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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

すうさい堂は閉店しました。17年間ありがとうございました。

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伊藤潤二はびっくり箱である



ところで、手塚先生が作品中もっとも多用するフレーズって何か知ってます?
自分のリサーチによると「ウヒャーッこりゃひでェ」である。
事故でグシャグシャの遺体が出て来ても「ウヒャーッこりゃひでェ」、もんのずごいブサイクなおばさんが出て来ても「ウヒャーッこりゃひでェ」。たしかに読み手もそう言われると、何となくテンションが上がる。
この「ウヒャーッこりゃひでェ」に特化したジャンルがホラーで、伊藤潤二『うずまき』を久々に読んだ。
どのページをめくっても「ウヒャーッこりゃひでェ」の乱れ撃ち。ははは。
しかしこの人の作品は、グロテスクであってもポップである。つまりアイディアが「びっくり箱」。
中盤でとんでもないモノがいきなり登場し、そのままドドドドっとラストへ。実際、オチは弱いかなーという気はする。

うずまきによる怪奇現象に呪われた町、黒渦町。伊藤潤二作品といえば「美少女」であって、主人公の五島桐絵さんも然り。彼氏の秀一君は「親父がおかしい、渦巻きに異常に執着している」と最初からノイローゼ顔。
この親父さんは特注の丸桶に入り、自らの体を渦巻状にして死ぬのだが、この絵の見開きがぶっとんでる。初見はもう「あっ!」って感じで、ほとんどギャグの域にも達している。この作者、ジャンル的にはホラーだけど怖いと思ったことがないのはつまり「あっ!」=「ぶっ(笑)」に転じてしまう紙一重なセンス。
身体中を「渦巻きの空洞」に食われて消滅してしまう少女。渦巻状に自己主張を始める髪の毛。身体中をねじれさせて合体し、海に消えるカップル。なぜか人間がカタツムリに変身する現象(ヒトマイマイ)。エトセトラ、エトセトラ。
これらがすべて「呪い」で片付けられ、オチは投げっぱなし。
いくらバラバラにされてもパーツで蘇生していく「すくすくせいちょうホラー」の『富江』もそうだが、この人の作品は潔いくらい、意味もメッセージもゼロ。
どれだけ読者をびっくりさせられるか、ということに特化しているように思う。
繰り返すが、伊藤潤二は美少女が抜群にうまい。
ホラーが支持される要因として「女の子がかわいい」といのが昔からの定石で、自分も当然『恐怖新聞』より『エコエコアザラク』が好きだった。

先人である楳図かずおや日野日出志には、容赦ない描写と共に深遠なメッセージがある。
『漂流教室』では巨大な怪虫が暴れるが、実は小さな虫の大群となった怪虫が「ザザザ」と子供たちに襲いかかり、骨にしてしまう描写のほうが凄惨。
「あけてっ!!」「あけてくれーっ!!」と叫ぶ彼らを閉じ込めてドアを塞ぎ、犠牲にしてしまう主人公たち。
「だって、しかたがなかった!!」。ほんと、よくこんなの描いたもんだと思う。
日野作品で忘れられないのが『水色の部屋』で、子供を中絶してしまったカップルと稚魚を産むグッピーが対照的に語られる。
おびただしい数の胎児が「なんで殺したんだ~」「寒いよう~」と女性に群がる描写がショッキング過ぎて(彼女の幻覚なのだが)、さすがに読後すぐに捨てた。あれほどおぞましい漫画は読んだことがない。
「やるなら徹底的にやる」という作家魂に、ポップさは微塵もない。

なぜしつこく「伊藤潤二は意味がない」と書いているかというと、本書の解説がひどすぎるから。
元外交官の作家が「本書は21世紀の資本論だ」「伊藤潤二はマルクスなみの天才だ」とぶちあげているのである。
天才ということに異論はないけれど、いちいち弁証法だの格差社会がどうのと、ひどいこじつけをしている。
っていうかなに言ってんだか全然わかんねぇ。
作家なのに文章の意味がまるでわからない。意味が伝わらないのはアホの文章なのであって、本を買ってこの解説を読んだ人は全員げんなりしたんじゃないか。そうだったのか!なんて思う人はまずいねぇよ。
お門違いもいいところで、マルクス語りたいなら他でやればよろしい。完全な人選ミス。
帯にも「今日の格差・貧困社会の到来を予見したホラー」のコピーが舞っていて、あっはっは、である。
これをどう読んだらそんな解釈になるのか全然わかんねぇ。
せっかく「無意味でポップな、単なるホラー漫画の力作」を描いた著者も、これじゃあ浮かばれない。
表現からは高尚な意味を見出さなければいけない、という精神が貧困そのものなんである。

ぶっちゃけ、この作家が原作で、伊藤潤二作画による作品(軍事ものらしい)が当時連載されてたという事情による「事故」なのだが、そんなの読んでるファンがいたとも思えない。
ウヒャーッこりゃひでェ。

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少女椿は綺麗に咲くか?



