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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

すうさい堂は閉店しました。17年間ありがとうございました。

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ノイジーベイビー新旧対決



ちょっと前に知ったことだが、キノコホテル(というかマリアンヌ東雲)とカルメン・マキが揉めている。
発端は二年前にリリースされたキノコホテルのカヴァー集『マリアンヌの逆襲』に、カルメン・マキの「ノイジー・ベイビー」が収録されたこと。このCDがカルメン氏には届けられておらず、「マナー違反ではないか」とツイート。それがあちこちに飛び火。
プロデューサーのサミー前田氏は「作詞・作曲者であるクニ河内氏には許可済みであり、カルメン氏にもライブに出向きその旨は伝えた」と、筋は通してある事を主張。カルメン氏は「ライブ会場で言われてもよく覚えてないし、自分の曲のカヴァーは数多かったが、今までこんなことはなかった。礼儀の問題」と、不快感を露に。
ビジネスvsメンタル。論じている軸が違えば、話はいつまでも平行線。
それでもプロデューサーが「CDを届けなかったのは製作側の手落ち」と謝罪の意を表明したところに、支配人の「著作者の方は承諾してくれたのに歌い手が騒いでる。面倒くさいからもうやらない」と、爆撃ツイート。これがまた火種となる。
正直「この時期にそれやるか~」と思う。子供じゃないんだからという意見も多数だが、「リスペクトしている大先輩に対してこんな風に切っちゃうのは、実はキツかったろうな」と、ひとの心理を読むことに長けたすうさい堂さんは思う。
若干リップサービスっぽいし、なにせ「あたしは誰のモノにもならない」と歌う、『キノコホテル』の金看板を背負ってるんである。
で、久々に2ちゃんのスレッドをざっと読んだところ、もちろん双方への罵詈雑言は限りないが、カルメン氏を「老害」呼ばわりする輩が「果たしてこいつらはノイジー・ベイビーのオリジナルを知ってるのか?」と思った。

キノコによるやさぐれ感を打ち出したカヴァーもカッコいいのだが、1970年に発売されたオリジナルの、儚げながらもクールなオリジナルは素晴らしい。「ノイジー・ベイビー」というタイトルからして、かなりトッポいセンス。斬新過ぎて当時はまったく売れなかったらしい。
自分は『カルメン・マキ/ベスト&カルト』という二枚組でこの曲を知ったのだが、この人のベストワンを選ぶとしたら、間違いなく「ノイジー・ベイビー」であります。
ハードロックのOZj時代はあまり興味がないけれど、このベストにはぎりぎり歌謡曲~アングラフォーク~ニューロックの名曲がぎっしり詰まっている。こういうのを知らずに「老害ババア」呼ばわりする若年層もいかがなもんかなあ、と思う。
映画『探偵はバーにいる』にカルメン氏は歌手役で出演していて、ジャックスの「時計をとめて」を歌っていたのだが、おお~と思うくらい現役の佇まいであった。
(「自分はカルメン・マキである」という驕りは確かにあるとは思う。歌手にも相応に対応しろというのならば、今どこで何をやってんだかわからない「元歌手」も探し当てて作品を送らなきゃいけなくなってしまう)
「時には母のない子のように」と「私は風」のカヴァーは多数あるだろうけれど、「ノイジー・ベイビー」をやろうなんてアーティストはそれまで一人もなかったんである。
イケてるPVも含め、リスペクトがないわけがない。そもそもサミー前田とキノコホテルは「和モノ復刻愛」における第一人者。

結局、オリジナルもカヴァーも双方カッコいいんだし、それでいいんじゃないか。
どちらも大メジャーとは言えないご時世なので、この騒ぎでちょっと聴いてみようかと、「音楽が」注目されれば結果オーライ。
先の二枚組ベストは廃盤で入手困難のようなので、件の曲を聴きたければ、ウルトラ・ヴァイブから発売中のアウトサイダー歌謡コンピ『夜の番外地/東京ホステス仁義』を購入し給え。
それと同シリーズの『愚連隊仁義』は最近最も衝撃を受けたアルバムなので、次回はこの二枚について講釈を呉れてやるわよ。

それにしても「ノイジー・ベイビー」の歌詞。
『誰もがあたしを知らないくせに/誰もがあたしを知りたがるのね』
『誰もがあたしをふりかえらせて/誰もがあたしを笑っていくのね』
のフレーズが、今回の騒動と妙にシンクロした「気分」である。
『マリアンヌの逆襲』発売時の支配人インタビューでは「2013年に作られた曲だと言っても信じられそうなメロディとメッセージを持っている曲」と、大絶賛していた。
ああ、うるさいな。


