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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

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恐るべし韓国ゾンビ



今年の映画初めは早稲田松竹@高田馬場。『新感染 ファイナル・エクスプレス』『ソウル・ステーション/パンデミック』という韓国ゾンビ映画二本立て。
最近、韓国映画にはまっている。「おばさんよろこび金撒き散らす」方面ではなく、いわゆる血みどろ暴力映画。近作の邦画では『アウトレイジ』シリーズがバイオレンス表現の最高峰だと思うのだが、韓国映画はなんと「あれくらいで普通」なんである。さらに極悪非道なトッピングを振りかけた作品がゴロゴロしている。
まだ十本くらいしか観ていないので掘り甲斐がある。ヤング風に言うなら「マジ卍」です。
そのうちつらつらとまとめようと思っているのですが(このブログは自分の頭の中を整理するためにある)、とりあえずヨン・サンホという監督のゾンビ映画が素晴らしく面白かったのである。
ゾンビ映画というとジョージ・A・ロメロに連なる本流もの、パロディや凝った設定によるギミックもの、ひたすらグロい俗悪ものの三つに分けられると思う。
ちなみに俗悪ゾンビはダメだとは言ってない。それらも映画でしか出来ない表現なので、それはそれでアリ。
代表格はイタリアのルチオ・フルチ。御大の「だいたいこの辺がおっかないのだろ?」という当たりをつけるセンスが観客の感性の斜め上くらいに行ってしまっているので、やはりそれも才能。
御大は仕事としてホラーやスリラーやマカロニ・ウェスタンなどを作る職人監督で、「出来るもんなら何でも作るよ」という深夜食堂みたいな人なんである。完全に破綻してる作風も含めて最強。
で、『新感染』なのだが、もはや散々使いまわされているゾンビを扱って「まだこんなに面白い映画が出来るのか!」という感動がある。
面白いゾンビ映画というとパロディ系が多くなってしまう昨今だけど、これは直球。

離婚した母親の元へ娘と共に特急列車で向かう父親。そこに一匹のゾンビを乗せてしまったことから始まる、お馴染みの感染パニック。
しかし「密閉された空間における大殺戮映画」はいつの時代も観ていて楽しい。
父親はファウンドマネージャーで、それだけでもあこぎ感は充分なのだが、とにかく自分と娘だけは助かろうとする。そこに身重の奥さんを連れたブルーワーカーのおっさんが絡む。さらに若い野球チームも絡む。
バス会社の社長も自分だけは助かろうとする。もちろんみんな助かりたいので、後々ドロドロの人間模様に発展。
ロメロ版ゾンビは豪華なスーパーマーケット篭城生活も描いたが、こちらは止まらない列車なので、ひたすら余裕がない。命からがら安全な車両へたどり着いた父親たちに向かってバスの社長は「こいつらは感染しているかも知れない!隔離しろ!」と言う。一見非道だが、実は冷静な判断であったりもするのだ。
で、一応は安定を確保した車両ではあったのだけれど、、うわーこれ以上は書けないよう。
父親、おっさん、ヤング野球選手が結託してゾンビ列車からサバイブしていくのが見所だが、おっさんの武器がなんと「素手」なんである。豪腕!この辺が韓国。
そして本作のゾンビ軍団は全力疾走で襲ってくる。昔は「走るゾンビなんて」と思っていたけど、それもまあまあスタンダードになると、今更ブーたれるのも無粋というか、問題は「面白いか面白くないか」だ。
この手の映画としてはグロさも控えめだし、あっと思わせるラストも含め、極上のエンターティメント。
韓国初のゾンビ映画とのこと。でもこれが最高傑作の可能性高し。




