忍者ブログ

すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

すうさい堂は閉店しました。17年間ありがとうございました。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

P氏の逮捕について

もともとテクノまわりの人だったからなあというのが最初の印象。なのだが、自分の好きなサブカルまわりの人の隣にはいつも彼がいた、と思うとちょいと切ない気もする。
さらにはサブカルと大メジャーを自由に行き来できるという特殊な枠。この枠の持ち主はピ・エールタキ以外、他に思いつかない。サブカル出身成功者のロールモデルだったのになあ、と思うのである。
少し前にはア・スカリョーの逮捕劇があったが完全に他人事であったし、彼は純粋なミュージシャンだったので激震も音楽業界のみで済んだ。
ところが今回は映画、ドラマ、テレビ、ゲームなど多岐に渡っての活躍中ゆえ、なかなかえらいことになってしもうた。
親分がうるさいディズニーや(こんなすごい仕事をやってるとは知らなかった)スポンサー第一のCMやメインホスト番組は仕方がないかもしれないけど、電気グルーヴのCD回収をはじめ自主規制が始まっている。タッキュウ氏のソロライブ中止とか関係なくないか?
そもそも「皆様に多大なご迷惑をおかけしました」というお題目がおかしい。作品のファンにとって「多大なご迷惑」そのものがCD回収、ドラマの放映中止や配信中止、映画の公開中止なのである。出演者の一人がなにをやらかそうが、観たいものは観たいに決まってる。
自分の趣味にによせて考えれば一人の出演者の不祥事により『アウトレイジ最終章』や『弧狼の血』がお蔵入りになるということだ。こんなアホらしいことがおこっていいわけがない(まあ「最終章」はイマイチでしたが)。
まさかとは思うが大傑作『凶悪』までもが葬られるようなことがあれば、これはもう焚書に近い。大迷惑だ。
違法な薬物を使用した者は犯罪者ではなく、治療過程も考えれば「過ちをおかした者」ととらえるべきである。(田代まさし最大の犯罪はやはり「盗撮」なのである。なぜならちゃんと被害者が存在するから)
テレビなんかは使い捨てかもしれないが、彼を復帰させたいのならばこれ以上無駄な自主規制の連鎖を起こさせないこと。
復帰枠は電グルファンや吉田豪大先生がつくって待っていてくれるだろうから、きっと大丈夫。

PR

カメ止めとハロウィンと見世物小屋



『カメラを止めるな』がいよいよソフト化ということで、またしばらくはレンタル大稼動中ということになるのだろうけれど、劇場の高揚感が一旦収まったようなので、ちょっと冷静に考えてみる。
実際のところ「なかなかチケットが買えない映画がやっと観られた」というプレミア感があったことは否めない(自分の場合)。
監督さんが出ずっぱりでニュースステーションに出演していた日をたまたま見ていて「これはいよいよ大変なことに」と思っていたのだが、作品の熱狂ぶりが報道され、観客の中に子供たちの姿があった。
これに対する微妙な違和感。もちろん映画は面白かったし楽しんだのだが、何パーセントか「んんん?」というところが実はあって、その正体がはっきりした。
この作品の唯一最大の弱点、それは「毒がない」。
お子様にも楽しめるエンターティメントつまり「ご家族そろって楽しめます」というやつで、自分が最も忌み嫌うもの。
やっぱり結局は「家族愛」なるものが軸となっていて、ああそうだったのかなるほどなあと勝手に納得しているのである。もちろんいいファミリー映画もたくさんあります。『血まみれギャングママ』とか『ピンク・フラミンゴ』とか『悪魔のいけにえ』とか。
そういえば最後に流れる曲が超ダサいとか(タイアップの関係なのだろうけど)、きれいに答え合わせをして終わる作品なので『バック・トゥ・ザ・フューチャー』みたいだなあと思ったのだよなあ。
あまりにもきれいに完結するので、自分だったら「やっぱり奥さんが感染していて家族を食っちゃって仲良くみんなゾンビ」とかにするかなあとか思うのだが、それだと出来上がったパズルをぶっ壊すようなものだしなにしろ意味不明になる、が、そのほうが映画としてコクが出るような気がしませんか。
世の中には「ろくでもないのに嫌いになれない作品」と「ちゃんとしてるが好きになれない作品」というものがって、『カメ止め』はどっちなのだろうと考えるのだが、やはりゾンビ(フェイクだけど)でインディーズが大ヒットをかっとばしたというのは痛快なので、実際面白いし、レンタルに並べばまた借りてしまうのだろう。
ただ(親子で鑑賞するであろう)子供たちにはひとこと言っておきたい。
「ゾンビ映画がこんなもんだと思ったら大間違いだ!!」

