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すうさい堂の頭脳偵察~ふざけてません。

すうさい堂は閉店しました。17年間ありがとうございました。

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フェイク、ギミック、キャロル



『燃えつきる キャロル ラストライブ』のDVD鑑賞。
いきなり日比谷野音のステージが燃えてる。どういう経緯か知らないが、マジの火事になってるオープニング映像に大笑い。
キャロル伝説のラストライブ。動く彼らはとにかくカッコいい。
完璧にベースを弾きながら歌う永ちゃんも、リードギターの内海利勝もとてもカッコいい。
しかし、矢沢永吉という人はすでにこの時点で完成している。あの独特のトッポいイントネーションによる口調は、我々が常用している日本語とは違う。たぶん北京語と広東語くらい違う。そしてすでに「次を目指している」姿がある。
それに比べて、悪ぶっても繊細さがどうしようもなく透けて見えてしまうジョニー大倉。とことん不器用な人だ。(彼の言い分『キャロル夜明け前』も読んであげて!)
今でこそこのタイプのバンドはうじゃうじゃいるが、1972年にまっさらな状態でこんなバンドを見たから、みんなびっくりしたんだと思う。不良の兄さんたちは「俺たちの音楽だ!」と狂喜し、インテリたちは誰もやらなかった原点回帰と、その思想性のなさに衝撃を受けた(と思う)。
はっぴいえんどや頭脳警察や村八分などの「知性のロック」とはまるで違う、誰でも共感できてかつ、今まで日本においてまともに取り組もうとした者がいなかったスタイル。
GSにしてもバンドが本当に目指していたものはサイケデリックやスウィンギン・ロンドンなど当時のモード音楽で、オールディーズのロックンロールまで遡ろうとはしなかったようだ。
ロックは英語か日本語かなんて議論も、ジョニー大倉によるチャンポン歌詞であっさりケリがついた。以降のロックバンドはすべて、このスタイルを踏襲することになる。
純粋な意味での「日本のロックンロールバンド」を選ぶとすれば、結局キャロルとルースターズってことになるんじゃないか、という気がする。

黒光りする四人は、若くて青くて切ない。そして、ヒリヒリしている。
長髪フォークの時代にリーゼント&革ジャンで登場した戦略性(このセンスをバンドに持ち込んだのはジョニー大倉)。
トータルイメージとしてのセクシーさでは70年代ナンバーワン。ルックスってのはやはり大事で、あのファッションだからこそ、彼らのバタくさい楽曲が引き立つ。
取り巻きのバイクチーム・クールス。「警備」としてステージ上を我が物顔でうろうろしている。
とってもうざい。明らかに必要ない。だがその胡散臭いギミックが当時っぽい。
分かりやすくワルっぽい演出も含めてキャロル。語りまくる岩城晃一。どこかに舘ひろしもいるはず。

つまりコスプレでフェイクなんである。今のバンドがまるでわからなくなったので(まず「かまってちゃん」が理解できない)、ユーチューブで「キュウソネコカミ」「カナブーン」「感覚ピエロ」「赤い公園」「サイレントサイレン」「凛として時雨」「グッドモーニングアメリカ」等々検索してみましたが、なんちゅうかな、内容が「等身大の僕ら」だったり、妙に内省的だったり、のびのびまっすぐだったりして、なかなかフェイクを仕掛けてくれない。
狼マスクのバンドの曲は、ごくフツー(あれは「ふなっしー」みたいなもんじゃなかろうか)。
ライブで姿を見せないというフェイクを使っているバンドの曲も、ごくフツー。
「ゲスのどーのこーの」という、かましてきたバンド名の割に曲はごくフツーにおしゃれ。
サブカル女子やスマフォやJ-POP を揶揄しても「卑近だなあ」くらいしか思わないし、「ツイッターで炎上」とか歌詞にしちゃうのもいかがなものか、などと言ってるのもおっさんだからなのだろうか。しかし毒を吐いてもその程度?と思ってしまうことも確か。
一撃必殺ってのは結局、「かわいいあのコはルイジアンナ」とか「こんな夜にお前に乗れないなんて」とか「おれはただお前とやりたいだけ」とかの、アホみたいに単純なフレーズだったりする。
フェイクが決まるのはホンモノだから。「フェイク」や「フリーキー」や「フランティック」などの意味/語感が似合うのがロックなんである。
「フツーの音楽」をやる人たちは「フレンドリー」でも追及していればよろしい。




