『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』鑑賞。@バウスシアター。
アル中の旦那が「酔いをさまして」家に帰る話。その時はすでに癌に侵されていて、余命いくばくもないのだが。
「サイバラ映画頂上対決(浅野バーサス永瀬)」としてはこの後に『毎日かあさん』も控えているのですが、これはちょっとキャスティングも込みでベタッぽい。なので行かない。
かなり淡々とした演出で、大泣きしたい人にはあまり向かないかも。そして永作博美さんが、なぜかしっかり西原理恵子に見えてくる。
しかし、お通しで出された「奈良漬」がきっかけで連続飲酒が始まってしまうとは、なかなか難儀な病気である。
浅野氏はやっぱり例によって自然体で、この人は演技しているような演技をしないところが魅力で、映画界からひっぱりだこなのだろう。実は達者。そして目が細い男の色気を体現している。
つまんないことでケンカが始まる、アル中病棟のダメオヤジたちもいい味。
ラストの「確実にいなくなるひと」を交えて、家族四人が海辺で戯れるシーンもよかったが、そこに流れる清志郎の歌はちょっとトゥーマッチな気がした(どうせなら最後までインストで通して欲しかった)。
夫婦の「なかなか死なないねえ・・・」「え、死んでほしいの?」と言い合える関係は素敵である。とても暖かいと思う。
そして本作は、観終わったあとやたらとカレーが食べたくなる映画でもある。自分は終映後、ココイチに飛び込んでカツカレー食うたった。
アル中ねえ。不幸なことに、酒の摂取度と悲しみや空虚さが比例してしまう人びとなのだろう。どこまで行っても満タンになることがない。
自分はそこまでディープじゃないので、旅行や運動こそしないが、シラフでいる間はいろいろ見聞しているので結構忙しい。
虚しさなんて上げ底にしておけばいいと思うんだけどもねえ。そうじゃなきゃやってられねえよ。それを誤魔化せるアイテムとして、様々な表現が存在するのだ。カレーでも食べようよ。
手塚作品に『きりひと賛歌』というのがあって、これは顔が犬のように変形してしまう奇病(モンモウ病)にかかってしまった青年医師の話。
敵対するキャラとして、医師の勤務していた病院の院長がおり、彼は自分の研究者としての名誉のためこの病気を「伝染病」と発表するが、原因は水や地層による「中毒」であり、それでもプライドのため自説を曲げず、やがては同じ病気にかかって死んでしまうのだが、この作品をふと思い出したのが『ブレンダと呼ばれた少年(ジョン・コラピント著)』なるノンフィクション。
双子の兄弟。兄は尿の排出がうまくいかず、それならばということで生後八ヶ月でいわゆる「包茎手術」を受けるのだが、不幸なことにレーザーの失敗で性器を焼かれてしまい、ナニを喪失してしまうのである。
さあどうしたもんだ。途方にくれる両親の前にテレビで「性別は後天的に決められる」との自説をぶつ、「性科学の権威」と呼ばれる男が映し出される。
両親はこの博士のもとを訪ね、アドバイスを乞う。
彼は「睾丸を摘出しとりあえず女性器を作り、女の子として育てなさい」と言う。そうすればすべてがうまくいく、と。
DNAは男なのに、周りの「努力」で髪を伸ばしスカートを履かせ、「女の子としてのアイデンティティを埋め込みなさい」というのである。名前も「ブルース」から「ブレンダ」に改名されて。
さて、そんな目論見がうまくいくはずもなく、ブレンダは常に違和感を感じることになる。
人形よりプラモデルが好きだ。男の子とのケンカだって一歩も引かない。でもそれはお前のすることではないと言う。弟は普通に遊んでいるのに。
やがてこの軋轢に耐え切れずブレンダの精神は不安定になり、弟は非行に走り、母親はノイローゼになり、父親はすべてをないことにしてテレビの前でビールを飲む。
それでもこの「実験」を提唱した博士は、「すべてが順調である。私の説は正しい」といった旨の論文を発表し続ける。
性転換手術を断固として拒み、無理矢理女性ホルモンを打たれ続けていたブレンダだが、やがて彼の意思を
尊重され、15歳で「ディヴィッド」として男性に戻ることが許された。
なんだけれども根本的な問題ってのは残っているわけで、彼の悩みは実に想像を絶するものであり、この災厄の原因を作った執刀医のもとにピストルを持って訪れ、撃ち殺そうとまでした。
やがて理解者である女性が現れ(子持ち)、人工ペニスを作り、結婚をして、ディヴィッドは連れ子の父親となったのであった。めでたしめでたし。
で終われば「感動のノンフィクション」なのだが、この話にはとんでもないオチがある。
この本が出版され、一度絶版になり、再販された訳者あとがきによれば、双子の兄弟はすでにこの世にはいない。
弟が精神病を患い自殺したのち、離婚(あー・・・・)や投資の失敗などが重なり、兄も38歳で自ら命を絶つ。
この話に救済はない。
強いて言うならば「仮性だろうが真性だろうが、ついてればなんとかなるさ」という、なかばヤケクソ気味の前向きな希望である。
下痢が4日間とまらない。熱は下がったのにとまらない。
拾い食いとかしてないのに。思考もだだもれでまとまらない。
