何がおこるかわからないもんでして、月曜日にまっつん構成員より「海を見に行きましょう」とのお誘いがあり、半寝ぼけのまま「へ?・・・・はい」とトコトコついて行ってしまい、午前中にはなぜか葛西でした。
ほいで、地上116mの観覧車に乗ったり、海を見たり、水族館で水棲生物やら生ペンギンやらをお子様連れと一緒に見て、浅草(銭湯)~上野(飲み)と世界一周して帰りました。
魚たちの彩色や珍妙なるデザインには「ギョギョーッ」と驚かされます。ちなみに「さかなクン」は頭の上に乗ってるのが本体、という説があります。マジンガーZみたいなもんですね。
店はさぼりました。すいません。
葛西臨海公園のギャラリーで、カップヌードルを食いながら子どもたちの絵画展を鑑賞していました。
大部分が水族館とか遊泳の絵なのですが、中にはただ「白ヌキでヒトデ」を表現していたり、キース・ヘリングみたいなニューヨーカーもどきがいたり、つげ義春的な視点なのか、工業地帯のほうを描写していたりと、数点個性的な作品も見受けられました。親としては「おまえなあ・・・・」ということになるかも知れませんが。
あ、葛西の駅に着いたら、茶髪にルーズソックスで一人称が「あーっし」の女子高生2名と約10年ぶりに遭遇してしまい、さすがある意味で東京のはしっこ、時間のひずみが生じているに違いない、と思いました。
海も穏やかなるときは優しいのだが、これに襲いかかられたらたまんねえなと、悪い想像もしっかり刻んできたあーっしでした。
http://www.youtube.com/watch?v=_OvuA2DmK4w
「週間ヤングサンデー」は何年か前に廃刊になってしまったが、この雑誌って自分が読んでいた時期は、山本英夫『殺し屋1』・新井秀樹『ワールド・イズ・マイン』・松永豊和『バクネヤング』・喜国雅彦『月光の囁き』・相原コージ『ムジナ』など、エロスとタナトスにあふれた突出した作品がボコボコ掲載されていたっけな、という印象が強い。
いままで未読だったヤンサン女性作家陣の作品、『マイナス』(山崎さやか)と『いぬ』(柏木ハルコ)を読む。
『マイナス』は、美人教師なんだけどいじめられた経験のトラウマが強すぎ、ついつい卑屈になって相手の言うことを「何でも」きいてしまうというエロコメ風味で始まったのだが、ふとしたきっかけで他人より有利に立つ快感に目覚め、そこからストーリーが果てしなく暴走していくのだけど、この「マイナス思考のジェットコースター」な感じはどこかで読んだなと思ったら、安達哲の『さくらの唄』がそれであった(とってつけたような結末も似てる)。
猛抗議されて掲載紙回収、単行本にも欠番扱いになった「山で遭難した主人公たちが事故で死んだ幼女の肉を焼いて食う」というエピソードも、太田出版の「完全版」には収録されている(実際読むと別に、どうってことはないです)。
そんなことより後半、女教師が自分勝手に壊れて破滅していく様がどんどん笑えなくなって怖い。結構これ大変な作品。
『いぬ』は思わず膝をぽんと打ってしまうような、女性の性欲に焦点を当てた「女子オナニー漫画」というか「クンニ漫画」というか、そんな作品。
ストーリーの軸になるのが「クンニリングス」なんだもの。
密かに自分の性欲処理を飼い犬で処理していた女子大生・高木さん(バター犬にしていたのですな)だが、愛犬が死んでしまう(バター舐めさせすぎで糖尿病になったのですな)。
イケメンとのセックスでは精神統一ができないので、無為に「それだけ」をしてくれる「いぬ」のような男子(中島くん)」とたまたま出会い、いきなりクンニをお願いしたのが始まり。
中島くんは惚れこみ「つきあっている」と思い込み(そらそうだ)、高木さんはやっぱりイケメンがタイプなので、彼は単なる性欲処理の対象。このズレが絶妙にずーっと続く。
高木さんは研究熱心なのでいろんな自慰の方法を試みるが、やっぱりもうひとつなので「中島くん(いぬ)」になんの邪気もなく、お願いしに行く(クンニとセックスを)。
中島くんがふっ切れ自分の立ち位置を受け入れ、はっぴいえんどに向かっていく流れはなかなか感動的。
女性作家が少なからず自分の性癖を露呈しながら描いていると思われるので、そういう意味でははこれ、男気に溢れた作品である。
エッチだよ。
「あのすばらしいトラウマをもう一度」ということで、たまに昔のホラー映画を借りたりしているのだが、70年代独特のいい味は出ているのだけれども、今観るとなんとも「もっちゃり」していて、怖くはないのですなー。
先日も『悪魔の沼』と『悪魔の墓場』を鑑賞していました(この当時のトレンドは「悪魔」だったらしい)。
