吉祥寺はどんどんオシャンティー(これ、マリアンヌ東雲様がよくお使いになる)になっていくが、どんどんシャレの足りない街になっている。
かつてこの季節はバウスシアターの爆音映画祭が名物で、今思えば「なぜこの作品を爆音で?」というセレクトも含めて、なかなかシャレの効いたイベントだった。
高円寺は大道芸フェス、阿佐ヶ谷はジャズフェスと、シャレたイベントを街ぐるみで行っているが、吉祥寺はハイソというかオシャンティー(マリアンヌ様がよくお使いになる)なイメージの上書きで、家賃の祖湯が下がらない。
街の「ヘンなひと」も自然に淘汰されているような気がする。
以前は創作の詩を連呼しながら歩く60歳くらいのおじさんがいて、自分は勝手に「ツイッターおじさん」と呼んで、見かけるとちょっとワクワクしていました。
多分パソコンが出来ないから、自身が媒体なんである。覚えている限りではこんな内容。
『出前したカツ丼を すっとばしてやる マージャン』
『情報はどこにある? 貧民窟へ行け』
『にっちもさっちも 使えない 白人』
『ガールにガマガエルはいるのか?』
なんて感じだったと思う。これを連呼しながらサンロード周辺の賑やかな通りを歩くのである。
時にちょっとポリティカルだったりして、なかなかいいセンスだと思う。このおじさんにとって、最近のギャルはガマガエルに見える、ってことなんですかね?
もうすっかり見かけなくなっちゃったが。
すうさい堂もアイキャッチとして、カバーがエグい『ウンコな議論』(ハリー・G・フランクファート/山形浩生訳)などという本を置いていたりするのですが、別に大して売る気もなく、要するに「商売舐めてます」という態度を打ち出しているだけなわけで、つまりシャレである。
自分のメルアドは「すうさい堂バラードベスト」で、これは頭打ちになったミュージシャンが苦しまぎれに発売するアレのこと。もちろんシャレとして使っている。ユーモアって言って欲しくない。「ユーモア」ほど面白くなさげな言葉ってないような気がする。
「ユーモアのセンスに溢れる人」・・・・・近づきたくない。
あああああしかし、「自分は割りと恵まれている」と「「クソみたいな最低の人性だ」の概念が、もぐらたたきゲームのようにピョコピョコと精神の内部から交互に飛び出してくるんです。ちなみに今、後者です。
月曜日はプッチ欝。まる。まる。まる。
新宿シネマカリテにて『LOOKING FOR JHONNY~ジョニー・サンダースの軌跡』鑑賞。
13日の水曜日。別になんでもない日。つうか、料金サービスデイ。
コメントを見るとロック侍さんたちが「生き様がロックンロール!」「最高にカッコいい!」と熱いのだけど、自分に言わせればハートブレイカーズ名義の『L.A.M.F』という最高にカッコいいロックンロールの名盤を作ったひと、という感じ。
さらに彼はキャリアの最初の方でニューヨーク・ドールズの二枚、ハートブレイカーズ、ソロの『SO ALONE』と、名作を早々に産み出しているので、「こんだけもってりゃマスト、それ以降はよっぽど好きじゃないと」の、代表選手。
別格なのはやはり『L.A.M.F』。ちなみにこのタイトルは「ライク・ア・マザー・ファッカー」の略。
極めてベタなロックンロールなのだが、キャリアのあるド不良バンドマンがパンクの波に乗って作り上げた最強の名盤である。
いわゆるパンクのように直線的ではなく、オールディーズ的な甘さとうねりがあり、ボーカルが二人いるけどどちらもうまいわけじゃない、ってのもミソ。
宇宙人に推薦するロックンロール・アルバムを一枚選ぶとしたら、チャック・ベリーでもなくエルヴィスでもなく、これを推薦する。
またバンドのルックスがクールなんだ。モデルみたいなウォルター・ルー、ドールズからの朋友ドラマー、ジェリー・ノーラン、ほとんど動かないベースのビリー・ラス(ヒスパニック入ってるっぽい)、ジョニーは言うに及ばず。
イギリスのパンク小僧にとってジョニーはヒーローであり、彼に「お前は男だろ?」とヘロインを勧められると、ほとんどの者は断りきれなかったらしい(と、『プリーズ・キル・ミー』というパンクの伝記本に書いてあった)。
常にドラッグを持ち歩いては周りの者に勧めてヘロヘロにしていく、歩く薬物汚染。
本人もデビュー以来ほぼ尽きることなく薬物依存が続き、当然ながらDV男に成り果て、妻も子も失うことになる。
安らぎが欲しくて家族を作っても、結局ロックとドラッグの世界に舞い戻ってしまう。まるで金子正次の『竜二』じゃん、と思った。
ニューオリンズで死亡。もちろんクスリが原因。享年38才。
ジョニーの姉は「盛られて殺された」と主張する。
しかしニューヨーク・ドールズのメンバーだったシルヴェイン・シルヴェイン曰く、「いや、あれはきっと奴が死ぬ時だった」。
結局のところ、「最悪のジャンキー」というイメージと裏腹である繊細なボーカルと、誰かが言っていたような「ぶっこんでくるギター」があれば、それでいいのである。
パンク時代のミュージシャンもNWの波に乗って、生き残る者は生き残った。
でも、ルーツ志向のジョニー・サンダースにはそれが出来ずに、弾き語りをやったり、デモやライブを乱発したりして、そんな不器用なところもまた、ねえ。
帰りしな、映画のポスターを買って帰った。結局好きなんだ。
「臆病者のヤク中」という点では田代まさしと変わらないのだけど、決定的に違うところは、思わずお持ち帰りして壁に貼ってしまう、キュンとするルックス。
ゴールデンウィーク真っ最中。お天気もよろしいようで。すうさい堂でもレア本がぽんぽんと売れ、たいへんちょうしがよい。(みっけた、ほしいと思ったら則購入です。古本に次はない!)