渋谷ハロウィン。今年はトラックをひっくり返した奴や逮捕者が出てしまって、一挙に世間から顰蹙を買う形となった。
最終日の17時台に渋谷にちょろっと寄ってみたのだけれど、さすがに人が多い。仮装した人たちだらけで、見た限りでは「シン・ゴジラ第二形態」が一等賞だと思う。
みんな楽しそうにニコニコしている。写真を撮ったり撮られたり。これだけなら本当にピース(大混雑しているのは、祭りだと思えばしょうがない)。
若い人が本当にやりたいお祭りってこれなのかなと思う(阿波踊りじゃないだろう)。ハロウィンには参加しないが、自分もゾンビやって楽しかったし「気持ちはわかる」。
金にあかしての馬鹿騒ぎをしていたバブル期のクリスマスイブより、DIYの衣装で集まっているだけのハロウィンのほうが健全なんじゃないかと、どうしても否定できない。
最悪なのはこれに乗じてただ騒ぎに来る奴ら、悪いことをしに来る奴らで、基本的にこの連中は「普段着」である。なぜなら犯罪を行うのは常に「身軽な奴ら」であり、コスプレしてたら目立つわ衣装がひっかかるわで、逃げるのにはかなり不利だから(なので警察の人は普段着のなんだかヤバそうな雰囲気の奴らをマークしたほうがいい)。
みんなが虚構を楽しんでいる中に現実の暴力を持ち込む無粋な輩は、フランケンフルター博士に撲殺されてしまえばよろしい。
で、あいつらは高橋ヨシキさんがトークライブで言い放った「精神的なカッペ」だな。
ただなあ、深夜に及ぶ飲酒によるご乱心。楽しい、終わらせたくないというのはわかるんだけど、なんていうかな、もっと自覚を持てばいいのにと思う。
それはミニスカポリスとしての自覚であり、ゾンビナースとしての自覚であり、ジョーカーとしての自覚だ。ジョーカーなのに泥酔してゲロ吐いてたらみっともないよ。どうせならヒース・レジャーの心意気もコスプレしようじゃないか。
「あれは若者の不満のはけ口である」とか言ってる人もかなり古臭いセンスだと思う。ならばクリスマスで浮かれるのも桜の下で泥酔するのも普段の不満のはけ口なのか?現場に行けばわかるが普通の人が仮装してニコニコ歩いているだけだ。つうか、あれはどう見てもリア充だよ。
「悪魔の正体は現代社会に不満を持った人間だ!」では、原作『デビルマン』に出てきた勘違い科学者と一緒である。
「もともと子供のイベントなのに履き違えている」と言われればそりゃそうなんだが、魔や死のにおいやエロスに惹かれるのは子供じゃなくて大人。徐々にこうした流れになるのはある程度必然かと思われる。血文字が街の中に現れるあの時期は嫌いじゃない。
とはいえ、もはや交通整理が必要。渋谷区主催のイベントなわけじゃないから、中止とか排除は無理な話。しかしながら実際早朝にゴミ拾いをしているコスプレさんも見かけたから、「あんな奴らは」とひとくくりにしてはダメ。この輪が広がっていくのが一番理想的なのだろうとは思う。

