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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

すうさい堂は閉店しました。17年間ありがとうございました。

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ディフェンスは正しい!



アナログな考えというのは重々承知だけれど、やはり作品というものはパッケージ化されてなんぼだと思う。ダウンロードでは体の隅々にまでその「怨念」が行き渡らない。ちなみにアーティストに対し「ファンです。いつもユーチューブで見てます!」っていうのはそれ全っ然ファンじゃないですから!
たとえば昔の角川文庫版・夢野久作や春陽堂文庫版・江戸川乱歩なんかはそのカバーを見ただけで「全部欲しい!」と思ったものだよ。ものすごく禍々しいフェロモンを放っていたのだ。
個人的に同じにおいを感じるのは平山夢明大先生の著作で、怪談じゃなくて小説のほう。「彼岸系」というか、どれもこれもヤバい装丁ですよね。あとはやはり楳図かずお大先生で、オリジナル版はもちろんだが祖父江慎大先生がデザインした一連の単行本(小学館)が超超超カッコいい。

CDやDVDのパッケージも同じこと。紙一枚というなかれ。そこが「命懸け」であれば買ってしまうのが人情というものだ。
『フォーリング・ダウン』(93)のアートワークをご覧になって頂きたい。白シャツの会社員姿のマイケル・ダグラスが両手にそれぞれスーツケースとマシンガンを持っている。
「これはどういう映画なんですか?」と聞かれたら、「こういう映画です」と即効で返せる素晴らしいデザインである。
真夏。離婚した妻が引き取ったわが娘の誕生日。一刻も早く会いたいが、渋滞。そこで男(マイケル・ダグラス。後半でコードネーム「ディフェンス」と呼ばれる)は早速ブチ切れ、車を乗り捨てる。
公衆電話で電話をかけたいのでコンビニでコーラを買い、細かい釣銭をもらおうとするが、韓国人店主の言い値で買ってしまうと電話がかけられない。どうにかしてくれと頼む彼に店主は応じてくれない。
そこでディフェンスはブチ切れ、手元にあったバットで店内を滅茶苦茶に破壊する。
店を出たらカツアゲ目的のチンピラを返り討ちでボコボコにし、彼らのマシンガンを手に入れる。
お次はハンバーガーショップへ。朝食メニューを頼むが時間帯を数分過ぎているため「お出しできません」と断られ、ついマシンガンのトリガーを引いてしまう。
恐怖で固まる客たちの前で改めてメニューをオーダーすると、出てきたものが写真とまったく違うぺちゃんこなハンバーガーで、それに一言、「おかしかないか?」。
そしてハンバーガーショップを出た後、今度はミリタリーショップに入り、ネオナチでレイシストの店主とすったもんだのあげくバズーカ砲を手に入れ・・・という話。
荒唐無稽ではあるんだけど、彼を追う「その日が退職予定だった刑事」の好感度もあり、実に楽しく観られる。あまり評価されてはいないようだが、サスペンスというよりはブラックコメディの大傑作である。
しかもディフェンスはお店にはちゃんとお金を払っているので「そういう意味で事件性は無い」ってのが笑える。

ディフェンスの怒りは我々庶民が日常感じる不満なのだ。ちょっとしたものが高い、メニューの見本と出てきたものが全然違う、横柄な店主は最悪だ、etc。
さらに彼は予算消化のための無意味な工事現場を豪快にぶっ壊し、自分たちが楽しむだけのために広大な土地と緑を独占しているゴルフ会員のジジイたちに制裁を下す。これはもう「世直しヒーロー映画」である。
ラストは刑事との一騎打ちになるのだが、ここがものすごくいいんだな。名場面なので書きませんが。
「溜飲を下げる」というのは大事で、表現に触れてそれができるのならばベストなのだ。
それは人それぞれで、自分はこのような作品に触れるのが楽しいし、『男はつらいよ』全作がバイブルという人もいるだろう(たまにはそういう手合いも観てみればいいのにと言われそうだが、「下町に住む人に悪人はいない」みたいな性善説を延々押し付けられたら発狂しそうになるのであり、渥美清という人を特に嫌いになりたくもないので、スルーさせて頂く)。
もしもこの世に、恋愛小説と、友情マンガと、「魂が震える渾身の大作」映画と、「いつでもあなたを応援しているよ」系の歌しかなかったら、生きている心地がしない。むしろ死んだほうがいい。




