先日、ラピュタ阿佐ヶ谷にて『東海道四谷怪談』(64年)を鑑賞してきたのですが、スクリーンだとさらに禍々しさが増して大変よろしい。
「モラトリアム侍のイエモンが悪党の町人にそそのかされてピュアラブな嫁(お岩さん)とエロ按摩をいっしょくたにぶっ殺し、どんどろとギミックたっぷりに復讐される物語」と書くと身も蓋もないが、個人的には『ゾンビ』『悪魔のいけにえ』と並ぶ、ホラームービーのベスト3であります。
実は九月中、ここに結構通っていた。ブログがめんどくさくなっていたので一切書いていなかったのだけど、一応備忘録でもやっておくかと、今頃のそのそと記す。
ちなみにこの劇場は「映画をたしなむ」という気持ちで向かうのがベストだと思う。
『ギャング対ギャング』(62年)は、石井輝男監督のギャング映画。組織に裏切られたヤクザ(鶴田浩二)が、「プランナー」なるおっさんをブレーンとしたチームと組み、組織から麻薬を強奪しようとする。
和製ギャング映画が好きなんである。「ヤッコさん、おいでなすったぜ」「さっさとアバヨをしちまいな」みたいな、キザったらしいセリフがいい。
三田佳子がかわいいなあ。あ、タイトルのフォントの筆圧が強すぎて「ギヤング対ギヤング」になってた。
『七つの弾丸』(59年)は、銀行強盗(三國連太郎)が実行に至るまでの経緯と、彼の被害者となる人々の日常を交互に描いた社会派。このような構成を遊んで編集すると「パルプ・フィクション」になる。
『拳銃(コルト)は俺のパスポート』(67年)は、宍戸錠主演の殺し屋映画。ひとを殺す職業はあまりおしゃべりをしません、という基本路線に忠実。手足の長いジョーさんは黒スーツが決まる。本人もかなりお気に入りの作品とのこと。
『悪女』(64年)は、小川真由美&緑魔子という「二大悪女女優」がバーサス!いろいろとグチャグチャしている富豪一家に派遣されたメイド(小川真由美)。底意地が悪くて終始プリプリしていてレズビアンのお嬢様(緑魔子。しかし、いいところがないなあ。でも、いちいちキャンキャン吠える感じがビッチかわいい)にイビられながらも持ち前の純朴さでがんばるが、長男の梅宮辰夫に中出しされて妊娠。
産ませて下さいと一家に申し出てさらにグチャグチャな展開に。アナーキーな作品なんだから、普通すぎるラストにはちょっとがっかり。
『探偵物語・特別編』はテレビシリーズを二本セレクトして劇場にかける、という企画。工藤ちゃんがでかい!ってのがうれしい。
一番の問題作は『散歩する霊柩車』(64年)。タイトルが秀逸。これは劇場も大入り満員。
監督は侵略ホラーの古典として、我々にショックと笑いをもたらしてくれる『吸血鬼ゴケミドロ』(68年)の佐藤肇。
主演は黄門様として有名な西村晃。この人、もう少し若い頃はかなりアクの強い個性派だった。
ダイナマイトバディで浮気な嫁(春川ますみ)に翻弄されるタクシー運転手(西村)が、二人で共謀してある悪巧みを仕掛ける。
嫁が浮気の罪悪感に耐え切れずに自殺。霊柩車をチャーターして「遺書にあなたの名前があった」と、関係があったおっさんらを訪問してマイルドに恐喝。
(霊柩車のドライバーは渥美清。ちょっといい感じに不気味な役で、後半、彼の存在に重要性が帯びてくる)
ところが嫁は生きていた。棺桶には入れられていたが、死体のふりをしていただけ。こりゃあいけるぜとウヒヒヒなおもろい夫婦なのだが、次々にありえない事故や展開が迫る。
この「ギクシャクしたグルーヴ」がなにかに似ていると思ったら、楳図かずおの漫画そのものなのであった。
西村晃をはじめ、春川ますみや金子信雄なんかの風貌がもろに楳図キャラ。
もう「ウワッ!!」「ギャッ!!」「お、おまえはっ!!」といったウメズSEが、ばっちりハマる感じ。
ラストもなかなかトンデモ。車で去っていく男女に楳図っぽい演出をするならばやっぱり、
「わははは」「ホホホホホ」だよなあ、と思いました。
客観的に見て軽く驚いたことなのだけど、自分がこの時代における「科学文明へのついていけなさ」がすごい。
いまだに携帯電話。この響きがもはや古い。しかも通話とメール以外はやらない。
別に見たくないからネットも入れてない。電車ではこぞって皆さんがスマホとかいうのをくるくるしているが。
横一列の席で全員がくるくるしたりしている。中にはイヤホンで音楽聴きながらアプリのゲームに興じている「ここも僕のお部屋」状態の人もいる。
歩きながらスマホ見てる人がとても多い。頭上に金ダライが落ちてくればいいのに。世界がもしもドリフのコントだったら!
