大島弓子さんの『グーグーだって猫である』が好きなのだが、巻数を重ねるごとに抱える猫の数がすごいことになっております。大変な相関図。ひとことじゃ言えない。だんだん、グーグーの出番が少なくなっている。
とにかく子猫を拾っては保護し、出産しては保護し、犬もいた時期もある。
自身も健康とは言えないのに、大変だろうなと思う。でも幸せそうでもある。ヘビーとハッピーはいつでも背中合わせ。
多頭飼いは憧れるところではあるのだが、自分の経済状況諸々を顧みると、やはりお一人様が限度である。
当然体の弱い子もあり、悲しい別れもある。何度もつらい思いをするのも嫌なので、やはり一匹である。
野良猫事情もあると思うけど、まずは自分とこのを愛でたい。ヂル会長を避妊手術させるときも、もし妊娠していたら中絶してください、と言った。情だけじゃ破綻する部分もあるし、責任も持ちきれないかもしれない。
とか言っておるが、おれはずるいんだな、結局。
他の猫のことは知らないのだが、(実家である地方都市では昔から、ほとんど猫の姿を見ることがなかった!どういうわけだ?)会長はどー考えてもクールだ。
猫がすりすりしたり、膝に乗って甘えてくるなんてのは都市伝説でないか?あ、モニターとかにはすりすりしますな。つまり、ニンゲンには角がないのですりすりしても気持ちよくないって理屈か?あれですか理系ですか。
しかし会長の毛並みはすばらしいんですよ。これはすうさい堂さんがストラディバリウスを磨き上げるように手塩にかけて育てた結果なのだが(マジですよ)、長く柔らかく、よく顔突っこんで「猫顔浴」やってます。
黒い動物は他の色に比べて威圧的に映るらしく、それ自体が脅威でもあるらしい。
会長の態度がでかいのもきっとそんな理由もあるのだろう。フィギュアでもミステリーカラーってブラックが多いしな。
暖房の一番あったかい風がくる一等地で寝てますが。好きな野菜に似てる。「茄子」って名前でもよかったな。
この人は逮捕されて以来ロック座でのストリップ、「花と蛇」主演などなかなか生き生きとしたカッコいい道を歩んでいるが(どっちも観てないけど)、今回はマニラに逃亡中ということである。
捕まれば実刑は確実ということで必死なのであろうけれども、なかなかやるなあカッコいいなあ。
(良いとか悪いとかは一切無視して書いてますよ、ちなみに)
おつとめを果たして帰ってきた暁には「女マーシー」のポジションが待っているので、きっと大丈夫。
「サイゾー」とか「ロフトプラスワン」などのサブカル席は、きっと歓迎してくれるはずである。ビップですよ。
だだ、再々犯になってしまうとさすがに微妙な扱いになってしまうと思われるので、その辺は本人の踏ん張り次第である。いいんじゃないか一回くらいの別荘暮らしなら。修道女になるのとそんなに変わらんですよ。
「小向美奈子暗殺計画」などというのもまことしやかに語られており、エッジのきいた女子ナンバーワン(東映っぽい)。
結局、ばれるかばれないかだけのような気がする。
のりピー逮捕以降、「続々大物芸能人に逮捕礼状が!」みたいな記事がスポーツ新聞なんかに踊っていたが、結局誰も挙げられていないのは、もっと巨大な力に庇護されたのだろう。
相撲の八百長にしたって、あれは相手の技に体をまかせればそれで勝敗が決まるんだから、今までそのような行為が「なかった」とするほうが不自然なんである。
相撲に全然興味がないので、ばれ方としては「ケータイのメールってのが、いかにも現代的過ぎてちっとかっこわりいな」と思うのみである。
ラッパーの嫌いなところ。
すぐ群れるとこ。「ダチ」や「ソウルメイツ」が多いらしいこと。手のひらパーンして「YO!」とかいうとこ。
天下を取ったような顔で、ウイアータフだろすげーだろと「リリック」をまくしたてるのが基本的なスタイルらしいが(判で押したようにおんなじなんだな)、日本には「七五調の歌謡曲」っていうオールドスクールな文化があるんだよ。実際に天下を取って戦っているのは彼らじゃないか。
パンクの連中は他人も傷つけているだろうが、同じくらい自分も傷ついているようなセンシティブな魅力がある。
短パンにキャップ逆かぶりの人たちには孤独のにおいがまったくないぜ、メ~ン!