新宿花園神社・酉の市。今年は久々に見世物小屋を観るためだけに来た。
元祖の大寅興行の方々は裏方に回り、アングラ劇団『ゴキブリコンビナート』が芸人として登場。
樺太から来た原住民は回転している扇風機の羽を舌で止める。
伝説の女総長はロウソクを口に含み炎を吹き上げる。
中国の武術者は頬を串で貫いてコンクリートを串にぶら下げて手を使わずに持ち上げる。
「やもり女」は生きているミミズを食う。
「狂ったOL」は自らの腕にホチキスの針をプチプチ刺す。アンド、レシートを額にプッチン。
これをエンドレスで深夜まで。MCは気配りしつつも喋りっぱなし。すげえ根性と体力だと思う。お題は観てのお帰り、たったの八百円。
確かにグロいが、不思議な郷愁もある。人間なら共通して持っているであろう魔への好奇心を体現しているのが見世物小屋であり、「祀りのいけにえ」として機能しているのかもしれない。
開き直った自傷行為は芸であり、ショック・バリューだ。本人たちがやりたくてやってるなら問題ない。
まあ、ものすごい無駄なエネルギーと言えなくもないし、なくなっても困らない類なのだろうけど、世の中「生産性」ばかりが大手を振って歩いているのもつまらない。
「ショック・バリューな人たち」は、裏のスターとしてどす黒く光って頂きたいものです。
数年前に人気があった「蛇食い娘」さん(ゴキコンの女優さんとのこと)は、動物愛護協会からのクレームでステージに立てなくなったと、まことしやかに聞いたことがあるが本当なのだろうか。
だとしたら、そのような「政治的正しさ」の前ではぐうの音も出ないんだが、協会さんは蛇の命を救った代わりに「蛇食い」という伝統芸を殺したのである。
牛や豚はコンビニやスーパーの弁当として加工され、賞味期限が切れればゴミとして廃棄される。
見世物小屋の蛇たちは一匹一匹が芸のパートナーとして、命を鮮血で飛び散らすさまを客の目に焼き付けながら死んでいく。本当に生命を軽視しているのは果たしてどちらなのか?
数年前に観た、赤襦袢で蛇を食いちぎる小雪太夫さんは確かに、美しくもカッコよかった。蛇食い芸は、カッコいい。
ところで「狂ったOL」さんは、ホチキスを希望者に手渡し自分の腕に針を刺させるというお客さんサービスを行っていて、女子が嬉々としてプチプチしていたのだけど、ぼくは絶対できません。考えただけでめまいがする。

営業日変更のお知らせ



悲しいお知らせです。すうさい堂は来週以降、土日/祝日のみの営業となります。
原因はどこぉ探してもお金がないからです。
特に先日、年金機構なる日本のゲシュタポ(気に入らないものは全部ゲシュタポだ!)より赤紙による通知がまたまた来まして、要約すると「金を払わないとお前を潰す。親族に危険が及ぶ可能性もある」ということで、さらにひとことで言えば「月夜ばかりじゃねえぞ」。
等価が帰ってこないものに金を払うほどバカバカしいことはない。が、もうめんどくさくなった。
放っておくと溜まっていく一方なので(なぜか数年間が免除になったことがあるにはあるのだが)、ストレスも溜まる。さらに健康保険と税金も元気に滞納中。
つまり「ストレスフリーというサービスを得るために」支払うことにした。
そうなると出稼ぎを増やさねばならんのですが、一応ホームページもちゃんと作るという動きもあるので、その辺で相殺としたい。
ちなみに平日の夕方以降は早々に体が空くので、自分としては楽っちゃ楽。
税金から逃げていたら結構なオマケがついてゲンナリだったし、健康保険はまあ日本はちゃんとしてるというか、アメリカの医療保険はバカ高いと聞く。んだもんで、まあしょうがない。
が、ネンキンなどに銭を払うなら自分にチャージしたいんですよ。僕にはもう時間がないんだ!
好きなCDはリマスターで聴きたいし(中古でいいんだ)好きな映画は劇場で観たいし、スペシャル・エディションのDVDで持っていたいし(中古でいいんだ)手元に置いておきたい書籍もある(古本でいいんだ)。
なぜかそのささやかな楽しみに使いたいお金を国に搾取させられるのである。くっそーゲシュタポめ!将来なんか知るかってんだ!
ま、わたくしも日本は超超超大好きでございますので、非国民と呼ばれないためにもいろいろがんばりたいのです。二年後の東京オリンピックもがんばれ。収束してない原発事故そっちのけでがんばれ。ア・ベシンゾーもア・ソータローもがんばれ。
そういえば人気イケメンリア充バンドの新曲が物議を醸したというのはタイムライン的にはもう古いのかな?
歌詞を追ってみても「さぁいざゆかん」とか「僕らの燃ゆる御霊(みたま)は挫けなどしない」とかのバカ丸出しで、あ?言いすぎ?じゃあちょっとがんばった小学生。
それはどうでもいいんだけど(そもそも「ぜんぜんぜんせ」がどうでもいい。音楽性もバンプなんとかのパクリという指摘があったが、そもそもなんとかチキンとかいうのがどうでもいい)、一応謝罪会見などした後に、ライブで「自分の生まれた国が好きで何が悪い」とシャウトしたとかんなんとか。
「やっぱボクはわるくないんだもん!」「あやまれっていわれたからあやまっただけだもん!」と、ザ・小学生で、あ、この話もういいや、どうでもいいや。
と・は・い・え、バンドの人も曲に感動した人もみんなが好きなのは「平成ニッポン」なのであって、この歌詞から立ち上がるイメージは「大日本帝国なんじゃね?」くらいの想像力はあってもよさげだと思うのですが、まあ、イケメンリア充バンドマンは余計なことを考えずに全員死んでほしいです。ファックオフ。

