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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

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チームアメリカ、ファック・イエー!



よくこんなとんでもないものが制作・公開されたもんだ。『チーム★アメリカ/ワールドポリス』(2004)である。
マリオネットによる人形劇。ただしエログロ山盛りなのでR-18。「人形劇とは子供たちに夢を与えるものだ」と思っている方は絶対観てはいけません。いや、そういう人こそ観るべきか?不協和音で既成概念を壊せ。
制作・監督はトレイ・パーカー&マット・ストーン。アメリカ最狂アニメ『サウスパーク』のクリエイター。
劇場版『サウスパーク無修正版』もとんでもない内容だったが、これはさらにイッちゃってます。
チームアメリカはテロ撃退のための国際警察。冒頭、フランスでテロリストを壊滅させたのはいいが、爆撃を容赦しないので、ついでにエッフェル塔やルーブル美術館も全壊。
チームの司令官はブロードウェイの俳優・ゲイリーの演技力を見込み、組織のスパイとしてスカウト。
彼が後に同チームのリサと恋に落ちる。のだが「恋に落ちる」だけじゃなくて、まぐわるところまでバッチリ見せる。なかなかのハメっぷりだが、あやつり人形が全裸でカクカク動いているのは見ていて本当にバカバカしい。最高。

チームアメリカはやり過ぎなので、実は嫌われ者。もっともアンチなのはアメリカ俳優協会。
登場する人形たちも実名。特にマット・ディモンは「まっと・でぃもん」のひとことしか喋らないアホアホな役。この頃彼は天才科学者の役が続いたらしく、作り手としては「あいつ気にいらねえ」ってことなのか、一番のバカキャラとして登場させられてしまった。
さらにヤバいことに、悪役として実名で登場するのがキム・ジョンイル。世界の壊滅を狙う大悪党で、彼とチームアメリカが対決する。
ジョンイルの手先となった有名俳優たちがチームと戦う。で、サミュエル・L・ジャクソン、ユマ・サーマン、ジョージ・クルーニーたちがグチャグチャにぶっ殺される。
人形劇としては『ミート・ザ・パペッツ』と並ぶ残酷さなので、「お見事!」と盛り上がります。
しかしピーター・ジャクソンの初期作品が今やまったく観られないとはどういうことか。『ロード・オブ・ザ・リング』のファンとはかぶらないからか?それとも「なかったこと」にしたいのか?なんてことだ。

この作品は日本語吹替えで鑑賞することを強力におすすめする。
キムジョンの悪意たっぷりの声当ては勿論のこと、ラストのゲイリーによる大演説、これが素晴らしい。
さすがに自粛するしかない言葉の羅列なんだけど、本当につき抜けたバカバカしさでもう。もう。
うおーっ!!となるしかないですよこれは。恐らく腹をくくって声を当てたと思われる、声優さんの演技も素晴らしい。
他にもどうかしてる大量のゲロ吐きシーンや、司令官による強制フェラ、それにマイケル・ムーアのひどい扱い。
マイケルは左側の代表みたいな人だけど、彼をバカにすることによって、右も左も平等にこきおろすことになる。まあ単に「なんかアイツも気にいらねーな」ってことかも知れないけど。
「エイズの歌」や「モンタージュの歌」など、挿入歌のブラックさも甚だしく、「自由(freedom)は無料(free)じゃない。誰かがサービス料を払わないと」というなかなか皮肉な歌詞があるのだけど、トータル的には「ずいぶんまともなこと言ってるなあ」という気になる。
キムジョンが「ぼくはひとりぼっち~」と切なく歌うバラードがあるのですが、その後ろでは拷問されている人々が映り込んでいる。一瞬のシーンなのでお見逃しなきよう。爆笑もんです。
そして最後に現われるキム・ジョンイルの正体・・・・これなあ、暗殺指令とか出なかったのかなあ?
まあとにかく、命がけで世にもくだらない作品を作ったということだ。実に素晴らしい。劇中ラストの言葉を借りるなら「ファック・イエー!」だ。
わざとやってるとしか思えない「マリオネットのあやつり糸の見え具合」は、政治的とか社会風刺とかの意味合いを軽く越えてポップ、かつアナーキー。