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お宝箱、『赤痢匣』



『ナニワ金融道』でおなじみ、青木雄二の『唯物論』なる本がなかなか面白い。
著者によれば観念論とは「思う」ことで、唯物論は「在る」ということ。
つまりノリとしては「いや~、そうかもしんないけどさぁ~・・・」が観念論で、「せやろ!」が唯物論。
このノリでトバしていくので、観念論的に悩んでいる人生相談も、「チンポ」「オメコ」「イワす」の、唯物論3コードで(この本の表記による。僕じゃないですよ)ばさばさと切り捨てる。
何でもこんな風にイワせられたらさぞ気持ちよろしかろうな、と思う。彼の漫画に出てくる街の風景が「スナック赤貝」「ラウンジずるむけ」など全部下ネタってのも、実に唯物論的である。

最近、京都出身のガールズ・バンド「赤痢」の10枚組ボックス、『赤痢匣』を購入。
改めて聴くと、極めて珍しい唯物論のバンドなんではないか?と思った。パンクとはいえ観念論が先行するバンドがほとんどだが、この、身も蓋も無さ。
特に今回初めて聴いたデビューEP『赤痢』(85年)に収録されている曲の、あけすけっぷりはすごい。
当時(不良)高校生だったメンバーが「おっさんあたしは処女なのよ/処女でもあそこは持ってるやんけ」「二万で春は渡せんな」「イカレポンチはとっととうせろ」。
いくら人が来ないすうさい堂とはいえ、店内で流すにはためらわれる『夢見るオxxコ』のオリジナルも収録。
徐々に演奏力も上がり、同時に歌詞は加速度的に支離滅裂になり、それでも時折「今夜星光爛漫/きれいごとだけで満開」「あたしの夫はちびではげ/誰かなんとかしてくれ」「希望なんてないんだ/欲望だけがあるんだ」など、ギラリと光るフレーズがあちこちに。
パンク・バンドとしてのピークはファースト・アルバム『私を赤痢に連れてって』(88年)だろうか。
ラストの『THREE』(95年)は、ローファイなワールド・ミュージックという風情で、初期の唯物異論的な勢いはないが、誰にも似ていない音楽を「まったく無理せず」作り上げた。
感触が全然変わんないのである。
精神的にはロンドンのパンキー・ガールズ「ザ・スリッツ」に近いものを常に持っていたバンドではないかと思う。

ライナーによると彼女らはクラッシュの大ファンであり、それに触発されてバンドを組んだという。
これには感動した。だってファッションから何から、まったく影響を受けたあとがないんだもの。
ロウなパンクでデビューしたのも、それしか出来なかったからであろうし。
しかしながら我が国のクラッシュに影響を受けた輩ってのはどうしようもないのばっかりなので、赤痢こそ最高のクラッシュ・フォロワーと言えるかも知れない。いや、そう言いましょう。
自分もクラッシュは大好きだが、左翼的/政治的な部分には全く影響を受けていない。
あくまでも彼らが残した「ぶきっちょだけどカッコいいロックンロール」を愛しているんである。
クラッシュの本当に偉大なところは、政治的メッセージすら「ポップ・アートとして」クールに決めてみせたことだ。
過激なメッセージがプリントされたパラシュート・シャツを着こなすストラマーやシムノンは、実にシャレオツでカッコいい。これはほんと、選ばれた人間にしかできないこと。

アルケミー・レーベルの社長でプロデューサーの「非常階段」・JOJO広重は、
「君たちのためなら何でもしてやろう」と、メンバーの前で宣言したという。
ある年代の女の子が放つ、生理的ないらつき、ちょっとした絶望、無邪気な残酷さ、正体不明の不穏さ。
そうしたものをすくいあげて、音楽で表現したバンドだったと思う。一度だけライブを観た。

ゼロ年代には・・・とか言いたくなったが、当時もこんなバンドは他にいなかったんである。
しかしながら、西野カナあたりの「とにかく共感して!!共感できるっしょ?!」と、ゴリゴリ攻めてくる今の連中のほうが、唯物論的なのかも知れない。
ベストアルバム『赤痢の花園』がメジャーから出ているので、そちらがお手ごろです。