淀川先生の名解説があったので貼っておきます。

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小粋な悲喜劇



『ブルース・ブラザース』(80)はいまだに世界中で人気だが、『狼男アメリカン』(81)はホラーファンには人気でも、一般的にはだいぶ忘れられた存在になっている。どちらもジョン・ランディス監督作品。
『狼男アメリカン』は変身シーンが有名だし今観てもすごい。なのでそこばかり語られがちなのだけれども、実は小粋なブラックコメディなんである。
サントラも、のんびりしたカントリーが多く使用されている。
イギリスを旅していたバックパッカーのアメリカ人二人が狼に襲われる。一人は病院に運ばれなんとか生き延びるが、もう一人は死んでしまう。が、彼は亡霊となって現れ「お前は狼に変身して、ぜってー人を襲うから、その前に自殺しろ」と忠告する。とはいえ担当ナースと恋愛関係になり、結構なリア充である主人公が死ねるわけがないので、忠告どおり狼になって殺人を犯してしまう。
そして亡霊は「だから言ったじゃんか」と姿を現すのだが、亡霊のくせに出てくるたび体が腐っていく。最後は原型をとどめておらず、つまり、ふざけているのである。
一番ふざけているのはポルノ映画館で自分が殺害してしまった人々とご対面する場面で、「ごめんなさい・・・」とシュンとするシーンには爆笑。っと、コメディなので細かいネタバレは厳禁。
「狼に変身してしまう男の悲喜劇」といった体で、あまり類を見ないタイプの作品。『ハウリング』はツタヤレンタルで復刻したのに『アメリカン』が手付かずになっているのはとても残念。こっちのほうが面白いのに。

少し前に『ブルース・ブラザース』を始めてまともに鑑賞した。
ダン・エイクロイドとジョン・ベルーシのコンビは歌もダンスも達者だし、登場する黒人ミュージシャンも超豪華。総額どれくらいのギャラを払ったのだろうか。
カークラッシュあり、ギャグあり、良質の音楽ありで非の打ち所がない。
ところがですねえ、自分的には全然、乗れなかった。
世界中から愛され続けている映画だし、ひねくれ者がちょっとくらい横槍を入れてもよろしかろうってことで真面目に書きますが、なんだろうな、「記号が回ってるとしか思えなかった」のである。
『狼男アメリカン』はジャンルこそホラーだが(グロテスクな変身シーンなんか絶対見られない、という方々もいらっしゃるだろう)おかしくも物悲しい、つまり有機的ということだ。
狼わんこ(実際のところそんな感じのデザイン)がロンドンの街なかで乱暴狼藉をおこしたのち狙撃され、死ぬときは人間に戻って全裸で横たわっているシーンには、哀愁があった。

ブラザースの二人はハット+黒スーツ+サングラスであえて記号化されており、アイコンとしては非常にわかりやすい。
そんな彼らがまきおこすてんやわんやの大騒ぎ(笑い)。その騒ぎの原因として「つぶされそうな自分たちを育ててくれた孤児院を救うため」という立派な理由がある。
というわけで「バカ映画査定としてはすでにマイナス」なのである。バカは過激に無意味にバカでなくてはならない!(というか、別にバカ映画じゃないのかな?)
ブラザースの命を狙って奔走するのがネオナチとカントリー・バンド。
「黒人音楽を愛する人間を白人至上主義の人間が狙う」という構図は皮肉が効いていていいのだけど、ネオナチの「自分たちの演説をコケにされたから」はまだわかるが、カントリーバンドは「自分たちがライブハウスに到着する時間を大幅に遅刻して、ブラザースにステージを取られてしまったから」という理由で、命のやりとりをするにはなんだかなあ、の甘あまさ。
しかも彼らをさほど「ワル」として描いていないから、記号が記号を追いかけているようにしか見えない。
ほどよく毒抜きした、職人的な百点満点の作品。つまりそれが苦手なのだなあ。嫌い、というより、苦手なんである。
続々登場するビッグ・ネームたちの演奏シーンは素晴らしいし、そもそもソウル・ミュージックにケチをつけるバカはいない。が、ソウルを至上のものとし、他ジャンルをバカにする手合いがたまにいるがそいつはいかがなものか?と思うけれども、それは自分が低位置にいるものに強い偏愛を抱いているからなのでしょうかね。


