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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

すうさい堂は閉店しました。17年間ありがとうございました。

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「痛み」のホラー



なんだかんだで、男性作家が描くホラーや猟奇は、どこか無邪気なんである。エグい表現もエンタメのひとつ、ということ。
楳図かずお、日野日出志、山岸涼子がホラーマンガの三羽烏だと思っているのだけど、この中で誰が一番ゾッとするものを描いているのかといえば、山岸涼子さんである。
発想に情け容赦がない。『鬼来迎』『夜叉御前』『狐女』『天人唐草』あたりが特に突出している。
血も内臓もモンスターも出てこないが、切り捨て方が冷酷すぎるのである。この人に比べたら日野氏なんかは叙情的だと思う。名作『蔵六の奇病』『地獄小僧』『毒虫小僧』を見よ。優しいから好きなんだ。
視覚的に一番ぶっとんでるのは伊藤潤二かも知れませんが、着想がぶっとびすぎていて個人的にはギャグの琴線に触れてしまうのである。

で、知られざる名作ホラーコミックを紹介。円山みやこ・『蟲笛(こてき)』である。青林工藝舎より復刊。
実際の事件からヒントを得た作品が多く、正統派少女マンガの絵柄だが、とにかくヒリヒリしている。
ぶっちゃけ、陰惨すぎるし後味も悪い。それでもとことん描いてしまう作家としての業。仕事でやってるんだとしたらなおさらすごい。
『傷の軋み』。学校にも行かず裏ビデオのチラシをポスティングしている少女は、家に独りでいるときに巨大な芋虫の幻影を見ている。その正体は、彼女を虐待する父親。
『葉隠しの家』。ひきこもり息子が自宅で監禁している少女を黙認している母親は、その子を「盆栽」に見立てている。
「盆栽の・・・いらない枝を割って」「皮を・・・はいで枯れさせて」「一部分を骨みたいにするのよ」
女子高生コンクリート詰め殺人事件をモデルにした表題作。
『ハイエナの粉』。リンチ殺人事件の実行犯を兄に持つ少女。彼女はインターネットで自分のプロフィールを公にされてしまう。
そして母親宛てに、自分の骨を59グラムずつ封筒に入れて郵送してほしい、との遺書を残して自殺する。
彼女なりの、世の中への復讐。
『哂う花』。これはオリジナル。「生理」を主題とした、男には思いつかない、もう本当に、なんとも言い難いホラー。被害者は一人も出ないのだが、おぞましさで毛穴が開く。
清楚な美しい転校生は人間じゃないのかも知れません。月のものが「アレ」だから。
読後、しばらく気が滅入る。どれもこれも読み手と刺し違えるような作品集である。

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残酷踏み絵スペシャル



人はなぜ残酷に惹かれるかと言うと、それがどこかエロティックな要素を含んでいるからである、と、思う。
シリアルキラーの実録ものが流行したのも、彼らの行為が抑えきれない屈折した性欲によるものだったからというのが大きいんじゃないか。
人気がある殺人鬼というとやはり、ヘンリー・ルーカス、テッド・バンディ、チカチーロ、ジョン・ゲイシー、ジェフリー・ダーマーあたりで、こう並べてみるとヘテロであるルーカスやバンディがちょこっとだけ、まともに見えてくる。掘り出した死体を使ってチョッキや椅子やランプシェードなどを製作した職人さん、エド・ゲインも忘れがたい。
射殺魔のチャールズ・ホイットマンなんかがいまいち地味な印象なのは(それでも30人以上殺したんですが)、要するにセクシャリティに欠けるってことなのか。人気者シリアルキラーってのはなんと、セクシーな存在だったんである。