落寸号令雷



笑いましたね。いや、この人たちのネタじゃなくて、この人たちのネタに関するデマに振り回されてる人がメチャクチャ多いってことに。
ラッスンゴレライ。まったく何が面白のかわからんが、小中、え?高校生にも大受けらしい。
笑いに対する感性の幼児退行。これは実に嘆かわしい話で、自分たちの世代ならば「タケちゃんマンとブラックデビル」があえて、プライベートな裏話を公共のテレビに持ち込んでやりあったり、「いいとも」では制御されているタモリの本質を探ろうと、夜に放送している彼の番組を見たり、ベタなオチのかわりに当時の最先端の音楽で繋いでいく「スネークマンショー」もあったし、笑いというものはとにかく「背伸びをして」感じようとしていたと思う。少なくとも自分はそうだった。最近は「筒井康隆にはまる中学生」ってのも、あまり聞かなくなったような気がする。
90年代なら日曜8時に放送するにはブラックすぎる「ごっつええ感じ」(キャシィ塚本とかみすずちゃんとか、完全に狂人!)とか、ドリフを離れた志村けんのアナーキーっぷりが凄かった「だいじょぶだぁ」とかあって、笑いっていうのはここまでやっていいんだ!と、とてもクリエィティブなものを毎週見させていただいた。
今の字幕つきのバラエティは確かにわかりやすい。わかりやすいけど、わからなさにこそ首をつっこみたくなるものであり、そこからじゃないか、なんにしても。

ラッスンゴレライ=落寸号令雷で、これはアメリカによる原爆投下の暗号だそうである。
あのね、ブログ書くような人はある程度年齢も行ってると思うんだけど、何年日本人やってんの?こんな言葉今まで聞いたことないだろっての。
しかもアメリカ軍の暗号が、なんで「漢字」なんですか?
その他いろんなこじつけがあったが、個人的に一番笑ったのは彼らの衣装が、「放射能」という曲をやっている「クラフトワーク」というバンドにそっくりだ、というやつ。
ちょっとまってちょっとまってお兄さん、クラフトワークは黒いスラックスをお召しになっておりまして、短パン履いてるメンバーは、一人もおりませ~ん。
まあ、ナンセンスなネタなんだろうけれど、SNSあたりでバーッと広まり、偽コラまで作るやつが現れ、例によって「反日」「在日」と騒ぎ立てる。
どうでもいい話だし、この芸人がどうなろうがどうでもいいんだけど、ちょっとこの国って怖いのかな?と思った。

人を貶める笑いは嫌い、とか仰る方がたまにいて、これこそ笑止千万。そもそも落語という古典芸能がその構造を内包しているのだから。
それが出来ない、という環境のほうがよっぽど恐ろしい。いつまでもバナナの皮で滑ってるのを見て笑ってろ、ってか?
笑いの革命家といのはそのタブーを腹をすえて次々と破っていく人であって、今でもそのトップランナーは全盛期のダウンタウンだと思う。
ネタが面白い、という芸人は沢山いるけど、フリートークであれだけ笑わせてくれたのは彼らだけ。
その「ガキの使い」も今や、巨大なハリボテみたいな番組になってしまったのは、しょうがないんだけど、少々寂しい。
そこにあの頃の彼らはいない。頭が固い往年のファンは、いまだに動画サイトで「おかんとマーくん」「半魚人」「ゴレンジャイ」「あざみ」「トカゲのおっさん」などの傑作を見て、笑うのである。

手塚版デビルマン『ミクロイドS』



手塚治虫の少年向け作品で最も残酷なものは何かと言えば(『アラバスター』とかあるけれども)、『ミクロイドS』じゃないかと思う。
アリが進化した種族「ギドロン」が人間に向けて総攻撃を仕掛けようとしている。
その下の階級が「ミクロイド」。彼らはギドロンに奴隷のように扱われているが、ルーツをたどれば人間であり、その中から選ばれたヤンマ、アゲハ、マメゾウが人類にこの非常事態と、自分たちも共に戦うことを伝えるための旅に出る。
が、旅は過酷を極め、途中で寄った人間の町はギドロンのサイボーグ「人虫(これが気色悪い)」によって壊滅。そして出会った人間はミクロイドの意志を無視して見世物として売りつけようとする。
世界的科学者の美土路博士とその息子・マナブに会うまでは、彼らの話を取り次ごうとする者がいない。
さらにアゲハはギドロンに忠誠を誓うミクロイド・ジガーの恋人であり、ジガーはヤンマの兄である。
よってアゲハはジガーが送り込んだスパイではあるが、段々と使命感に燃えたヤンマに気持ちが傾いていき、ジガーは「ジグジョー!!」と嫉妬の炎がメラメラメラ、という極めてアダルトな展開。
最初の数話でアゲハはオールヌードを御開帳しており、ある世代における「手塚治虫とは、エロいマンガを描くひと」という認識はあながち間違いではないのであります。