ちょっと前に脳学者の茂木健一郎が「日本の笑いは権力者に対する批評眼がない」とツイートして芸人に叩かれたけど、イメージとしてはまあそうだよなというか、自分はどっちかというと茂木側。
たしかに「ひな壇」と呼ばれる席に座っている芸人たちは司会の大御所を笑わせることに懸命。しかも日本語なのに「テロップつき」という検閲状態を見るにつけ、ああ確かに終わってるな、とも思う(爆笑問題の太田光が激怒したというのは分かる話で、彼らはちゃんと批評性や反骨精神を持っているからだ)。
しかし、部外者(素人ですよ!)のちょっとした発言を業界ぐるみで叩くというのは、強者には向かない牙が弱者には向くという証明。本来、異を唱えて笑わせるはずの芸人が同調圧力を押し付けてどうすんだ。
茂木先生も『チームアメリカ』や『サウスパーク』を知っていれば、「世界にはこんなにとんでもないことをやってる奴らがいるんだぞ!」と、堂々と反撃出来たかもな。


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「死霊のはらわた」新旧対決



聞くところによると、最近は「ホラー映画」という言葉が嫌われているらしい。それを使うと作品がジャンル化してしまって、特定の層しか呼べないから、ということらしい。
どうりで「ソリッド・シチュエーション・スリラー」みたいな小手先キャッチが舞っている訳だ。しかしながらジャンル映画がジャンル化して何が悪いのか。「血まみれホラー」じゃいかんのか。ちょっとシャレオツ風に濁してみたところで、内容はおんなじなんだから。観客も一緒いっしょ。
考えてみれば血がブーブー噴水みたいに飛ぶから「スプラッター映画」とはなかなか的を得た表記で、その先便をつけたのが『死霊のはらわた』(81)なのだった。

初見は公開から少し遅れた名画座で、感想としては「ホラーもなかなかすごいことになってきましたなあ」というもの。グチャグチャなんだけど、それがテンポよく続くからえらいこと景気がいい。打ち上げ花火みたいだと思った。
若き日のサム・ライミが「この作品で映画界に殴り込みをかける」ようない勢いで作っているので、その鼻息がもろに画面に出ている。実際「血が出るような」気迫で、資金も見通しもないまま撮影を続けていたらしい。
主演のブルース・キャンベルというちょっと面白い顔の俳優が困りつつも必死で戦っている姿は、だんだん笑いを誘う。コメディ的な要素も確かにあるのだ。
ローアングルで走り込むカメラワークなど、ゴア描写以外にもカッコいいシーンが実はたくさんある。やっぱり持ち前の才能なんである。

これをリメイクするという果敢な挑戦をしたのが2013年の同タイトル。『死霊のはらわた2』でサム・ライミ自身がコメディに仕上げてしまったので、もはやそれもできない。じゃあどうするかというと、正攻法の「血まみれホラー」として作ることを選んだ。
なのだが、オリジナルのファンからの評価はいまひとつらしく、恐らく「ブラックユーモアのセンスが抜け落ちてしまった」みたいなことなのだろうけど、それを言っちゃあおしまいというものです。
ではどうしたかというと、「痛み」を観客に共有させることを選んだ。
オリジナルは「死霊に憑依された仲間」を殺していくという内容なので、いくらグチャグチャにされてもまあ、オバケだからなあという前提があるため、無責任に「やれーやれー」と盛り上がれる(あくまでも今の視点からすればですが)。
初見の人が鑑賞するとしたら、チープさも込みで笑っちゃうところがあるオリジナル版よりも恐怖を感じるのは、リメイク版ではないかと思う。ちなみに「貞子」もちょっと入ってます。
主人公の妹がジャンキーであり、クスリへの依存をやめさせるために山小屋に篭るという設定は今日的であり、前述の「痛み」のシーン(書かないよ)は『超いってぇ!!!!』を体感させてくれる。
なんだか大量生産されてる「似非ドキュメンタリーホラー(ポイント・オブ・ビュー)」とは一線を画す、ガチのスプラッター映画であり、それだけでも十分に評価できる。
そもそもそんなにリアル感って大事か?作り物に対してわーキャー楽しむのがホラーの醍醐味ではないのか?
エンドロールの最後に登場して「GROOVY」とひとことつぶやく人物こそシリーズの顔、ブルース・キャンベルである。
監督のフェデ・アルバレスは昨年、「盲目の筋肉キチガイじじいがヤング強盗団をぶっ殺す」という怪作、『ドント・ブリーズ』を大ヒットさせた。

