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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

すうさい堂は閉店しました。17年間ありがとうございました。

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連休ですが

すうさい堂は4月27日(土)28日(日)29日(月)、5月3日(金)4日(土)5日(日)6日(月)と開けております。
ドブに捨てるくらい時間が有り余っていましたらどうぞ。令和って老舗の和菓子?なにそれ食えんの?

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マイノリティ対マジョリティ



内田裕也、萩原健一、モンキー・パンチ、小池一夫と昭和の大物の訃報が続きますが人間はいつかは死ぬのである。というわけでそれはそれとして、やはり最近一番痛快で心が温かくなったのはピーエル・タキ、その後のニュース。
考えてみればア・スカリョーのときもサカイノ・リコのときも「へー」あるいは「はっはっは」程度の関心しかなく(世間的にも)叩かれてとりあえず終わり、という感じであった。が、今回は違う。「音楽に罪はない」と音楽業界の大物たちが動き、電機グループのCD出荷停止に抗議した。
そしてイシノタ・キュウのツイート。これもいろんな人がもう書いてるから蒸し返しはしないが、感じたのは「ここは徹底的にふざける正念場」という気合。まるで大喜利を連発しているようで、さすが長いこと「メロン牧場」とか言ってる人は違う。サブカルで鍛えられたブラックジョークのセンスなのであって、やはりその辺がサブカルとおさらばできない由縁なのだな。「昔はそういうの好きだったなー」とか言ってる人、きっと今はつまんなくなってるんだろう、そうに決まった。
ぼくは別に全然、電グルのファンじゃないのだけれども、彼らの軽やかさやピーエル・タキの役者としての度量には惹かれるものがあったので、この手の事件で世の中の反応が今までとは少し違う方向に動いているのが心地よろしい。というか、世の中的にもピーエル・タキは潜在的に好かれているらしい。で、自分でも意外なくらい「電気がんばれ」と思っているのである。
(一連の「真摯な」黒いギャグツイートもいいのだけど、一番グッときたのは「困ってるのに助けたり庇ったりしてあげられないのは相棒でも友達でもなくね?」というやつであった)
映画では東映の作品のみがそのまま公開ということで、さすがに歴代のド不良たちと関わっていた会社は違う。ワルの映画ばっかり撮っている監督がやたらと憤慨していたけど、あれも何か事情のあるパフォーマンスだったのかもしれないな。差し替えなどを行った作品に関しては、どちらが正しかったのかは令和の歴史が証明すると思う。

後に湧き上がったのはMCシノブ・サカガミのワイドショー問題。たまたまこの日の放送を見てしまって、「ドミュンってのの売名行為では?だってオレたちそんなの知らないもん」(大意)という発言をリアルタイムで聞いてしまったのであった。
どうやらこのMCシノブという人は「僕はこう思うんですけどね、どう思います?」とコメントを振る同調圧力押し付け芸で伸し上がったらしい。まあそれはそれでいいんですけど、今回はケンカを売った相手が悪かったです。
そしてドミュン側の反撃。これも配信を見ていましたが、シノブ・サカガミという人の音源をコンプリート収集して二時間、延々と流したのであった。
実際のところシノブは歌手として歌唱力にはだいぶ難があったりで少々辛くもありましたが(それでも結構な枚数のレコードを出している。ラブリー・バブリー!)ターンテーブルでDJがプレイしたりで、リスペクトともとれる扱い。はっはっはっ。
ただし、ずっと流れる視聴者からの書き込みはけちょんけちょんではあったが、それは見ている人の「感想」なのであって、ドミュンの「総意」ではないのであった。
圧力をかけてつぶすこともできない。スポンサーがいないから。
敵側の不祥事を最後の最後に公共の場でぶちまける展開の映画があるけれど、それに近い、ネットの歴史に残る事件だったと思う。