でも26日水曜日に吉祥寺フォースフロアでDJやります。
『尾根恋イル’s 歌謡ショー』ということなので、自分もなるべくお水っぽいのを回したいと思います。
本日は宿題(のようなもの)で、夷さんと布袋さんを描いていました。筆ペンは楽しいなあ。
えー、伊達直人さま、貧民の僕にもプレゼントください。できればキャッシュ(ズクで!)が良いです。現金書留でもオーケーです。
特に本日は身も心も寒いゆえ、久々にビッとしたエログロを!ということで『徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑』を観てきた(@阿佐ヶ谷ラピュタ)。
この作品、ポスターは所有していたが本編は未見であった。というか、この機会を逃すと次にいつ観られるかわかりません。
『東映カルトプリンス 牧口雄二の世界/エロ・グロ・純情』なる特集上映。
「牛裂き」と「鋸引き」という最も残酷な刑罰をテーマにした2話オムニバス。
キリシタン弾圧に血道をあげる奉行(汐路章・シャシン)。処刑や拷問がだいすきなサイコ野郎。
捕えた娘が自分の部下の恋人であることを知り、ニヤリとしてつぶやく。「ザッツ・パーフェクト!」、最高ですね。
目の前でまぐわってバージンを奪ったり、娘さんの両親を焼き殺したりのやりたい放題。
やがて部下に復讐されるのだが、これは失敗に終わって返り討ち。
娘は両足をロープで縛られ、逆方向に走らせた牛によって股を裂かれる「牛裂きの刑」にあう。
テンションはマックスな汐路奉行!精力剤として生きたイモリをガチ食いしたりと、プロとして全力投球。
(『蒲田行進曲』の「階段落ち」俳優のモデルがこの人である)
ラストの、この世では成就できなかった二人が抱き合うシルエット(たぶんあの世)が、とってつけた感もあるがなかなかに美しい。あと、異常にリリカルな音楽も。
お次は川谷拓ボンが主人公。
花魁宿でさんざん遊んだ拓ボン、文無しがばれて一年間住み込みで働くはめに。
しかし、妊娠した女郎を中絶させ(素手で胎児を無理矢理つかみ出す「手かきババア」が凄い)、さらに強引に客をとらせ、実は彼氏だった女郎ヘルスのスタッフは二人で足抜けしようとするが捕まり、彼女は死に彼氏は「ちんこ切り」の刑。無理強いされたとはいえ執刀医は拓ボン!
すっかり嫌気が差した拓ボンはオキニを連れ脱走。
殺人含めさんざん悪いことをするが捕まって拷問の末、鋸引きの刑。
動けないように固定され、竹製の鋸を置かれ、「切りたい人は切ってオッケーっす」と提供。
見事酔っ払いにより、竹ノコギリでぐちょぐちょ斬首される、つー話。
悲惨な末路ではあるが、それまでの拓ボンが生き生きと描かれており、意外と陰惨な後味はない。「拓力」か?
そして、殺される側はどちらも純粋さを貫いており、テーマの「エロ・グロ・純情」に偽りはない。
余は満足である。ザッツ・パーフェクト!
しかし本日水曜日。ちらほらサラリーマンの姿もあったが、彼らは普段、会社で同僚とどんな話をしているんだろう?と思ったが大きなお世話だね。
本のことをろくに書かず、映画や音楽のことばっかり書いてるすうさい堂は、老舗かつ現役のゴスバンドでありながら、カレーやラーメンの食べログと化している、『オートモッド』ジュネ氏のブログに似ている気がしなくもない。
『プリンツ21』という雑誌の忌野清志郎特集を買い取りした。
この本自体が品切れだし、80ページに及ぶ特集なのでファンにはたまらないんでしょうが、こういうのを読むと「かつては好きでした」という思いが強くなる。
膨大なディスコグラフィの中でも、本当に好きだったのは80年ごろの『BLUE 』まで。
いわゆる「RCらしさ」から逸脱を始めたあたりから、もうひとつ輪郭がぼやけてきた。と思ってる。
しまいには「パパの歌」やらで、なんで「ロックロール・ショー」や「あきれて物も言えない」「いい事ばかりはありゃしない」「君が僕を知ってる」なんかを歌ってた最高のブルースマンがこれなんだ?という思いがいまだに消えない。
シンパは「人間味があっていいじゃない!」と言うのだろうけど、自分はロッカーはバケモノ・キワモノ・サイコ野郎でいいと思ってる(というか、それを演じてほしい)。泣き言を歌うなら女に関してだけでいい。人間味よりケレン味である。
お年を召して「お化粧のノリが悪くなっていった」のも離れた大きな理由。
ルックスは重要。少なくとも見かけがどうでもいいのは好きになれない。
「見かけだけでどんなことやってるのか分かっちゃう」のは確かにつまらないかも知れないけど、同時にそれはとてもクールな態度でもある。
おっさんとしてはやはり、「かまってちゃん」に肩入れは出来ないんである。
とか書いてるけど、フォーク時代の『楽しい夕べに』なんて激しさと叙情が同居した名盤だし、私生活や経済的には最悪の状態で録音され、あっという間に廃盤になった『シングルマン』の切羽詰った空気は、他とは替えのきかないものである。
CDもだいぶボロボロになっちまったが、20年以上ずっと手元にある。
自分にとっての清志郎はそこにいる。命日も忘れちゃったが、別に何の問題もない。