最後におこがましいことを書くと、近頃やたらと世界で頻発している自爆テロ、それを行っている連中は「自分の命は他人よりもイケてる」と思っているのではないか。
「聖戦」や「正義」や「忠義」に命を懸ける自分の前には、他人の命なんかどうでもいい、あるいはなくなっても仕方がないと思っている。
ましてや人を無差別に殺すことに「正義」なんてない。しかもそれは特殊メイクではないのである。
「命は平等に価値がない」「ゴミと一緒で順番なんかない」ということを、娯楽として提供してくれるおぞましいジャンルを楽しんでいる者からすれば、「そんなバカバカしいことやめなよ(こいつらがドヤ顔で行うテロなんて最悪!)」と、本当に思う。
死ぬんならひとりでやれ。


チャッキーの嫁さんかわいいな



人形というのは無表情だから恐ろしいもので、日本の市松人形やフランスのフランス人形(あっバカみたいな言い方!)が梶芽衣子ばりに出刃包丁なんぞで襲ってきたら、それはおしっこの数滴も漏らそうというものであろうが、『チャイルド・プレイ』のチャッキーってのは妙に表情豊かで、そのわりにはかわいくもないなという印象で、今まで完全スルーしていたシリーズだったのだが、チャッキーに「ティファニー」という嫁さんがいる、と聞く。
ティファニーは四作目『チャッキーの花嫁』(98)から登場する、元々は人間のゴスおねえちゃん。
彼女がいろいろあって人形になり、チャッキーと夫婦になるのだが、これがまた大変かわいらしいのである。
二人は仲むつまじく殺人を繰り広げてゆく。夫婦の相性も抜群。チャッキーも顔中が傷だらけになり凄みを増す。
セックスもすれば妊娠もする。二人の子供が登場するのが次作『チャッキーの種』(2004)。これが超悪ノリ大会で、シリーズ最高傑作ではないかと思う(二作しか観てないけど)。

その子供は「シットフェイス」と呼ばれ、インチキ腹話術師のパートナーになっていたのだが、まったくとってつけたような偶然によりチャッキー夫妻と再会。
とりあえず名前をつけようということで股間をめくってみると、そこは加工されていないツルツルの状態。
チャッキーは「これから生えてくる!だから男だ!」と主張し、ティファニーは「女の子よ!」と主張し双方譲らず。結局めいめいに「グレン」「グレンダ」と呼ぶことになって、これは最後までどっちつかず。
(マニアックな話だけど、このネーミングはエド・ウッド一連の最低映画『グレンとグレンダ』が元ネタ)
といった感じなので、これはもはやホラーではない。人形劇によるブラック・コメディなんである。
本作で特筆すべきは、あのジョン・ウォーターズが俳優として出演しているということだ。
最近この人の名前をよく出しているが、まあそういう気運なんでしょうけど、あの特異なルックスは本当にオンリーワンである。この人は常々、ヘンな顔に生まれたら映画に出ろ!と言っているので、本人もそれをいよいよ実践ということで、えらいなあと思う。
しかも顔を硫酸でドロドロに溶かされるパパラッチの役で、役者冥利に尽きるのではなかろうか。まあちっと「溶けすぎ」だけど。
人間側の主役はジェニファー・ティリーという巨乳さんで、前作の人間時代のティファニー、およびティファニーの声を当てている。
彼女は聖母マリアの役を射止めて映画界に巻き返しを図ろうとする、あまりパッとしない女優。
劇中のセリフで「あんたが出ている作品で好きなのは『バウンド』だ」というのがあるけど、『バウンド』という映画は本当に存在し、ジェニファーさんが本当に主演している。
たしかレズビアンの女泥棒が主人公のバイオレンスで、かなり前に観たのでもう内容は忘れてしまったが、まだレンタルに置いてあれば再見したいところ。

本作の骨格は、聖母マリアの「処女受胎」をネタに血みどろギャグでからかったもの、と、お見受けした。
アメリカには聖書に書かれていることを一字一句信じる「福音派」なるクソ真面目な方々がいて、彼らが観たら逆上しそうな内容。
他にも拾ってみると、ティファニーは子供と再会したことによりアイデンティティに迷いが生じ、「殺しはやめるべき」と思いつめる。ハウトゥ-本を読み「まず相手に謝りなさい」の言葉を見つけ、「ごめんなさい、あなたの旦那を殺したのは私なの」と、電話でお詫び。もちろん相手は逆上して泣いちゃうんだが、ティファニーいわく「あースッキリした~」。ひどい。ひどいけどかわいいからまあ許す!
それに対してチャッキーは首尾一貫。「殺人は依存じゃねえ!選択だ!」は、へなちょこ殺人鬼に聞かせてやりたい名言だ。
家族で人間になることを一人拒否したチャッキー。「人間なんてクソ食らえ!オレはキラードールだ!」と宣言する姿は本当に男前だと思う(ちっちゃいけど!)。
チャッキーやティファニーが人間を景気よくぶっ殺すのは全然楽しいのだが、彼らが死んでしまう場面は前作同様、ちょっと寂しい気持ちになるのであった。
出演者が殺されるシーンでまとめたエンドロールが楽しい。