『ソウル・ステーション』はアニメーションでゾンビ・パニックを描く。『新感染』の前日談。
アニメでゾンビってどうなんだ?という疑問符は完全に吹っ飛ぶ。その辺の実写ゾンビ映画を軽く超えてます。
ヒモの彼氏とケンカ別れした主人公の女子が夜をさまよっている時にゾンビ騒動が起こり、たまたま一緒になったホームレスとどこまでも逃げて行く。それを探す女子の父親とヒモ彼氏。
粗筋はそんな感じ。しかし、ホームレスやデモ隊がどこまでも追いつめられる荒涼としたムードは本当に陰鬱だし、まさかのバッドエンド!である。「あったかさ」を感じられる『新感染』とは真逆の作品と言っていいと思う。
二本セットの鑑賞をおすすめしたい。どっちが上とか下ではない。


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最低男の最悪美学



ATG制作の『TATTOO〈刺青〉あり』(82・監督/高橋伴明)を久々に観た。
やはり最も印象に残っていたシーンは昔と同じで、えーっとバカみたいだけど書いちゃっていいすか?、主演の宇崎竜童が一度実家に逃げた嫁(関根恵子)を連れ戻し、食事させるシーンだ。
「栄養あんねんから」と、レバと納豆となんだかんだをバターで炒めた不気味なものを出す。くっそ不味そうである。嫁はほぼ箸をつけられない。
その後、帰宅した関根は袋のチキンラーメンを作ろうとするが、宇崎が「栄養がない!」と、もぎとってしまう。
関根はそれを奪い返し「うちはこれが食べたいんや!」と床に腹ばいになって茹でる前のチキンラーメンをぼりぼり食う。
「うちが稼いだ金や。なに食べようと勝手やろ(正論でございます)」と吐き捨てると、切れた宇崎が関根をボコボコにする、というかなりしょうもない展開。
このボタンの掛け違い。よかれと思ってやってるのに結果は最悪。主人公の人生を象徴しているように見える。
彼の名は竹田明夫。「梅川昭美」という実在の人物がモデル。
日本の犯罪史上、恐らく最も凶悪な銀行強盗である。
以前にもブックレビューでここに書いてます。お暇な方はどうぞ。

http://suicidou.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AC/%E5%9C%B0%E7%8D%84%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%83%83%E3%82%B3%E3%83%9E%E3%83%B3

この作品の特徴は、制作に関わった人々すべてが梅川昭美に対してかなり「寄せている」ということ。
少年期から事件までの彼の人生をフィクション交えつつ丁寧に描いている。明らかに何がしかのシンパシーを感じている風だ。プロデューサーは井筒和幸なんですね。
タイトルは竹田が胸に入れている薔薇と虎のタトゥーのことで、冒頭に「こわ(く)見えたら何でもええんや!」と、刺青を彫るシーンがある。
(刺青師を演じるのは泉谷しげるで、他にも原田芳雄、植木等、ポール牧などゲスト出演が豪華。主題歌は内田裕也の『雨の殺人者』。思いっきり、寄せてるなあ)
で、これをチラ見させ、借金取り立てなどのこわい系の仕事を請合う。しかしこの程度の墨でビビらせることが可能だったのだから、平和な時代でもあります。
母親は息子を溺愛している。「30は男のけじめ」と固定観念を植え付ける。
息子は母親思いで(マザコンと言ってもいい)、母の教えどおりに30で「でかいこと」をやるのだが、それがかなりムチャな銀行強盗だった。
本人にとっては「でかいことをやる」のが最大の目的で、結果はどういでもいいと思ってるような節がある。
こう書くとあれですが彼にとっては「自己表現」だったのだろうか。少なくとも制作陣は「その意志」に共感する部分があったのではなかろうか。
事件そのものはカットされている。やらかした行為があまりにも残酷でえげつないからか。そこまで描くと「悲劇のヒーロー」じゃなくなるからか。
母親思い+大志ありという図式に「銀行強盗」をかけたら、すべてがゼロになった。あ、マイナスか。

