ムッシュかまやつ『ムッシュ!』(文春文庫)読了。
今年で69才になる御大だが、とにかくトッポい。
ヘアスタイルもいつも決まってる。これだけキープオンしているのだから、それがズラであるか否かとかは、もはや問題外である。
ツッパリ続けるのもトッポい態度だが、この人の場合、さっさと自分の負けを認めちゃうトッポさである。
最も不良なGS「ゴールデン・カップス」の衣装ばらばらでブルースを演奏するライブを観れば、お揃いコスチュームのスパイダースは古いと感じ、関西フォークの自由さが「今」なんだと、あっさり白旗をあげる。
故に若いバンド、新しい音楽にも柔軟に対応することができるので、この年でも化石にならずに現役感覚を維持している。
そもそもスパイダーズが実はかなりトッポいというか、イギリスっぽさでは当時のGSでもナンバーワンと言っていいくらい頭抜けている。
『フリフリ』なんて日本のガレージパンク第一号ですからね。337拍子の。
そんなバンドなので彼らの最大のヒット曲、『夕陽が泣いている』を演奏するのは、実は本人たちとしては嫌だったらしい。
なにしろビートルズの前座を「蹴った」人びとである。公演当日のとっかえひっかえ登場する日本のバンドを観て、「やっぱりやんなくてよかった」と思っていたらしい。
『我が良き友よ』にしても、「なんか違うんじゃないかなー」と思いつつも、ギャップが面白いんじゃないか?と歌ってみれば大ヒット。美空ひばりさんには「あの歌はあなたが全然感情移入していないから良い」と言われたとのこと。ちなみにB面は渋谷系諸君も大好きな、本来のムッシュ的にトッポい、『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』。
あとはやっぱり、はじめ人間ギャートルズの『やつらの足音のバラード』。初代ルパン、デビルマンと並ぶアニメ・エンディングテーマの名作だと思う。
ジュリーやショーケン、マチャアキに井上順なんかは天下を取ったが、二番手・三番手としてクールかつ好き勝手に生きているムッシュがやっぱり、一番トッポい気がする。
「たのきんトリオ」の中で、一番トッポくハッピーな人生は野村のヨッちゃん、というのは周知の事実である。
いやしかし、概要としては旦那の誕生日のサプライズ企画として嫁が友人と画策して海辺に落とし穴を掘りましたと。2・5メートルも掘ってしまいましたと。
夜に呼び出して驚かせようとしたら夫婦さかさまに落ちちゃって、救出されるまで2時間を要したため二人とも窒息して死んじゃいましたとさ、ということらしいのだが、またずいぶん日本も緊張感が切れたというか、緩くなったもんだなと思う。
「直後」だったらこんなことを実行する奴はまずおらん。
こう言っちゃなんだが、この二人は23年間一点の曇りもなくハッピーで正しい人生を送ってきたのだが、歪みってのはどこかで生じるもので、まさに幸せの絶頂にお砂まみれの「不良債権」が一気にザザザと来てしまったんじゃないかと、ま、思うわけです。
これほど同情しづらい死にかたも珍しい。
「命は平等」という物言いはまあ良しとしても、「死にかた」に計量はあるのではないかと。
津波で亡くなった方々は不幸だが、日本人の目を覚ませてくれた、ということにおいては意味がある。
この事件の教訓は、「バラエティ番組をそのまま実行するのはやめましょう」ってことか・・・・(だいたいヤラセじゃないのか、アレ)。
「友情」とか「祝福」とか「一致団結」などのキーワードによってこの夫婦は殺されちまったようなもんで、やっぱりそういったキラキラした言葉とは一定の距離を保つべきだと思う。
「憎まれて」殺されたほうが、まだマシのような気がするもんなあ。
先日サンロードを歩いてたら、もすごい怒号が聞こえる。
アーケード街なので自然エコーも手伝って姿は見えないのだが、誰だかすぐにわかった。
何回か見たことがある、「怒鳴り散らしババア」である。なんか一人で、めちゃめちゃ怒りながら歩いているのである。
(激しているのだが何をスクリーミングしているのかはよくわからないので、ハードコアパンク的とも言える)
あのババアは絶対嫌われ者だろうし、おおよそ何かの役に立っているともお見受けできないのだが、自分の中で解毒しまくっているので、多分長生きするんじゃないかと思う。
どっちが幸せな人生か?知らねーッす。