『沼』はトビー・フーパーの二作目。超絶的な名作・『悪魔のいけにえ』で世界中に衝撃を与え、与えすぎてそれより恐ろしいものが思い浮かばず、少々頭のおかしいモーテル経営者が巨大ワニを飼っていて、人を殺して食わしていたらどうよ?と撮ってみたところ大失敗、てな風情の作品。
それでも原色の照明や安っぽいアナログシンセによる音楽、どんな非道なことが行われていても鳴り止まないモーテルのBGM(カントリー)など、好事家はそそるのかもな。普通の映画ファンは押さえる必要なし。
『いけにえ』で唯一生き残った女優さんがここでもおんなじよーな目にあって、ギャーギャーわめいています。
『墓場』はユーロトラッシュというジャンルらしいのだが、イタリアとスペインの合作ゾンビ映画。
害虫駆除機の超音波で死体が蘇りひとを食う。70年代のパニック映画は「超音波」だの「電流」だのが原因で何かが(何でもいいんじゃない?)凶暴化して、人間を襲うというパターンが多かった。
(究極はゴカイ(釣りのエサ)の大群が町を襲うってのがあったが、あれは生理的に一番怖気を奮うシャシンであった。『スクワーム』って作品だから、時間を無駄にしたい方は観たらよろしい)
もっさりしてるんだけど腕力があるゾンビが「もーぐもーぐ」とお食事するお話です。
本家ロメロのゾンビは人間側からもゾンビを攻撃し、やったりやられたりのスリルがあったもんだが、襲われるだけでは大して面白くもありません。あ、バイカー出てこないじゃん!最近のやたら俊敏になったゾンビ映画にちょっと辟易している向きには、「ああ古典はよいねえ」とまったりできるかも。
そしてこの辺の映画のポスターやジャケットは異常にカッコいいのである。
「お!」と思ってもすみやかに元の位置に戻してください。中身が外面を越えることは、ほとんどありません。
そして実はこれが目玉だったのだが、『プラネット・テラー』。ロバート・ロドリゲス、やっぱ最高だ。
アメリカではタランティーノの『デス・プルーフ』と二本立てで公開されたらしいのだが、悪ふざけの二大巨匠だけあってそろってわざと画面に傷を入れたり、『テラー』ではベッドシーンで画面が燃えて、「一巻消失。申し訳ありません。支配人」なんてテロップが出たりする。
これもゾンビものなんだけどホラーというよりB級アクションで、えぐいんだけど笑える。
片脚を食われたゴーゴーガール(ローズ・マッゴーワン。エロい!)が、ない脚にマシンガンを装着し、ゾンビどもを撃ち殺す!
どうやって発射させてるんだ?とか言い始める物理野郎はファックだ!最高の絵じゃないか!テーマは「それだけ」だ!!
看護婦役のねーさんも(エロい!)注射器をピストルのように扱ったりしてステキだ。
金玉をコレクションしている科学者、珍宝をドロドロ腐らせながら襲ってくるタランティーノ、どんなときでもソースのレシピを考えているステーキ屋とか、登場人物の少なく見積もっても6割強はバカ!
こんな映画に結構重要な役で出てるブルース・ウィリス。スターもやっぱり「ガス抜き」がしたいんだと思う。
くだらないって言うな。真剣に遊ぶのが「大人の映画」だろ?大人は「うっとりしたい」んじゃないんだよ、「騙されたい」んだよ。涙なんかもう枯れちまったよ。
銀行強盗のことなぞを書いているうちにコンピューターのえらいひと(スティーブなんとかさん)が死んだりして、世間では話題になっているがやっぱりどうでもよくて、今年は団鬼六・ジョー山中・原田芳雄に柳ジョージと、男っぷりのいい人びとがどんどん死んでいくなあ、などと思ったり。
で、この本(吉祥寺住みたい街のいいお店200・ダイヤプレス社)に掲載されております、すうさい堂。
震災後としては初で、世の中も少し落ち着いてきた。
あの時期は少々落ちていたのだが、実のところ放射能による人体への影響etcより、スキマ人間としては「ひょっとして日本から隙間がなくなったんじゃないか?」ということのほうが怖かった。
なんかみんな一致団結して、がんばって前向きになんなきゃと、それはもちろん正論なんだけど、「じゃあ自分みたいな者の立ち位置の人間は今後どうなるんだ?」と。
優先順位として生活雑貨は売り切れ、日常を維持するもの以外はどんどん削られていく傾向になったとしたらこれはかなりヤバい、と思っていた人は結構多かったんじゃないかと思う。
七ヶ月たった。余震もおさまり平穏無事な毎日。原発関係のニュースも報道されなくなった。
が、収束したとは聞かないので、放射能は出続け海も空も汚染され続けているはずだし、原発周辺の人は自分の家へ帰れない。ホットスポットはどうなった?