関根が新しい男を宇崎に紹介するシーンがある。男は「鳴海」と名乗る完全なヤクザで「そのうちでかいことやったる。新聞でおれの名前を見つけたら友達って言ってええで(だったと思う)」と宇崎に告げる。
多分モデルは山口組の抗争で有名なヒットマン「鳴海清」じゃないだろうか。この二人が出会ったというのは映画的な演出なんだろうけど。
そして宇崎はセフレみたいなつきあいの女の子にまったく同じセリフを吐く。きっと「カッコええな~」とか思っちゃったのだろう。
ラストは夜行列車のプラットホームに、息子の遺骨を抱えた年老いた母親が降りる。
そして、事件のときに気取って身につけていた息子の形見である「ハット」をかぶる。そこに流れるのが宇崎竜童歌唱による『ハッシャバイ・シーガル』。
凶悪犯罪者を完全に美化しすぎである。が、そこは映画なので。めっちゃ感動します。
女性はまったく受け付けないだろうと思います。男泣き限定作品。


滋養としてのビッグ・リボウスキ



今年、地味にはまったものとして「洋画コメディ」がある。DVDスルーがやたら多くて日本人にとっては一番馴染みがない上、パッケージやタイトルを見ても煽りが少ないので、それが面白いのかどうかわからんのである。
コメディ棚の半数近くはラブコメ、という偏見もある。こちとら、一本筋の通った、頭のネジが何本か抜けた、ビッとしたバカが観たいわけで、恋愛でほわんほわんになった男女なんてどうでもよろしい。
大傑作『スーパー!』で感動したあたりから手を付け始め、『スーパーバッド 童貞ウォーズ』『ズーランダー』『ネイバーズ』『ジャッカス・ザ・ムービー』『クソジジイのアメリカ横断チン道中』『チームアメリカ★ワールドポリス』『サウスパーク無修正版』『シリアル・ママ』『バス男』『俺たちニュースキャスター』『ホットファズ』『宇宙人ポール』『ゾンビ処刑人』等々(ここにあげたのはすべて名作)、ちょいちょいつまんでいる。
近作では大学の新入生がただ遊んでるだけという驚愕の内容『エブリバディ・ウォンツ・サム!』がある。ああ、まだソフト化されていないようですが、『俺たちポップスター』は恐らく今年最強のバカ映画。
これらに出ているバカたちは最高。しかしこのバカを堪能するためには自分のアンテナを張っていないといけない。ぼうっと観ているとバカの洪水に流されてしまう。日本のように親切な「ツッコミという防波堤」がないからである。
(まあ本当に好きなのはコメディ棚にないコメディ、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』や『ペイン&ゲイン-史上最低の一攫千金』、イーライ・ロスの『ノック・ノック』だったりする)
で、遅ればせながらコーエン兄弟の『ビッグ・リボウスキ』(98)、これ、大好きだ。

通称「デュード」と名乗る主人公のリボウスキはある晩、暴漢の襲撃を受け、カーペットにシッコされる。
彼らは大金持ちのビッグ・リボウスキと勘違いしていて、ビッグの嫁さんの借金を取り立てに来た。
翌日、デュードは「敷き物をダメにされた」とビッグの家に抗議に行くのだが追い返される(この後彼はなにかにつけて「敷き物が~」「敷き物が~」と繰り返している)。
その後ビッグの妻が誘拐され、彼はデュードに身代金の引渡し役を頼むことになる。
主人公デュードは無職の無精者(ファッションセンスが最高)だが、彼が一番バカかというとそうではなく、更なるバカがうじゃうじゃ登場する。というか、デュードが人間的には一番「まとも」なんである。
特にベトナム帰りのデブ・ウォルターのバカっぷりがすごい。こいつがいらんことをするため、デュードはどんどん窮地に陥っていく。
いちいちコメディのギャグを拾っていくのも無粋なんだがひとつだけ、ラスト近くで死んでしまった友人の遺灰を受け取るところが最高。
壷が高くて買えない。しょーがないからコーヒーショップの缶に入れてそれを引き取り(ぶはは)、盛大に撒くのだが逆風の海風が吹いてデュードは全身灰かぶり、という不謹慎なギャグに爆笑した。
この映画のアクセントはボーリング。デュードたちは怠け者でバカだったりするが、ボーリングだけはストイックに真面目なのだ。そしてボーリングをデフォルメした世にもバカバカしい「受精シーン」は必見。
音楽の使い方もかっこいい。音楽に目配せできる監督の作品はだいたいとんがっている。
恐らくユダヤ的にはいろいろな含みがあるのだろうけど、それが一切わからなくても面白い。なぜなら、パーフェクトなバカ映画だからである。
コーエン兄弟が得意とする、「勘違いが勘違いを呼んで事態がますますひどくなる犯罪劇」をコメディに仕上げたものだが、寅さんにも森繁先生にも興味がない自分にとっては、年末に観る映画としてはなかなかハートウォームであった。

