
動画サイトで、『ラフィンノーズという生き方』を見た。
30年以上やってるベテランパンクバンド。平均年齢50.ボーカルのチャーミーは今年で52歳になる。
素でいるぶんには普通のおじさん。楳図かずおにちょっと似てきた気がする。だが年間80本以上のライブをこなす現役パンクロッカー。バンドはラフィン一筋でとにかく、80年代からのスタイルでずーっと続けてるってとこがすごい。
「GET THE GLORY」世代ってのがあるとすれば自分なんかは確実にそれなのだけど、人気があったからレンタルでちょっと聴いてたくらいで、あまり思い入れはない。
アイドルっぽい売られ方が鼻について(メジャー盤を聴いたときのガッカリ感!)、本人たちもそれでよしとしているようなところがあって、何よりも稚拙な歌詞。ノリだけのポップさで押し通している英語と日本語のチャンポンがもはやパンクとは思えなくて、一番近いセンスはサザンの桑田圭祐である。
パンクってのは実は歌詞の衝撃が重要なんで、スターリンやINUやフリクションや赤痢がそれぞれのスタンスで投げつける、「冷たさ」が本物だと思ってた。
あれだけ荒れ狂っていたハードコアのライブから死人が出たとは聞かない。つまり皆さんが「玄人のパンクス」だったからである。ラフィンの野音で3人が亡くなったのは、「素人さん」を巻き込んでのスタンスが生んでしまった事故。
ところが最近のライブはどうだ。えらいことカッコいい。そして「BURST 」あたりからたどり着いてきたのか、客層がえらいことカッコいい。
が、曲はやっぱり相変わらず好きになれない。けど、エグい。『聖者が街にやってくる』とか、まあだやってる。全身全霊で。・・・・エグい。全盛期のアイドルパンク時代より、今のほうがエグい。
バンドの運営もツアーの運転もメンバーだけで行い、音楽だけで食えていて、コアなファンもついている。これ、バンドとしての理想系なんじゃないかと思うけども、ひとたび歯車が狂えばその場で分解してしまう可能性も常にはらんでいる。
チャーミーは気仙沼出身。震災後の凱旋ライブで彼が放った、「何度でも再生してやるぜ、ラフィンもおんなじだ」
『ズーっとやってやんだよ!!』 の一言が強烈。こんな簡単な言葉なのに。
ラフィンってのはちとキャロルっぽいんだよな、と昔から思っていて、チャーミー本人も永ちゃんのファンを公言していた。だが矢沢という人はビジネスマンとしても有能なのでかなりいろいろな物が見えていたが、チャーミーはラフィン以外のやり方がわからないんだと思う。
「自分のためだけにラフィンをやっています」と言い切るチャーミーにとってラフィンノーズは希望なのか。
ひょっとしてほかにやりかたがわからない、逃げ場がない、ゆえの絶望からラフィンを続けるしかないんじゃないか?などと毎回完全燃焼しているようなライブを見ると、そんなことを思ってしまう。
ベテランてのは後半戦がキツい。普通は最盛期よりいいものを作れるわけがないのである。
ただラフィンに関しては、どんどんエグくなっている気がする。個人的にはやっぱりまったくファンじゃないですけども。
イギリスには還暦を越えたジサマ、チャーリー・ハーパー率いる『UKサブス』というパンクバンドがいるが、チャーミーのラフィンノーズなら同じくらいイケるんじゃないか?と思う。
しかしあの歳で「チャーミー!」と呼ばれ続けるってのも、エグいな。
やっぱりパンクはエグくないと!といったところで腑に落ちた次第。
東京、大雪であります。
開店休業状態。しょうがないんで「ダルマ」をロックで頂きながらブログ書いてます。
本日成人式だが、まあイエーッとやりたい奴らはどうしたって元気なので、あまり天候も関係ないのだろうか。
最近の新生児人気名前ランキングなどを見てみると、基本的にほとんどドキュンネームなんじゃねぇの?とか思ってしまう自分ゎおっさんなのだろうか。
「大翔」と書いて「はると」って。国民的有名芸能人がドヤ顔で「心美」などという狂った名前をつけたあたりから、どうやら親たちが国民的に暴走し始めたようだ。
あと「斗(と)」が多いなあ。男はファイトってことですか。しかしながら人の胸倉をつかんだりするのは単なる「蛮勇」なのであって、男は地べたをはいつくばってなんぼですよ。「胸倉つかみ」も「地べた」のキャリアがなければなんの説得力もないっすよ。そういった意味も含めてちょい前の世代は名前に「人(と)」ってつけたんじゃないのかね。
女子は「陽菜」とかが人気だが、なんで野菜っぽくしたいのかはよくわかりませんが。さすがに「ゆな」は「湯女」で要するに「遊女」じゃないの?といった指摘がちらほら出てきて以降、ちょっとは「待ったがかかった」っぽい。
ロック好きの親からは今後、「瑠宇(ルー)」とか「意義(イギー)」とか出てきそうでこわい。
まあとにかく、十代の自殺が問題になっている昨今、ハタチまで「長生き」できた君たちにはおめでとう!と言っておこう。
いつも思うことなんだが、いじめやら体罰やらから「逃げる」勇気ってのがとても重要で、自殺する勇気があるなら相手を「傷つける」勇気に使ったらいいと思う。
そっちの方がとてつもなくめんどくさい問題ってことになるかも知れないが、それでも自分が死ぬよりはなんぼかいいと思う。こういう場合にインターネットを活用すべきなんであって、人を殺傷する方法を知れば、人を殺傷しないで済む方法も自ずと分かるはず。相手の身内が警察OBとかだったらなおさらである。玉砕する勇気があるんなら、敵の社会的地位なんか関係ない。
自分はぶっちゃけ自殺は絶対にいけないとは思ってないが、十代の自殺ってのはどうもいただけない。
いずれのっぴきならない日が来ればそのときに決行すればいいのだし、十代の数年間など捨てたところで後人生に大した影響なんかありゃしねーんだよ!ということは一応、言っておきたい。
つるんつるんでイエーッの成人式を迎えた連中より、なんぼか経験値を積んでるはずである。
で、出来れば識者の方に声を大にして言って頂きたいのが、「チェリーボーイ&バージンの癖に自殺してんじゃねーよ!」ってことですね。
夢だ希望だ未来だ将来だ親の愛だなどのきれいごとなんか、のっぴきならない状況の奴にはなんの説得力もないんである。
「周りの人間に相談しなさい」などと言われたって、「お前セックスしてねーんだろ?」と答えてくれるまともな大人がちゃんといるのか、って話である。
いじめる側ってのは後人生で数人とヤって、おそらくガキまで作るんですよ。それを考えたらあまりにも理不尽なんじゃねーの?ってことですよ。自殺願望に対抗できるものがあるとしたら、それは「性欲」しかないと思う。
暗ーくオナニーして耐えてりゃ、何かいいことがある。かもしれない。
そののちやっぱり「ダメだこりゃ」と思ったら、死ね。よく頑張った。
あとこれはよく大槻ケンヂが書いていることだが、「とにかくバンドをやってみろ」ってこと。
楽器なんか出来る必要はない。もしいじめの定番であるところの、昆虫や排泄物を食わせられたり、人前でのオナニーなどをステージでやってみせれば、場所を選べば百パーセント受ける。ひょっとしたらメンヘラーの恋人も出来るかも知れないよね。
「映画を観る」ってのもひとつのサバイバル。1本観れば120分くらいは長生きできる。人生2時間更新。
それで何が悪いのよ?と言えるハッタリは生きる上で大事。通じなくなったら、手前らで考えやがれ。