今月の『Hanako』誌、特集「吉祥寺のオモテとウラ」に有難く掲載させて頂き候。
「吉祥寺のアナーキーさを象徴する店」と紹介されていて、ワーオ!
んーと、わたくし自身は吉祥寺にアナーキーさを感じたことがないのでありますが。阿佐ヶ谷の北口あたりの方がよっぽどアナーキーだと思う。
吉祥寺の不動産屋を舞台とした漫画家の人の対談も載っていて、作中でバウスシアター閉館に触れ、「吉祥寺も終わったな」のセリフが。
アナーキーインザ吉祥寺があったとすれば、今更ながらそれは恐らくバウスという映画館。メジャー作品を上映しつつ、裏に回ればかなりのマニアックさと遊びに溢れた企画を通していた。
「楳図かずお映画祭」とか「一週間パンクムービー」とか、場合によってはガラガラだったりしたのだけど(イギーポップのライブ映画etc・・・)、それでもやりたいこと優先、洒落が優先という姿勢が吉祥寺カルチャーってことだったんだろうなあ、と思う。
この街はオシャレだけどシャレッ気が足りなくなってしまった。それを考えるとすうさい堂なんかは「これやってオレの人生終わるんだろうなあ・・・」と考えるとかなりブラックな笑いを提供しているわけで、そこらへん、よろしくね。
全然関係ない話だが、キングオブコメディの解散がやはり残念である。
昨今はコントのレベルがどんどん上がって来ていて、サンドウイッチマンとかバナナマンとか面白いなあ、うまいなあと思う。
でもキンコメの凄さは「うまいなあ」とか思わせないところで、「ギャグが直撃」するんである。
高橋健一のほぼ日常会話なツッコミと、今野浩喜の放送ギリギリ感満載の爆発力。役者に転身するには、ちと早い。キングオブコメディの名前は伊達じゃないのだ。
しかしパーケン、今後どうするんだろう。死んでしまった人は人生完結だが、彼の人生はまだ続くのだ。
惜しい才能が終わってしまった(のか?)と思う。

さらに話は関係ない。丸尾末広の『少女椿』が実写映画化ということで、吃驚ぎょうてん。
この作品、アニメ化もされていて、昔は中野の単館上映を観に行ったもんだが、見世物小屋にフリークスという描写を避けて通れるはずもなく(避けちゃったら別物)、大丈夫なんだろうか?
「みどりちゃん」役には中村里砂さんという女子。知らなかったけど、中村雅俊の娘さん(お人形さん!お人形さん!!お人形さん!!!)。
中央線及び世界中に熱狂的なファンを持つ丸尾末広の代表作。成功を祈りたい。

ところで当店も丸尾作品は別格扱いなんである。
誰の本の顔を出して飾ったら一番美しいかと十秒ほど熟考したのち、丸尾本ということになった。
カバーからして、この人の絵や彩色は本当に美しい。で、本を開けば凄惨なエログロ地獄絵図。
伊藤潤二や高橋葉介も然りだが、ホラーやエログロってやつは、絵に魅力がないと成立しないジャンルである。つまらない絵のホラー漫画なんて、ほとんどゴミ。
そして丸尾作品は圧倒的にポップ。無意味、と言い換えてもいい。
古今東西のカルチャーのコラージュ。元ネタを探せばちょっとした教養になる。
日本軍やナチスをモチーフにしたものも多いので、その辺を受け付けない人も多そうだが、丸尾作品はまるっきり無思想。そのポップさ無意味さゆえに、幅広いファンがいる
(人間の業とか情念とか、本当にドロドロしたものを読みたいなら花輪和一。こればかりは手放せなかったりして。少々なマヌケさも含めて最高)。
ファシスト、ファシズム、ネオナチ、全然関係ない。
絵がまったく劣化しない。それどころかさらなる高みにのぼっていて、近年の幻想文学とのコラボ『パノラマ島奇譚』『芋虫』『瓶詰めの地獄』なんか、これらを漫画として描き切れるのは、さすがに他にいないでしょう(「パノラマ」は手塚治虫文化賞!)。
初の続きもの『トミノの地獄』も2巻以降が楽しみである。
偶然なのか最近、古屋兎丸の『ライチ光クラブ』とか杉浦日向子の『百日紅』とかのいわゆるサブカル漫画作品の映画化が続いている。サブカルチュア復活か?だと良いな。
ついでに山野一『四丁目の夕陽』や、大越孝太郎『マルサイ』なんかも映画化して、スクリーンに地獄の花を咲かせて頂戴。