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解禁すんな



8月も本日でおしまいですが、今年の夏はレゲエであった。といっても別に三木道三にハマッていたわけではない。
ルーツ・ロック・レゲエである。ピーター・トッシュの『解禁せよ』のジャケットに「うわ」と思ったあたりがとっかかりで、別にこの俺様がジャメイカーン!とかトロピカーナ!とかのノリでキャッキャッしていたわけではない。
今まで手付かずのジャンルだったのだが、ジョー・ストラマーやジョン・ライドンの感覚にようやく共有できるようになったというか。
クラッシュは『ポリスとコソ泥』『プレジャー・ドロップ』などのカバーを残しているし、ライドンはレゲエフリークを公言している。ストラングラーズは最強のパンク・レゲエ『ナイスン・スリッジー』を残しているし、セルジュ・ゲンスブールもレゲエのアルバムを発表している。スリッツやスペシャルズや初期ポリスもレゲエの影響大であり、思えばいくらでも入り口はあった。
パンクとレゲエは舎弟と兄貴分みたいな関係でなんである。
さらにレゲエの中古市場がかなりお安いものだから、スティール・パルス、バーニング・スピア、カルチャー、アスワド、サントラ『ロッカーズ』『ハーダー・ゼイ・カム』、ホワイトレゲエのUB40やニューエイジ・ステッパーズなど、平均600円くらいで入手。最近すうさい堂のBGMはレゲエばっかりです。
和製レゲエの最高峰はPANTA&HALの『つれなのふりや』だろうか。

ボブ・マーリー&ウェイラーズに関しては、ほとんどの人がベストから入っていくと思うのだけど、どうもマイルドに編集されているので、ロッカーとしての彼のカッコよさがあまり伝えられていない気がするのである。
歴史的名盤とされる『LIVE!』もウェットすぎて好きじゃない。「ノー・ウーマン・ノー・クライ」で湧き上がる大合唱とか。スタジオ版での「小品」というくらいの感じがちょうどいい。
全部聴いたわけじゃないけど、オリジナルを追っていくのがいいと思う。さすがにボブ・マーリーは視点がシビアなので『キャッチ・ア・ファイイヤー』『ナッティ・ドレッド』『ラスタマン・バイブレーション』などは、とてもひゃっこい感覚でクールダウンさせてくれる。『バーニン』はトロピカル多いよね。
アイルランドのパンクバンド、スティッフ・リトル・フィンガーズには『ジョニー・ワズ』の名カバーがある。鳥肌もんである。

あとこれは自慢していいと思うぽよなのだが、ブリティッシュ・レゲエの名盤、マトゥンビのファースト『セブン・シールズ(七つの封印)』も持ってるのである。日本のみのCD化ですでに廃盤、アマゾンにも出品されていないといレアもの。ちょっと高かったです。
レゲエを超えたスピリチュアルかつポップな内容で、自分なんかが持っていていいのかしらとも思うけど、部屋を真っ暗にして聴きたいような、なんつーかすごい音楽。
実は内田裕也主演の『餌食』でガンガン流れていたのがこのバンド。裕也氏も当時、これ聴いてぶっとんだんだな。
動画サイトにも数曲アップされているので、ポピュラーに関してはこの世にどレア音源なんてほとんどなくなってしまったけど、パソコンじゃなくて自分のプレイヤーで聴きたいかどうか、というところが重要。
音楽とは手に取れるもんである。
ラスタファリズムの背景とか全然わからないが、70年代、パンクとともに世界中を瞠目させたレベル・ミュージックがレゲエ。生粋のレゲエファンとはまるで違う捉え方をしていると思いますが、何にせよ自分、パンク上がりなんで。っていうかまだ上がってないんで。
ところでやっぱり大麻は解禁しちゃダメだと思う。特に車社会とは相容れないということを、先日の脱法ハーブの事件が証明している。
Don't LEGALIZE IT.