さて、大越孝太郎『猟奇刑事マルサイ』(コアマガジン)である。帯には「人間椅子」のメンバーによる推薦文。
『この本をワクワクしながら読みおおせたあなた、あなたは人として立派に倒錯しています。』
まさにその通りで、ああ読みおおせちゃったんだなこれが。とてつもなく残酷。かつエロティック。
作者の女性に対するサディズム描写には凄まじいものがあって、この点では猟奇の大御所・丸尾末広や花輪和一もはるかに及ばない。
そして女性キャラの美しさ。ほんとにかわいいし、きれい。顔の表情なんかもリアルに色っぽい。
が、大越氏のペンにかかれば彼女たちがもう、ムチャクチャな目に合う。
意識不明のまま、生前葬プレイで陵辱されて殺されるM女の話なんてのは単なるイントロ。
『地底の星』。シェルター研究チームの夫婦が実験として一年間、北海道の地中で暮らすことになり、最初は仕事しなくていい、食料ある、エッチし放題でその生活を享受していたが、地上で監視していたチームの研究資金が底を尽き、逃走。そのまま閉じ込められた夫婦に襲いかかる狂気の結末。
『恍惚の女医』。四肢切断を望み、それを実行する女医。彼女がなりたかったものは、性欲だけで生きるおぞましいだるま女。
『人間按摩椅子』。明らかに乱歩のオマージュである、人間椅子男。同じ性癖を持つ人間椅子女も登場。
『ラチカン』。拉致監禁のエース、ゲイリー・ハイドニクあたりをフェイバリットとする、自宅の地下室でさらった女たちを飼う変態医師。言うことを聞かなきゃ乳首もちょん切る。
『アイツを許さない!』。自分の復讐のために無関係の女子をさらい、乳房や指を切断して相手に送りつけるキチガイ女。
『シリコンラバー・ドーターズ』。等身大の愛玩人形が連続して傷つけられ捨てられる事件が発生。捜査線上には長身の男性が浮かび上がるが・・・。推理ものとしても出色の出来。
『孤高の鬼』。体にシリアルナンバーのタトゥーを彫られた風俗嬢たちが自慰行為で達しながら、飛び降り自殺する事件が頻発に起こる。彼女たちの元締めは、M女を専門に提供するサークル代表の女・メア。
催眠暗示で彼女たちをコントロールしていたメアは、伝説の調教師のもとに、彼の術を盗むためM女として飼われ、潜入していたのであった。
「マゾ女の幸福」という、なかなか常人には踏み入れられない域を描いてラストを飾ります。

この本は究極の踏み絵である。ダメな人はまともにページも開けないと思う。



ぼくたちは光の中でチャチャチャ



『レンタルチャイルド 神に弄ばれる貧しき子供たち』(石井光太・著/新潮文庫)読了。
例えば「失明するのと二目と見られない顔にされるのとどちらが良いか?」とか、「伊集院光似の女子と石原さとみ似の女装子ならばどちらと寝るか?」とか、「カレー味のウンとウン味のカレーならどちらを食うか?」などの究極の選択に(だんだんアホくさい方向に向かっている気がする)我々は甘ちゃんであるので一瞬、うーんなんて思ったりするが、この本に出てくる子供たちは何の躊躇もなく即答するだろう。
レンタルチャイルドとは、インドの女乞食に黒い筋から貸し出される赤ん坊のこと。乳飲み子を抱いていた方が同情されて喜捨を多く恵んでもらえるからである。
ただし情を移すのはタブーなので、数ヶ月ごとに赤ん坊は女たちの間を回転する。
子供に情が移った場合、①赤ん坊と逃げてマフィアに捕まる②逃げ切って飢え死にする、という二者択一の運命が待っている。
そして著者がさらに踏み込んで取材しているのは、子供たちを故意に傷つけ障害者に仕立て、物乞いをさせているという噂のマフィア・グループである。

著者はそのマフィアたちに接近することに成功し、真実を知る。果たして噂は本当であった。
捨てられた子供たちを拾い、目を潰して失明させる。そうして盲目になった彼らを囲って雑居ビルに住んでいるグループがいる。
マフィアは子供たちに理不尽な暴力を振るったりするが、時には一緒に遊んだりもするし、何よりも寝食を共にしている。目を潰された子が「”パパ”は悪い人じゃない」と言う。「街の人は僕らを怖がり、臭い、邪魔だと離れていく」と言う。子供たちはどちらを信用するか?マフィアである。
その組織自体、物乞いビジネスで潤っているわけではなく、貧乏生活を強いられている。
彼らマフィアの言い分としては「自分たちは目を潰しただけ」だから、まだマシなのだ。子供たちの手足を切断する「イカれた連中」が実在するからである。

