昔からよくわからない事例に「薬師丸ひろ子」というのがあって、よくわからないままでも別にいいのだけれども、まあお勉強の意味合いで、『セーラー服と機関銃』をがんばって鑑賞したのだけれど、「やっぱりよくわからない」といううすぼんやりとした結果に終わったのでした。
そもそも「女子高生なのにヤクザの組長」という設定が、ファンタジーとしてもあまり出来がよくないというか、それでも大ヒットさせてしまう当時の赤川次郎・角川映画・薬師丸の三位一体となったブットバシぶりはひしひしと感じます。
渡瀬恒彦・柄本明・三國連太郎などが脇を固めてはいるのだが、なにせ足場がぐらぐらなもんで、やっぱりどうしてもペラッペラな印象は拭えない。人はやたらと死ぬんだけど。
時代、というか、80年代のマジックなのでありましょうか。
有名な「かい・・・かん・・・!」ってシーンあるじゃないですか。
あれは敵の「わるいやくざ(ははは)」が所有しているヘロインを打ち砕いているのですよ。今まで知りませんでしたよ。
などと書いてはいるが結局のところ、今も昔も「薬師丸ひろ子が全然かわいく思えない」の一点に尽きる。
さらにひろ子から、「ユーたち」「おたくら」「オジン」等のエイティーズ用語を連発されますと、なんともいえないうすぼんやりとした気分になります。「まる!」で終わるのもなあ・・・。
この作品に封じ込められた「伝説の女子高生」より、その辺にゴロゴロ湧いてる「リアル女子高生」の方が百倍かわいい、ってのが結論であります。
思い出せば80年代の内田裕也は、「地味(短髪の頃)だけど、修羅場を潜り抜けてきたような」どす黒い迫力があって、子供ながらにもROCKを感じる人だったのだが(歌唱力に変化はないですけども)、ここんところは「新種のお猿さん」みたいな、珍しい生き物になってしまいました。
・・・やってくれますなあ。しかし「被災地でボランティア」するのも裕也なら、「復縁を迫って恐喝まがいの行動を取る」のも裕也なのだろう。
心の中に「ドラえもん」と「魔太郎」を飼っている人である。
しかしキリンさんはクール。なにせ夜中にラリッて二世代住宅に乱入してきた裕也氏を、鉄パイプでボコボコにした人だからね。
妻というより、「裕也専属いきものがかり」という感じである。
いろいろ自粛が続く中で、バウスシアター爆音映画祭は来月より無事開催。
もともと祭りってもんは、その年の豊作を願ったりとかのいわゆる縁起かつぎなわけで、無事であったところはなるべく、やった方がいいような気がするよ。花火師やテキヤさんたちの生活もあるわけだし。
シニカルな話をすると、もはや来年も無事でいられる保証があるわけではないのだから、安定しているならばこの際、祭っちまおうぜベイベエと思う。
個人的にイチオシはやはり、ゆらゆら帝国の解散直前ライブですか。
どメジャーでどアングラ志向をポップかつコアに展開した(全部じゃん!)天才集団です。
しかしリクエスト三位が『狂った野獣』ってのもすごい話だが、コレ、やんちゃ娯楽作品としてマックスですよ最高ですよ!バスジャックされた車内にたまたま居合わせた宝石強盗、たまたま心臓疾患で死んじゃう運転手、執念の室田刑事、犯人だけどヒューマニストの拓ぼん、なぜか熱唱する三上寛!今回爆音で観なくてなんとする!?
もともと放射能をばら撒く恐怖の破壊神であったガッズィーラも、伊福部昭大先生の音楽を爆音で浴びることができるならば観る価値あり。さらにパンクなテイストを持つ、『サンダ対ガイラ』もラインナップに。
『恐怖女子高校 暴行リンチ教室』がエントリーしているのも粋な計らい。スケバンの生き様をハートに刻め!ついでに仁義も切っちゃえ!