バカ映画をなめてはいけない。なぜなら邦画においてこれらに匹敵する「バカ映画」を何一つ思いつかないから。北野武も松本人志も大惨敗であった。
キャストを厳選し、頭を回転させて最高のくだらないギャグをひねり出すのが「バカ映画」なのであって、そう考えると日本ではほぼ無理なんだろう。
真面目な話、バカ映画は心の滋養である。


いじめ撲滅!「キャリー」と「デビルスピーク」



『キャリー』(76)を観ていま思うことは、いじめの最終形態として「バケツいっぱいの豚の血をぶっかけられて血まみれにされ、その様子を大笑いされる@プロムナイト」というシーンが、一番エグいということ。
そこでキャリーの超能力が爆発して、会場にいた者たちに襲いかかるのだが、「ホースで放水」というのがやられたことに対しては、ちょっと手ぬるいなあと思う。実際には女優の一人が水圧で鼓膜が破れたという事故があったというけど、それはあくまでも裏話。
このシーンは画面が二分割になっているが、監督のブライアン・デ・パルマいわく「あれは緊張感がなくなって失敗だった」と振り返る。そこが一番有名なんだけどな。ははは。
ただ、血まみれで仁王立ちになりながらも目を見開き、制御不能のパワーを放ち続けるキャリーはカッコいい。どれくらいかというと、昔あったホラーマンガ専門出版社「ひばり書房」のカバーと同じくらいのカッコよさである。

クロエ・グレース・モレッツ主演のリメイク版(2013)もある。
キャリー役がクロエちゃんなので、初代の姐さんに比べてかわいさは格段にアップ。なにせ初代のシシー・スペイセク姐さんは当時25才だったらしい。
演じるのは17才、と。
かなり忠実なリメイクで、「生理を知らない」キャリーにいきなり初潮が始まって、シャワー室で泣きながら同級生に助けを乞うというシーンもちゃんと再現。
同級生たちは嘲笑しながらキャリーにナプキンを投げつける。リメイクではこの騒動をスマホで撮影し、ネットにアップするという、実に現代的ないじめが加えられた。
血まみれにされたクロエ・キャリーも同じように念動力を放つが、オリジナルの自己制御不能パワーではなく、「狙った獲物は逃がさない」と、標的を次々にぶち殺していく。さすが元ヒットガールである。
仕掛け人のカップルも派手に成敗。なぜか評価が低いけど、なかなかいいリメイクだと思うのだが。
虐げられた者がリベンジして降らせる血の雨はいつの時代も最高。
そして両作品に共通しているのは「宗教キチガイの痛いお母さんを持つと子供がたいへん」ということだ。