本文に出てくる浮浪児グループのリーダーである少年はインドの『施設』について、「あそこの連中は俺たちを殴り、閉じ込め、オカマを掘る」と言う。「だったらマフィアに金を払えば自由を得られる街の生活の方がいい」と言う。
マフィアは手足を切ったり目を潰したりするだろ?との問いには「せいぜい一度だけだ。偽善者に何年間も汚ねえチンコをしゃぶらされるくらいなら、マフィアに腕の一本や二本くれてやるよ」と答える。
障害者にされた子供たちもいずれは成長する。成長すると物乞いとして稼げなくなるから街でグループを作り、さらに弱い立場である「ヒジュラ(インドの女装者)の物乞い」をターゲットとして暴力を振るう。
被害者であるヒジュラたちだが、新しい脅威である「黒人」がやってくると、少年グループたちは「小猿」扱い。まだ、そっちの方がマシなのである。
羊を飼っている少年グループがいる。セックスするためである。羊を犯すか、女乞食をレイプするか、どちらかでしか性欲を満たす手段がない。
浮浪児を拾って(さらって)外国人に売買しているマフィアの言い分は、「路上に放っておいてもほとんどの奴らが死んじまう。それなのに、てめえはガキたちを金持ちのもとに養子にやるより路上に放置する方がいいって言うのか」。

先のリーダーだった少年は「死体乞食」に手をつける。
死体を市中引き回して喜捨を得る仕事。腐って異臭を放ち始めたらなお都合がいい。臭いわ汚いわ忌まわしいわで近寄ってくれるなと、人びとは気前よく恵んでくれる。
仲間である少女の母親が死んでも同じである。埋葬するのが良心か?ただし、埋葬しちまったら一銭のカネにもならない。すべては仲間を食わせるため。
タフすぎるんだよな。よくこんなに過酷な二者択一が出来るもんだと思う。
書いていても疲れた。次は誰かに買って読んでもらって、「ずどん」と撃たれていただく。
唐突に、暗黒大陸じゃがたらの『クニナマシェ』が聴きたくなった。


イノセントの行き着く先



古屋兎丸『インノサン少年十字軍(全三巻)』読了。
どーん!である。これは名作であります。例えると、原作版デビルマンを読んだ時の衝撃に近い。
かなり少女漫画チックでお耽美な絵柄なので、おっさん最初は少々抵抗があったんだが、読んでいくうちにぐいぐい引き込まれて行く。
有名な「少年十字軍」の史実をもとに、彼らの夢や希望、それと引き換えの絶望と残酷な運命を描く。
登場人物は、奇跡を起こす神の子・エティエンヌを中心に、十字軍に心酔するニコラ、「智」のクリスチャン、双子のリリアン&ロアン、元盗賊のギー、ライ病のレミー、いけ好かない荘園主のボンボン・ギョームとピエールなど(ふと、書いてる固有名詞だけ見ると自分の文章じゃないような気がしてきました)。
最初は意気揚々と「僕らがエルサレムを奪還するんだ!」と元気いっぱいで、テンプル騎士団の加護のもと(実は彼らは「天ぷら騎士団」だった、というのは洒落ではない)、順調に旅は進んで行くのだが・・・・・・・・・・・と、これ以上書くとネタばれになるのでやめましょう。デビルマンのストーリーをバラしてるのと一緒だからである。
同性愛のニュアンスも濃厚で(これもデビルマンっぽい)、腐女子の諸君は大好物だと思う。おっさんも大丈夫だ。
宗派の対立で極端な人間狩りに走るエピソードも、デビルマン的である。

かの『漂流教室』もアレだったが、子供たちがとことん残酷に死ぬ。なんだかんだ言っても「子供を殺す」という表現が一応まかり通るのは日本の紙媒体だけなんじゃないか。
作品のキーワードは「少年の純粋さ(インノサン)」だろうか。イノセントを食い物にする輩はいくらでもいるし、それが行き過ぎるとあっという間に人間関係も崩壊する。作中、最も混乱の引き金になっているのは、最も少年十字軍であることにプライドを持つニコルである。純粋もだいぶ磨り減ってきたおっさんとしては「お前、もーちょっと抑えとけ」と思わずにはいられない。
宗教的なものは苦手だし、古屋兎丸なんて人はサブカル漫画家の代表選手みたいではあるが、これはエンタメとしてジャンルの壁をぶち破っていると思う。
おっさんも読める残酷なファンタジー。
実際の十字軍の少年たちは、奴隷商人の手に渡り売買されてしまったらしい。