遺作がいちばんバカだった



人間には左脳と右脳の他に「ボンクラ脳」というものがある。これは無い人には無いのだけれど、左脳はほとんどないがボンクラ脳が異常に発達している自分のような者もいる。
映画のことばかり書いていますが、それは手にしたときに「これは・・・・ろくでもないぞ・・・」と思わせてくれるパッケージ・ソフトがCDや書籍より映画DVDが一番多いということであり、つまり脊髄反応であり、脊髄の中にも「ボンクラ液」が大量に分泌しているということです。
世界中で「やっちゃいかんと言われてることをやる」ことにシノギを削っているのがボンクラムービーなので、だから面白い。
実際に人が死ぬのはいろいろ大変だが、劇中で人が死ぬのは後腐れがなくてポップだ。無責任だからいいのである。映画が責任を持つべきは、死んでくれた俳優に対するギャランティである。

というわけで最底辺と言われているジャンル映画が「スラッシャー・ムービー」。
「スローモーションを多用した銃撃戦による残酷美学」などといった立派なものではなく、「大事なのは断面図です」というろくでもない作品群。「切株派」とも呼ばれています。
この辺を追求するときりがないので上澄みしか知らないのだが、一番好きなのは元祖であり「血糊のゴッドファーザー」、ハーシェル・ゴードン・ルイス。
殺人や怪物がどんどんリアルに派手になっていく時代に観た第一作『血の祝祭日』はストーリーもだるだるだし、ゴアシーンも「これが見たいんでしょ?あらよっと」と臓物をぶちまけてみせるだけという超・雑さ。(しかしこれは1963年の作品であり、ビートルズがまだ『プリーズ・プリーズ・ミー』だったわけで、まさに鬼っ子だ)
けれどもその「純粋な残酷さ」はまた違ったショックで、花形スターのジェイソンよりこちらのほうが好きだった。
後々彼も映画作りが上達して(とはいえレベルは低い)エンタメ度が増していくので、繰り返しになるが「純粋な残酷さ」では一番だと思う。
で、これに続編があります。ハーシェル・ゴードン・ルイス30年ぶりの復帰作『ブラッド・フィースト 血の祝祭日2』(2002)である。
いや、これはヤバい。普通に見ればクズ中のクズだけど、セルフパロディとして考えれば素晴らしいのではないか。
一作目に登場した、インディーズな邪教にはまって内臓お持ち帰りを繰り返した殺人鬼の孫がレストランを開店するのだが、やっぱり同じ邪教にはまってゴアゴアな惨劇を繰り返すというもの。
残酷シーンは人間ミンチやら顔面皮剥ぎやら頭蓋骨ギコギコやら肝臓つかみ取りやらで、さすがに60年代のホルモン屋状態よりは上達しており、「わしゃずっとこれがやりたかったんじゃー、ひゃっはー!」という楽しげな監督の顔が浮かぶ。ちなみに撮影している時点で75歳だったらしい。
そして本作は完全なコメディなのだが、ブラックコメディという高尚な言い回しをするより、「内臓コント」と言ったほうが的確か。
登場人物がみんなおかしい。キレキレっぽい刑事は死体を見るたびに吐いてるし、逆に相棒のデブ刑事はどんなグロい死体の前でもなにかしらモノを食っている(常におなかをへらしています)。
キレキレ刑事の婚約者のママは超・ざーますババアだし、主人公の殺人鬼は手袋の代わりに鍋つかみをはめて犯行を行う。鍋つかみハンドの手を窓に挟まれて落下し、泣きながら撤退していくシーンで爆笑。
殺される女子はみんな美人でみんな脱ぐ。あ、神父役でジョン・ウォーターズもちょっと出演。彼はルイス映画の大ファンなので、うれしかっただろうなあ。
というわけで観た事もないのに恐縮だが、『ツイン・ピークス』の世界に近いような気がする(翁がそれを意識していたかどうかはわからないけど)。サントラも怪しげなネオ・ロカビリーがどかどか使用されており、実にいかがわしくてカッコよい。
そして本作は是非、吹き替え版で鑑賞して頂きたい!日本の製作側も明らかにコメディとしてとらえているのでやりたい放題。
特にキレキレ刑事は全編、関西弁なんである。「わしがこの事件、解決したるさかい!」みたいな感じであり、凄惨な死体を前にすると「ムチャクチャやないかオエーッ!!」とゲロを吐く。ちょっと勇気を出して書くと、吹き替え映画としては最高傑作!
60~70年代の彼の作品を並べて一席理屈をぶてばそれなりに格好もつくのだが、これに関しては絶対無理なので「わっひゃー!」と楽しんで頂きたい。ラストは吉本新喜劇も裸足で逃げ出すくらいのグッダグダ加減です。
御大は2016年に亡くなったがきっと地獄に落ちて、いやいや、へんてこ映画監督やへんてこ映画ファンからの草の根的なリスペクトを受けているのだからきっと天国か。
だってハーシェルでゴードンでルイスなのだから。カッコいい名前だ。