暴行被害にあったアイドルがツイッターを駆使して、人間魚雷のような勢いで運営側を追い込んでいたりと(生放送中に反撃されたときの、代表のおっさんのポカンとした顔と来たら!)弱者にとってインターネットは武器になり得る。ワイドショーの王子様には一矢報いてやった。
そして、マジョリティに寄って生きている者は何かをやらかしたら、あっという間にマジョリティに見捨てられる。でもマイノリティと膝をつきあわせてつきあっていれば、大きな助けが来るかもしれない。
今回のドミューンは本当に強力な助け舟であったと思うし、ピエール瀧もマジョリティのテレビ局からはお役目御免かもしれないが、「マイノリティである」電気グルーヴのファンは待っていてくれる(本当はワールドワイドに見れば、電グルのほうが圧倒的にマジョリティなのだが)。
彼の復活ライブなんて日にゃ、マジョリティも巻き込んでの大騒ぎになるだろう。ケンタウロスのコスプレ復活で出てくれれば最高なんだけど、マジョリティはまた「反省の色が見えない」と叩くのだろうか。でも、絶対間違ってない。

内田裕也が逝く



内田裕也氏が亡くなった。なんだかんだで最後まで気になる人であった。芸能界においても功罪あると思うし、思想的にはマフィアみたいだったかもしれないし、悪人か善人かといえば確実に悪人側であろうが、「面白い」人であったことは間違いない。
矢沢永吉と比べればよくわかる。矢沢氏はボーカリスト、作曲家、ビジネスマンとしても超一流で、ヤンキー諸氏が「あーゆーのになりたい」と憧れを抱くのは理解できる。ルックスだってカッコいいし、いい年のとり方をしている。
転じて裕也氏(これで統一)は、いわゆる歌唱力は「・・・・」であり(個人的にはめっちゃ好きなボーカリストなのだが)、ヒット曲は一曲もなく、ボスとして君臨していたわりには金持ちそうなイメージもない。
で、(長髪ハゲ以降の)あのルックス。誰も憧れない。真似もできない。したくない。
永ちゃんのはっちゃけはミュージシャン/ビジネスマンとしてちゃんと着地していくのだが、裕也氏の場合、着地点が本当にわからない。
大震災の被害を受けた石巻市でボランテイア活動(「石巻はロックンロールと読めるから縁がある」という理由が素晴らしい)を行った数日後、愛人を脅して逮捕されるという事件。ある意味ですごいバランス感覚。ドラえもんと魔太郎が同居している藤子ランドみたいな精神構造である。
コートにやたらバッジをつけ「中世の騎士風に」方膝をついて謝罪した記者会見も最高。

日本ロック黎明期の立役者だったことは間違いない。結局芸能として消費されたグループサウンズを目にしたあと、日本で本格的なロックグループを作る、という意気込みで「内田裕也とフラワーズ」を結成し『チャレンジ!』(69年)をリリース。
これ、名盤です。ジャケットも最高。



ジャニス・ジョプリンなどの洋楽カバーが中心なのだが、オリジナルのジョプリンさんは歌唱が情念すぎて自分は少々苦手なので、こっちのほうが好き。なぜなら声のベースにかわいらしさがあるから。
そしてこのアルバムでの裕也氏なのだが、「なんにもしていない」のである。もちろんライブではタンバリンも叩いただろうし、プロデューサー的な役割もあるであろうし、なによりこの当時は「内田裕也」が誰よりもネームバリューがあったゆえの「内田裕也とフラワーズ」なのだ。
音楽的にはツワモノばかりの中で「オレはなにもしない」という選択は潔い。とにかくカバーでも洋楽レベルの演奏ができるバンドを作るということが第一だったのであろう。日本語のオリジナルを標榜するはっぴぃえんどと対立する経緯も、歴史のひとコマである。
ボーナストラックで数曲が収録された中に裕也氏の歌う『ファイブ・フット・ワン』がある。原点にしてまったく変わらない歌唱。しかしドアーズの曲の中でこれをカバーするセンスはかなり渋い。
シングル盤も『ラスト・チャンス』『フラワー・ボーイ』『夜霧のトランペット』の三曲収録。あれほど洋楽を目指したバンドなのにシングルとして切られたものは完全に当時のGS、つーか歌謡曲。この時点でフラワーズは負けていたのかもしれないのだが、今聴くとかなりお洒落でクール。これはこれでひとつの正解であったのだ。