言葉尻を捕らえてみよう

言葉尻(ことばじり)を捕(と)ら・える

相手のささいな言いそこないにつけ込んで、攻撃したり批判したりする。「―・えて反論する」


悪く言うつもりはないけど

「これから悪口を言うよ」というときに使うイントロ。最初にこれを言うことによって「決して悪意ではないんだよ」ということを相手に伝え、ガンガン対象を攻撃できる便利な言葉です。
「あなたのことを悪く言うつもりはないけど」と来たら、「おっ」と防御体制を整えておくことが大切です。

だから言ってやったんだよ

「自分がその場でいかに重要な発言を放ったか」ということを「その場にいなかった者」に伝えられる便利な言葉。
男性が「だから俺は言ってやったんだよ!」などと使いますが、まずイキってるだけと考えてよいでしょう。イキってるだけだからほぼ100パーセント、大したことは言ってません。
なにしろこっちは、その場にいないんですから。冷ややかに、冷ややかに、冷ややかに対処致しましょう。

今、いない

「今、つきあってる人はいるの?」とたずねて、いなかった場合、美男美女モテモテリア充は即効で「いませんよお」と答えます。すぐ出来る、と思ってるから余裕綽々の「いませんよお」なのであります。
これに対し非モテは少しでも自尊心を傷つけぬように「今、いない」と答えます。この「今」の期間は、推定5年前後とか、結構長いんじゃないでしょうか。偏見ですが。
ちなみに相手に「今、つきあってる人はいるの?」とたずねたときに、即効の「いませんよお」ならば少しは脈があり、「今、いない」というクールダウンなお返事は「あんたじゃないから」のサインではないかと思われます。偏見ですが。
あ、ボクも今、いません。

酒の上での失態

これも非常に便利な言葉ですが実質上、「酒の上での失態」というものは存在しません。
存在するのは「酒の上での実態」です。酔ったときの言動が本質だということです。
つまり酔った上での暴力などは言うに及ばず、「公共では憚られる言葉をわめき周囲をドン引きさせる」「暴言を吐いて人を傷つける」などの行動をとる者は、それが本性なのです。
類義語に「酔った上での話しじゃん?」などがあります。本人は「覚えてないからしょうがない」で済ませますが、傷つけられたほうの立場は?「楽しいはずの酒宴がぶち壊される」ということは、かなり悲しい記憶として残るものです。
「酒さえ飲まなきゃ優しい親父」などという生き物は存在しないのです。
路上で酔っ払った若者が通行人をからかうなどは時々見かける風景ですが、「普段は彼らもナイスなヤングなのだろう」などと思うのは間違いで、その傍若無人さが彼らの本質なのであります。
お酒はニコニコと飲みたいものです。

ひととおり

「小説はひととおり読んだ」「マンガはひととおり読んだ」「映画はひととおり観た」「ロックはひととおり聴いた」。は?マジか?という話であります。
こういうことを言う人は自己完結しているだけであり、勝手に「オレオレ古典」を築き、そこから先は面白いものなどないと考えるつまらない人であり、「ナントカはもう終わってる」などとおっしゃいますが、終わってるのはあんたなのであります。
「映画より批評のほうが面白い」などとのたまうのもこのタイプであり、彼らはまず新作映画を追いかけるなんてことはしません。観てないくせに何を言っておるのか?
あらゆる表現は古典があり、現在更新中のものも含めその数は膨大であるはずですが、それを「ひととおり知ってる」とは、何者???パソコンにだって容量があります。
「ひととおり」を使ってOKなのはかなり狭義であり、例えば「手塚治虫の有名作品はひととおり読んだ」「70年代レゲエの有名なアルバムはひととおり聴いた」「アメリカンニューシネマの有名どころはひととおり観た」などの場合だけであります。
例えばブルースを研究している人は、その膨大な量と歴史の前で「ブルースはひととおり聴いた」などとは、とても言えないはずです。
結局我々は「いつまでたっても何も知らない」が、正解なのだと思います。