プリティ・ヴェイカント/タモリ



大方の予想を裏切らずに最後の言葉は「明日もまた見てくれるかな?!」だったそうで、意味のない笑いをとろとろと流し続けていたお昼の長寿番組は、見事に無意味に終了したのである。
そもそもタモリという人は、ものすごくじれったい。
伝説的に語られることだが、この人のアナーキーな面白さが爆発していたのは、赤塚不二夫や山下洋輔などの身内で盛り上がっていた「密室芸人」の頃である。
ってずるいよそれ。絶対に見られないし記録映像もないんだから。
デビューしたのはいいけど、「テレビで彼の笑いは通じるのか?」と、昔の仲間たちは危惧していたが、いつのまにやら売れっ子になり、「あの男に昼の帯番組なんて無理だろう」と反対の声も小さくなかったと聞くが、いつの間にやら日本で一番有名なMCになった。
自身のセンスがスポイルされればされるほど、人気者になっていったのである。なんなんだ、この人。

ガキの頃の記憶ではあるのだが、いいとも以前のタモリは得体の知れない大人というイメージで、かなり怪しかった。そもそもデタラメ四ヶ国語麻雀なんてネタは子供には理解不能。
それでも「笑っていいとも!」のオープニングで歌い踊る姿には少し違和感があった。
わからないなりに、ちょっとカッコいいと思った大人が、なんとなくカッコ悪くなっちゃった気がしたのである。
その頃はビートたけしが破竹の勢いで、ツービートに始まりひょうきん族やオールナイトニッポンなど、自分は完全にたけし派だった。
なのだが、年齢とともに殿のセンスも磨り減って、もう見てるのがキツいなあと思っていたところに、飄々と同じ番組に出続けていたのがタモリ。
「あ、タモリって面白いんだ」と思ったのが、ご多分に漏れず『タモリ倶楽部』。
ゆるいんだけど、軽く毒もあり、ちょっとくすぐったい。改めてテレフォンショッキングを見ると、トークが結構面白い。身を乗り出して見るほどじゃないんだけど。
で、毎日会社員のように出勤して、同じテンションで「仕事」をしているタモリって何なんだ?と再確認。
さんまのように強引に自分側の空気を作ることもせず、今のたけしのような「いるだけの偶像」にもならず、引くとこ引いて、さらっと落とす。
松本人志やビートたけしだったら、つまらなくなったと見切ることも出来る。
だけどそれは、彼らの最盛期の仕事が革命的だったからなわけで、その才能が枯れていったり迷走したりするのは仕方がないことでもある。
翻ってタモリは、そういう意味では代表作がない。ただどこに当てはめても、意外にスルッとはまる。
なんとなくくすぐったい感じでずっとそこにいる。
(彼らとの決定的な違いは、タモさんは音楽がベースの人であるということ)
器用貧乏という言葉も当てはまらない。料理もトークもトランペットもデタラメ外国語も一流だから。

『タモリ読本』(洋泉社ムック)読了。いろんな人が氏について語っています。
が、本人不在。ここまで一切を語らないというのはもはや思想。
政治的な発言はしないし、反なんとか運動にもまったく関わらない。
人の出入りやつきあいはたくさんありそうだけど、きっと去る者は追わない。
慕ってくる若手ミュージシャンたちも多そうだが、どうせ誰も認めてない。だからミュージックステーションも続けられるんだな(この本に収録されている町山智広氏と同意見)。
ちょっと意外だが、『ラプソディー』の頃のRCサクセションを、自分の深夜放送で大プッシュしていたとのこと。やっぱり音楽がわかる人である。

31日アルタ前のタモリコールはすごかったらしいけど、本人はさくっと帰っちゃった様子。
32年間の無意味に意味を求めてもしょうがない、といったところだろうか。
「俺は粋だぜ/からっぽだからな」というパンクの名曲があったのを思い出した。





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