フラワー・トラヴェリン・バンドはちゃんと評価されているからすっとばすとして、問題は裕也氏のソロアルバムなのだ。
ヤンチャさがはじける『ア・ドッグ・ランズ』(78年)と、最高傑作でハードボイルドな『さらば愛しき女(ひと)よ』(81)。この二枚の、ぶっきらぼうで不器用な声には独特の色気と怖さが入り混じっていて最高。
「死ぬまでにこれは聴け!」とは言えないのがなかなかつらいところ。以上です。
あ、「内田裕也&1815ロックンロールバンド」名義の『ロックンロール放送局』(73年)もある。これは慣れ親しんだオールディーズを豪華なメンツでカバー。水を得た魚のように歌っている。ライブでおなじみ『コミック雑誌なんかいらない』も収録。 
「ニューイヤーロックフェス」に至っては生涯現役であったのだから、大したもんだとしか言いようがない(最後にキノコホテルをチョイスするセンスがグッド)。
これに関しても「ロックに芸能界的な年功序列を持ち込んだ」と批判され勝ちなんだけど、長い歴史がありそこでベテランと若手が集まるのだから、それは致し方がないのではないか。
下北ギターポップバンドならば横一列で公平に楽しくライブができるのだろうが、新顔のバンドが「本当に怖い先輩方」(安岡力也・ジョー山中・白竜・ジョニー大倉・松田優作など)のドアを叩いて挨拶するというのもなかなか得難い経験なのではないか、と思う。

そして裕也氏といえばやはり映画。好きな出演作はたくさんあるのだが、一本だけ選ぶとするならば『十階のモスキート』(83年)。崔洋一の監督デビュー作品でもある。
これは妻子からも見捨てられ、借金まみれになった警察官が郵便局強盗に押し入るという、非常にスカッとする物語。
裕也氏は素でも口ごもるがそれを演技にそのまま持ち込む。が、そこに妙なリアリティが生まれる。
都市に住む人間が抱える孤独や狂気、不安や焦燥などを「そこにいるだけで表現できる」という稀有な俳優だったと思う。「演技も下手くそで」とか言ってる人はテレビドラマだけ見ていればよろしい。
完全に出世コースからはずれた交番勤務の警察官が主人公。妻(まだまだ色っぽい吉行和子)には離婚され娘には養育費を払わねばならない。娘役がアイドル全盛期の小泉今日子。当時、何か巨大なコネがあったのだろう。
ちなみにキョンキョンの彼氏役として、モヒカン期の「アナーキー」仲野茂が共演している。彼としては生涯自慢できるであろうメジャーな仕事だ。
妻からも娘からも馬鹿にされ、競艇にはまってサラ金からの借金はふくれあがり、スナックで泥酔してはぶちのめされ、唯一の友達は当時の「パソコン」。といってもインターネット以前なので、どうにもしょぼいゲームしかできないのだが。
(当時のサラ金は無人ではなく対面式。なんともいえない圧迫感が画面から伝わってくる)
そして裕也映画といえば「レイプ」。今回はアン・ルイスまでもがその餌食に(もちろん直接的な場面はない)。
万引きロック主婦としてちょこっとだけ登場するが、ポスターやパッケージには二人の堂々たるツーショット。これが裕也の力。
競艇の予想屋として全盛期のビートたけしも登場。生き生きとした存在感に目をうばわれる。
やがて多重責務が上部にもばれてしまい、所長(佐藤慶)にコンコンと説教される。
「君もいつか孫と熱海にでも行って笑顔で暮らせる日が来る。いいですか?熱海ですよ、熱海」
マックスが熱海旅行の時代だったのだろうなあと、ちょっとほっこりさせられます。
そしてすべてに煮詰まった彼はパソコンをマンションからぶん投げ、いつもチャリでとろとろ巡回しているコースを全力疾走し、制服姿のまま郵便局で発砲!!
そこでとりあえず、あるだけの金を出させた裕也氏が局員たちに宣言する。
「なにかあったら交番に来てくれ。いつでもオレがいる」・・・最高すぎませんか?
こんなことで借金が清算できるわけがないので、結局、自身のどんづまった人生を清算させるために行った行為なのであろう。派手に逮捕されたエンディングに流れる白竜の『誰のためでもない』のポジティブなメッセージがどうにもちぐはぐだが、強引に筋を通す裕也イズムがスカッとする。
つまりこれは、ぼくやきみやあなたのための映画なのである。