自覚の人・みうらじゅん



みうらじゅんフェスが盛り上がっている。らしい。行ってきました、という話ではない。「特徴・出不精」な中央線民族にとってはちと遠い、川崎。
還暦記念ということなのだが、この人はすごいことに「還暦」という言葉を知らなかったとのこと。
還暦という概念がないから、「還暦として」とか「還暦らしい振る舞い」とか「還暦だからお前らよりえらい」などのありがちな思考にとらわれることもなく、ずっととそのままのみうらじゅん。
職業は「イラストレーターなど」と記される。本人としては「本当はイラストの仕事とかそんなにしてないから。むしろ『など』の部分が重要」と語っていて、この『など』のスペースに「マイブーム」「ゆるキャラ」「いやげもの」のように「名前をつけて世の中に送り出す」という作業が詰まっている。
この人はとにかく「自覚」の部分が面白いのだと思う。「本当はいろんなことに飽きが来てるんだけど、無理矢理その峠を越すといい感じのノイローゼになるから」という「自覚の発言」部分だけで面白い。
「自覚・イコール・人物評価」と言っていいと思う。無自覚さが面白い人、例えば蛭子能収なんかが代表なのだけれど、こういう人に「芸術点」はあげられても、人物評価となると厳しい。
やはり自分の立ち位置をちゃんと伝えられるというのは重要。あえてヒドい表現をしている人もいるが、それはその「心意気」を買う。
もちろん「自覚」には知識に裏打ちされた教養が必要なので、日々努力しなければならない。
個人的にはある理由で、島田洋七という芸人が大嫌いなのだけど、この人は「自分の経験がこの世で一番面白い」と思ってる。それがものすごく嫌なんです。
エンタメ界で売れる人々というのはそれぞれすごいこととか面白い経験を積んでいる。当たり前である。
ただ、そこからの引き出しだけで在庫を出していると、いつかは飽きられる。つわものがたくさんいる中でそんな倍々ゲームはいつまでも続かない。
そこで必要なのが知識とか教養。浅草キッドが安定しているのは、政治家と対等にやりあえるくらいの知識・教養を身につけ努力しているからであって、「あん時わしはな~」とか言ってるだけの者はいつしか落伍者になる。お情けで仕事をもらっても、お情けで話を振られるまで呆然としているという始末。
なにも知らないからだ。その「自覚」がない人はこれだから困る。

と、思い出し怒りのあまり話がそれてしまったのですが、みうらじゅん氏のすごいところは「徹底したアナログ主義」にあると思う。「反デジタル」という意味ではない。この人の表現に「反」という意識をあまり感じない。
そもそも「いやげもの」だの「カスハガ」だの「バカエマ」なんてものは、その現場に行かないと手に入らない。「とんまつり」なんてのも行ってみないと意味がわからない。
そんな(いわゆる)くだらんものの現物を見たり手に入れたりするために足を使う。地方まで飛んでいく。
なぜそこまでするかというと多分、「いい感じのノイローゼ」になっているからなのだろうけど。
「断捨離」という言葉とは真逆の60年間であり、ちょっと、理想的な男の人生じゃないだろうか。
「シンプルが最高さ!」とか言ってる人はその本人がよっぽど濃厚じゃないと面白くないので、「シンプル最高」と言ってるシンプル人は、まったく面白くないということだ。

特にこの人を追っかけているというわけではなくて、なんというか、雑誌をめくっているとコラムが載っている。夜11時過ぎのテレビを見ているとしれっと出演している(タモリ倶楽部に顕著)。「この映画気になるな~」と公式サイトを覗いてみるとやっぱりコメントを寄せている、といった感じで常にそこかしこにいらっしゃる。
あっでもこれは「その辺のフィールドをうろついている者」のみの感想か?品川で働いてるサラリーマンの人には関係ないな、多分。
フリーハンドで描かれるイラストは80年代から成長もせず劣化もせず、ただし唯一の「みうらじゅん感」で、それは「ラモーンズが」演奏する『電撃バップ』と同じ感触のものだ。



18年ぐらい前にイベントのどさくさで撮らせて頂いたツーショット。少々恥ずかしいが大昔だからまあいいや。

Copyright © すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。 : All rights reserved

TemplateDesign by KARMA7

忍者ブログ [PR]

管理人限定

カレンダー

03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

フリーエリア

最新コメント

[07/02 ポーキー THE ピラニアのロレンス]
[06/21 すうさい堂]
[06/21 美澄]
[06/04 すうさい堂]
[06/02 nene0716]

最新トラックバック

プロフィール

HN:
すうさい堂主人
性別:
男性
職業:
古本すうさい堂
自己紹介:



メールはこちらまで suicidou@ybb.ne.jp

バーコード

ブログ内検索

カウンター

忍者アナライズ