殺伐としたことばっかり書いているのでたまにはほっこりというか、じゅくじゅくっとしようと思うのですが、先日名作の誉れ高い『月曜日のユカ』を観たわけです。
さすがシャレオツ映像美。加賀まりこさんがこの時点で世界一かわいいんじゃないかというほどかわいい。90年代渋谷系からリスペクトされるのもうなずける。
ものすごくガーリーなんだけど、しかし要するに、やりまん女子の映画だろこれ(かなり頭は弱い)?体は許してもキスはダメって、きみは昭和のトルコ嬢かい?
と、ここまで書いて何も思いつかなくなった。「オサレ」が、遠い。
最近はロックはパンクだけで、あとはレゲエやスカ、ジャズなんかを聴いているのですが、それらに共通する「湿った暗さ」が好きなんであって、多分僕は一生、フリー・ソウルとかラヴァーズ・レゲエとか、「恋人たちのBGM」仕様のジャズ・コンピとかには縁がないのだなあ。かめへんけどな。
で、最近うおおと思った三十路のグラビアアイドル、「壇蜜」さんです。全然話のつながりありません。
前職が「納棺師」ってのもエロさ倍増。納棺師っていうか官能師。
http://www.youtube.com/watch?v=qFEfUgd0s0s
おそらく最もきわどいコスプレイヤーであろう、うしじまいい肉さん。オーエルさんのコスプレがいい。
http://www.youtube.com/watch?v=zFIkhB4WU6A
このひとAKBのメンバーなんだって。すごい芸持ってるなあ。ほぼストリッパーじゃん。リスペクト。
http://www.youtube.com/watch?v=w_s0kCrYHUM&feature=related
実は結構皆さん、いい年らしい。むらむらして頂けましたでしょうか?
少し前に店に来たカップルで、彼氏はうちのCDを一生懸命漁っていたのだけど、彼女がなんか横でぢっと監視(?)していて、しまいには彼が「なんで君はいつも見張ってるの?他の店に行ってればいいじゃん!」とか切れちゃって、それでも「うんあたしいい」と平然としていて、若いのにカサカサだなあと思っていたのだが(めがね髪ひっつめチノパン)、それだけ投げちゃってればもうフェロモンも出ないすよ。湿り気がないよ。がんばってじゅくじゅくしている女性のほうが素敵だと思う。
関係ないが、「辛酸なめ子」さんって方も、これだけ顔出しというか露出を続けてると、だんだん美人に見えてきますね。
梶芽衣子さんが好きなもんでな、どうしても見直してしまうんだな、「女囚さそり」シリーズ。
好きな順位を上げると三作目→一作目→二作目。監督が変わった四作目はこの際除外。
一作目はカジメイの乳首が見られるというオプションがあるが、基本的に刑務所内での密室劇であるので、比較的破綻は少ないが、演劇的。そして五分の一くらいは女囚たちが「穴を掘っている」不思議な映画である。国家権力への悪意もハンパでない。
二作目は集団逃亡劇。さらにアングラ演劇空間。
一作目は「ハッタリ」の映画だが、三作目『けもの部屋』はもう、デタラメであります。
テーマは「さそりを野に放て!ー動乱ー」。
電車の中で手錠をかけた成田三樹夫(ヤクザか鬼刑事の「二つしか性格がない性格俳優」として有名な方)の腕ごと出刃包丁でぶった切り、血まみれのそれをぶら下げたまま街を逃走する松島ナミ(さそり!)。
まるでライブ告知のような指名手配写真が構内の壁中に貼ってある演出がクール!
すげえオープンニング。映画ってのは出だしで胸倉を掴んでくれなきゃダメだ!
で、さそりはいわゆる白痴の兄と近親相姦の関係にあるパンパンと出会うのだが(放送禁止用語を連発してる気がするんだがこのブログ大丈夫か?)、そのシーンがまたぶっとんでる。
つながれた手錠の鎖を切るため、真夜中に墓石を使って血まみれの腕を持ちながらギーコギーコしているんであります。白目を最大限に有効活用する女優魂!
そんなカジメイも凄いが、「お針子さん」としてミシンを踏んでいても、ボロアパートに住んでいても、やっぱり美人は美人!
そして女ボスの李麗仙。檻でカラスを飼い、特撮の悪役のような、とんでもないギラギラ星人として登場。売春組織の冷酷な管理職。何かしらの賞を差し上げたい。
次々と男を血祭りにあげていくさそりは究極のクールビューティー。特に「カラス」を使った殺人が凄いわ。
『死んだ女の亡霊が、あたしに取り憑いたんだよ』。
ブルーのパーティードレス(?)で下水道に逃亡し、そして生き残るさそり。
およそこの辺からさそりという「概念」が一人歩きし始める体なので、あとはもう書かなくてもいい。つまり、観ればいいんである。
マンホールから落とされるマッチの演出が憎い。
ちなみにタイトルの「けもの部屋」は、近親相姦を繰り返す兄妹が住む、バラック小屋を指すのだと思う(その家並みは、なんとなく部落っぽい)。
掃除用具(モップ)のアップから、さそりのポスターが次々と燃え落ちるラストシーンで、「女囚さそり」はこの三部作にて完結!でしょう?