調子に乗って五枚も貼っちった。あとで自分が見たいんである。

RCサクセションとわたくし



『ROCKING ON JAPAN特別号 忌野清志郎1951-2009』『清志郎が教えてくれたこと(今井智子/飛鳥新社)』『忌野清志郎が聴こえる 愛しあってるかい(神山典士/アスコム)』と、ここのところキヨシロー本を読んでいるのです。
RCサクセションは『BLUE』以降がリアルタイムなので、これらの本を読んでいると「あのあたりでバンド内に微妙な空気が・・・・」などとわかってしまって、何となく納得している。
『BEAT POPS』以降の作品てのは、個人的には微妙なんですよ。このアルバム、世間的にはRCが一番注目されている頃で、どんなものが出るのだろうとほくほくしながら待っていた、のだが、発売されたレコードの、ジャケットに違和感。
なんで清志郎がニヤけてるんだ?チャボやG2がアイドルみたいに写ってるんだ?と思った気がする。
確かに好きな曲もあるんだけど、なんちゅーかどこか売れ線狙いというか、以前のようなソリッドさが薄れたんじゃないの?というか。ソリッドなんて言葉は当時は知らんが、中二ってのは割りとそういうところが敏感だったりする。
以降『OK』『HEART ACE』『MARVY』とそんな感じがずっと続く。『FEEL SO BAD』は久々に本気で怒ってて好きだったけど。この辺ってのは曲のストックがなくなって、新しく作られたものが多いので、どことなく感触が違うのである。
『COVERS』は作品の内容や発売禁止のゴタゴタに孤軍奮闘していたのは清志郎一人だけだったらしく、以降バンド内に軋轢が生じ、ラストの『BABY A GOGO』ではメンバーが二人抜けてしまう(このアルバムは物悲しいくらいフォーク・ロックだった)。

ジャケットを頭の中で並べてみる。すると気付いた事がある。
『BEAT POPS』とそれ以前のジャケットってのは、実は明らかにセンスが違う。
『RHAPSODY』『PLEASE』『EPLP』『BLUE 』の四枚は、実にビッとしたバンドマンが思いっきりカッコつけていた。
中期以降はアートワークに遊び心も出てきたけれど、いつまでも眺めていられるようなクールなジャケは一枚もない。ハッキリ言ってジャケがダサいバンドってダメですよ。ロックンロールは総合芸術なんである。
要するに先の四枚と、売れなかった時代の三枚が好きすぎたってこと。今手元にあるのは『シングルマン』だけだが(それですらほとんど聴かないけど)、順番どおり頭の中でアルバムを正確に再生することができる。
結局自分にとって、セックス・ピストルズ、ザ・スターリンと並んでRCサクセションってのは重要なバンドだったんである。
まったくマニアックじゃないんですが、「究極」ってのはそういうことだと思う。

ソロワークってのはいまだにまるっきり興味がないんで、彼が亡くなったことに関しては特に思うことはない。ないんだけど、よくわからない人たちが追悼で「社会派ロッカー」とか持ち上げてたのが何だか苦々しくて。少なくともRCは最後まで聴いてきたけど、一度も社会派だと思ったことはない。社会を挑発するバンドであったとは思うけど。
『COVERS』だって、清志郎がそのとき、「なんかヤだ」と思ったことをそのまま歌っただけ。
反核テーマのコンサートをやってみようという気持ちはあります?というインタビュアーの問いに「いや、それはヤです。気持ち悪いですね、なんか」と、しれっと答えている。