といわけで今回も不謹慎を堪能。初期作品は観なくていいのかと言われそうだけど、ティファニー出てこないしまあいいんじゃないっすか?と言えてしまうのがジャンル映画のいいところ。
『チャッキーの種」および『花嫁』は人形たちの表情も素晴らしく、この技術をもっとちゃんとした作品に使えば世間も暖かく迎えてくれると思うのだけど、「そっちじゃなくこっちをやる!」という意志が、ジャンル映画の誇りだ。製作チームもこっち側をやってるほうが楽しいんじゃないかと思う。
ちなみに『アラビアのロレンス』とか『十戒』とかは、半身不随にでもなってから鑑賞すればよろしい。
おしっこ行かなくて済むし。


三級片極悪列伝



「低俗」はいい。なにがいいって「~である」とか論じても偉そうになんないから。
そうそう村上春木屋の新作が出版されると国を上げての騒ぎになるのが不思議だ。カッコいい犯罪者とかクレイジーな科学者(に、作られた怪物)とかエロい女泥棒とかが出てくるわけでもないのにな。
はるきくんの本は一ページも読んだことがなくて、それはつまりはるきくんがぼくを呼んでいないということだ。古本屋だからって小説を山ほど読んでると思うなよこんにゃろめ。古典から現代に至るまで全然読まないぞ。
「三級片」とい言葉がある。あるのです。これは中国で「エログロ成人映画」を指す。
最も有名なのが『八仙飯店之人肉饅頭』で、これに『タクシーハンター』『エボラ・シンドローム~悪魔の殺人ウィルス』を加えたものが、ハーマン・ヤウ監督xアンソニー・ウォン主演の極悪三部作と言われている。
日本では「スーパークレイジーⅢ級片極悪列伝」として公開&リリース。
「八仙飯店~」はそのまんまの内容でして、VHSの時代に観たのですけど、躊躇なく子供まで殺しちゃうような映画なので、今回はちょっとパスして未見の二本を鑑賞。

『タクシーハンター』(93)は、タクシーに妊娠中の妻を轢き逃げされた男がぶち切れ、態度が悪い運転手たちに天誅を下していく。中国のタクシードライバーというのは本当に態度が悪いらしく、観客たちはアンソニー・ウォンの殺しっぷりに拍手を送ったということだ。
中には真面目なドライバーもいて、そういう人は殺さないし、おとり捜査の刑事に重症を追わせると、わざわざ変装して病院にまで謝りに行く。根はいい人なんである。
奥さんを失った悲しみや、親友である刑事との交流(結局追われる身になるのだが)なども描かれていて、倫理的にもちゃんとした作品だと思う。
で、監督は「今回の、ちょっとぬるくね?」と思ったかどうかは知らないが、次作『エボラ・シンドローム』(96)で大爆発する。

いきなりアンソニー演じるチンピラの「カイ」が、浮気相手のボスの嫁、ボスとその手下を殺すところから始まる。
そしてアフリカで中華料理屋を経営している親戚の下に身を隠す。厨房をまかされているのだが、やることなすこと最悪。どんなホラーよりも生理的に「ゲッ」となること請け合い。すでに観客のハートをブレイク!
肉の仕入れのため村に向かうと、そこは高熱を出した患者がバタバタ倒れている。つまり恐怖のエボラ熱なのだが、雑なカイは倒れこんだ現地の娘を「デカパイだ!やっちまえ!」と、やっちまうわけである。
ところが彼は一千万に一人と言われる、エボラに対して免疫抗体を持つ体質の人間でした!
この時点でカイは、悪人として最高のスーパ-チャージをしたのである。
料理屋に戻るとカイは高熱で倒れるが、復活してからは今まで自分をさんざんこき使っていた親戚と嫁と部下をぶっ殺す。その肉で人肉バーガーを大量に作成!(この辺は「お約束」っぽい)
人肉バーガーを常連に振る舞い、元カノとよりを戻してセックスし、街でクシャミ、飲食店で食い散らかし、どんどんエボラ菌をばらまいていく(エボラの感染経路は血液や体液など)。
警察に身元がばれて追跡されるが、「エボラのシンちゃん」と化したカイは「おらぁ、エボラだぁ~!!」と追っ手につばペッペしながら街を逃げまくる。最悪の人間最終兵器。
最後は「やっちまったー」というオチに至り、これは究極の不謹慎なブラック・コメディ。
たしかにひどい作品だが、自分のような人間は「ひっでぇなあ」とかニヤけつつも、心に貯蓄していく。あるいはタトゥーのように刻んでいく。こんなものでも知っていないと、他の人との差異化が出来ないから。
まあ、「またこんなの見ちゃったなぁ」という少々の後ろめたさが気持ちいいわけだが。
「ちょっといい話」「ちょっと泣ける話」より、「本当にひどい話」を見聞するほうがお得感があると言える。言えます。


セシル・B・ディメンテッド!