チャリ漕ぎながらスマホ見てる戯け者も見かける。そのまま車道に流されて轢かれるべきである。どんどん粛清されてしまえ。
アイポッドも触ったことがない。CDはうちで鳴らすから別に必要ない。
ブルーレイディスクもまともに見たことがない。そもそも映画ってそんなにクリアな画質で鑑賞したいもんなのか?
パソコンはいまだにXP。ダウンロードとか一切しないから軽いのなんの。ボロ中古パソコンなのにまだ全然、使える。
足で自分が欲しいものを探す主義なので、ネット通販も基本的に利用しない。
ポチる前に電車に乗って古本屋や中古レコ屋を覗いてみれば、送料いらずにその場で掘り出し物が手に入るかも、よ?で、ついでにその町でメシでも食えばよい。
「いいね!」が気持ち悪すぎるのでフェイスブックはやらない。ついでにラインってのも、いくら説明されてもなんだかよくわからん。いらん。
エクセルも使えない。プリンターもないからポップは全部手書き。
別に「時代おくれの男になりたい~」とかいう歌みたいな感じでもなくて、別にどうでもいいから別にいいや、なんである。
もともと左脳が機能していないので、メカ系統というか、小学校高学年の算数からもう理解できない。
車の免許もないし地図も読めないっていうハイレベルなポンコツなのだけど、それで困るかっつーと、意外とそうでもない。
あ、そりゃ社会はこういう人を必要としていませんから、就職は出来ませんよ。
その辺はケツをまくるしかないっつーか、非常に微々たるものだがちょっと自分は離人症の気があり、我がこともどこか他人事なのでさほど深刻になるタイプでもないのだが、一度「逆算」のスイッチが入ると大変よろしくない。よろしくなかった。今後、その電源はオフにする。
えーこいしょっ、という感じで店を開け、400円で購入したルー・リードのまったくグレイテストヒッツじゃないベスト盤『DEFINITIVE COLLECTION』(ジャケが最高!これが大人のロックンロール。子供にゃ負けないぜ。言いたいこと言うぜ。やりたいことやるぜ)を聴きながら今日は風が強いですなあ、などと思いつつ釣り人のように居眠りをしていたらもう夕刻。
こんなんで一日が終わっちゃう。でも、しょうがない。仕様が無い。
機械の体は手に入れられなかったよ、メーテル。
さて、気を抜くとまたほったらかしになるので何でもいいから書く。
先日、早朝の電車に乗っていたら人身事故に遭遇した。それなりの理由があって朝の五時台に移動しているのである。まったく迷惑。これはまごうことなき乗客全員の本音。
我々は都合の悪い人間に対し「死ねばいいのに」とか、普通に思う。
「殺してやる」は妄想だが、「死ねばいいのに」は割とリアルだったりする。
で、先の人身事故の人に対しては「死んでんじゃねぇよ」である。心からそう思う。
雨宮処凛『自殺のコスト』によると、客足の多いJRと私鉄では、自殺者の遺族に請求する賠償金も桁違いらしいから、中央線ってばほんと人身多いけど、やめたほうがいい。
あ、肺炎ほぼ治りました。
最近ちょっとはまっているのが、実写版『孤独のグルメ』である。先ほどの話とは何の関係もない。
吉祥寺のTSUTAYAでは今、自分が在庫のDVDを借りちゃったのでほぼ全滅である。大人気。
主演に松重豊を迎えた時点で原作と別物になっちゃった気もするが、この人の食いっぷりが非常にいいのでつい引き込まれてしまうのだった。
眉間に皺を寄せた表情で「うん・・・うまい・・・」。他の役(ヤクザとか)の演技とあまり変わらないんだが、時折入る笑顔が「本当にうまいんだろうなあ」と思わせる。
最近メシを食うときは心の中で「いいぞ、いいぞ」「これだよ、これ」とかつぶやいているので、なんでもおいしく頂けるです。
主人公が下戸という設定なので、「ご飯とおかず」を求めてさまよう。