手塚版デビルマン『ミクロイドS』



手塚治虫の少年向け作品で最も残酷なものは何かと言えば(『アラバスター』とかあるけれども)、『ミクロイドS』じゃないかと思う。
アリが進化した種族「ギドロン」が人間に向けて総攻撃を仕掛けようとしている。
その下の階級が「ミクロイド」。彼らはギドロンに奴隷のように扱われているが、ルーツをたどれば人間であり、その中から選ばれたヤンマ、アゲハ、マメゾウが人類にこの非常事態と、自分たちも共に戦うことを伝えるための旅に出る。
が、旅は過酷を極め、途中で寄った人間の町はギドロンのサイボーグ「人虫(これが気色悪い)」によって壊滅。そして出会った人間はミクロイドの意志を無視して見世物として売りつけようとする。
世界的科学者の美土路博士とその息子・マナブに会うまでは、彼らの話を取り次ごうとする者がいない。
さらにアゲハはギドロンに忠誠を誓うミクロイド・ジガーの恋人であり、ジガーはヤンマの兄である。
よってアゲハはジガーが送り込んだスパイではあるが、段々と使命感に燃えたヤンマに気持ちが傾いていき、ジガーは「ジグジョー!!」と嫉妬の炎がメラメラメラ、という極めてアダルトな展開。
最初の数話でアゲハはオールヌードを御開帳しており、ある世代における「手塚治虫とは、エロいマンガを描くひと」という認識はあながち間違いではないのであります。

ギドロンはいよいよ、人間というか日本に向けて総攻撃を仕掛ける(公害が一番ひどいからだそうだ)。
竜巻のようなカ・ハチ・アブたちが人間を刺し、口や鼻から侵入して窒息させるんである。
つまりこれは手塚版「デビルマン」。いや、殺されるのが悪魔ならばまだ「最後になんかすんごいの来た!」と、ちょっとしたイリュージョン感があるかも知れないが、恐ろしい数の虫ですよ虫。
虫に殺された死体がまたむごたらしいし、ミクロイドをかばう美土路博士は人類の裏切り者だと、住民たちが自宅を襲うシーンなど、まさにデビルマン的。
ピストルを振り回して篭城し、暴君のように振る舞う白人。ギドロンが放った寄生バチ「マイマイ」にとりつかれてコントロールされている少女にマナブは恋するが、最終的に彼は彼女を自らの手で殺してしまう。戒厳令化のもと、投石した一般市民たちを容赦なく射殺する自衛隊。後半に登場するレディース愚連隊のエピソードなど、パニック・アクションの王道。
昆虫たちの脅威に人類は対抗し得ないのは明白。「とりあえず一件落着」で終わるラストも不気味。

この作品はアニメ版も放送されており、見てた記憶はあるけれどなんにも覚えてない。
(あ、脚本家がアニメのデビルマンと同じだ。そういえばこの原作に「S」の文字は一回も出てこなかった)
等身大ヒーローよりは巨大ヒーローのほうが人気があったであろう時代に「ミクロのヒーロー」では(手のひらに乗れます)、そりゃ地味過ぎますよねって話である。

※6月6日(土)は都合によりお休みさせて頂きます。来週からは火曜日も開ける予定です。


ディスります、先生



ゴールデンウィーク真っ最中。お天気もよろしいようで。すうさい堂でもレア本がぽんぽんと売れ、たいへんちょうしがよい。(みっけた、ほしいと思ったら則購入です。古本に次はない!)
明日(6日)も通常営業。7日木曜はお休みを頂きます。8日は高円寺でゆるふわDJ。女子も初参加。
で、久々にディスらねばすまぬブツに触れてしまった。中学教師が悶々とする、ドラマや映画にもなった漫画作品。タイトルはあえて秘す。書きたくもない。
だいたい、給食のカレーを「ゲリミソ」とか言い出して食事を台無しにする男子生徒に何が起こったのか?と真剣に考え込んだり、献立から酢豚がなくなると大泣きする女生徒に端を発し、さらにそのメニューを継続するか否かと職員会議。

バカですか?他にすることないんですか?

そもそも中学生ってそんなにガキではないんではないか?自分のその当時を振り返ってみても!
で、お次は中二男子と小四女子が肉体関係を持ってしまう、というエピソード。なんだこのバランスの悪さは。
しかも教師は母親の前で「そのような関係を否定することは我々には出来ない」といった趣旨の理論を振り回す。

否定しようよ!!

普通にダメでしょって。しかも今までのモラルにちょっと風穴を開けてやった、みたいな作者の欺瞞がぷんぷんする。「偽〇者」と呼んだらいいのか?
しかも主人公の教師が女生徒の一人に本気で恋、というより欲情していて、何かと言うと顔を真っ青にして汗を吹き出してる。うざったい絵柄もまったく魅力なし。
「トイレでウンコ」が原因で傷害事件にまで発展する回を読んで、いい加減「・・・・」な気分に。
この教師、実はセックスはナマ派なのだけど、それについてもっともらしい理屈をぶちはじめた辺りで(四巻)、あまりにもバカバカしくなって読むのを放棄。
そんなことを「作品として」発表する神経って、おこがましいと思いません?