などとディスっちゃいましたが、この世界にもとてつもなく大きな孤独と絶望を抱えていた人がいたのだ。
ECDの『失点イン・ザ・パーク』を読んで、思わず身につまされてしまったのであった。
日本語ラップの創成期からシーンに携わっている大御所なのだけど、そっちの方は全然興味がない。
この本は自身のアルコール依存症の時期をかなり赤裸々に語ったもの。
好きなことやって食いたいなとは誰しも思うが、この人はアーティスト契約で月々の安定収入があり、時間もあり、結果、アル中になっちゃったんである。
盛者必衰とは本当によく言ったもんで、アル中になった時期から契約も打ち切られる流れとなる。
バイトを探すが「要普免」と年齢制限に引っかかり(うわあ一緒じゃん)、雇ってくれるところがない。
ハローワークで見つけた就職先の面接もことごとく落ちる。
唯一受かったレンズ工場も初日で発狂しそうになり、翌日退社。
そのうち欠員が出たということで繰越就職が決まるのだが、最低5年契約だという。
今までそんな「先のこと」を考えて生きてきたことがない。しかし彼は猫を多頭飼いしている。壁はボロボロで修繕費を要求されることは確実。引越しできるような貯金はない。
月給は16万。家賃は11万。あと15年は生きるであろう猫たちのためにも、この部屋を死守する覚悟を決める。と、この小説は結ばれている。
これを読み終えた直後、ECDさんのことが気になって検索してみたのだが、現在現在50歳の彼はラッパー兼警備員として働いており、24歳下で写真家の女性と交際しているらしい。
なんだかんだで、どうにかクリアしたということなのだろう。ひとごとながらホッとした。
実はホッとしてないのはこっちの方で、更新費はクリアしたがまだ家賃を入れてないんである。
これだけ景気が悪いというのに、金融法も改正したというのに、この悪どい習慣が残っているのはどういうことかッ。まあ、なんとかなるか。
自分も将来のことを考えるのも「2年先」が上限で、といっても「ああまた更新しなきゃ」程度の思考能力しかないのですが。
最近身近な某君がおめでたで、秋ごろの予定らしいのだが(こういうシチュエーションは初めてだ)、君のお子様が成人する頃にはすうさい堂はないだろうけども、ヂル会長もいらっしゃることだし、なるべく居座ってやろうと思う。
アーティストのように契約金が入ってくるわけじゃないが、ここにいる限り、金では手に入らないものを絶対に得ているはずである。
続けるしんどさより、やめてしまうしんどさの方が、はるかにきついのです。
それと引き換えにあまり多くのものは望めないのだが、そんなもんでしょ。
ひとつの役柄に没頭し、本人と完全に同化してしまった故、こちらとあちらの境界線がなくなり、「いい塩梅ですがこれ次はないっすよというわけでいかがっすか?」てな感じで死神の引き潮に乗って、そのまま逝ってしまったひと。
『竜二』の金子正次と、『ダークナイト』のジョーカー、ヒース・レジャーがそんなタイプではないかと思った。
もちろん時空は違っているから、常に「奴」は狙っているのである。
『竜二』は自主制作でありながらも主題歌はショーケン、フォーリーブスの北公二や桜金造(ベストアクト!ギャラは分割で七万だったらしい)を出演させ、配給には松田優作が奔走したという。
バリバリのヤクザ・竜二(金子)が堅気の娘と子をもうけるのだが、事件を起こしてしまい、出所するには三百万の保釈金が必要。嫁の実家が出してはくれたのだが、そのかわり別れて娘と孫を返せという。
ぶち切れまくる竜二だが承諾。その後、ルーレットなどのシノギで株を上げていくのだが、渡世がどうにも虚しくなってしまい、妻子とともに堅気となって生きることを決心する。
当初はとても幸福であったが、凡人として生きることにはやはり限界があり、結局彼は白スーツで決めた「竜二」として、新宿の夜に戻るのである。
公開直後、映画の成功を見届けて、主演の金子正次は癌で他界する。という伝説がこの作品にプレミアをつけたことに間違いはない。
単純な話なんだが、アウトローであろうとなかろうと、野郎にとってはくすぐられまくる名作。
竜二の持つ暴力性とイノセントさの両側面もしっかり刻まれており、まー僕の周りにもいますが、そういう人はなんだかんだでやっぱり魅力的なんである。
最高なのは嫁さんと別れるシーンで、仕事中にぶち切れて同僚の手に煙草の火を押し付けてきた帰りに(おそらくその場で辞めてきたのだろう)、バーゲンセールに近所の主婦と嬉しそうに娘と並ぶ、我が妻を見る。
