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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

すうさい堂は閉店しました。17年間ありがとうございました。

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史上最も、がんばったバンド



当店にはこのポスター↑が一番目立つところに配置してあるのだが、特に意味はない。単にカッコいいから。
セックス・ピストルズのドキュメンタリー『ノー・フューチャー』を観る。
彼らの「No FUtuRe FoR YOU」(パンクっぽいっしょ?)って歌詞も単に絶望のフレーズと捉えるより、「じゃあ、どうすんだよ?」あるいは「でも、やるんだよ!」と続けられれば合格。あなたはパンク。
日本のブルーハーツってバンドはこの言葉を、「未来は僕らの手の中」と超訳して歌った。

この映画は再結成前に製作されたので、登場するライブの映像は70年代のレアなものばかり。
世界一美しいバンドのひとつである。そこらへんを考慮してか、インタビューを受けるメンバーはシルエットのみで登場(再結成もあれはあれでアリだとは思う)。
それにしてもジョニー・ロットンの美しさである。普段はシャイで孤独そうな青年がマイクを前にした途端、憎悪をむき出しで痙攣する。しかも若い衆に「自分も出来るんじゃないか?」と思わせた芸当は大したもの。
冗談じゃないって。あんなもんの真似なんかできるわけなかろ!パンクがどんなに過激化しようが、「一流のパンクロッカー」はロットン含め、ごく僅かである。
彼の言葉の切れ味は、白いモハメド・アリ。「パンクはこの15年で最も誠実な音楽だ。つぶせるもんか」。
ピストルズは当時「英国中の敵」であり、しかも矢面に立たされるのはロットンだったので、実際に右翼やチンピラから襲撃を受けたりしていた。
日々のストレスや恐怖は相当のものだったと思うんだけど、彼は自分の役割を自覚していたので2年強、『ジョニー・ロットン』として、がんばった。
勇気を持ってバンドの顔になり、そして勇気をふりしぼってバンドを脱退した。

そんでもってシドである。才能あふれる他のバンドメンバーと違い、どーにもならん木偶の坊。
今の目でみりゃ、普通にグレン・マトロックのほうがバンドマンとしてカッコいいと思う(シドの演奏スタイルには躍動感がない。コワモテ感はたしかに倍増)。
得意げに(バカ丸出しの)鍵十字Tシャツ着て、インタビュー中に耳糞ほじり、しまいにゃぐーすか居眠りをこく。
演奏よりジャンプするほうが重要で、ベースは客をぶん殴るためのものでもあり、作曲よりヘロインを溶かすほうが得意。
で、ブスのジャンキーを殺しただの殺してないだの、その辺もグズグズのままで早々に死んじゃったわけだが、ロットンにとっては親友であり、映画の後半、「あいつはジャンキーにしたくなかった」「こんなひどい話ってあるか?」と自分の誤算について恥じながら半べそをかく、「ジョン・ライドン」という大人がいた。

ここには登場しないが、「ピストルズのいかりや長介」マルカム・マクラレンの立場もあるだろうとは思う。
ただし彼は『グレート・ロックンロール・スウィンドル』で好き勝手やっていたので、これで相殺かと。
監督はどちらもジュリアン・テンプルであった。『ノー・フューチャー』はかなり良い伝記映画だと思う。
時折挿入される、寸劇やコメディのコラージュ以外は(あれ、すっげえイライラする)。
http://www.youtube.com/watch?v=qtbu59k88oo

 


ジョー・ストラマーの映画も観て、そっちも書こうと思ってたんだけど、次回にします。
あんまり長いブログはよろしくない。
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やさしいから好きなんだ




最近ろくなことがなくクサクサしているので、気晴らしに、っつー感じで『実演!淫力魔人 イギー&ストゥージズ』(@バウスシアター。爆音)』を鑑賞。
伝説の、ストゥージズ再結成ライブ。イギー・ポップは還暦を過ぎたジサマだが、相変わらずのハイテンションで暴れまくる。20年くらい前に中野サンプラザでの来日公演も見ているのだが、そのときもマイクスタンドをぶん投げ、アンプに体当たりなどしていたのだが、ジサマになってもまったくおんなんじことをやっておる。
ストゥージズの面々も太ったとはいえ、いつものメタル兄ちゃんたちのような弾き過ぎもなく、正しくヤクザにゴリゴリと『ロウ・パワー(素晴らしすぎる邦題が「淫力魔人」!)』の音を再現する。
捨て曲なし。イギーってのは最強かも知れぬ。ミック・ジャガーがエンターティナー、モーターヘッドのレミーが不動の魔王だとしたら、イギーは「聖なる俗」、先走り汁を撒き散らす、叫ぶ性器。しかも過激なだけじゃなくて、どこかしらチャーミングでもある。