なんだかんだで恐ろしげながらもファニーで「可笑しな」な人であったと思う。やはり「可愛げ」がなければ誰もついて来ない。
そして正しいロックンロールとはジェリー・リー・ルイスからGGアリン、『爆裂都市』の面々に至るまで、怖くて、「とことん可笑しい」ものだ。そこがカッコいいんじゃない。
そして最強のミーハー。軽々しく「シェケナベイベー」を連発し、ポルノで主演を張り、フランク・ザッパを来日させ、意味不明に都知事選に立候補し、AKB指原とコラボし、奥方・樹木希林と婚活雑誌のCMで共演(逮捕されて放映中止)、晩年近くでは「焼きそばUFO」のCMにも出てた。なんだこりゃ。
そして大女優・樹木希林さんが「生まれ変わってもまた一緒になりたい」と惚れ抜いた男であった。





P氏の逮捕について

もともとテクノまわりの人だったからなあというのが最初の印象。なのだが、自分の好きなサブカルまわりの人の隣にはいつも彼がいた、と思うとちょいと切ない気もする。
さらにはサブカルと大メジャーを自由に行き来できるという特殊な枠。この枠の持ち主はピ・エールタキ以外、他に思いつかない。サブカル出身成功者のロールモデルだったのになあ、と思うのである。
少し前にはア・スカリョーの逮捕劇があったが完全に他人事であったし、彼は純粋なミュージシャンだったので激震も音楽業界のみで済んだ。
ところが今回は映画、ドラマ、テレビ、ゲームなど多岐に渡っての活躍中ゆえ、なかなかえらいことになってしもうた。
親分がうるさいディズニーや(こんなすごい仕事をやってるとは知らなかった)スポンサー第一のCMやメインホスト番組は仕方がないかもしれないけど、電気グルーヴのCD回収をはじめ自主規制が始まっている。タッキュウ氏のソロライブ中止とか関係なくないか?
そもそも「皆様に多大なご迷惑をおかけしました」というお題目がおかしい。作品のファンにとって「多大なご迷惑」そのものがCD回収、ドラマの放映中止や配信中止、映画の公開中止なのである。出演者の一人がなにをやらかそうが、観たいものは観たいに決まってる。
自分の趣味にによせて考えれば一人の出演者の不祥事により『アウトレイジ最終章』や『弧狼の血』がお蔵入りになるということだ。こんなアホらしいことがおこっていいわけがない(まあ「最終章」はイマイチでしたが)。
まさかとは思うが大傑作『凶悪』までもが葬られるようなことがあれば、これはもう焚書に近い。大迷惑だ。
違法な薬物を使用した者は犯罪者ではなく、治療過程も考えれば「過ちをおかした者」ととらえるべきである。(田代まさし最大の犯罪はやはり「盗撮」なのである。なぜならちゃんと被害者が存在するから)
テレビなんかは使い捨てかもしれないが、彼を復帰させたいのならばこれ以上無駄な自主規制の連鎖を起こさせないこと。
復帰枠は電グルファンや吉田豪大先生がつくって待っていてくれるだろうから、きっと大丈夫。

ベリアルはラスカルである



「それ、知ってるよ」という概念があると思うのである。
後に続くのが「知ってるよ・・・・・」のテンテンテンであったり、「知ってるよ(笑)」の軽い自虐だったりするのだが、つまり「あんたも好きねー」という、ちょっとした後ろ暗さを伴うもの。
ただ、これは共犯者的な感覚であり、分かり合える者はドルーグ(仲間)だと思ってよろしい。
書籍や音楽はわりと吟味してから手に取る媒体という気がするのだけど、映画に関しては一番「事故物件」にぶつかる率が高いと思う。もちろん「そんなものは手に取りません」というオーガニックなベジタリアンみたいな方もいるだろうが、基本的に体に悪いもんのほうが旨いんである。
「あれ面白いよね!」で済む作品はわりと一、二回しか観ないことが多いが、「ああ・・・・これな・・・・(苦笑)」系のほうが後をひくというか、再見率が高いような気がする。ダメなやつ、ひどいやつがカルトムービー化するのも、きっとそんな理由によるものなのだろう。