なんか知りませんが二ヶ月ほどここのブログが消滅してまして、しょうがないので他のところをふらふらしていたのですが、なぜかまた復活したのでやっぱりこちらに戻ってきました。
ここは広告が出なくてシンプルなのでいい。某・飴場とか最悪だ。ベグとかみんな死ね。
暑いもんで、一応節電などもちょこちょこ取り入れつつ、最近はよくレゲエなど聴いております。
といっても、ボブ・マーリー、ミュートビート、マヌー・チャオあたりのアバウトな感じなのだが。
ラスタファリズムとか、やっぱりガンジャくらい決めねーとレゲエは語れねー云々というような話はまったく興味がなく、別に語りたくもなく(どうでもいい)、単に優れた気持ちのいい音として流している。
パンク語りだったらいくらでもして差し上げるが(でも今、暑いんで)、ブルース云々とか言うのももうやめた。
探求者はいくらでもいるし(しかもほとんどが手だれのプレイヤー)、自分とは結局違う世界。
正直、ジョン・リー・フッカーのすごさとか、よくわかってませんでした。ぶっちゃけ全部同じなんだもの。
つまりわたくしは、「60年代のストーンズ」が好きだったのだな、ということに気付いた次第。アレはいい。ええ。
カレーである。
最近しょっちゅう食らっておる食物である。
まあ基本的にはカレーは全部オーケーだ(ただし、某弁当チェーン×リジ×と、某老舗牛丼屋は除く)。
井の頭公園近くにある女性スタッフがやってるカレーを本日食したのだが、なかなかイケてました。
たまごカレー五百円。ランチタイムはちゃんとしたサラダがついてくるのだが、これがカフェーなんぞで食うたら単品五百円くらい取られるんではないか、といった風情の逸品。得した気分である。
がっつり食うならば中道通りのマレーシアカレーがおすすめだったりする。アトレ地下で売ってるのも旨いやね。季節商品だが、チェーン店松〇の野菜カレーが、目玉焼きなんか乗っていて絶品である。
吉祥寺には有名カレー店多数あるが、中道通りで営業している中華&定食屋「Y」のカツカレーが、実は究極なのではないかと思っている。いわゆる「現地のカレー好き」には、まったくおすすめできないのだけれども。
マジで今年はクールビズ、の夏が近いですが、菅君も続投はないようだし、次の首相は「アロハが最も似合う男」基準で選んでみてはどうか。初のアロハ着用総理。
人間はフラットな格好にこそ本性が出ると思う。スーツじゃわかんねえだ。
しかしまあ、メルトダウンより最悪なメルトスルーがおきているとかの話もあるが(もともと「炉心融解は絶対起きない」との下馬評もあったはずなんだけど)、そう言われてもどこまで危険なのか、まったくわかりません。何がなにやら。
関東にも福島並に放射線の濃度が高い「ホットスポット」が点在しているとのことで、実は実家のすぐ近くだったりするのだけど、そこに住む子供たちを外に出させるたびにビクビクしなければいけないってのも「人間の生活として」健全でないと思うし、果たして本当にヤバいのかってのも、まったくわかりません。何がなにやら。
最悪、これから十数年・数十年単位で放射能汚染とつきあっていくはめになるかも知れないというのは、なかなか痺れる話である。
よく劇中のセリフで「こんな日常ぶっ壊れてしまえばいい」云々と耳にするが、いざぶっ壊れてみると、なかなか満更な日々でもなかった、っていう。
実際、ついこの前までは頻発していた猟奇犯罪・無差別殺人も震災を機にかなり減少したんじゃないか。「自分の人生を終わらせたくてひとを殺しました」なんて言い草をする連中もしばらくは出てこないだろう。そんな手間をかけなくても、あのとき日本は「一旦終わった」んだから。
これからまたデカい一発が来ないという保証もなく、被爆リスクの可能性も否定する「根拠がない」わけで、自分なんかは日本にいる限りは「人生80年神話」は完全になくなったと思っている。でもって、本音は「それも気楽でなかなかよいものである」とも思っている。もはや年金なんて金をドブに捨てているようなもの。いずれ督促係と一騎打ちになったら「地震もなく被爆の心配もなく、長生きできる将来をあんたが保障してくれるのか?」と噛みついてやる。