明日(6日)も通常営業。7日木曜はお休みを頂きます。8日は高円寺でゆるふわDJ。女子も初参加。
で、久々にディスらねばすまぬブツに触れてしまった。中学教師が悶々とする、ドラマや映画にもなった漫画作品。タイトルはあえて秘す。書きたくもない。
だいたい、給食のカレーを「ゲリミソ」とか言い出して食事を台無しにする男子生徒に何が起こったのか?と真剣に考え込んだり、献立から酢豚がなくなると大泣きする女生徒に端を発し、さらにそのメニューを継続するか否かと職員会議。
バカですか?他にすることないんですか?
そもそも中学生ってそんなにガキではないんではないか?自分のその当時を振り返ってみても!
で、お次は中二男子と小四女子が肉体関係を持ってしまう、というエピソード。なんだこのバランスの悪さは。
しかも教師は母親の前で「そのような関係を否定することは我々には出来ない」といった趣旨の理論を振り回す。
否定しようよ!!
普通にダメでしょって。しかも今までのモラルにちょっと風穴を開けてやった、みたいな作者の欺瞞がぷんぷんする。「偽〇者」と呼んだらいいのか?
しかも主人公の教師が女生徒の一人に本気で恋、というより欲情していて、何かと言うと顔を真っ青にして汗を吹き出してる。うざったい絵柄もまったく魅力なし。
「トイレでウンコ」が原因で傷害事件にまで発展する回を読んで、いい加減「・・・・」な気分に。
この教師、実はセックスはナマ派なのだけど、それについてもっともらしい理屈をぶちはじめた辺りで(四巻)、あまりにもバカバカしくなって読むのを放棄。
そんなことを「作品として」発表する神経って、おこがましいと思いません?
んなこた酔っ払ってほざいてろバカ!というか、酒の席の話題としてもあまりにも食えない。
要するに、自分が思っていることを登場人物の口を借りて言わせてるだけ。
「こんなことを考えてる俺様って凄いだろ?」って。
だいたい、中学生がそんなにディベートの達人なわけないだろっての。
もう、これだけ漫画読んで気分悪くなったのって、カリブマレイ原作の『ボーダー』『天使派リョウ』以来ですわ。
さらに引くのが作者のプロフィール。折り返しにある著者紹介のスペースが、上から下までびっしり。
好きな音楽は「尾崎豊・倉木麻衣・渡辺美里など」と、あまりセンスがいいとも思えない趣味まで詳細に発表。中谷彰宏と同類の匂いがする。
ほとんどの漫画家って、自分の写真は載せてないような気がするけど、このヒトはすごい。
全巻写真違うし。しかも、ナルシスト具合が透けて見えるアー写みたいなやつばっかり。
恥を知る、という美意識が圧倒的に欠落している。漫画家じゃなかったらどうなっていたんだろうか。
あーディスったディスった、すっきりした。
「癒しは騙し」だと思っているので、そういうものを必要としそうな心が折れそうなときは、ジャームスやGGアリンといったクソみたいなパンクを聴いて邪気をはらうのですけれども、これは例外。
安田弘之『寿司ガール』。全3巻(新潮社)。
スシガールなんていうとあんたがたはどうせ「女体盛りかぁ?」などと下賎な発想をするのだろうが、そうではない。アマゾンから引用。
少しだけ人生に疲れた女達の前に、お寿司のネタを頭にのせた「寿司ガール」がそっと現れる。今を生きる全ての女性を応援する人間賛歌! 看護師の夢を諦めた女王様、人を好きになれない女教師、異国に憧れる少女、誰にも嫌われたくない森ガール……少しだけ人生に疲れた女達の前に、お寿司のネタを頭にのせた「寿司ガール」がそっと現れる。「私を見てくれている相手」を得た女達は少しだけ前を向くようになり――? 「ショムニ」「ちひろ」で女心を描き出した安田弘之の新たなる代表作。今を生きる全ての女性を応援する人間賛歌!