何を持っているか分からない客の中に裸で飛び込んでいくというパフォーマンスを「40年以上」も続けているってことは、これほど自分のオーディエンスを愛している人もいないって話なんじゃないか。
若い頃より何より、今が一番声の艶がいいという奇跡。
『サーチ&デストロイ』のイメージが先行してしまうイギーだが、今回対訳つきで曲を聴くと「俺を抱きしめてくれ」みたいな、他者に救いを求めるような詞が多い。
パンクの雛形『ノー・ファン』だって、「ひとりぼっちじゃつまんない」ってことを延々と訴えているんである。

そういうことだったのだ。優しいから好きなんだ。僕、イギー・ポップが好きだ。

『アイ・ニード・サムバディ』『ペネトレイション』『ギミー・デンジャー』などの、タメの効いたヘヴィ・ブルースは、なかなかその辺の若輩者には出せない殺気。早いだけがパンクじゃない。
イギー本人が「俺はロックの一番面白い部分を最初の3枚でやってしまった」とおっしゃっていて、それがストゥージズなのだけど、このダーティーな音塊を当時の人々がどれくらい理解できていたのか。
パンク・ムーブンメントによって「元祖パンク」としてようやく脚光を浴びた彼らだが、このライブにおける『1970』は、1970年当時リリースされたそれを、更にパンキッシュに凌駕してしまっているという凄さ。
裸一貫、イギーが叫ぶ。
『ライトをつけてくれ!演出なんか糞食らえだ!お前らの顔が見たいんだ!』

ジェームズ・ニューエル・オスターバーグ・ジュニアとしての人生なら、もう年金生活をしているようなジサマが、「イギー・ポップ」として、今もステージで自分の体をバラバラにするようなライブを続けている。
イギーは、音楽的才能はちょこっとしかないかも知れないが、「ガキの頃に作った曲を、ガチで叫んで燃焼する」というロッカーにとって最も大事なことを、誰よりも大切に貫いている。

最近は3ピーススタイルのバンドが流行っているらしく、それはそれでソリッドでよいのだけれども、ボーカルがマイク一本で大暴れするバンドってやっぱり最高だなと、「淫力ジジイ」のライブを見て、改めて思った。
(一週間限定上映。お早めに)
http://www.youtube.com/watch?v=W_Xx40_wHpc&feature=related

姓は地獄、名は貴族(っぽい)



リチャード・ヘルはカッコいい。
まず名前がいい。渡世名を「地獄」と名乗るセンスがいい。従えたバンドの名は「ザ・ヴォイドイズ(からっぽ・抜けがら)」。イカれてる。
ルックスがいい。髪を逆立て(オレンジジュースやらビールやらでセットしたという説あり)、シャツを切り裂いたパンクファッションのオリジネーター。それを見て「これは使える」と、某・イギリス人山師が自分の子飼いのバンドに真似させたら大受け(多分整髪料は、使わせている)。
ジャンキーである。ロック界ではそれがクールな態度らしい。当然、クリーンな文学青年トム・ヴァーライン(テレヴィジョン)とのバンドは続かない。
ベーシストだが上手くはない。「俺のベースはヘタだ。それこそが俺のメッセージだ」と言い放つ態度はパンクである。
で、彼の代表作でありパンクロック名盤中の名盤とされる『ブランク・ジェネレーション』を聴いてみる。
ほとんどの人が「ん?んん?」と首を傾げると思う。あんまりカッコよくないからです。