・・・・ムズカシソーな作品はもうめんどくさいです。追いかけるのやめました。
パソコンが壊れていた間なにをしていたかというと、『探偵物語』を全話鑑賞していたのであった。
180cmを越える大男が黒スーツにカラーシャツ、ヘルメットのかわりにソフト帽でべスパに跨り疾走する姿は今の目から見ればいささかファンタジー的であるが、カッコいいとはこのような事象を指す。
この工藤俊作コスプレは出来なくても、コーヒーに凝ったり、シェリー酒飲んだり、アイマスクつけて寝たり等の小技に影響されたファンは多いんじゃないだろうか。そして全国の工藤姓をもつ男が「工藤ちゃん」と呼ばれることになるのである。
(「純喫茶『探偵物語』」なんて店を開いちゃったりした人もいたんじゃないか?)
松田優作のような役者が、どうやら日本から消えて久しい。
まずこの人はこわい。身長がこわい。顔がこわい。声がこわい。ビルドアップされた肉体がこわい。交友関係がこわい(裕也さん、石橋稜とか)。クイズ番組のパネラーとかやんないのがこわい。
しかし、この工藤ちゃんとしての優作は、成田ミッキーオ・山西道広の刑事コンビをはじめ、倍賞「マサコちゃん」美津子、緑魔子、中島ゆたか、石橋蓮司、岸田森、氾文雀、優作嫁、ジョー山中、水谷豊などの「優作まんだら」な人々と、一本筋の入ったおちゃらけを貫いている。
一番すごいのは、ほぼコント仕様の「イレズミ者(そういう役名なんだよな・・・)」と、仕事を依頼するために、刑事コンビが工藤ちゃんを接待した警視庁内の接待部屋で、ライトアップされた桜田門をバックに婦警さんがストリップをおっぱじめるシーンである。よくこんなの放送できたよな、と思う。
この作品はディープなファンが山ほどいるだろうから自分などが偉そうに書ける立場じゃないのだが、ひとこと言いたいのは「真ん中とばして最終回だけ観るなよ!」ってことですね。
すべての「軽さ」はこの最終話のためにあるのだ。優作氏も「工藤ちゃんの最期」を常に頭に置いて、毎回繰り返される悪ノリを演じていたはずである。「続編」など最初から考えていない。
自分はすっかり御悔みの気分になり、DVDをすべて観終わったあと、お香を炊いて工藤ちゃんを追悼した。
ひとつの役柄に没頭し、本人と完全に同化してしまった故、こちらとあちらの境界線がなくなり、「いい塩梅ですがこれ次はないっすよというわけでいかがっすか?」てな感じで死神の引き潮に乗って、そのまま逝ってしまったひと。
『竜二』の金子正次と、『ダークナイト』のジョーカー、ヒース・レジャーがそんなタイプではないかと思った。
もちろん時空は違っているから、常に「奴」は狙っているのである。
『竜二』は自主制作でありながらも主題歌はショーケン、フォーリーブスの北公二や桜金造(ベストアクト!ギャラは分割で七万だったらしい)を出演させ、配給には松田優作が奔走したという。
バリバリのヤクザ・竜二(金子)が堅気の娘と子をもうけるのだが、事件を起こしてしまい、出所するには三百万の保釈金が必要。嫁の実家が出してはくれたのだが、そのかわり別れて娘と孫を返せという。
ぶち切れまくる竜二だが承諾。その後、ルーレットなどのシノギで株を上げていくのだが、渡世がどうにも虚しくなってしまい、妻子とともに堅気となって生きることを決心する。
当初はとても幸福であったが、凡人として生きることにはやはり限界があり、結局彼は白スーツで決めた「竜二」として、新宿の夜に戻るのである。
公開直後、映画の成功を見届けて、主演の金子正次は癌で他界する。という伝説がこの作品にプレミアをつけたことに間違いはない。
単純な話なんだが、アウトローであろうとなかろうと、野郎にとってはくすぐられまくる名作。
竜二の持つ暴力性とイノセントさの両側面もしっかり刻まれており、まー僕の周りにもいますが、そういう人はなんだかんだでやっぱり魅力的なんである。