「日本のミュージシャンは社会に対してまったく声を上げないからダメだ」という声があるけど、それはあまりにも真っ直ぐすぎる意見で、ちょっと笑ってしまう。
例えば井上陽水の曲に「テレビではわが国の将来の問題を/誰かが深刻な顔をして喋ってる」ってフレーズがある。この歌詞のポイントは国を憂いているのを「誰かが」と切り捨てる無関心さである。
そういう表現方法の人に反なんとか運動とかに関わってほしくないなあ、と思うのは自分だけだろうか。
大きな目でみれば、そうやって自分のブランドを守っているのである、と、思うんだけど。切り込んでいくのも表現だし、それをしないという表現もある。二種類あっていいんじゃないでしょうか。
忌野清志郎という人はその辺がどっちつかずになっちゃった感が否めないのだが、根本がヒューマニストなのだろう。
『BLUE』以前のRCサクセションに共通する匂いは「ドライさ」で、当時の録音のせいもあるだろうけれど、彼らが志向するソウルやR&Bっぽさは案外希薄だ。その辺が自分にとっては気持ちが良かったのかも。
かつての忌野清志郎の顔を見てごらんよ。人殺しの目つきだよ。こんな面構えでテレビで歌う人はいなかった。まさに看板に偽りなしである。
RCに黒人音楽を見ていなかった自分は(際どいR&Rバンドと捉えていた)いまだ、まともにソウルが聴けない。あれはウェットな人間賛歌だから、ちと苦手なのだ。踊れねえし。




WATCH OUT vol.15に、掲載予定だった、コラム



吉祥寺さん、いい加減 あなたの顔を忘れたい。♯10


ルー・リード氏がお亡くなりになりました。某中古CD屋では軒並み、彼の在庫が消えています。
ルーとイギーとボランを知らないロックファンはモグリってなもんで、
おう八っつぁん、何かお勧めを教えてくれよ?
そうだな、これなんかどうだい『メタルマシンミュージック』。
ありがとうよさっそく聴いてみっか、
うわーなんだこりゃ雑音がピーピー鳴ってるだけじゃねえか騙しやがったな八の野郎。
ははははは熊の驚いた顔が目に浮かぶな。ざま見やがれあん畜生。
死んでからルーと向き合おうなんざ片腹痛い。
やっぱり定番は『トランスフォーマー』に『ブルーマスク』かぁ?
このジャケの人間とは思えない面構え最高だな。
『警鐘』『死の舞踏』『レジェンダリーハーツ』『ロックンロールハート』も忘れちゃいけねぇよ。
聴きながら飲むとくいくい酒が進むってなもんだこん畜生め。
はああ。ちんとんしゃん。ちんとんしゃん。

さて、追悼ということで急遽、吉祥寺のバウスシアターがルー・リードの特集上映を組みました。
この辺の対応の早さが吉祥寺らしいところで、新宿や池袋の映画館じゃこのような機敏な動きは見せてくれません。
自分は2006年製作の『ベルリン』を観に行きました。
バンドを基本として、合唱団や弦楽隊と共に彼が演奏を封印していたアルバム・『ベルリン』全曲をライブで再現した作品。
辛辣な詞をTシャツにジーンズというラフな格好で浪々と歌う老境のルー・リードは「カジュアルな悪魔」。
爆音上映であり、歌詞を流しながらの上映でしたので、初めてあのアルバムの全体像が掴めた気がします。
若い頃は実に爬虫類的な、ヤモリのようなぬめぬめとした美しさを持っていたルーですが、年をとって皺も体重も増えたスクリーンの彼は、ガラパゴスオオトカゲといった風情でした。

とにかく作品数が多く、遺作はメタリカとのコラボでしたっけ?自分は未聴ですが。
ベストアルバムを一枚挙げよと言われるととなかなか難しいところですが、
今の気分ではヴェルヴェット・アンダーグラウンド『1969LIVE 』vol.1。
VU解散直前のライブ盤。どういうわけかパンチラのジャケット。
初期の激しさはありませんが、ぬるりとしたテンションのダルな演奏は、
確実にロックンロールの(裏)歴史に刻まれる音。
ベストテイクは、ルー歌唱による『ファム・ファタール』でしょうか。
オリジナルのニコ・ヴァージョンとはまた違う「ひゃっこい美しさ」があります。