妙にカン高いヘルのボーカル、いわゆるパンクには程遠い、緩いんだかひしゃげてるんだかか分からない演奏。ヤクザのようなハゲオヤジが放つ一発芸のようなギターが、なんとか全体を引き締めている。
タイトル曲に関しては「これは演歌」と言い切った人もいて、確かにそんな気がしなくもない。
いわゆるパンクロックというお手本抜きの、自然発生パンク。イギリスのパンクバンドはなんだかんだで突破口をあたえてくれたが、ヴォイドイズの音楽は袋小路。
真面目にコピーしようとしても、まずそれが間違ってるので、フォロワーが成立しない。一世一代のパンクロック。ファッションとイメージのみ、影響を与えまくったのであった。

ブックオフでリチャード・ヘル「アンソロジー」を950円で発見したので購入。
レアな初期シングル盤から90年代の「ディム・スターズ」まで収録されているが、一貫しただらしなさが光る。
(正直、ディム・スターズはいらないかなと思う。単なるアングラバンドのデモみたい)
ラストはテレヴィジョン・バージョンの「ブランク・ジェネレーション」で締められており、これはマニア的にはお宝アイテム。
なんだかんだでリチャード・ヘル&ヴォイドイズ時代が突出している。
テレヴィジョンのような構築美もなく(しかし、彼らも至って普通のバンド編成なのに、なんであんな音楽が出てくるのだろう?)、ハートブレイカーズのような高揚感もなく、ラモーンズのようなコミックさもなく、パティ・スミスのような気高い精神が宿っていたとも思えない。まるでそこだけ置き去りにされたような「個」である。
彼らが誰よりも勝っているのはハードコアがスポーティーに見えるほどの「やさぐれ感」であり、それをいい大人がグズグズと表現しているという一点のみ。それだけで十分パンクだと思う。
少年の絶望は暴れれば発散できるが、大人の絶望はそんな小手先では解消できない分だけ、タチが悪い。
ニューヨークのロックはインテリくさいとよく言われるが、要するにそういう事情なんだと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=Wyqmt8G5BiI

ダム道(どう)について考える



パンクとしてのあり方というのが昔から二通りあって、それは「ストレートにパンク・ロックをやり続けるのがパンクだ」という愚直派と、「パンク・ロックを封印して、新しいチャレンジを続けるのがパンクだ」という革新派。
どちらも正しいと思う。そしてそれらはいくらでも語ることができる。
そんな中で、ずーっと微妙な位置にいるのがオリジナル・パンク・バンドの「ザ・ダムド」だ。で、あんまり大真面目に語られたことがない。
彼らのファーストにして、パンク・アルバムとして一番最初にリリースされた『地獄に堕ちた野郎ども』は、それこそ地獄にまで持って行きたい名盤だが、パンクの古典であることと同時に、「パンクによるおちゃらけ」という表現方法を示した。
もともとあまり「怒り」を根底に置いていないゆえ、ボーカルのデイヴ・ヴァニアンは稚拙ながらも叫ぶより歌おうとしている。それでも怒涛のスピードで叩き出される『ニート・ニート・ニート』『ニュー・ローズ』などは、最高水準のパンク・アンセムだ。

ヴァニアンはデビューからベラ・ルゴシ風のドラキュラ衣装だし、キャプテン・センシブルは「バードスーツを着こなす」という特殊パンク・ファッションを生み出した。
作品はどんどんポップになって、80年代はお耽美ニューウェーブバンドとして大人気になったり、解散したり再結成したり、最近はまたハードなゴスバンドとしてリリースを続けている(らしい)。
要するに、振り幅が大きすぎてつかみどころがないんである。
狭義のパンク・ファンはファーストとサード『マシンガン・エチケット』でOKだろうけど、ゴスでニューウェーブな『ザ・ブラック・アルバム』や、やたらゴージャスな『ストロベリーズ』も実はイケてるのである。
ベストが多いのも彼らの特徴だけれども、どれか1枚としたら『ANOTHER GREAT CD FROM THE DAMNED』(ドイツ盤)を挙げる。これはしっかり「ストロベリーズ」期まで収録されているお得盤。
今ではだいぶコロコロしたおじさんになられたが、まだまだ現役で活躍中。のはず。