映画のことばっかり書いていますが、本を読むより映画を観るスピードのほうが圧倒的に早いのだからしょうがない。
ちなみにこのブログは自分からの「おすそわけ」。こんなのありますよ、ということなのだが、まあ、知ってても知らなくてもどうでもいいようなことばっかりだな。閑話休題。
で、同じテーマで『キャリー』より好きな作品がある。『デビルスピーク』(81)だ!
陸軍士官学校に通う両親のいない少年、クーパースミスは成績優秀なのだが、同級生や教師からもバカにされている。「いじめ」というよりはコケにされている、というニュアンス。時には屈辱的ないじめも受ける。これが毎日。逃げ場のない青春。
ある日彼は悪魔復活のマニュアル本を入手し、当時のコンピューターを駆使して、その方法を解読しようと苦戦する。
屈辱的な日々は続く。気にかけてくれるのはマイノリティである黒人の同級生と、一見こわもての専属コックだけ。
コックから体の弱い子犬を譲り受け、犬が彼の唯一の友となる。のだが、いじめ連中たちが面白半分に子犬を殺してしまう。そしてクーパースミスの怒りが爆発!観てるほうの怒りも爆発!
クーパースミスのリクエストに応えて復活した悪魔は、彼に憑依する。
クーパーの顔に狂気が宿り、髪が総毛立ち(若ハゲ全開!)、魔剣を手にして宙に浮かぶ。
そこからは豪快な首チョンパ大会!胸がすくとはこういうことだ!がんばれぼくらのクーパースミス!
学校で飼っている黒豚軍団も手先となって「ブーブー!(おれらもがんばるよ!)」とクーパーを援護し、首チョンパを免れた者は豚さんに食われるのである。世の中には立場が逆になることもある。
(あ、ちなみに悪魔の本をパクろうとした学校の美人秘書も、バスルームで全裸のまま黒豚さんたちに食われる。パクリとかはしちゃいかん、という教育的指導だ)
「クーパースミスは復活する」と悪魔から太鼓判を押す声が流れ、映画は終わる。いじめられっ子であった彼は最高のケツもちを得た。これは、ハッピーエンドである。

とにかくいじめはダメだ。昨今のいじめがエスカレートしているのも、「因果応報」という話を知らなすぎるからじゃないか?という気もする。
民放も『キャリー』や『デビルスピーク』のようないい映画を放映しなくなったから、ガキどもにトラウマが直撃する機会がなくなってしまったのである。
そしていじめられている子達は、悪魔でもなんでもいいじゃない、何か生きる糧を掴むことだ。
自殺する決意ができるんだったら、学校の窓ガラスでも派手にぶっ壊して、卒業までしれっと居座ってやればいい(死んじゃったら教育者たちはどーせ「いじめはなかった」とか言うんだから)。
それなら誰も傷つかないし、「あいつ狂ってる超やべえ」と誰も近づかなくなる。超クールだ。

イレイザーヘッド=バス男



はい、お疲れ様です。店のことで書くことは何もありません。
リニュウアルオープン前に新宿をふらふらしていたら「デヴィッド・リンチの映画」なる催しを発見。
引き込まれるように『イレイザーヘッド』(77)を観てしまった。VHS(ダビングして観まくった)での鑑賞以来だから本当に久々だったのだが、まずモノクロ映画としての「画面の暗さ」がすごいなと。話の暗さももちろん、画面が停電しているかのように真っ暗。
奇形の赤ん坊を置いて嫁が家出してしまったので、一人で育てるはめになってしまった男が見る鬱々とした幻想を映像化したもの、といえばもっともらしいのか。
ウサギの丸焼きがモデルとも言われている赤ん坊はグロテスク。しかも普通の赤ちゃんと同じように泣くので、二重の意味でグロい(東京コミックショーの「レッドスネークカモーン状態」で操作しているのがバレバレ、ではあるのだが)。
延々と悪夢が続く。が、時々笑っちゃうブラックジョークみたいなものも放り込まれ、「はずしの美学」はこのデビュー作ですでに確立。
とはいえこの悪夢は大変魅力的なので、吸い込まれるように何度も観たくなる。変態上等である。
首チョンパされた主人公の首が格子模様の床に転がって、血(?)が流れ床が真っ黒になっていくというシーンはカッコいい。センスがあるナンセンス。
登場するキャラとしては、頬に肉腫をつけた女性(「こぶ子さん」と命名)が強烈。こぶ子さんが上から降ってくる蛇だか寄生虫みたいなものを靴でぶちゅっと踏みつけ、はにかんで笑う。リンチの世界以外ではあまりお目にかかれない類のエグさである。
主人公はこぶ子さんに抱擁され、内心は「あんまタイプじゃないんだけどなあ」と思っているのかも知れないが、強烈な閃光に包まれて映画は終わる。
初見は強烈な「なんだこりゃ?」である。果たして映画は終わったのか?
答えは暗闇に沈殿していくのみなので、その真っ暗闇にはまった者は何回もリピートして「終わり」を終わらせない、元祖カルト映画。
しかし、初めてスクリーンで観られてよかったなあ。