見世物上等



超話題作『カメラを止めるな!』、行ってまいりました。吉祥寺オデヲンで昼間の部はチケット完売。平日のレイトショーでセーフ。でも満員。感想。面白いです。以上。
SNSでも自分が知る限りは、ネタバレを拡散している者は一人もいない。これだけ底意地の悪い連中がうようよしている世界をビシッと黙らせる作品の力はすごいと思う。
正直言ってゾンビパートはかなりお粗末。インディーズとはいえこれで終わりだと金返せのレベルだけれど、そのあとが重要。予告編でも触れられているから書いてしまうが、実はゾンビ映画ではないのだ。
「これは家族愛の映画だ!」とぶち上げた記事もあったが、正直そういう見方は白ける。なんでそんなにちゃんとしようとすんの。「最高のコメディ」でいいんじゃないか。
ここがこうなってリンクするのか、という映画でしかできない表現がお見事。実際なんでもないシーンで笑っている観客がいる。リピーターなのだ。
特に「お前の人生は全部嘘っぱちなんだよ!!」からの展開が心捉まれる。映画を観た人ならわかると思います。よろしくでーす。
が、最近、原作者と名乗る人が現れて一悶着あると聞く。「原案じゃなく原作とクレジットしてほしい」と。
とある劇団の舞台がオリジナルなんだそうな。
事情はわからないが、映画を観た限りでは「映画でしかできない表現のオンパレード(ここを書くとネタバレになる)」なので、俯瞰で、つまり「ワンカット」で見せる舞台とは全然別物になってるんじゃないか。な。という。気がするんだけれども。

ともあれ「ゾンビ」をテーマにこれだけ多くの人に愛される作品を作ったってことがすごい。あ、韓国の『新感染』も愛され系のゾンビ映画でした。
そうなると本来の陰惨なゾンビ映画もやっぱりいいよな、と思い始めるのが人情。「今までとは違うゾンビ映画」という発想も、世界中が延々と、しょうもないゾンビを作り続けてきた累積の結果なのだ。
自分の一番のトラウマは昔、深夜テレビで観た『サンゲリア』で、これが多分、最初に腐乱ゾンビを登場させた作品だと思う。公開当時は「ショック死した人のためにハワイにお墓を用意しました」と宣伝されたとか(もちろん嘘っぱち)。
イタリアの残酷王ルチオ・フルチの作品は他にも『地獄の門』『ビヨンド』『墓地裏の家』『ザ・リッパー』など、具体的に書くと汚らしいのでやめておきますが、「何すかそれ?」で終わってしまうホラーも多い中(特に「自撮り系」)、「とにかくなんだかすごいことがおこっている」という点で、ホラー映画としては百点なんである。
デタラメだし意味もメッセージもないんだが、たまに観ると頭の中をドブさらいしたような気分になる。
「映画は芸術か見世物か?」という極端な問いには絶大なる自信を持って「見世物だ!」と答える立場を取りたい。極論ではあるが、すべての表現がそうであってもいいと思う。見世物で悪ければ「カブキモノ」だ。
お前の内面的メッセージなんて知ったことか。体を張って何か面白いことをやってくれ。

シネフィルの方々は「昔のホラーには優雅さがあった」とおっしゃるのだろうけど、今や残念ながらベラ・ルゴシから恐怖の本質は感じられない。ただもう、圧倒的にエロティックでカッコいいのだが。
恐ろしいのはやはり極悪非道な殺人鬼であり、隣に住むサイコパスであり、群れをなして襲うクリーチャーであり、原因不明の伝染病だったりする(ゾンビってジャンルとしてはこれなのかな?)。
そして我々はそれを観てサッパリする。なぜか。見世物が好きだから。
仮にゴア・エフェクトが存在しなかったら、あるいは禁止されたままであれば、いまだに映画は「ウッ、バタッ」で人が死ぬ。これを「犬死に」という。
立派な賞をとった名作や大ヒット作にも少なからず残酷描写がある。それを一応多くの人が受け入れているのは、知らず知らずのうちに「そういう表現」あるということに慣らされているから。
つまり不気味で下劣で道徳的に問題があり、人道的配慮に欠け、女性蔑視的であり、人間不信を煽り、青少年に不健全な影響を与え、いたずらに刺激的なだけの、掃き溜めを集めたポリバケツの上に「ちゃんとした」作品郡が輝いている。もちろん地均しされているので、ポリバケツは普通に人には見えないが(それを掘っているのがぼくらです)。