「それ、知ってるよ」の代表格のひとつが『バスケットケース』(82)ではないかと思う。
シャム双生児の兄弟が主人公。弟のドゥエインはイケメンなのだが、彼のわき腹にくっついて生まれた兄のベリアルは人間というよりは醜悪な肉塊。普段はバスケットケースの中に潜んでいる。
フリークスの悲しみを描いた名作カルトホラー、とよく言われがちなのだけど、自分の見解では「トンデモな兄貴を持ってしまった弟の悲劇」である。
ベリアルのデザインがそもそも、くちゃっと身体の尺が短くて、牙が生えていて爪が尖っていて目が赤く光って雄叫びをあげるという、幼稚園児の落書きみたいなもの(先生に見つかると怒られる系のやつ)。
最初こそ兄弟が団結して、自分たちを無理矢理分離手術で切り離した医者を狙って殺すためにがんばるのだが、弟に初めての彼女が出来そうになると、キモくてウザくてマジ卍な兄貴につきあうのが嫌になってくる。テレパシーで会話できるところがまたウザい。
兄は弟につれなくされると怒りまくり、部屋をメチャクチャにして暴れるのだが、ここはコマ撮り撮影なのでちょこまかした動きのベリアルが何回か観ているうちに「かわいいなあ」などと思ったりする。あと、ごはんをムシャムシャ食べるところがかわいい。
ベリアルは黒目勝ちで見ようによればキュートでもあり、超おこりんぼだったりもするから、一見愛らしいけど実は凶暴なアライグマと共通するものがある。というわけで「ベリアル=ラスカル説」が成り立つ。誰もそんなことを言った人はいませんが。
ちょいゆるキャラっぽい気がしなくもないので、どっかのメーカーでソフトにアレンジして、キーホルダーとかバッジとかスマホの待ち受けとかを作ってみたらヤングなガールに「キモかわ~!」なんて感じで受けるのではないか。「これが今女子高生の間で大流行のベーちゃんです!」。

実はこの作品には続編があり『バスケットケース2』『90)、『3』(91)がそれである。
はっきり言って完全に蛇足。誰も『イレイザーヘッド2』なんて観たくないでしょう?
とはいえそのような物件が存在しているのであれば、ベリアル・ファンとしては観なければならないのは義務だ。もちろんスルーしても人生には一向に差し支えない。が、それこそが「彩り」だと信じているんだよ、ぼくは!!
前作でホテルから墜落して死んだと思われていた兄弟が生きていて、指名手配と知りつつも、とある母親と娘が引き取り、家に迎える。
その屋敷は実はフリークスの館であった。母親であるルースがあちこちからフリークスたちを貰い受け、保護していたのである。
登場するフリークたちはグロテスクだけれどもキッチュで、現実の奇形としてはありえないデザイン。
楳図かずおの「妖怪百人会」に近いと思う。さらにわかりやすく説明すると、赤塚不二夫が描くキャラっぽい(「超出っ歯くん」なんかは特に)。
感動的なのはそこにベリアルとまったく同じ姿のフリークス女子・イヴがいて、ベーちゃんイヴちゃんは恋人同士となり交合にまで至る。ジェイポップで言うところの「出会えたキセキ」ってやつだね。
チープだがちゃんとしたホラーだった前作と比べたら、目も当てられないくらいの悪ノリ。
制作費もたくさんもらえたので「いろんな造形のフリークスが出せて楽しいなあ」といったところか。
「東京コミックショー仕様」の胎児くんや、ラストの「人間裁縫」は本当にバカ。まあしかし、それが彩りである。
『3』はさらにエスカレートして、もはやドタバタコメディ。イブが妊娠してたくさんの赤ちゃんを産み、ルースがなぜフリークスを守護するのか、という謎が解ける。どうでもいいとは思いますが、それが彩りです。あっ、「ハイパー・サイボーグ・ベリアル」も登場する!
※実はこのルースおばちゃんが一番のキチガイなのであった。
三作ともフランク・ヘネンロッターが監督を手がけ、サーガとしてもまあまあちゃんとしている。つまり通して鑑賞すると「なかなか立派な変態映画だなあ」ということである。
とりあえず一作目はどこのレンタルショップにも置いてあります(続編がどうしても観たいという好事家さんには、ブルーレイが入手可能です)。


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すうさい堂主人
性別:
男性
職業:
古本すうさい堂
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