黒髪。真ん中わけ。三白眼。ロングコート。出刃包丁。ノン・ダメージ。すうさい堂の看板=さそり。
http://www.youtube.com/watch?v=9o29SHMQJwU
「キモい」「ゴミ」「日本の恥」とかなかなか立派に顰蹙を買っているようだけど、割りと嫌いじゃないんです。
実際これでメジャー展開って、腹を括ってないとできないですよ。アングラバンドのPVではなくそほじってるのとはわけが違う。
この芸が後世に何かを残すとは思えないけど、3・11以降に登場した最高のふざけユニットとして肯定したい。あえて「アレ」から遠く離れるというのも計算済みなのかも知れない。
三人の動きなんか、志村けんや江頭並の切れのよさだと思うんだけども。少なくとも小島よしおやレイザーラモーンの時のような「しょーもな・・・」というイタさは感じないというか、彼らは明らかに「子ども人気」を意識していた節があるけど、彼女らの標的はあくまで殿方。12才くらいで見たら、イタ・セクスアリスになっちゃうかもな。
(なんだかんだできっと女子ファンも多いと思う)
おかあさま方からしたら明らかに「敵」だ。悪意や顰蹙をガードするタフさを持ってないと一瞬で潰されてしまう。娘さんたち、この一発芸に人生張ってるんである。
なんかニューヨーカーも楽しそうだしな。ワールドワイドで見たら意外とレベルの高いエンターティメントなんじゃないの?実際、市井のニューヨーク人の知的センスなんて知らねえしな。あんた知ってるか?
競争を強いられるAKBも大変だろうけれども、良くも悪くも最初から個人に目が向けられる少人数ユニットの方がしんどいのではないか?
ロックがどんどん小さくまとまって行く中で、いま国内最高のエンターティナーは「perfume」なんじゃないかという気がするし(いちばん戦ってるなあと思うよ!)、彼女らもまた、もはや「セックスアピール」だかどうだかはわからんが、ベロと谷間と大股開きを武器に戦っている。
表現としては、眼帯つけて包帯巻いて間接人形持ってぎゃあと叫んでいるほうがスタイリッシュで楽だし、リスクも少ないんである。
むしろそんな風体のバンドが「海外進出!」とかのニュースを聞くと、同じ日本人として少々げんなりする。
彼女らは人のやらないことをやるというよりは、別に歩まなくてもよい道をずっこんばっこんと闊歩し、ぽいぽいぽいぽぽいぽいぽぴーと、世界中からリスペクトされる(特にアート系)都市生活者を踊らせた。
やった人間、やれた人間にだけに贈られた勲章。なにもできない者は電脳空間に鍵盤で悪意を垂れ流すのみである。
最近キャバクラ街の銭湯に行くたびに「いちゃキャバどうですか?いい乳首ありますよ!」と声をかけられるのだが、もちろん悪い乳首や普通の乳首よりも良い乳首のほうがいいに決まっているのだけど、なにぶん自分は酒を飲んでいるときと(飲むとムラムラするという感覚がまるでわからん)浴場の前後は欲情しておらんので、無意味である。そもそも無駄遣いをしないように風呂代とメシ代くらいしか持ち歩いておらぬ。
知り合いのライター・河田拓也さんがミニコミというにはえらい気合の入った雑誌を創刊した。
『For Everyman』、すべての男たちえ。定価1000円。すうさい堂に3部入荷。
自分なんかも観たことがない日本映画の特集(田宮二郎の「犬」シリーズとか)や山田太一氏の対談など、かなりディープ。
やりたいようにやっていたら制作費もかなり嵩んでしまったらしいのだが、我々の共通した意見は「なんで好きなことを好きなようにやっていると比例してお金がなくなっていくのでしょう?」ということであります。
「編集」なる行為は自身をすごく突き動かされると思うのだが、とりあえず店が持てた時点でなんとなく一件落着している自分のような者は、なるべくやりたくないことはやらない方向で、なるべくストレスをためずにやっていくのがコツで、その代償としてはやっぱりお金がない、貯金がない、残高がないってな按配になるわけだが、とりあえずまだ続いているのであります。
すうさい堂に発展はない、継続のみ。
一番カッコつけた言い方をすれば、本音でもあるのだけど、すべてに絶望しておるのでる。絶望しました。夢がこわれました。
自分のあまりの引き出しのなさというか、「これは遺伝子が腐っとる」と気付いた時には呆然としたもんだが、次世代を残すということにまるで興味がないので、むしろ好都合ってもんである。