そこで、今まで極道張っていた男がボロボロと泣いちゃうんですね。
いろんな思いが胸に去来したのだろうし(単なるおばちゃんになっちゃったんだなあ、とか)、それまでくすぶっていたものが引火して、逃げるようにその場を去る。というか、逃げた。最低だ。
家庭人としては最悪。間違ってる。なんだけども、「野郎」の選択としては正しいとしかいいようがない。
このシーンを観たすべての野郎どもは映画館で、自宅のモニターの前で、拳を握ったに違いない。
ティム・バートンが監督した『バットマン』『リターンズ』の屈折感が大好きで、そのあとのはいいやと思っていたのだが、『ダークナイト』にはやられた。
バットマンが「非合法の自警者」という扱いで、あまり崇拝されていない様子。執事に「いつまで続けるおつもりですか?」なんて言われたりする。
実質上の主役は「ジョーカー」である。ジャック・ニコルソンが演じたそれよりも、ヒース・レジャーは不気味でソリッドでクールな、究極のテロリストを作り上げてしまった。
哀愁よさようなら、ヒース版ジョーカーにあるのは破壊衝動のみ。快楽のための悪。カネのためにやってるわけじゃないから、札束の山も平気で燃やす。用意周到に行う残酷なゲーム。正義の検事も悪党「トゥーフェイス」として再生させる。
常にジョーカーに先を読まれ、苦虫を噛み続けるバットマン。
そしてバットマンは、最後までジョーカーを殺せないのである。それどころか冤罪をひっかぶり、追われる身となる。実質上、「悪が勝利」してるんじゃないかこの映画。
『ダークナイト』公開を待たずに、ヒース・レジャーは睡眠薬の摂取が原因で他界。
金子正次のあとに「竜二」はいないし、ヒース・レジャーのあとに「ジョーカー」はいないのである。
再生されたとしても、それらはバットマンもといバッタモンである。
我輩が下痢で苦しんでいる間になんと、渋谷でもザ・スターリン復活ライブが行われていたではないかッ。くやしいので書くのだッ。
http://www.youtube.com/watch?v=UKrdrVN-M84
恒例行事と化した「臓物投げ」だが、それよりもミチロウさんの肉体の瑞々しさ。これが60歳に見えますか?
今回でスターリン封印ということらしい。「メシ喰わせろ」のイントロにおけるサイレンの爆音を生で浴びたかったなちっくしょうめッ。
どうせみんな内臓まみれになってるんだから、おれがちょっとくらいお漏らししてもわかんなかったんじゃないか?
和製パンクの名盤『STOP JAP』なんて、中三の時にカセットテープで買って、LPレコードも買って、CD買って、いま手元にあるのがレコ倫に手直しされる前の無修正版『STOP JAP NAKED』に落ち着いているのだが、これは自分の葬儀あるいは追悼集会にはよろしければぜひ、お見送りの音楽として使用して頂きたい。親戚とかすげえ嫌だろうけどもな。まあわたくしの最終メッセージですよ。それくらい皮膚感覚に馴染んでいるというか。気にすることはないぜ、みんなデタラメ、だぁ。
アナーキーとかRCなども聴いていたが、彼らと決定的に違うのは、バンドイメージが「粘膜」というか「粘液」というか、音楽が生々しい「傷口」そのものであったことだろう。
パンクとしてはピストルズより先に知った。だもんで、最初はピストルズのポップさに少々とまどった。
ミチロウがビジュアルイメージに起用する宮西計三・丸尾末広・平口広美なども実に「内臓感覚」な絵師たちで、その視覚的イメージも大きいと思う。
アメリカやイギリスにも引けを取らない、「情念のパンクバンド」であったのだ。
伝説ばかりが先走りして、実際の音に触れるとしょぼかったりすることが少なくない中で、彼らのCDが廃盤にならないのは、今の10代が聴いても十分に過激で刺激的で、日本的情念ドロドロな音楽だからだと思う。
おそらくそれはこれからも一部のリスナーに届く、生理感覚を逆撫でする劇薬のようなパンクロックである。
自分がハードコアに行かなかったのも、スターリンが非常にマゾヒスティックで自虐的なバンドであったからであり、バイオレンスや恫喝をポリシーとするハードコアパンクとはまったく別物に見えたからである。
初代ベースの杉山晋太郎氏もかなり前に鬼籍に入っており、最近、初期ギタリストのタム氏もお亡くなりになったということで、そんな意味も含めて暫定的スターリン復活なのであろう。
死ねなかった還暦のパンクロッカーに唾を吐け!その成分はもちろん「愛」だ!