ワイルドサイドを歩け。走れじゃないところがいい。
自分なんかは辛うじて「ワイルドサイドに足湯」って感じ。パチャパチャと。
ところで甲斐バンドに、「walk on the wild side」の曲もアレンジもまるまるパクった『新宿』という曲があります。
カヴァーじゃん!ってなくらいの、堂々たるパクリっぷりはなかなか見事なもんでした。







(※しばらく迷っていましたが、没にする必要性もないと判断し、こちらにアップしました)

ワイルドサイドをお散歩



ルー・リードさんがお亡くなりになった。享年71歳。
さて、自分は晩年近くまで彼の活動を追いかけていたわけではないので、「追悼」「合掌」「ショック!」とか言う権利もないんじゃないかと。というわけでひとこと「ルーさん、おつかれさまでした」。

最初はやはりヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファーストで、「パンクの元祖」みたいな情報から手に取るわけである。
針を落とせば「さ~んでい、も~に~ん」と、牧歌的な曲が流れて「あれ?」となり、えらいこと単調にギターやピアノが鳴ってる『僕は待ち人』で「んんんん?」となり(今聴くとめちゃめちゃパンクですけどもね)、かったるそうなおねえちゃんのボーカルが始まって「カネ、損した・・・」くらいに思っていたら次の『毛皮のビーナス』のイントロで、ガツンと来た。退廃の極みみたいな一曲。そんな感じのルー・リード初体験。
一番好きなのはやはり「バナナ」なのだけど(なんだかんだで馴染んでいく)、ヴェルヴェッツのアルバムはどれも良いと思う。
ロック+文学性だとプログレ方面に行き勝ちだが、ヴェルヴェッツってのは演奏自体はあんまり巧くないところが却ってクールなんだよな。
木魚みたいなモーリン・タッカーがドラムだったのは必然だったんである。
定番だけど極めつけは『スウィート・ジェーン』と『ロックン・ロール』。

ソロになると『トランスフォーマー』が飛び抜けてポップで、ジャケのカッコよさも含め皆からの「愛され名盤」。
『ベルリン』は評価高いが、隙間に埋まってる風情の『死の舞踏』『警鐘』『レジェンダリー・ハーツ』なんかも聴かれるべきだと思う。
名盤とされる『ニューヨーク』はあんまりピンと来なかった。
「学習する」とか「挑戦する」ってニュアンスだったな、ルー・リードのソロを聴くってことは。
(ゲイでジャンキーの退廃の帝王、みたいなキャッチに惹かれてアルバム聴くと、かなり肩透かしを食らうんだよな)
そんなわけで、一番大好きな音楽家ってわけでもなかったんだけど、『ワイルド・サイドを歩け』聴いて、「俺もワイルドに生きるぜ~、ワイルドだぜ~」と思った身からすれば(ウソだよ~ん)、やはり数々の名曲から恩恵を授かったゆえ、どこかでケジメをつけんといかん。
多少ながら、ワイルドサイドをお散歩させていただいたので。

吉祥寺バウスシアターでルー・リード追悼特集。2007年の『ベルリン』爆音上映。公開当時はシカトしたが、これは観に行く。
ケジメである。
新宿などの劇場からすれば「ルーリードとかいう人」が亡くなろうが商売には一切関係ないだろけど、「本当の重要性」を引っ掛けるアンテナと実行力は、さすが吉祥寺。



11月15日(金)に翔壱書店&すうさい堂でイベントやります。『CLUB WATCH OUT!vol.1』
吉祥寺fourth floorhttp://fourthfloor.sub.jp/
19時オープン。1ドリンク込み1000円。
DJは本郷翼氏とすうさい堂(共にWATCH OUT執筆陣)。
翔壱店長氏による、パンク&モアの名曲をアコースティックでカヴァーするライブあり。
あとは酔っ払う。
フリーペーパーという強みもあると思うけど、最新号は特に大人気で、残りわずからしい。
自分が関わった媒体としては一番勢いがあるのかも知れない。
いわゆるAVショップにはほとんど配布してないところが面白い。
アダルト発の紙媒体が、他のカルチャーを巻き込んでるってのはなかなか痛快。






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HN:
すうさい堂主人
性別:
男性
職業:
古本すうさい堂
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