で・す・が、生活者としてどうにもならんことは「忘れていく」というのも、知恵のひとつではある。
やっぱり今後「ツケ」としてぼちぼち問題がおこったりするんじゃないかなあと、ほとんどの日本人が思っているのだろうけれども、秋は野菜のおいしい季節だし、刺身はいつ食ってもうまいし、まあよろしいかと(ダメかしら?)。
吉祥寺で暮らして八年になるのですが、ここのところ「この街は何だかめちゃめちゃ物価が安い!」と感じてましてですね、実際そんなはずはないのだが、ビンボーなはずなのになんとかやっていけてるということは、自分の行動範囲がそういうところをウロウロしているだけ、ということなのであろう。
でもそれで満足。毎日深夜より行列ができる和菓子屋から、四百円でおつりが来るジャンク中華屋までがそろっているこの街一番の魅力は、「選択できる」の一言に尽きる。
ここのところ犯罪本を立て続けに読んでいたりするのですが、特に強烈な印象を残したのが昭和五十四年の三菱銀行立てこもり犯人・梅川昭美(うめかわあきよし)を描いたノンフィクション、『破滅ー梅川昭美の三十年(毎日新聞社会部編・幻冬社アウトロー文庫)。
本人が大藪晴彦ファンなので、おそらくその主人公を模したイメージのファッションで銀行に押し入り五千万を要求し、猟銃で警官や銀行員四人を射殺。
女子銀行員を裸にして人間の盾にし、さらには「ソドムの市(パゾリーニの残酷映画。この辺のアイテムを知ってるところがまたなんとも)を知ってるやろ?」と、人質に命令して、負傷した銀行員の「耳を削がせた」極悪人。
警察の特殊部隊により射殺。享年三十歳。胸に刺青を施し、犯行直前にアフロヘアーの手入れをして臨んだ洒落者。
十五歳の時に強盗殺人を犯している。
「三十までになにかでかい事を」と思い詰めた結果がこの事件だったらしいのだけれども、いざ犯行に及んだら何かどーも勝手が違う。なんで抵抗すんねん?と、なし崩し的に発砲&篭城。
その後もちまちました借金を銀行員に命じて返済に回らせたりしているのだが、こういう形でお金を返したところで、無効だそうです。さらには「普通の犯罪者」のように「逃亡」という選択を示唆しないため、現場の指揮官も「何を考えているのかさっぱり分からん」と、相当困ったらしい。
要するに何も考えてない。犯罪者としてもド素人。いわゆる「男の意地」みたいなもんに動かされたあげく、にっちもさっちも行かなくなって自滅した迷惑極まりないバカ。
解説を書いている宮崎学(犯罪のプロフェッショナルですね)も、「ズサンで幼稚」と喝破している。
本人も、「おれは精神異常やない。道徳と善悪をわきまえんだけや」という言葉を残しているのだが(これもまた芝居がかかっているというか)、それに沿って考えるとこの破れかぶれな行動は、一連の連続殺人犯なんかと違い、ちょっとした悲壮感もたたえていたりする。
で、後年この事件を元にした、『TATOO[刺青]あり』という映画も製作されている(監督・高橋伴明)。
主演の宇崎竜童が梅川昭美にソックリ。正直、梅川にかなり肩入れしているような作品なのだが、なんか昔から好きで、ついつい再見してしまうんですね。
映画ならラスト、この本なら冒頭に母親と坊さんの二人だけで行われた梅川の葬儀が描かれているのだが、こういうのはちょっと胸が締め付けられる。犯罪はしないのが良い。ちまちまとでも生きてりゃそれだけでも真っ当ということで、よろしいじゃございませんか。
ダウンタウン・ブギウギ・バンドの曲に『カッコマン・ブギ』ってのがあって、いわゆる昭和歌謡ロックみたいなものなのだけど、「カッコマン/なりたくって/カッコマン/なりきれない/それが悩みのタネじゃん」という歌詞が意外と、梅川昭美の本質を捉えているのかも知れないとか、こじつけで今、思いました。