これに近い感覚を覚えたのがどういうわけかコメディの『バス男』(2004)。
原題は「ナポレオン・ダイナマイト」。観ればわかるんだけど、ものすごく浮遊感に溢れた不思議な作品な
んである。
想像するに、買ったはいいが「これどうやって売ったらいいんだ?」と頭を抱える宣伝マン。最初に主人公がバスに乗るシーンがあり、当時「電車男」が流行っていたのでここを見た彼が「じゃあ・・・・バス男?・・・ダメ?・・・・あ、オッケーなの?マジで?」みたいなノリで付けられてしまった邦題だと思われる。今は元に戻ったみたいだけど、レンタル店には『バス男』で置いてあります。
主人公は天パーで常に口が半開きのキモいメガネ男子。「理想はメガネ男子」などとのたまう女子に冷や水をぶっかけるようなキモさだ。
彼の名前がナポレオン・ダイナマイト。このトンデモな名前に対してのツッコミが一切ない。全編を通して「ツッコミが一切ない」コメディなんである。
洋画コメディとはいえ普通ならば女性キャラが「あんたバカじゃないの!」という感じでツッコミ役になることが多いけど、この作品にはそれが一切、まったくない。
イレイザー男もナポレオンも「外国人はカッコいい」という愚直な憧れをぶっとばすルックスでありますし、「ツッコミ皆無」という部分も二作品の共通点だと感じるところ。
どこかの薄暗い工業地帯とアイダホの高校という、極端に違う舞台ではある。

ナポレオンはスクールカーストでも最下層ではあるのだが、体育会系の連中からのいじめもぬるいし、ひきこもりの兄貴も変だし、チャットで知り合った兄の黒人の彼女もなぜか大恋愛で変だし、セールスマンの叔父も微妙に変だし、女子とのつきあいも動きそうで動かないし、とにかく「何とも言えないへんてこ」な日常がずるずる続いていく。
唯一の友達はメキシコ人の転校生・ペドロだけど、こいつも意味不明に変なので、ツッコミのない漫才を聞かされているような気分になる。
特にペドロの「頭が熱いんだ」「熱さがおさまらないので坊主にした」「でも恥ずかしいからフードが脱げない」というわけのわからない流れは日本人にとって「それ、ギャグなのか?」と思わざるを得ないのだが、まあだいたいそんな感じです。あと「牛乳当てコンテスト」も全然笑えない。
とはいえこの「笑うに笑えないコメディ感覚」とか、「日常と非日常がものすごくぼやけたラインで交錯するムード」が、イレイザーヘッド的だなあと、感じる所為。
とにかくバカにされているナポレオンですが、最後に彼の隠し持っていた特技で、学校中から喝采を浴びる。ハッピーエンドで終わるのは全然違うか。こぶ子さんも出てこないし。
吹替えの声もちゃんとキモくてそちらもすごくいい。


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古本すうさい堂
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