んなこた酔っ払ってほざいてろバカ!というか、酒の席の話題としてもあまりにも食えない。

要するに、自分が思っていることを登場人物の口を借りて言わせてるだけ。
「こんなことを考えてる俺様って凄いだろ?」って。
だいたい、中学生がそんなにディベートの達人なわけないだろっての。
もう、これだけ漫画読んで気分悪くなったのって、カリブマレイ原作の『ボーダー』『天使派リョウ』以来ですわ。
さらに引くのが作者のプロフィール。折り返しにある著者紹介のスペースが、上から下までびっしり。
好きな音楽は「尾崎豊・倉木麻衣・渡辺美里など」と、あまりセンスがいいとも思えない趣味まで詳細に発表。中谷彰宏と同類の匂いがする。
ほとんどの漫画家って、自分の写真は載せてないような気がするけど、このヒトはすごい。
全巻写真違うし。しかも、ナルシスト具合が透けて見えるアー写みたいなやつばっかり。
恥を知る、という美意識が圧倒的に欠落している。漫画家じゃなかったらどうなっていたんだろうか。

あーディスったディスった、すっきりした。

泣いてないっ、ワサビが効いてるだけだっ。



「癒しは騙し」だと思っているので、そういうものを必要としそうな心が折れそうなときは、ジャームスやGGアリンといったクソみたいなパンクを聴いて邪気をはらうのですけれども、これは例外。
安田弘之『寿司ガール』。全3巻(新潮社)。
スシガールなんていうとあんたがたはどうせ「女体盛りかぁ?」などと下賎な発想をするのだろうが、そうではない。アマゾンから引用。

少しだけ人生に疲れた女達の前に、お寿司のネタを頭にのせた「寿司ガール」がそっと現れる。今を生きる全ての女性を応援する人間賛歌! 看護師の夢を諦めた女王様、人を好きになれない女教師、異国に憧れる少女、誰にも嫌われたくない森ガール……少しだけ人生に疲れた女達の前に、お寿司のネタを頭にのせた「寿司ガール」がそっと現れる。「私を見てくれている相手」を得た女達は少しだけ前を向くようになり――? 「ショムニ」「ちひろ」で女心を描き出した安田弘之の新たなる代表作。今を生きる全ての女性を応援する人間賛歌!

間違えちゃいないとは思うが、もうひとつサビが効いてない(うまいね!)。ちょっと補強したい。
登場する女性は、回転寿司で自分にしか見えない「ネタを頭に乗せた女の子」と出会い、つい持ち帰ってしまう。
頭に乗っけているのはイカだのコハダだのトリ貝だの、文字通り寿司ネタである。
ガールといってもロリータな玉子ちゃんやいなり婆さん、女王様のイクラパトラ様や、性別もよくわからないかんぴょう巻きなど、年齢層は広い。
発想はバカバカしいのだけど、作品としてバカバカしくならないのは、女性たちの立場が絶妙にシリアスだから。
自分磨きに余念がないイケてる姉さん(甘海老式部様)、ゴミだらけの部屋で暮らす地味OL(ネギトロちゃん)、男から見たかわいいを演じ続けるゆるふわガール(玉たん)、金髪と翠色の目がコンプレックスな外人顔の女子高生(ミス・サーモン)、自分を誤魔化しつつDV男と婚約してしまう女性(コーンちゃん)、などなど。
目の前に現れた寿司ガールによって、彼女たちは自分の意思で自分を変えていこうとする。
ヘビーなところでは放火で無期懲役になったヤンキー(穴子軍団)や、自殺した女子高生の幽霊(ホタテちゃんとカッパちゃん)なんてのもある
重くなりそうな話でも、寿司ガールという存在のバカバカしさが中和するんである。
全然足りない一貫分のジャラ銭を握りしめて、寿司を「味わい」に来る無愛想な小学生の女子(スズキさん)や、公園の同じベンチに座りつつも距離をとって罵り合いつつ、一緒に寿司をつまんだりしている爺さん婆さん(シメサバアさん)などの、人情モノも良い。
女性向けを謳っているっぽいのだけれど、女性の皆さんは自分の彼氏に本作を読ませた反応によって、そのオトコがどれだけ女性の(というか人間の)機微がわかるヒトかどうかを計ることが出来る。そんなアイテムとしても機能すると思う。
オレはといえば激しく感情移入して読んだので、やっぱり女子力が強いです。

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性別:
男性
職業:
古本すうさい堂
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