ギドロンはいよいよ、人間というか日本に向けて総攻撃を仕掛ける(公害が一番ひどいからだそうだ)。
竜巻のようなカ・ハチ・アブたちが人間を刺し、口や鼻から侵入して窒息させるんである。
つまりこれは手塚版「デビルマン」。いや、殺されるのが悪魔ならばまだ「最後になんかすんごいの来た!」と、ちょっとしたイリュージョン感があるかも知れないが、恐ろしい数の虫ですよ虫。
虫に殺された死体がまたむごたらしいし、ミクロイドをかばう美土路博士は人類の裏切り者だと、住民たちが自宅を襲うシーンなど、まさにデビルマン的。
ピストルを振り回して篭城し、暴君のように振る舞う白人。ギドロンが放った寄生バチ「マイマイ」にとりつかれてコントロールされている少女にマナブは恋するが、最終的に彼は彼女を自らの手で殺してしまう。戒厳令化のもと、投石した一般市民たちを容赦なく射殺する自衛隊。後半に登場するレディース愚連隊のエピソードなど、パニック・アクションの王道。
昆虫たちの脅威に人類は対抗し得ないのは明白。「とりあえず一件落着」で終わるラストも不気味。

この作品はアニメ版も放送されており、見てた記憶はあるけれどなんにも覚えてない。
(あ、脚本家がアニメのデビルマンと同じだ。そういえばこの原作に「S」の文字は一回も出てこなかった)
等身大ヒーローよりは巨大ヒーローのほうが人気があったであろう時代に「ミクロのヒーロー」では(手のひらに乗れます)、そりゃ地味過ぎますよねって話である。

※6月6日(土)は都合によりお休みさせて頂きます。来週からは火曜日も開ける予定です。


ちょうどいいブス



最近「相席屋」なる居酒屋のシステムを知って驚愕。
男同士で飲んでいる間は単品(一杯500円だってよー)で注文?その席に女性が通されると、30分飲み放題で1500円?女性は無料?フードは別料金?あとは一期一会の出会いをお楽しみください?
すごいな。吉祥寺にもあるけど、そんなおっかない場所だったのか。
そこで福満しげゆきのマンガっぽくゴニョゴニョと、「すうさい堂という古本屋をやっています・・・ポパイとかハナコにも載った事あります・・・」とか言えば盛り上がるんだろうか?
あちらさんが好きなのは失恋ショコラなんとかとかエグザイルとかなんでしょう?(あ、ゴールデンボンバーは自分もちょっと好き)
「楳図かずお先生の『漂流教室』に出てくる男の子が『ぼく、ちゃんと死ぬぞ!!』って、石斧に自分から頭をぶつけて死ぬシーンがあるんだよ!やっぱ天才だよね!」とか言っちゃダメなんでしょう?
キャバクラで飲むよりは前向きなのか?いやしかし。超こええ。
自分がもっとも恐怖する場である。かけひきが出来る健全な男女が集うところ。
双方が互いの足元を見つつ、表向きはニコニコと飲むわけでしょう?大変おとなである。
つうか、こういう普通のひとたちがちゃんと子孫を作ってくれるのであろう。ありがたいことである。
自分は一人で居酒屋ランチを食べます。

相席で検索したら、「相席スタート」なる、ちょっとアダルトなネタをやる男女のお笑いコンビにひっかった。
その存在を昨日知ったのだが、これはもうブレイクしてるのでしょうか?
このコンビが「ちょうどいいブス」というネタをやっていたのだけど、女性のほうが、なんかまさに、そんな感じなんである。編集とかライターにいそうな、美人じゃないけど、なんとなく好感を持たれる感じ。意外と、男性ファン増えそう(兄ちゃんのほうは、普通に長身のイケメン)。
この「ちょうどいいブス」ってのが新たなる価値観(ポジティブな意味で)になりそう、というか、うまいこと言い当ててるなーと思う。
周囲に一人くらいは思い当たるのではないかと。で、そういうひとは好感度が高いんである。
でも、ブス過ぎると「個性派」とか言われる。ちょうどよくないから。ハリ××ボンとか。あ。
(辛酸なめ子氏なんかは結構きわどいラインだと思うんだけど、これだけメディアに露出してると「ああ、どっちかといえばまあ、美人なのかな?」という気になってくる)
そんな感じで「じゃあ世界一有名なちょうどいいブスって誰か?」と考えたら、世界一有名なあのミュージシャンを虜にした、オノ・ヨーコというひとが思い浮かんだのであった。
ところで「ちょうどいいブス」が定着したら、「ちょうどいいブサイク」も認められればいいなあと、切に、思います。


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性別:
男性
職業:
古本すうさい堂
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