黄金週間も終わりましたが特別なにがどうだということもないので、また本とは関係のないことを書く。
ようやくまともに『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を観た。うむ、良く出来てる。ちゃんとしてる。半袖ダウンをずっと「救命胴衣」と言われ続けるギャグは面白かったし。
ただ公開当時、自分が見向きもしなかったのは実によくわかる。「ご家族でも楽しめる最高の映画です!」という触れ込みで大ヒットしていたが、当時の自分は映画を観て楽しくなろうなんてことはこれっぽっちも思ってないからそりゃ完璧にシカトですわな。
はじめてひとりで劇場に行ったのが『時計じかけのオレンジ』と『シャイニング』の二本立てで、もっとこういうのが知りたいんですけど!というわけでそっち方面にズブズブと進んでいったわけですけど、これはこれで間違ってなかったと思う。
みんな大好きな「バック~」、一応みたのでまあいいやということで、これは結局自分的には本筋じゃないのである。つまりは未見のスターウォーズやダイハードなどを観てもそういうことになるのだろうなと。本当の話が、その辺の映画はソフトを手に取るだけで、かったるい。
ワクワクするかどうか、が大事であり、たとえハズしても手に取ったときに「なんだこれ!」というワクワクを感じさせてくれる作品がやはり、本筋なんである。

さてワクワクする話。『セシル・B/ザ・シネマ・ウォーズ』(2000)がクレイジーで最高なのだ。
ジョン・ウォーターズの作品としては70年代のディヴァイン主役時代ほどの強烈さはない。
アングラ臭を払拭した今風のわかりやすいコメディになっているんだけれど、バカはバカでも一味違うというか、そういうことを述べていきます。
セシル・B・ディメンテッド(スティーブン・ドーフ)と仲間の「スプロケット・ホールズ」は映画テロリストである。
シネコン、家族向け、リメイク、感動大作などに異を唱え、ハリウッド女優のハニー・ホイットロックを誘拐し彼女を無理矢理主役に仕立て、ゲリラ的に人気作を撮影中の現場をぶっ壊していくという「リアルな」作品を作るという志を持った連中。
元ネタは「パトリシア・ハースト事件」。テロリストが新聞王の娘で女優のパトリシアを誘拐するのだが、ゲリラ思想に共感した当のパトリシアが銀行強盗に参加し、指名手配されるという有名な事件。
パトリシア・ハースト本人も女優として最後に登場する。

誘拐したハニーにチームの面々が自己紹介をする。彼らは「アンディ・ウォーホル」「ハーシェル・ゴードン・ルイス」「デビッド・リンチ」「スパイク・リー」「ケネス・アンガー」などの非ハリウッドの監督名をタトゥーで刻んでいる。自分にとって「誰が何と言おうと最高」という意志の表れであり、一番カッコいいシーン。
ハニーも最初は嫌々ながら参加しているが、ニュースで「ハリウッドの恥さらし」呼ばわりされたことをきっかけに、本格的に彼らの仲間になっていく。
セシルたちが「フォレスト・ガンプ」続編の撮影現場に乗り込んでメチャクチャにしていくのですが、自分はその作品はみていないのですけれども、きっとひどい映画なんだろーなーと思いました。
結局のところ、彼らがやっていることは負け戦。とはいえ「でもやるんだよ!」の大意のもと、ゲリラ映画のために殉死していくというストーリーは意外と胸キュンなのだ。
ファミリー映画とかシネコンのあり方に疑問を持たない人は、スプロケット・ホールズの主張はまったく理解できないだろう。このマイナーな作品自体手に取ることはないのだろうけど、ま、それはそれ。

次作のエロコメ『ア・ダーティー・シェイム』も観たのですが、ちょっとさすがに、我々日本人はここまで偏差値を落とせないというか・・・こういうイメージがあるから洋画コメディには手を出しづらいんだよなー、という典型。
純粋な「レッドネックのための映画」である。これはちょっと勘弁して。


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