(強がりじゃないんだもんね。わざわざアウトレットなんか生産したってしょうがない)
まあしかし、互い違いに椅子を積み上げ、その上で逆立ちをしている中国雑技団のような努力をするよりは、絶対いずれ腰をやられるな、と思いつつもパイプ椅子に座って釣り糸を垂れてダラダラしたい。釣り嫌いだけど。いやいや例え例え。
人と並んで走るのが無理なら、「降りる」のもひとつの手だと思う。少しばかり腹は括らなきゃならないかも知れんが、「これはいかん」と思ったら一回まッさらにしてみる、ってのもアリ。
選択範囲はそこから選んでみましょう。かなり限られたものしか残らないと思うけども、多分、そこが正解。
ってのが「良い」絶望。「悪い」絶望なら首でも括っちまえばいい。「普通の」絶望なら何とか普通にやっていけるだろ。
というわけで最初の振りに戻っていくのであった。
以前から気になってはいたのだが、流通網から「こんな商品は扱いたくありません」と取次ぎを拒否されたというなかなかのレアもの・『まんがサガワさん(佐川一政著/オークラ出版)』が入手できたので、読んでみる。
猟奇犯罪者が自分の犯行を「まんが」として発行したという意味では、奇書と呼んで差し支えないと思う。
まさに「人を食った」本。なんちて。
しかしこの人はどうも罪の意識が薄いんじゃないかと思う。
かの『デビルマン』では、カメの姿を模したデーモン・ジンメンがデビルマンに向かって、「俺は殺したんじゃない、食っただけだ」「人間の感覚じゃ動物を食うことは悪い感覚じゃないからな」と言い放つのだが、それに沿ってみればサガワさんも「僕はルネさんを殺してはいません。食べただけです」ということになるんじゃないか、その辺を理解して欲しくて執筆しているうちに「作家」なんて有難い肩書きまでついてしまったんじゃないか、などと思う。
しかも彼は自分を「キラーエリート」だと思っている節がある。月面着陸をやってのけた、みたいなノリか。
が、カニバリズムの歴史を紐解けば、少女を「じっくりことこと煮込んだスープ」にして全部平らげ、ご丁寧にもその両親に「大変おいしゅうございました」と手紙を送りつけたアルバート・フィッシュとか、54人殺したうちの何人かはお召し上がりになったであろうロシアのチカチーロとか、黒人の男性ばかりを殺して食べ、警察が踏み込んだアパートには冷蔵庫に生首、鍋には性器や内臓が入っていたというゲイのジェフリー・ダーマーなどのつわものがいらっしゃるので、サガワさんなど実はまだまだ幕下なんである。なんちて。
ただ彼の場合、「食べ残し」の現場写真が流通してしまっているので、その衝撃はかなり大きい。
この本もカバーを外すと、ばらばら血みどろの写真がコラージュされている(要するに遊んでいます)。
マンガ自体は稚拙なんだが、事細かにその蛮行が描写されているので、こういったものにある程度免疫がないと、マジで気持ち悪くなると思う。
まあしかしこの人は常にマヌケと背中合わせの運命にあるようで、被害者の死体を鞄2個に詰め、シータク呼んでブローニュの森に捨てようとしたのだが、フランス初夏の午後8時はまだまだ真昼で悪目立ちし、自力で湖に捨てようとしたがまるで動かず、そのうち疲れ果て「きれいな夕陽だなー」などと思っているうちに(この辺が常人の感覚ではありませんが)地元の大男に鞄をこじ開けられ事件発覚と相成りました、という。
そんなこんなであるので、この事件にはちょっとだけ「ユーモア」すら感じられるのである(とか書いちゃいかんのだが)。
他にもイッセイ氏のエッセイが収録されているのだが、それによると「佐川一政無罪放免」の裏には、佐川父が一財産ぶん投げ、ありとあらゆる手段を使って息子を「精神異常」に仕立て上げたらしい。普通の親だったら「死んでこい」と言っても差し支えない事件であるというのに。
さらに自由になってからのサガワさんはプロ・素人問わず相変わらず外国人女性に入れ上げ散財し、あらゆる方法で借金しまくり、すべての尻拭いは全部父親という、究極の放蕩息子と親バカなのであった。
自分にはこちらの事実が衝撃的であった。
それにしても事件後、ある意味「名声」を獲得し、複数の女性と浮名を流し、殺人者としてはずいぶん幸福な人生だなー、などと思ってしまったのでした。