最高なのは嫁さんと別れるシーンで、仕事中にぶち切れて同僚の手に煙草の火を押し付けてきた帰りに(おそらくその場で辞めてきたのだろう)、バーゲンセールに近所の主婦と嬉しそうに娘と並ぶ、我が妻を見る。
そこで、今まで極道張っていた男がボロボロと泣いちゃうんですね。
いろんな思いが胸に去来したのだろうし(単なるおばちゃんになっちゃったんだなあ、とか)、それまでくすぶっていたものが引火して、逃げるようにその場を去る。というか、逃げた。最低だ。
家庭人としては最悪。間違ってる。なんだけども、「野郎」の選択としては正しいとしかいいようがない。
このシーンを観たすべての野郎どもは映画館で、自宅のモニターの前で、拳を握ったに違いない。
ティム・バートンが監督した『バットマン』『リターンズ』の屈折感が大好きで、そのあとのはいいやと思っていたのだが、『ダークナイト』にはやられた。
バットマンが「非合法の自警者」という扱いで、あまり崇拝されていない様子。執事に「いつまで続けるおつもりですか?」なんて言われたりする。
実質上の主役は「ジョーカー」である。ジャック・ニコルソンが演じたそれよりも、ヒース・レジャーは不気味でソリッドでクールな、究極のテロリストを作り上げてしまった。
哀愁よさようなら、ヒース版ジョーカーにあるのは破壊衝動のみ。快楽のための悪。カネのためにやってるわけじゃないから、札束の山も平気で燃やす。用意周到に行う残酷なゲーム。正義の検事も悪党「トゥーフェイス」として再生させる。
常にジョーカーに先を読まれ、苦虫を噛み続けるバットマン。
そしてバットマンは、最後までジョーカーを殺せないのである。それどころか冤罪をひっかぶり、追われる身となる。実質上、「悪が勝利」してるんじゃないかこの映画。
『ダークナイト』公開を待たずに、ヒース・レジャーは睡眠薬の摂取が原因で他界。
金子正次のあとに「竜二」はいないし、ヒース・レジャーのあとに「ジョーカー」はいないのである。
再生されたとしても、それらはバットマンもといバッタモンである。
『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』鑑賞。@バウスシアター。
アル中の旦那が「酔いをさまして」家に帰る話。その時はすでに癌に侵されていて、余命いくばくもないのだが。
「サイバラ映画頂上対決(浅野バーサス永瀬)」としてはこの後に『毎日かあさん』も控えているのですが、これはちょっとキャスティングも込みでベタッぽい。なので行かない。
かなり淡々とした演出で、大泣きしたい人にはあまり向かないかも。そして永作博美さんが、なぜかしっかり西原理恵子に見えてくる。
しかし、お通しで出された「奈良漬」がきっかけで連続飲酒が始まってしまうとは、なかなか難儀な病気である。
浅野氏はやっぱり例によって自然体で、この人は演技しているような演技をしないところが魅力で、映画界からひっぱりだこなのだろう。実は達者。そして目が細い男の色気を体現している。
つまんないことでケンカが始まる、アル中病棟のダメオヤジたちもいい味。
ラストの「確実にいなくなるひと」を交えて、家族四人が海辺で戯れるシーンもよかったが、そこに流れる清志郎の歌はちょっとトゥーマッチな気がした(どうせなら最後までインストで通して欲しかった)。
夫婦の「なかなか死なないねえ・・・」「え、死んでほしいの?」と言い合える関係は素敵である。とても暖かいと思う。
そして本作は、観終わったあとやたらとカレーが食べたくなる映画でもある。自分は終映後、ココイチに飛び込んでカツカレー食うたった。
アル中ねえ。不幸なことに、酒の摂取度と悲しみや空虚さが比例してしまう人びとなのだろう。どこまで行っても満タンになることがない。
自分はそこまでディープじゃないので、旅行や運動こそしないが、シラフでいる間はいろいろ見聞しているので結構忙しい。
虚しさなんて上げ底にしておけばいいと思うんだけどもねえ。そうじゃなきゃやってられねえよ。それを誤魔化せるアイテムとして、様々な表現が存在するのだ。カレーでも食べようよ。