間違えちゃいないとは思うが、もうひとつサビが効いてない(うまいね!)。ちょっと補強したい。
登場する女性は、回転寿司で自分にしか見えない「ネタを頭に乗せた女の子」と出会い、つい持ち帰ってしまう。
頭に乗っけているのはイカだのコハダだのトリ貝だの、文字通り寿司ネタである。
ガールといってもロリータな玉子ちゃんやいなり婆さん、女王様のイクラパトラ様や、性別もよくわからないかんぴょう巻きなど、年齢層は広い。
発想はバカバカしいのだけど、作品としてバカバカしくならないのは、女性たちの立場が絶妙にシリアスだから。
自分磨きに余念がないイケてる姉さん(甘海老式部様)、ゴミだらけの部屋で暮らす地味OL(ネギトロちゃん)、男から見たかわいいを演じ続けるゆるふわガール(玉たん)、金髪と翠色の目がコンプレックスな外人顔の女子高生(ミス・サーモン)、自分を誤魔化しつつDV男と婚約してしまう女性(コーンちゃん)、などなど。
目の前に現れた寿司ガールによって、彼女たちは自分の意思で自分を変えていこうとする。
ヘビーなところでは放火で無期懲役になったヤンキー(穴子軍団)や、自殺した女子高生の幽霊(ホタテちゃんとカッパちゃん)なんてのもある
重くなりそうな話でも、寿司ガールという存在のバカバカしさが中和するんである。
全然足りない一貫分のジャラ銭を握りしめて、寿司を「味わい」に来る無愛想な小学生の女子(スズキさん)や、公園の同じベンチに座りつつも距離をとって罵り合いつつ、一緒に寿司をつまんだりしている爺さん婆さん(シメサバアさん)などの、人情モノも良い。
女性向けを謳っているっぽいのだけれど、女性の皆さんは自分の彼氏に本作を読ませた反応によって、そのオトコがどれだけ女性の(というか人間の)機微がわかるヒトかどうかを計ることが出来る。そんなアイテムとしても機能すると思う。
オレはといえば激しく感情移入して読んだので、やっぱり女子力が強いです。
本当にヘンなものとは狙って出来るものではない、というテキスト。『セックス・チェック 第二の性』(監督/増村保造・68年)。
これ狂ってる!って感じで盛り上がれるわけではなく、ビミョーにすべてがズレまくっている、という感じ。
もちろん何一つとして、ふざけているわけではない。
かつては名スプリンターだった主人公(緒形拳)は、今は落ちぶれてヒモ生活をしている。それを見かねて陸上仲間だった医師が、自分が専属している電気会社の女子短距離コーチの仕事を斡旋する。
が、オガケンは自称エゴイストなので、一旦引き受けるものの、医師がいない間に「本当はおれのことが好きだったんだろう?」と奥さんに迫りレイプ。そして医師にすべてをぶっちゃけ、「申し分けないのでコーチは出来ない」と言う。この時点でなにこのひと?である。
そのあと会社内でたまたま、バスケの練習中にコーチの指導に腹を立てて掴みかかっていく女子(安田道代)を見かける。
その荒っぽい気性に「こいつはモノになる」と直感し(何で?)、「やっぱコーチやらせてくれ」と先の医師に頼む。医師は「わかった。その代わりおれが仕事をやめる」と、会社を去る。奥さんをレイプされたり、失業に追い込まれたりでほんと散々です。
そして二人だけの個人指導ということになるのだが、「おれはおまえを男として育てる。だから絶対に寝ない!」と、セックスレスピストルズ宣言。
まず最初に与えたプレゼントがなんとヒゲ剃り。「毎日ヒゲを剃れ!そーしたらヒゲが生えてくる!お前は体から男になるんだ!!」と大真面目に大爆発。虎の穴?何の穴?この辺からオガケンの演技もスパーク!
が、そもそも安田ミッチェルにゃ生理が来ない。なんと彼女は半陰陽(ふたなり)だったのです!
そのように診断されると規則上、新記録を出そうがオリンピックには出られない。
絶望して実家へ逃げ帰ったミッチェルを当然のごとく捕獲するオガケン。
「オレは女でねぇ」と落ち込む彼女に、オガケン言い放つ。
「だったらおれが女にしてやる!おまえを毎晩抱いてやる!!」。
方針を180度変更。で、ファックしまくっているうちにおめでたく初潮を迎える。
そして先の医師宅に出向き診断を強制的に要請。
結果、「うむ、たしかに女だ・・・」。そーなんだ!?そういうもんなのか!?
あとは記録を出して予選を通過するだけなのだが・・・その後のオチは何となくわかると思います。
システマティックに作られた最近の作品も良いけれど、昭和の緩さや臭みってのも妙に癖になる。
そんなカップリングで観た『探偵はBARにいる』は、ものすごくマトモだった。