攻撃性の中にもポップさを内包していたのがオリジナル・パンクで、ほとんどのバンドはうまくなると同時に「優しく」なった。だが、ダムドなんかはポップになりつつもヴァニアンのゴスな美意識と、キャプテンのいちびりキャラをバランスよく維持してきたので、トータルなイメージがパンクだったりする。
眉間にシワ寄せ「ファック!」というより、黒皮手袋でバラなど持ちながら「アスホ~ル♪」とか言ってるようなイメージなんですよね。
もともと達者なバンドだし、ヴァニアンはコスプレがさぞ楽しかったとみえて、「メッセージ」なるものが完全に欠落していたところが、彼らの強みである。それにしても最初期メンバーによる、嵐のようだが「英国紳士」的にしゃれたプレイは、いまだに超える者がいないと思う。
http://www.youtube.com/watch?v=CQkXHKwgSbA&feature=related

らくちんコピペ日記

なんとなく落ち着いてきてはいるような気もするが、実はまだまだ先が見えない状況の中で思い出す、『ゴジラ対ヘドラ』(71年度作品。当時のアングラ風俗てんこ盛り。自分は「渋谷系ゴジラ映画」と呼んでいる)主題歌の歌詞は痺れます。

水銀 コバルト カドミウム
鉛 硫酸 オキシダン
シアン マンガン バナジウム
クロム カリウム ストロンチュウム
汚れちまった海 汚れちまった空
生きもの皆 いなくなって
野も 山も 黙っちまった
地球の上に 誰も
誰もいなけりゃ 泣くこともできない
かえせ かえせ かえせ かえせ
みどりを 青空を かえせ
かえせ かえせ かえせ
青い海を かえせ かえせ かえせ
かえせ かえせ かえせ
命を 太陽を かえせ かえせ

・・・・・・・・それはともかく、

パンクとは、「刑務所内での性欲のはけ口」(掘られ役)という意味もあるらしい。
まあ日本語のスラングでいうところの「アンコ」ですか、なんとなく語感も似ています。
パンク=ケツをまくる、という意味があってもいいと思う。
以下は怒れる女子パンク、『日本マドンナ』のブログからの抜粋。


だから私は死の衝撃の手をいつも引っ張り出しながら常に側に置いておこうと思う。死に慣れるのが大事なんでは無くて死を横に置きながら生きるのが大事なんだと思う。
私がエガチャンを好きなのも 彼はそれが出来ているからだと思う。子供がもし熱を出したらめちゃイケの収録に行けなくなる。だから俺は子供を作らないと言っていた事があったみたいだ。 そうやって人を笑わせる事に命を掛け常に全力なエガチャンは本当に 何時見ても最高だ。欠けている部分がない100パーセントを見せてくれる。
だから私もそれと同じ様に死を横に置きながら 常に全力で歌いたいと思う。死を横に置かないなんて駄目だ。死を横に置くと置かないんじゃ全然話が違う。力も違う。私はそれを今回を機に一層頭に叩き込んだ。
話しは変わり歌の話しになる。私は皆生きて、頑張れなんて歌は歌わないし歌いたくもないし 変わらず私の憎しみや悲しみやらを吐き出す歌を歌うだろう。死んじまえって歌うだろう。私の歌は世界平和やらなんか願わないし 元から人間や世界はバラバラだと思うから嘘も歌いたくないし(優しい錯覚の歌というのは本当は残酷だと思う) もう、こんななんだと現実を突き付けるような歌をあえて歌うし歌い続けるだろう。変わらない。だからこんなに嫌われてきたし 悪口も沢山言われてきた。でもそこから逃げて逃避ばかりしてるなんて私は嫌だ。私の歌は自分で思うのだけど崖の落ちるスレスレで今にも崩れそうな脆い部分 からの歌だと思う。言ってはいけないかもっていうのも歌っているから、危ないかもと思う事がやっぱりある。でも明日死ぬかもしれないし吐き出してないと便 秘みたいになって生きてる心地がしなくなって来るからやっぱり私は そこを歌う。それを歌うのが私の役目だと思うし。不謹慎なんて言われても仕方ないけど私にもそれなりの覚悟がある。私は自分の歌いたい事を歌います。宜し く。

世界はバラバラで一つのように錯覚したいだけ。ならば最初からもうバラバラで人は絶対一人なんだと私は言いたい。そう自覚してないと後からの痛みがキツいだろう。あんまりこうゆう毒みたいな声言わない方がいいのかもしれない。でも書きたいから書いとく。

生きてもないのに死んでたまるか

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