ごはん。白飯。日本って最高。コメ禁止とかの事態になるならデモに行ってもいい。
もともと原作マンガの食事シーンも淡々としたもんで、「うん」「むぐ」「むぐ」「ああ、うまかった」。
我々はうまいものを食ってもまず確実に「うっ・・・!」「こ、これは・・・!」「は、はうあ!」とか、言わんのである。
基本的に「ラーメンを取り上げない」ってのも正解だと思う。こればっかりは好みがあるし(自分も家系とかの良さが全然わからない)、テレビでアホレポーターがさんざん食い散らかしているのを見てみんな辟易している。
吉祥寺ってラーメン屋とカフェの割合がすごく高い気がして、なんかもっと普通の定食屋があればいいのにと思う。ラーメンてのはちょっとトゥーマッチで、月に二回も食えばいいくらいなんだけど。
今日のお昼は阿佐ヶ谷で580円のハンバーグランチ。正解だ。うん、こういうのでいいんだよ。
肺炎になりまして、たまに咳き込むくらいで日常生活に支障はないので、三連休は通常通り営業します。
弱ってるので、あまりアルコールも分解できない。静かにレンタルで映画などを観ている静かな日々なのですが、やっぱ犯罪映画っていいよね!犯罪最高!!(と、無理矢理テンションを上げていくです)
『狼たちの午後』(監督シドニー・ルメット/75年)を久々に鑑賞。やるせねぇな、やっぱり。
アメリカのナショナリズムに対し、「それ、ちげーよ・・・」と砂をひっかけたのが一連のアメリカン・ニューシネマ。
銀行強盗の物語である。ソニー(アル・パチーノ)と「サル」と呼ばれるその相棒。二人ともベトナム戦争の帰還兵。
ツメが甘くて根っからの悪人ではないソニーの計画は、銀行を襲撃した時点で早くも頓挫。
人質にされた銀行員たちも、ソニーの「どうやら悪い人でもないらしい」人間性を見抜いて、なんとなく友好ムード。ただしサルは、いつライフルをぶっ放してもおかしくないサイコパス。
ソニーが包囲された警察たちと交渉したりやり込めたりしているうちに、野次馬たちが集まり、ちょっとしたヒーローになる。
彼は妻帯者だが、同性の恋人とも極秘に結婚しており、その恋人に性転換手術を受けさせる費用を作るために、銀行強盗を決起したのである(実際に起こった事件を元にしている)。
それが報道されたもんだから、今度は同性愛者たちが現場に押しかけプラカード応援。
サルは面白くない。「オレはゲイじゃない。訂正させろ」
動機もパッとしなくて、最初からなんとなく成り立ってない事件の話なのだが、「大列車強盗!」みたいなビッとした犯罪なんてもう有り得ないんだよ、といった時代の気分か。
原題は「Dog Day Afternoon」。夏盛りという意味らしいけど、「犬っころの午後」と直訳したほうがしっくりと来る。狼じゃなくて、負け犬たち。
『新幹線大爆破』(監督/佐藤純弥・75年)はいろんな意味で大爆発しています。
自分の工場を潰してしまった経営者(高倉健)と、過激派くずれ(山本圭)と、沖縄から上京した青年の3人がチームとなり、80キロに速度を落とすと起動する爆弾を新幹線に仕掛ける。
新幹線の指令室長が宇津井健、車掌に千葉真一。熱いのである。
(関根勤がたまにモノマネしている「新幹線大爆破の千葉真一」はこれが元ネタ)
犯人の一人が山中において、まさに警察から身代金を奪ったところ、ちょうど「大学の柔道部」たちがマラソンしているところにぶつかる。警察が「そいつは爆弾犯人だ!捕まえてくれ!」と無茶を言う。
しかし昭和の映画ってのは、犯人と警察が金のやりとりをする山道が必ず、「大学の柔道部か空手部のマラソンコース」なんである。いいんだけど。
そしてこれはちょっとネタバレなのだが、犯人の健さんは身代金を手に入れ、爆弾の取り外し方の説明書を指定した喫茶店に置く。
が、警察が来る前にその店はなんと火事で全焼!!