『スリー・ビルボード』も『デトロイト』も『シェイプ・オブ・ウォーター』も観た上で「でもやっぱり、ブラッドサッキング・フリークスやヒルズ・ハブ・アイズは最高だ!」と言いたい。
つまりええと、『カメラを止めるな!』はホラーではなくコメディだということです。
それと拙作の短編ゾンビ映画の上映会が9月5日にあります。以下のアカウントで告知されるはずです。さりげない宣伝がカッコいいなあ。
https://twitter.com/uktheater


アジアン・ゲットーのウェストサイド・ストーリー



池袋新文芸座にて『(秘)色情めす市場』(74)鑑賞。
いろいろな人が触れているとおり日活ロマンポルノの大傑作。個人的には「究極の夏映画」であります。
「夏はイベントや出会いの季節!ちょう最高!!ファンファンふぁんFUN!!!!!」と浮かれた人々を尻目に地下に潜んでいる者からすれば、この作品の「とにっかく、だるくて、かったるい・・・・・くそったれが!」というムードに心を持っていかれる。もし季節が冬だったりすると、内容はウエットになるだろう。くそ暑い夏を描きながらも、そのテイストは徹底的に醒めていてドライだ。

ヒロインの芹明香が最高。決して美人ではない。X-JAPANのTOSHIに似ている気もする。
サイドストーリーに登場する宮下順子のほうが今みてもかわいいしエロい。が、この映画の主役は彼女には向かない。
モノクロで撮影された70年代の西成を、安っぽいワンピースの芹明香(役名・トメ)がふらふらと歩くだけで心が奪われる。最底辺の売春婦がとんでもなくカッコよく見える。
トメは母親(花柳幻舟)と弟と暮らしている。が、ママはいい年した同業者。弟は知的障害者。なかなかえぐい環境だが、タフな彼女にとってはそれが日常。
自分の常連をとったとられたと親子喧嘩を始めたりする。この辺が関西弁の妙なのか、ふたりのディスり合いがすこぶる可笑しい。最低最悪の状況を描いてはいるのだが、実はコメディでもあるのだ。しかも素晴らしいことに「人情」なんてものが一切入らない。
西成を統括するピンプ親父もゲスくて最高だし、彼に翻弄されるカップルも、・・あっこの作品のダッチワイフの使われ方は世界最高です。あぶないあぶない。
ただし、潔癖症の人は正視に耐えないかもしれない。当時の売春宿にシャワーなんかないし、なによりも「使用済みコンドームを手洗いして干して再利用させる」という仕事をしているおっさん・・・・これ以上最低な仕事は私、みたことがないです。

とにかくゲスい場面、ゲスい会話、ゲスい人間関係が延々と続くのだけど、まったく目が離せない。
(ただ、「指名手配と間違われている男とトメのストイックなエピソード」があって、それがこの作品の中の唯一の良心)
やはり、「ウチはここがええんや」という、トメの達観した視線によるところが大きいのだろう。「生ゴミの上より紙クズの上に座ってるほうがマシやろ?」といったような(そんなセリフ、ないけども)。
「パンパンであること」が、まったくコンプレックスじゃない。それは、自分は、そういうものだから。
江戸時代の太夫よろしく、客の男にもまったく媚びず。

ドブに顔をつっこまれ続けるような内容だが、自分は大好きなのであって、キラキラしたSFやアメコミヒーローものが基本的に苦手なのも、そんな嗜好によるのかも。
ドブ水から顔を離した瞬間に「あはははは」と笑ってしまうこともあるわけで、この作品を観た後は本当に爽やかな気分になる。現在、風俗産業に従事している皆様も鑑賞されたらよろしかろうと思う。
「NINPHOMANIA BITCH MARKET」なる英題を思いついてしまった。



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HN:
すうさい堂主人
性別:
男性
職業:
古本すうさい堂
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