ちょっとどうか、と思われるようなこともあえて書いてみる。このまま状況が収束しないと仮定した場合、子供がいる人は、彼らがある程度の年齢になったら「お前ら、80まで生きられると思うなよ」宣言をするという、ある意味スパルタな教育を施してみるってのはどうか。腹を括れと。つまり「好きなように人生を楽しめ。後悔する生きかたをするな」と教えるわけ。そこで彼らが暴徒となるか否かは、結局は親の背中の問題で、言い放った本人がどれだけ自由にかっこよく生きているか、ってことにかかってくるので、親がまず腹を括らないといけないのです。自分で書いておいてなんですが、た、大変だね。
ロックンロールの格言で例えるならば『TOO FAST TO LIVE TOO YOUNG TO DIE』。
福島県いわき市出身の村西とおる氏がブログで、「原発ばかりを悪者にしてはいけない」と書いていて、ちょっとどきりとする。
そりゃあ何が悪いと言うならば、津波と地震が悪い。しかし「天罰」とか発言してしまうのも、頭が悪い。
今年は人生初、選挙に行った。書いた名前は大マジでドクター中松。「原発のプロ」って発言もしていたし、政見放送で被災者のために黙とうの時間をとったのはドクターだけだったから。
書いていることを翻すような気もするけど、「最悪のピーク」はもう過ぎたと思う(また原発がイカれなければ!)。
現在出続けているらしい放射能も、時間の経過や科学力で低下していくはずだし、今の子供が結婚して子孫を作るくらいの時期には、日本のどぶさらいもかなり終わっているんじゃなかろうかと。
まあその間はなんとか「まともな日本」を維持するのはわしら、ってことで、決め言葉としては『放射能上等!』。
くれぐれも頑張りすぎないように(無理な節電とかしてさあ、自分の仕事や会社や店が立ち行かなくなったら元も子もないよ)。特に福島原発の作業員の人。あんまり頑張りすぎると死んじゃうぜ。
そんなわけで、すうさい堂さんはもう今後、この件に関しては一切書かない(つもり)。
おしまい。
ここのところ、ゆらゆら帝国のラストアルバム『空洞です』がヘビロテ。
前作あたりから顕著だった「ゆらゆら度」がさらに増加。
よく考えたらこのバンド、かつては「発光体」「すべるバー」「夜行性の生き物3匹」などはじけるナンバーも多数書いており、名前ほどゆらゆらしていたわけじゃないんだが、このアルバムは徹頭徹尾、浮遊。最初から最後までつながって聴こえるもんで、ついループしてしまう。これは終わるわ、帝国。
さらにつまらなくなった、と離れる人もいたかも知れないが、自分にとってはこのバンド、まったくブレがない。
偶然だろうけれども、3・11を予見していたような『できない』の歌詞がすごい。
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND57793/index.html
「地獄の釜も定員オーバー 激務でダウンの釜の番 並べ さあ人間よ」って部分が特にゾクリとする。
表面は穏やかなのに隠し持った毒。こういうのが一番タチが悪い。
一体どこの地獄に向かってんだ?と思わせる『学校に行ってきます』とか。
ラストのタイトル曲はゆら帝流スイート・ソウル。
ユメやチボーの曲は切り売りされても、「空洞」を歌うバンドはアルバム一枚、じわじわと効く。
今さらながら90年代って、日本のロックはなかなかルネッサンスだったんじゃないかと思う。お好みはいろいろだが。
ゆら帝、ミッシェル、ナンバーガール、ブランキーに椎名林檎。やっと出たおとなのロック・CKB。ブルーハーツを突き破ったハイロウズ。ギターウルフ、MAD3,THE 5.6.7.8sなどのベテラン・ガレージパンクの台頭。続くキングブラザースやギョガンレンズ。「ラスティック・ストンプ」を作った東京スカンクス。スカやサイコビリー、和製グランジやクラストコアの盛り上がりもこの辺からではないかと(「渋谷系」の流れはキョーミがないので無視)。
メンバーにしても、よくコレとコレが出会ったもんだと思う。
向井秀徳&田淵ひさ子とか、チバユウスケ&アベフトシとか、ブランキーにおける「本物のアウトロー」な佇まいとか。
ミッシェルなんかは売れすぎてしまったため、うるさいロックファンからは過小評価されてるような気がするんだが、これだけ洋楽かぶれなバンドが、先人たちよりもさらにヘビーな音楽性を身につけ、メジャーで活躍したってのは、多分今後はもう二度とないですよ。自分にとってはゆら帝と双璧をなす。
いいバンドほど「空虚」を表現するのが上手かった、と思う。