予告編にも「恐怖の二次災害!」と出てるが、そりゃみんな困っちゃうよねえ。恐怖の膝カックンな展開。
犯行グループたちのやるせなさ。中間管理職としての宇津井健のやるせなさ。現場でひたすら発汗するサニー千葉には「あんたがいちばん超特急」と言いたくなる。
タイトルのおかげで国鉄から協力を拒否され、セットのみで新幹線のシーンを作り上げたという。フランスなど、海外での評価が高い作品。
そして、映画の本編が終わったあとになんのデリカシーもなくでかでかと映し出される
「特別出演 丹波哲郎」
の文字。心の準備をして鑑賞されたい。
『絶歌』なる本がバカ売れしているらしい。こういうものは佐川一政の著作のようにアングラ/サブカル間で持ち上げられていればまだいいものを、10万部だか20万部だかのベストセラー。案外、世間様はゲスでした。
買う気も読む気も毛頭ないのでネットでチラ見した程度だが、こりゃちょいちょい言われているように「ポエム」ですな。しかも「才能の無い文学青年の自費出版物」程度。
「この本には犯罪抑止力があるのではないか」と息巻く識者もおいでになるが、こんな駄ポエムにそんな力はないよ。しかも、やるやつはやるのである。
二人も殺しておいて死刑にならず、素性もばらされずに社会生活を送り、「自伝」を出せばベストセラー。
「作家で犯罪者」としても、佐川は顔が割れまくりだし(ていうかアングラ芸人)、永山則夫は獄中で死刑になった。それを考えると非常に稀有なパターン。
こうなるともう一部の連中にとってはスーパースターであり、カリスマ。自分もがんばらねば!と思う予備軍はいるかもですね。
酒鬼薔薇聖斗事件というのはやってることは派手だったが、犯人像はかなりマヌケなものであった。
大そうな宣言文(これもポエム。この文章を評価していた文化人がいたが、当時からマジか?と首をひねっていました)のあとの署名が「SHOOLL KILLER」。「SCHOOL」程度も綴れないバカ。
しかし太田出版ってのは90年代の「完全自殺マニュアル」にしろ、どうもヤマッ気の強い出版社らしい。
当てるもんだなあ。バチも当たりそうだが。
あと、精神科医の常套句。「自分もモンスターになるんじゃないかという想像力がない人たちが恐ろしい」。
なんないよ、そんなもん。普通の人はそんなことやりたいとも思わないし、やろうとも思わないのである。
想像力ありすぎじゃないでしょうか。
そんで、彼、「元少年A」は調子に乗って公式サイトまで作った。
『存在の耐えられない透明さ』だそうで、まだタレント・サカキバラを引きずっているというか、こういうタイトルを付ける心理状態を想像してみるとやはり、どこか自分を「純粋無垢」だと思っている。
イノセントゆえに自分はあんな事件をおこしてしまいました、と。
【「心象風景」ならぬ「心象生物」という言葉がもしあったなら、不完全で、貧弱で、醜悪で、万人から忌み嫌われるナメクジは、間違いなく僕の「心象生物」だった― 】
という前置きから始まる「ギャラリー」ページ。
この一文から察するに、自分をどこか「被害者」だと思っている節がある。で、ナメクジをモチーフにしたイラストが延々と続く。
さらに進むと、自分のオールヌードをコラージュした「セルフポートレート」もアップ(確実に、だんだん気持ちよくなって来ている)。
ちょっと想像してみればわかるが、顔を隠しているとはいえ、ムキムキに鍛えているとはいえ、自分の全裸をネットに晒すなんてのは、相当な自己愛がないと出来ない「蛮勇」である。
ああ、この人って、本当は自分のことが大好きなんだな、と思った。
そして、本物のナメクジを使った「アート写真」。ハート型の容器に大量のナメクジを敷き詰めている。
本当は気持ち悪すぎで見たくもないんだが(グロ画像は比較的平気なのですけれど、虫系だけは超苦手で、正視できない)、この作品を作る過程において捕獲したナメクジは100匹をくだらないとか、テンションが上がって撮影に2ヶ月を要したとか、完全に軌道を逸している。
大量のナメクジの写真を喜々として取り続ける元殺人者。これが野放しになってるって事実が凄いわ。
こいつも狂ってるが、国も狂ってる。
思うに、元少年Aってのは「片岡鶴太郎」なんである。
もともと「小森のおば、おば、おばけちゃまよ~」であり、ひょうきんベストテンで(マッチで~す!)、熱々のおでんをぶっかけられたりしていたのに、今や画家であり、書道家であり、俳優であり、ボクシングのリングサイドをうろうろしていたこともあった。
ノリがまったく同じだ、と気付いたときはちょっと驚いた。鶴ちゃんかよ。